悪いことを考える
試合を終え、控室で武器の手入れとストレッチを行っている俺に近づいてくる影が一つあった。
「お疲れさんです、ボス」
声を掛けてきたのはアランだ。彼にはミシェールと協力してヴァルトハイム市内の警備と敵の排除を頼んでいる。
彼が姿を見せたという事は、何か報告する事象があるのだろう。
「何だ?」
「報告です。俺たちは二つのグループを市内から排除しました。少し警備隊とトラブルもありましたが、ミシェールさんに助けて貰って何とか」
「市内で揉め事を起こすな、って厳しく言い含めておいた筈だけど」
アランは口元を食いしばり、次に何を言われるのか恐れているように見える。
それもその筈。市外から組織の面々を呼び寄せるに当たって、浮かれた彼らに厳命しておいたのは決して警備の兵士達を始めとした市民達と揉め事を起こすな、という事である。
組織そのものが騒動の種になっては、何の意味も無い。
しかし、彼らの気持ちも分かる。
「まあ、祭りだ。浮かれる気持ちも分かる。交代まで下手な行動は謹んで、敵に当たってくれ」
「へ、へい。じゃあその、お咎めは……」
「無い無い。逆にその程度のトラブルで済んでいるということは、皆真面目にやってくれているという事だしね。それにもし罰を与えるにしても、全てが終わった後にするさ。ただ、揉め事を起こした人員の名前だけは書き留めておいてくれ」
そう言われて、アランの表情は途端に緩む。
「う、うっす、ちゃんと聞いとくっす」
「……そうだ、一つ頼まれてくれるか?」
アランは首を傾げる。お小言を言われる事を覚悟してきたのに、雷が落ちるどころか褒められてご機嫌な様子なのが一目で分かる微笑ましい感じだ。
「なんです?」
「今日はゆっくりと休むように、皆に伝えてやってくれ。本番は明日だからな」
「了解しました!」
そう言って、アランは去っていく。スキップ寸前という感じの軽やかな足取りだ。余程責任を感じながらやってきたんだろうな……
やはり、彼をまとめ役に選んで正解だった。情に厚いので仲間からの信頼も厚い。頭に血が上りやすいのが難点だが。
彼と入れ替わるように、テミスが控室に姿を見せた。彼女の髪はキラキラと輝いている。どうやら水浴びか何かをしてきたようだ。
「あれは君の友人か? 意外だな。君の様な立場の人間がああいう輩と付き合っているとは」
「人は見かけによりませんよ、僕も、彼も」
「そうだな。済まなかった」
テミスはそう言うのと同時に俺に手を差し出してきた。握手を求めているのだろう。
その手を握ると、華奢で柔らかな手からは想像も出来ない程の力で握り返される。この力があればこそ、あれだけの長さの槍を自由自在に振り回せるのだろう。
「君の戦い、観させてもらった。驚いたよ。まるで歴戦の戦士の様な立ち回りに圧倒的な剣技、そして雰囲気。その歳の剣士とは思えない。大人が化けていると言われても私は驚かない」
実際大人が化けているような物ではある。当然口には出さないが。
「いえいえ、まだまだ若輩者の身です。そんなに褒められるような事は……」
「フッ、褒め言葉は受け取っておく物だぞ? それに決勝トーナメントではライバルとなる可能性だって十分にある。君はかなり良い所まで勝ち上がりそうだからな」
「ええ、ありがとうございます、テミスさんも頑張ってくださいね」
「もし当たったとしたら、良い試合をしよう。では!」
そう言って布に包まれた槍を手に部屋から出ていくテミスさん。実に爽やかだ。
凛々しい上に正義感の強そうな人だと思った。
確かに決勝で当たる可能性は十分にある。戦いの合間に彼女の戦闘スタイルを少し見たが、かなり厄介な相手である事は間違いない。
自由自在にあのリーチの槍を操り、多数の敵を寄せ付けないで戦っていた。
独特な間合いと払いを多様していたあの戦い方は、あまり見たことの無い物だ。騎乗騎士では無さそうだが……
「っと」
思索に耽っている時間は無い。まずおやっさんの所に行き、それから家族の元に戻らねば。
気合を入れ直す為に頬を音が出る様に叩くと、俺もまた控室を後にした。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
普段であれば、人気の無い倉庫街もこの収穫祭ともなれば人でごった返している。
どこを見ても人、人、人。表通りから裏通りまで人の津波がどこまでも存在している。
それもその筈、あちこちの倉庫が臨時の宿屋や商店として大扉を開いて営業を行っているのだ。
