告白
家で待ち構えていたのは、やはりあの少女。
エレオノーラを隣に置いてティーカップ片手に父と談笑している。
「いやですわ、そんな謙遜なさる事は無いのに」
「ははは、相変わらずお上手だ」
俺が戻ったのを察すると、メルはにこやかに俺に微笑みかける。
「お帰りなさい、ウォルター」
「聞いたぞ、決勝進出とはな! やれば出来る子だと思っていたが、まさかここまでとは!」
「当たり前でしょう、今更その程度の事で驚く必要なんてありませんわ」
「いやいや、なんで人の父にそんな事言ってるんだよ、君は」
ごく当たり前の様に人の父親にツッコミを入れているメル。
だが、俺以外の誰もそれを気にしている様子は無い。俺の居ない間に一体何があったのか。
「お帰りなさいませ」
「アザリア。俺が居ない時の様子は……」
「少し、こちらへ」
アザリアに無理やり手を引かれて物陰へと引き込まれる俺。
何時になく積極的だ。どうしたのだろうか。
「ウォルター様、少しお伝えしたい事が」
「? 何が起きたんだ?」
少しばかり戸惑った顔をして、窓の外と応接間の方を伺うアザリア。そして俺に対して小声で告げる。
「ウォルター様の部下達ですが、少し状況が変わりまして半分程は市内の巡回に、もう半分は帰しました」
「なっ、……いや、君が判断したことだ。何か理由があるんだろう?」
「それは、私から説明致しますわ」
姿を見せたのはメルだ。何時も以上に自信満々で生意気そうな口元。喋りたくてウズウズしているという様子だ。
「……話を聞こう。一体何をしたのか説明してくれるんだろうね?」
「ええ、幾らでも説明致しますわ」
そう言って、髪を掻き上げるメル。
それを見ているアザリアは、既に全てを知っているかのような素振りを見せるが何も話す素振りを見せる事は無い。
「この屋敷の周りにいらっしゃった、良く分からない方々にはお帰り頂きました。変わりに我がスヴォエの者を配置して万が一の事態に備えさせていますわ」
「な……、なんでそんな事を!」
「貴方の叔父様が、この祭りに乗じて何かを為そうとしているという面白い話を耳にしましたの。それにアカーシュのあの方々が関わっているという事も。ですので、少しばかり手助けをと思っただけですわ」
そう言ってメルは不敵に笑う。
なんて事だ。ここに来て彼女が絡んでしまえば全てが崩れかねない。
「僕は君を、巻き込みたくは」
絞り出すような声で俺は言う。
本心だ。彼女を危険に晒したくないという事も、彼女は関係のない部外者であるという事も、全てがごちゃ混ぜになった言葉にならない感情が俺を巡っている。
「どうしてですの? 私が関わっていけないという理由は無くてよ」
「あるだろう! だって君は、ベルンハルトの人間じゃない!」
「そう言うと思ってましたわ」
珍しく声を荒げた俺に対しても、メルは何一つとして動じる事はない。
俺がそう言うと、予期していたかのように。
「でしたら、私がベルンハルトの人間になれば、貴方がそれを理由に断る事は出来ませんわね」
そう言った彼女の表情は、これまで一度も見たことが無い程に晴れやかで、艶やかだった。
今の言葉が何を意味しているのか、俺には容易に分かった。
俺と同じ様に唖然としているのはアザリアだ。言葉を失った様子で、彼女を無言のまま見つめている。
「な、何を……」
「私は、欲しいものは必ず手に入れますの。何を使ってでも、そして持てる全てを出し尽くしてでも。……それがこの身だとしても、私には欲しいものがありますの。それが貴方ですわ、ウォルター」
メルキュールは、しっかりと俺の目を見据えて言う。
彼女の目には、普段見せる事の無い哀愁の色合いが見え隠れしている。
告白だ。
彼女なりの、告白だ、これは。
それを意識した瞬間に心臓が高鳴る。息をするだけでも苦しい。
「私の全てを変えたのは、貴方ですわ。責任を取って貰いませんと」
「……アザリア、少し外してくれ」
「はい」
何も言うこと無く、彼女は姿を消し去る。その顔には少しばかりの暗い色合いが浮かんでいた。
彼女の気配が消えた後に、俺はメルの手を取って語りかける。
「僕は、君の思っているような人間じゃない。失望させるかもしれないよ」
「愚問ですわね。そんな事になったとすれば私の見る目が誤っていたというだけの事ですわ。……それに、貴方が何か大きな事をしようとしているのなら、側に居たほうが楽しい。そう思っただけですのよ!」
