反撃開始
ロアークのネタを掴んだ俺は、シオを帰して屋敷へと取って返そうとする。
その時、一人の女性とぶつかりそうになってしまった。
「す、すみません」
「へやへや、いいんれすよ」
全くろれつの回っていない様子の女性は、相当酒が入っているようで顔はそこらの飲ん兵衛よりも赤みが入り、胸元を大きく開けて双丘の上半分を扇ぎ続けている。目に悪い。
「おんやあ、ベルンハルトのおっちゃんじゃないれすかあ」
「?」
この女性は俺の名前を知っているようだが、俺には心当たりが無い。
どういう事だろうともう一度彼女の顔を見つめる。
「あっ、ローゼンプラウムさん!」
「しーっ、しーっ! ばれたら、めんろくさいれしょーが!」
目の前のこの女性は先程まで優雅な演奏を繰り広げていたローゼンプラウム氏だ。普段の知的で優雅な立ち振舞いとは全く似ても似つかないこの姿。一見分からないのも無理はない、と信じたい。
「少しまっててください。お水持ってきますから、ここに座って」
「わるいねへ~」
そう言っている間もグラグラと立ちながら震えている彼女をなんとか座らせて俺は屋敷から水の入ったグラスを調達し、戻ってくる。
そしてそのまま無理やり彼女の喉に流し込ませる。
「ウェホッ、ウェホッ」
ひどくえづきながら、なんとかグラス一杯飲み干した彼女はぐったりとした様子で座り続けている。
まともな体調には見えない。人を呼んだ方が良いだろうか。
そう思って立ち上がろうとした所、彼女の手が俺の肩を掴み、無理やり座らせる。
「すわりんさい、げーふっ」
もの凄く酒臭い吐息を一度吐き出しながら、彼女は深呼吸を一つすると喋りだす。
「決勝進出、おめでとう。きっと師も喜ぶだろうね」
おや。先程までのろれつの回らない感じではない。重そうに頭を抱えては居るものの、随分としゃっきりとした声色で喋っている。
「は、はあ。まあ僕の剣の師は、母上なのですけど」
「もう一人居るだろう? 君に師と呼べる人間は」
そう言われて俺の脳裏に浮かんだのは、やはりチェルナー師だろう。
「ま、まあ居るには居ますけど」
「その彼からの伝言。『招待は嬉しいが、私とワイスは生憎向かう事が出来ない。君の健闘を祈る。そして頼まれた事は“彼女”に一任した』という事」
俺の驚いた顔を見ると、ローゼンプラウム氏はニヤリとその白い歯を見せて笑う。
「チェルナーの叔父様は、私の師匠でもある。つまり私は姉弟子って訳。よろしくね、弟くん」
「は、はあ」
あまりの変わりように戸惑いながら、握手をする俺。
魔術師が敵として現れたという話を聞いて師匠に保護を求める手紙を出したが、『対処する』という素っ気ない返事以降音沙汰が無かったのですっかり忘れられている物だと思っていた。
身内を寄越すのなら予め言ってくれたらよかったのに。
「じゃあ、始めましょうか」
「何をですか?」
「決まってるでしょう。残り一人になった敵魔術師に対するお話よ。一人は君達が、そしてもう一人は私がさっき倒してきたんだから」
残った敵はただ一人、とらえどころの無い顔をした男だけだった筈だ。
彼は特に警戒する必要も無いと思っていたのだが。
「何を考えてるのか、顔に出てるわよ。ま、私に任せてくれれば問題なく倒す事が出来るけれど」
「任せていいんですか?」
「師匠に頼まれた事ですもの。しっかりとこなします」
そう言って彼女は俺の目元を覗き込む。
「それに、私の本当の目的は……」
「?」
「なんでもない。忘れていいわ」
それだけ言うと、ローゼンプラウム氏は立ち上がる。先程までとは異なりしゃっきりとした様子だ。
「んー、すっかり酔いが冷めちゃった。また飲み直そうかしら」
「迷惑を掛けない程度でお願いしますよ」
「大人みたいな事言うのねえ、貴方」
そう言って彼女は俺の額を小突く。
そんな事を言われても本当の事を言えない以上、苦笑で答えるしか無い。