中を少し覗いてみれば、普段は木箱に入った商品が積み上げられている空間や棚に人が詰め込まれている。
「うわ、すごい環境だ」
俺はげんなりしながらおやっさんの住まうボロ倉庫の扉を叩き、中に入り込んだ。
おやっさんは俺より遥かにげんなりとした表情を浮かべながら俺を出迎える。すっかりと憔悴しきったその顔にはいつもの数倍深い皺が刻み込まれている。
「どうしたんですか、おやっさん」
「どうもこうもねえよ、俺は静かな環境が好きだってのに外を見ろ。ガヤガヤとうるせえ連中が地平線まで埋め尽くす勢いでいやがる。それに定期的に勝手にここに入り込んでくるアホが……」
おやっさんがそう言いかけた途端に、倉庫の大扉が開かれ薄暗い室内に光が差し込むと同時に、数人の呑気な表情をした若者が室内に勝手に足を踏み入れてくる。
「すいませ~ん、ここって空いてますかァ?」
「うるせえ! とっとと出てけ!」
おやっさんが空いた酒瓶を投げつけると同時に逃げ出す若者たち。可哀想ではある。
「あんな連中がひっきりなしにやってきやがる! つっかえ棒も鍵も壊されちまった! おかげで俺はここを離れられねえってのに、シオの野郎は呑気にほっつき歩きまわって帰ってきやしねえ!」
愚痴っぽくなってきたおやっさんをなんとか宥めていると、そのシオがようやく帰ってきた。
しかも紙袋を大事そうに抱えつつ口に飴を咥えている。
「ほや、ウォルターはんひゃないでひゅか」
「……」
「遅え! 何してやがる!」
「うっひゃいっふね」
シオは紙袋をテーブルの上に叩きつけるように置いて棒を口から取り出しながら吠える。
「誰のお使いで行ってると思ってるんすか! この飲んだくれ! 文句があるなら自分で行ってくりゃ良いんす!」
「んだと! 誰に食わせて貰ってると思ってるんだ!」
売り言葉に買い言葉で今にも大喧嘩が始まりそうな雰囲気だ。
「その位にしてくれ…… 僕は今の状況を聞きに来ただけで、あんまり時間も無いんだ」
「はあ、分かったっすよ。まずは飲んだくれの人から」
「ケッ、この恩知らずが。……あー、この間伝えた魔法使い三人の内、一人は昨夜中央市街の路上で、すっかりと歳を食った状態で発見された。そしてもう一人、“ハーフフェイスのブラウズ”も今日逮捕された。残るは一人だけだ」
捕まったというのは名前からして、顔の半分が焼けただれていた男の事だろう。という事は、残っているのはあの頼りなさげな男ただ一人。
なんとかなりそうだな。
「はいはい、次はウチっすね。警備隊に情報を流して怪しい連中をバンバン捕まえて貰ってマス。十人位は今頃牢獄の中で祭りが終わるのを待ってるみたいっすね。じきに牢屋の数が足りなくなる~って泣き言言ってましたよ」
「あんま数も多くねえし、ボロいからな、あそこの牢屋」
「入った事がある人の言うことは違うっすね」
「うるせえ、黙ってろ」
俺は二人のやり取りを聞き流しながら考える。
懸念されてた魔術師の内、二人が欠けて騒動の際に動員する為に呼び付けられてたであろう人員も着々とその数を減らしつつある。
ここまではそう悪くない。二人の話を聞きながらそう考えていた。
シオがもう一言言うまでは。
「あ、そうだ。あと先程この街に、あの女が来たみたいっすよ」
「あの女?」
「アカーシュのヴァリナっすよ。多分ロアークの応援に来たんじゃないっすかね」
俺はその話を聞いて、不敵に笑う。運が巡ってきた。
「シオ、ヴァリナの泊まる場所を調べ上げろ。そしてそこに人を朝から晩まできっちり張り付かせろ」
「ええ? それだと他所に」
シオがそこまで言った所でおやっさんが口を挟む。
「いや、シオ、お前が直接入り込め。とんでもなくデケえネタを拾えるかもしれねえ」
「……な、何なんすか、二人ともイヤらしい笑いをして。気持ち悪いっすよ」
ドン引きした表情で俺とおやっさんを見るシオ。
しかし俺とおやっさんは悪い笑顔を突き合わせて居る。どうやら考えていることは同じようだ。
彼女は知らないようだ。これがアカーシュ家を揺るがすゴシップを握れるチャンスかもしれないという事を。
笑う俺に、シオはもう一つ伝えてきた。
「あと、彼女が来てるっすよ」
「彼女?」
「スヴォエのメルキュールちゃんですよ、あの子とデレデレしてた所、見ましたよ~」
メルは明日、決勝に合わせてやって来る筈だ。何故もう来ている?
というか、下手すりゃ別荘で俺の帰りを待ち受けてるかもしれないな……
帰った後も一息つく暇すら無さそうだ。げんなりしながら二人に別れを告げ、帰路についた。




