準決勝
メルを伴い、ヴァリナの元へと赴くと彼女は顔を顰めたが、それ以上何も言うこと無く部下を立ち退かせた。
「一体、何をしに来たのかしらぁ」
先日と同じ、どこか癪に障るような甘ったるい声。
以前とそう変わらないように見えるが、メルは様子がおかしいと言っている。
彼女がそう言うのだから、そうなのだろうが俺は違いが分からなかった。
「どんな顔をしているのか見に来ただけですのよ」
「私がどんな顔をしていようと、貴方には関係ないことでしょうに」
敵意の篭った声で、俺たちを威嚇するヴァリナ。
だが、それ以上何も言う事は無い。押し黙り、メルを睨みつけたままどこか落ち着か無さそうにしている。
「貴方にも、怖いものがありますのね」
「!?」
「顔に出ていますわよ。まるで虐められた子犬のように哀れで怯えた印象しか受けませんの」
「うるさいっ! あなた達、こいつらをつまみ出して!」
護衛の人々は困惑した様子で俺とメルを見ている。
ヴァリナの言うような行動を観衆の前で取れる筈が無い。
「一つ、言っておきますわ」
「何!?」
「貴女を縛っている物は何? もう一度よく考えて御覧なさいな」
そう言い残すと、俺の手を引いてさっさと立ち去っていくメル。
俺は護衛と、そしてヴァリナに会釈しながら出ていった。
彼女は俺たちの方を再び見る事すらしなかった。メルの最後の言葉も聞こえていたかどうか定かではない。
人でごった返している入り口ホールを抜け、元のVIP室までたどり着いた所で、メルはようやく一息付いた。
「一体何だってんだ、特に最後」
「私はアドバイスをしてあげただけですのよ」
「アドバイスって……」
「あの娘、ロアークとか言う男に無理やり従えられていますのよ。気づいていて? そういう関係は外的要因によって簡単に打ち崩せますの。こうやって不和の種を蒔いておく事が何よりも肝心ですけれど」
そう言いながらメルは俺の襟元に手をやり、格好を正してくる。
少し緩めていたベルトまできっちりと閉められ、どうにも落ち着かない気分だ。
「そろそろ次の試合が始まりますわよ」
「あ、ああ」
「勝ちなさいな。この試合も、次も。貴方なら出来るでしょう?」
そう言いながら、やれやれと言った様子で笑うメル。
俺は彼女の言葉に、小さな体を抱きしめる事で答えた。
「馬、馬鹿! こんな往来で何をしますの! もう!」
顔を真っ赤にして怒る彼女の顔を見ながら、俺は笑う。
「さ、さっさと行きなさいな!」
「うん。行ってくる」
手を振りながら彼女に背を向け、会場へと向かう。
控室で最低限の準備を整え、通路を抜けて再びあの歓声の中へと。
殆ど同じタイミングで、反対側からテミスは現れた。
胸甲だけを身に纏い、背丈程の長さの槍を手先で弄び、三つ編みにした金髪を揺らしながら。
「さあ、準決勝! 準決勝だあ! まず現れたのは、その小さな体から繰り出される素早く、繊細な剣さばきで今大会の台風の目と化した、このヴァルトハイムの次期領主、ウォルター・ベルンハルトだあああああッッ!」
アナウンサーの紹介と共に、会場から地響きのような歓声が沸き立つ。
鼓膜が破れそうな程な音に思わず顔を顰めたが、すぐに観客に向けて手と愛想を振りまく。これも次期当主としての務め。知名度と好感度はしっかり稼いでおかねば。
「兄ちゃん、いいぞ!」
「頑張ってねえ!」
VIP室を見ると、家族とそしてメルの姿が見える。
彼らの顔を見て深呼吸を一回、二回。最後に息を大きく吹き出し、力強く前へと進んでいく。
もう周りは見ない。前だけを、対戦相手だけを見る。
「そして次に現れたのは! その美貌からは信じられない程に豪胆な槍裁きと豪快な体術! 並み居る強豪、優勝候補を文字通り投げ飛ばして現れた流浪の騎士、テミス・ウルピア!」
「勝てよ姉ちゃん、全額賭けたぞぉッ!」
「テミス様ァァァァッ!」
俺の紹介の時と負けず劣らずに盛り上がる観衆。俺の時よりも遥かに野太い声の歓声が多い。しかし若い女性人気も相当なようで、野太い声と甲高い声の合唱の様になっている。
しかし、テミスは観衆達を一瞥する事すら無い。最初から意識すらしていないように見える。
彼女は俺だけをじっと見据えている。射抜くような瞳で、口を真一文字に結びながら。
そんな彼女の側へと近寄っていき、軽く握手を交わすと、ようやく彼女の口が開かれる。
「……まさか、君と対戦する事になるとはな。見知った仲であっても、年の差があっても手抜きは無しだ。全力で行く。君もそうしてくれ」
「ええ。いい試合にしましょう」
そう挨拶を交わした後に、俺たちは距離を取る。
一歩、一歩、ゆっくりと離れて行き、そしてある地点で示し合わせたように同時に立ち止まる。
十メートル程の距離を経て相対する俺とテミス。
この大会で初めて、じっとりとした嫌な汗が背中を伝うのを感じる。これまでの敵とは比べ物にならない程の手練だ。
「準決勝、第一試合、始めェェェッッ!!!」
アナウンサーの絶叫が会場を揺るがす。
だが、俺たちは既に彼の声など届かない世界に居る。
俺もテミスもゆっくりと、ゆっくりと、まるで蝸牛の様に間合いをとりつつ動き続ける。
心臓が痛いほどに高鳴る。
隙が全く無いのだ。右手を軸に体の中心から少し右寄りに構えられた彼女の構えは一見、大きな隙が左半身に生まれているように見える。
だがそれは囮でしかない。彼女のこれまでの体捌きを見ていれば分かる。彼女は本来左利きだ。
距離では圧倒的なアドバンテージが彼女にある上に、それを殺す為に至近距離に入り込めば彼女の体術が俺を襲うだろう。
どうする?
