敵の目的は
「ウォルター様、終わりました」
アザリアは片手で顔面が血まみれのメイヤーを引きずってきた。鼻は曲がり、口からは血が垂れている。ひどい有様だ。
俺は彼の元へと行くと、取り敢えず懐に手を差し込む。お目当ての物はすぐに見つかった。
「牢の鍵っと」
鍵束をシオに投げ渡しながら言う。
「檻を開けてきて、宜しく」
「人使いが荒いっすね、まあ良いっすけど」
彼女が去っていくのを確認したあと、俺はアザリアに目で合図をする。
彼女はメイヤーの襟首を離し、支えの無くなった彼の頭は地面にぶつかり鈍い音を立てた。
俺たちの背後では、シオが次々に逃がしている子供達や男女が逃げ出している様子が伺える。
「さて、自己紹介から行こうか。僕はウォルター・ベルンハルト。君が良く知っているであろう人物だ」
「フーッ、知ってる、よ。クソッ、なんでテメエみたいなのがここに」
「君がやってきた事を考えれば、何一つとして不思議じゃないだろう?」
「ヘヘッ、俺が? 俺はただの、ただの善良……って訳でもねエが、ただの小悪党さ。それを捕まえて何をしようって……グエッ!」
しらを切り通そうとしているメイヤーの腹にアザリアの槍の一突きに匹敵するような鋭さの蹴りが突き刺さる。
血の混じった泡を吐き出しながら身悶えしている。
「単刀直入に聞こう。ベルンハルト領に間者を放ち続けている理由はなんだ?」
「……」
「ウォルター様」
押し黙ったまま、質問に答えないメイヤーに苛立っているアザリアを制し、彼の言葉をにこやかに待つ俺。
良い警官と悪い警官方式だ。俺が良い警官、アザリアが悪い警官。内実は逆なんだが。
やがてメイヤーは口を開く。彼の後ろに立つアザリアの刺し殺すような視線に怯えたのか、俺の営業スマイルに根負けしたのかは分からないが。
「アカーシュの旦那からの命令だ」
「詳しく、理由を聞かせて貰おうか」
「言ったら、俺は殺される。言える訳が……」
アザリアはもう一撃をメイヤーへと与える。
「今確実に死ぬか、今は生き延びて可能性に賭けるか。どっちが良い?」
「狙いは、お前らの祭りだ! アレをぶち壊して、テメエの親父の顔に泥を塗りたくってやるのが、目的なんだよ!」
この時期に動くという事は収穫祭関連だと思っていたが、その通りとは。
収穫祭に限らずあの手の祭りというのは、ただ道楽で行われる訳ではない。領地の経営が上手く行っており、今年も平穏無事に作物の収穫が上手く行ったという宣伝でもある。
更にはアレほどの大きな祭りとなれば多額の金銭が動く。
商人や大口の農家、領土外の人間もスポンサーとして参加しており、その陣頭指揮を取るのは当家だ。
その祭りが滅茶苦茶にされればどうなる? そんなゴシップは容易に遠方へと広まり、当家の評判に傷を付けるどころではない。
そんな事が起きて、得をするのは誰だ?