そう言って、顔を赤くしたまま俺に抱きついてくるメル。
彼女の暖かな体から、心臓の鼓動が伝わってくる。
その後に、俺の体を一層強く抱きしめた後、消え入るような声で好きと言ってくれた事を聞き逃さなかった。
「ありがとう、メル」
「礼を言うのは私ですわ。貴方と居ると退屈しないんですもの」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「では、ウォルターの決勝進出を祝って!」
父と母が、共にグラスを持ち上げて宣言する。
少し照れくさい感じだ。
「そして、ウォルターの明日の健闘を祈って」
「乾杯!」
父の合図と同時に、風琴の演奏が始まる。
賓客の一人、女流音楽家のローゼンプラウム氏による生演奏だ。
彼女の荘厳な演奏に合わせるように、バックバンドが伴奏を行う。
しかし、そんな演奏も耳に入らない位に、今の俺の頭は回っていない。
先程のあまりにも衝撃的な展開が未だに尾を引いていた。
あの状況では断れないだろうとは言え、まさかのまさかの展開である。
この歳で嫁持ち? いや、貴族としてはそう珍しい事ではないが、それにしても今までの俺の人生からしたらとても信じがたい事であり、しかも相手がまさかメルだなんて、いや確かに可愛いけど……
「うわあああ……」
色んな考えが頭を巡り、出ていかない。
しかしそんな俺の元に次々と訪れる賓客達。
「いやあ! その身で剣技も優れているとは!」
「ありがとうございます」
「お父上も鼻が高いでしょう!」
「ありがとうございます」
「あんなに小さかったのに、もうこんなに立派になって……」
「ありがとうございます」
工場のライン作業の様に次から次へと現れる見たことの無い来客への対応と握手を繰り返す俺。
頭は殆ど働かないまま、ガチガチに固まった笑顔を浮かべながら全く同じ対応を行っていく。
母の方から痛い視線が飛んでくるが、今はそんな事すらどうでもいい。
母さん、息子の一大事が起きてるんですよ。
一通り人の波が引いた後に、ようやくテーブルの上に用意された料理の数々に目をやる。
「全く食欲がない」
俺は周囲の目を盗みながら、出来る限り気配を消して会場を後にした。
そして外の風を浴びようと庭に繰り出した。
会場ほどに人の数は多くはないが、既に酒で出来上がった人々の姿がちらほらと見受けられる。
「あ、あ、あ!」
その時、どこかで聞いたことのあるような声が聞こえた。
……気の所為だろう。そう判断した俺は背伸びをしながらゆっくりと庭の散策を楽しもうとする。
しかし、その時門を強く叩く音と、兵士の怒声が聞こえる。
「コラァ、何をしている、貴様!」
「うるっさいっすよ、アンタに用事はねえーっす!」
シオだ。門を登ろうと手を掛けている所を門番の兵士に捕まってジタバタと暴れている。
何をしているんだ、アイツは。
「何をしてるんだい」
「あ、ウォルターさん、コイツが言いがかりを付けてくるんすよ」
「知ったような口を聞くな! 彼はこの屋敷の!」
槍を振り上げて俺を指し示す兵士。職務に忠実なのはいいが、その態度はどうかと思うぞ。
「警備ご苦労様。彼女とは知り合いなんだ。だから大丈夫。それと少し話がしたい」
「え、はっ、了解しました」
「言ったじゃないっすか! これだから田舎者は!」
お前も対して変わらないだろ。そう言いかけたのを無視して何をしに来たのか柵越しにシオに問いただそうとした。
その前に、彼女はいつも以上に饒舌に語りだす。
「それよりも! 大変っすよ、大変。私見たんです、信じられない物を!」
「落ち着いて。深呼吸を二回どうぞ」
「スゥーッ、スゥーッ。はい落ち着きました。私はアカーシュの娘、ヴァリナの泊まっているホテルを張ってたんですけど。そこにロアークの奴がやってきたんすよ。そこまでは良いっすね」
俺は頷く。
ようやくすこしトーンダウンして減速しつつあるシオが続ける。
「そこに潜入した私が見たものは! なんと!」
「なんと?」
「ヴァリナに暴力を振るうロアークの姿が! 私は信じられない物を見てしまったんすよ!」
俺はその報告を聞いて、安堵した。
おやっさん経由で掴んだ情報は本当だったという事だ。
それは、ロアークがアカーシュ家当主カノプスの一人娘に恋慕しているどころか、それ以上の関係にあるという話だ。
暴力を振るった、というのだからロマンチックな関係では無さそうではあるが、あの男を揺さぶるには十分すぎる情報だろう。