「よく言われます」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
酔客だらけのホールへと戻り、目ざとい客の相手をしていると、エレオノーラが俺を見つけて駆け寄ってくる。
「どうした、エレオノーラ」
「……父様が、おかしい」
少しぐったりとした様子で家族の集うテーブルの方へと目を向けるエレオノーラ。
そこには、すっかりと出来上がった父の姿があった。
「おや、本日の主賓の登場だ」
すっかりと上機嫌となった様子の父が俺を見つけて笑いながらグラスを呷る。
母はそれを嗜めている。普段はあまり見られない光景である。逆ならば幾らでも目にするのだが。
「そろそろ控えて下さい、元から強い方ではありませんのに」
「今飲まなきゃ、いつ飲むんだ! お前だっていつも飲んでるのに俺ばっかり言うなよ……」
そう言って突然ホロホロと泣き出す父。泣き上戸だから仕方ない。
今日は人の目があるので嗜む程度に留めているようだが、平然と蒸留酒を次から次へと飲み干す母を飲めない父が止めるというのが普段の様子である。
それだけ今日の父の機嫌が良いという事だろう。今は泣いてるが。
明日優勝すれば、どんな事になってしまうのか想像も付かない。
そのために、この二人には何事も無く過ごしてもらわなければならない。
背後で何が起きたのかを知ることもなく。
夜も更けてきた頃に、パーティーはお開きとなった。
屋敷に泊まる人々はそれぞれの部屋へ、ヴァルトハイムに宿を持つ者達はそれぞれの馬車へと向かう中、俺とメル、そしてアザリアは薄暗い部屋の中で簡単な話し合いを行っていた。
「さっきヴァリナを張らせてたシオが来た。ロアークがヴァリナに暴力を振るい、喧嘩になっている所を目撃したとね」
「あら、とても面白そうな話じゃないですの。もっと詳しくお願いしますわ」
こういう話が大好きなメルは目を輝かせている。もうそれこそキラキラと。
「ロアークはヴァリナと宜しくない関係にあるっていう噂を掴んでた。今回、シオにそれを確かめさせたんだが、それを裏付けるどころかもっと悪い内容だと思う」
「カノプスは娘を溺愛していましたから、彼に知らせるだけで全て片付きそうですわね」
そう。本来であればそれで一件落着であろう。
だが今回に関しては、それで終わらせる訳には行かない。
俺の胸中を察したアザリアは目を細めながら言う。
「これを利用して、彼を退けない状態へと引きずり込むのですね。……先程、旦那様の兄上とその御子息が市内に入られたという話がありました」
「ああ。今更退かれても困る。きっちりと準備を整えた所に突っ込んできてもらわないとな」
俺とアザリアの間で交わされる内容を理解したのか、メルもまた不敵に笑う。
「なるほど、随分と悪い事を考えますのね、貴方も」
「……ここで、当家に仇なす連中を全て片付けたいんだ」
「ベルンハルトの領地に野心を持つアカーシュと、ベルンハルトの継承権を持つ貴方の叔父上とその子息。これらを完膚なきまでに立ち上がれなくする策術を持っているという事ですのね、貴方は」
俺はメルの言葉に頷いた。
奴らの行動の後手後手に回ってきたが、これでようやく先手を打つことが出来る。
それでも俺のやることは基本的に一つ。剣術大会の場にロアークを引きずり出し、叩きのめす。
非常にシンプルだ。
「そう。でしたら私も協力致します。私を侮辱してくれたあの娘とあの男に、目に物を見せてやりましょう」
「……分かったよ。協力してくれ」
「随分と物分りが良いですわね」
「止めろと言って聞く性格じゃないだろう、君は。それに……」
俺はさっきの告白を思い出す。きっとひどく赤面しているだろう。
部屋が薄暗くて助かった。
「もう家族だろう?」
「ええ、ええ!」
メルの嬉しそうな声が聞こえる。
相手の顔を完全に見通せない程に薄暗い部屋でも、彼女が満面の笑みを浮かべているのが分かる。