……一人しか考えられない。叔父のマティウスだろう。
そして彼がベルンハルト領を乗っ取れば、アカーシュはヴィーラー川がもたらす利益を得る事が出来る。危険な橋を渡る理由はそれなりに存在しているという事か。
「じゃあ、一つ聞こう。領内で活動している連中の親玉は誰だ?」
「……言えねえ」
メイヤーがそう答えた途端に、何かが鈍く折れる音が聞こえた。
ありえない方向に曲がったメイヤーの左腕と、そこに手を掛けているアザリアの姿。
「ガッ、ガアアッ、痛え、痛え!」
「もう一本行きますか?」
「ロアークだ! アカーシュの旦那の甥の!」
その名前を聞いて俺は眉を顰める。
どうせ叔父の所のあの嫌味な奴だろうと高をくくって居たのに。
ロアークはこの辺りでは剣の腕前と、そしてその美貌で良く知られている。もし何かがアカーシュに起きた時に、家を継ぐのは彼とも言われている。
そんな男が何故こんな事に加担しているのだろうか。その辺りは直接会って聞き出すしか無いか。
「ロアーク様がお前みたいなガキの鼻っ柱をへし折る為に、収穫祭の剣術大会に出場する手筈になってる。それに合わせて、アカーシュの手の者が暴れまわって祭りをぶち壊すって手筈よ。そして、祭りの混乱をマティウスの旦那が治める。お前の親父はどうなるだろうな!」
ヤケになったのか俺を挑発してくるメイヤー。
だが、俺はその挑発に乗るような事はしない。
どっちみち、この男の生殺与奪は今俺が握っているので、今更この程度の挑発を受けようがどうってことはない。
それをコイツが理解しているのか理解していないのかは知らないが。
「アザリア、止めろ」
メイヤーの首元に短剣を突き立てようとしていた彼女を制し、俺は離れるように合図する。
「ですが」
「こんな小悪党、君が殺す価値は無い」
俺の指示に従い、アザリアは彼の両腕と足を縛り上げた。
身動き一つ取れなくなった彼は、恨みがましい目で俺を睨んでいる。
「あ、終わったっすよ」
全ての牢を開け終え、更に建物中の散策を終えたシオが言う。
「こっちも終わりだ」
「テメエ、覚えていろよ、この甘ちゃんのクソガキが! アカーシュの旦那なんてもう関係ねえ、テメエだけは」
「……まだ状況が分かってないんだな、アンタ」
俺は怒りに燃えるメイヤーに諭すように顎で倉庫の外を指し示す。そこには想像通りの光景が広がっていた。
怒りに燃える数多くの人々の姿が、暗闇の中に見える。子供達の親、それに捕らえられていた浮浪者達の仲間だろうか。
彼らは一様に、メイヤーとその仲間達を睨みつけている。
「ヒ、ヒイッ!」
「……弱い立場の人間を食い物にしてきた罰だな。彼らに体で償うと良いよ」
俺達三人と入れ替わるように倉庫の中へと雪崩れ込む人々。
悲鳴と怒号が入り交じる世界を後にしようとしていた俺の所に、一人の歯の欠けた老人が笑いながら現れる。どこかで見たことがあるような、無いような。
「おや、貴方は」
「……?」
「ディエツはお気に召しましたかな?」
そう言って老人は懐から萎びた果物を取り出し、口にする。
ああ、先程メルと一緒に立ち寄ったスパイス屋の老人だ。
「中々美味しかったですよ。一緒に居た女の子は大変な目に会ってましたけど」
「味が濃いですからなあ、あの実は。ベルンハルトの次期当主の口に合ったのなら、何よりですわ」
老人がそう言った途端に俺の隣に居たアザリアの表情が強張り、武器に手を掛けようとする。
シオも同じ。平然としているのは俺と、目の前の老人だけだ。
「止めろ。彼が僕たちに害を成すつもりならもうやってる」
「ほう」
俺は周囲に目を向ける。三人、いや四人か。俺たちに視線を向ける者の数は。
老人は実に面白そうに俺を見ている。
「成る程、成る程。噂以上のお方のようで」
「ル=バル族の長老、もしくは宗教指導者でしょうか」
「ハハハ、見識も鋭いと来た! イヤハヤイヤハヤ。儂はモンケ。貴殿の言う通り、ル=バルの者達を教え導く事を役目としておる」
そう言って高笑いをするモンケ老。
「お二方、そう殺気立つ物ではない。儂はただ礼をしに参っただけだからの。……我が一族の子らを助け出してくれた貴殿の行為に、我ら一族は深く感謝しておる」
そう言ってモンケはその皺々の手で俺の手を取ると、深く頭を下げる。
モンケの言葉の後、暗闇から姿を見せたのは全員が女性だった。彼女らもまた、彼と同じように頭を下げる。
「いずれ貴殿、そしてベルンハルト家に改めて礼を致すが、今はこれだけを受け取っていただけるかの」
そう言って、モンケは革袋を俺に渡す。それを広げて中身を確かめると、あの乾燥した実がたっぷりと詰まっていた。
呆気に取られていた俺を見て、モンケはまた欠けた歯を見せながら笑った。