……腹は決まった。
後は度胸。
「どうしたんだ?」
「なんで、動かない?」
動きのない試合に観客達の熱は冷め、戸惑いが生まれているのが分かる。
分かる人間は息を飲んで展開を見守り、分からない人間は困惑している。
一瞬、闘技場全体が嘘のように静まり返った。
そのエアポケットの様な静寂を切っ掛けとして、俺は駆け出す。
「来いっっ!」
叫びながら、テミスが槍を再び強く握りしめるのを見て取った。
そして、彼女の槍が振り上げられる。
動け、俺。
何度も頭の中で想像した様に彼女は動く。
その想像よりも早く、彼女の槍は間合いに入り込んだ俺目掛けて振り下ろされる。
だが、その穂先も、柄も俺に触れる事は無い。
剣で受け、無理やりに押し返しながら俺は更に距離を詰め、剣を彼女へと向ける!
素早く反応したテミスは舌舐めずりをしながら左拳を俺に向けて構える。本気も本気だ。このまま飛び込めば、彼女の拳が俺の腹部に向けて飛んでくる事だろう。
だから俺はあっさりと再び距離を取り直し、彼女の槍の間合いの外へと出る。
彼女は戸惑った。
予想通りだ。
再び同じ様に距離を詰め、また離れる。
「!?」
彼女の表情に、僅かばかりの困惑の色が見て取れる。
槍と体術、どちらで対処すれば良いのか戸惑っているのだろう。
突けば近づき、構えれば離れる。
離れれば近づき、近づけば離れる。
強制的にどちらを取るのかを選択させ続ける事により、過ちを誘う。
尋常ではない方法だが、この場ではこれ以外の手段は存在しない。
このやり取りが十数回に及んだ時に、彼女の構えが少しばかり遅れた。
フェイントに引っかかったのだ。
槍を左手に持ち替え、強く槍を握り直したその一瞬の間で彼女との距離を詰める。
ここしかない。ここだけしかない。これ以上のチャンスは、無い。
「アアアアッッ!」
全身全霊を掛けた一撃だった。
テミスは再び選択を迫られる事になる。
受けるか、避けるか。
その選択を迫られた彼女は、避けるという判断を行った。
待ち望んでいたのは、それだ。
俺はこれまで決して深追いをしなかった。
全てはこの時の為に、種を蒔いていたのだ。
テミスの首を狙った刃は空を切る。一歩、二歩。後ずさりながら彼女は再び槍を構えようと、強く握り直す。
だが、俺は刃の勢いをそのままに、回りながら飛び上がる。
彼女に背を向けることとなる一撃だった。
唖然とした表情で俺を見るテミス。そして、避けられない事を悟った彼女はそのまま槍で俺の渾身の一撃を、受けた。
「くうっ!」
彼女の手にしていた槍はへし折れ、折れた穂先はそのまま力なく地面へと突き刺さる。
その光景を見たテミスは戸惑ったように俺を見た後に、口元に笑みを浮かべた。
「……参った。私の負けだ」
それで、終わりだった。
「し、試合、終了ッッッ! 勝者、ウォルター・ベルンハルトォ!」
アナウンサーですら呆気に取られる程の、劇的な結末。
これまでに聞いたことの無い程の大歓声と、大興奮とが闘技場を揺らした。




