令嬢vs令嬢
食事を行うのは、ハーレンバークの目抜き通りのほぼ一等地、市庁舎の眼の前に位置しているレストランだった。
御者は人々を押しのけながら、その店の前に当然のように馬車で乗り付ける。
「それでは、行きますわよ!」
馬車がレストランの前に止まると、意気揚々と飛び出していくメル。
馬車の豪華さも相まって、彼女は衆目の視線を独り占めだ。
その隙に俺は目立たないように、気配を殺しつつ移動する。
光太郎としての学生時代に身に着けたスキルだ。無、無になるのだ。俺はここには居ない。
「こちらへどうぞ」
ボーイに案内されるままに俺たちはその中へと入っていく。
外観も中々だったが、内部はどこの宮殿かと思うほどに荘厳な雰囲気に包まれている。
一面に敷き詰められた真っ赤なカーペットは柔らかく、毛足が長いので足元がふわふわとして落ち着かないし、巨大な吹き抜けが存在するホールには天井から吊られたシャンデリアはあまりにもゴテゴテとし過ぎていて目に悪い。
そして、テーブルの間を縫うようにして忙しなく動き回るウェイトレス達の間から、一際目立つ一団が姿を見せる。
「お待ちしておりました、スヴォエ様」
支配人らしき人物と、料理人、そしてウェイトレス長と思わしき妙齢の女性が挨拶を行った。やはりスヴォエ家。
「今日の席は?」
「はい、こちらへ」
支配人はホールにいくつも存在している空席……ではなく、その奥へ、奥へと案内していく。
案内されたのはホールの喧騒から離れた一角に存在している窓際の席だ。巨大な窓から人々が行き交う通りと、その遥か向こう側にはルルテ山が見える。
席には既に純白のクロスと共に、二人様の食器とナプキンが用意されていた。
「あら、中々良い席ですのね。ですが二階は空いていなかったのですか?」
「……大変申し訳ございません。先客がおりまして」
「誰がいらしているのかしら。私共よりも優先するような方々だなんて」
なんだかとても不味い雰囲気になりそうだったので、取り敢えずフォローを入れておく。
「中々良い席じゃないか。ルルテ山の冠雪が見られなかったのは残念だけど! メルもそう思うだろ?」
「……そ、そうね。私もそう思うわ」
これ幸いにと下がっていく支配人。子供にここまでキツく当たられるのだからあまり良い商売では無さそうだ。
「ここには前に来た事があるのかい?」
「ええ。お父様とこの街の市長様と一緒にお食事を行った事があるのですわ。……二階席からの景色はまた格別でして、見せてあげたかったのですけれども」
「なら、また来よう。そう遠い訳でも無いんだしさ」
俺がそう言った途端にメルはプイと横を向いてしまう。
「そうね! またの楽しみとして取っておく事にしましょうか!」
少し怒ったような声色で話してはいるが、機嫌の良さは隠しきれていない。
素直じゃないこの態度には俺も苦笑するしか無かった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
食事を終え、宿へと向かう俺とメル。
終始ご機嫌だ。
「当家の料理人と比べるまでもありませんけれど、中々美味でしたわ」
「そうだね」
いつもの通り一言が多いが、その一言も余計に調子に乗った物になっている。
まあ聞き流そう。
店の外に出た俺たちは、丁度食事を終えるタイミングを見計らって出待ちを行っていた馬車に戻ろうとする。
しかし、丁度その時、唐突に声を掛けられた。
「あら、あら、あら? 何故貴方がここに居るのでしょうか?」
聞き覚えのない声だった。
声のした方向を向くと、見知らぬ少女が俺を見下そうと精一杯胸を張りながらこちらを見ている。
「メル、ちょっと待ってくれ。すみません、どなたか存じ上げませんが、どちらでお会いに……」
「私を知らないと。成る程ぉ。だから当家の領地にのこのこと姿を見せられたのですねぇ?」
嫌味ったらしい間延びした声。こちらを最大限に挑発しているようだが、メルとの付き合いで忍耐力が強化されている今となっては至極どうでもいい。
誰だコイツ?
「申し訳ありません。私は……」
「ちょっと貴女、突然現れてなんですの、その態度は!?」
俺の横に居たメルが謎の少女へと突っかかっていく。
「はあぁ? 貴女こそ何ですのぉ? 私はこの輩に……」
「人のパートナーを捕まえて輩呼ばわりとは、随分な言い草ですこと。お里が知れますわ」
「何を言って、らっしゃるのぉ? 貴女のその野暮ったい容姿に、艶の無い金髪。ま、ベルンハルトの無能の子と付き合っているだけでどのレベルの出かというのは容易に分かりますけれど」
あっ、ヤバい。
この娘、地雷を踏み抜きやがった。メルの前で髪の色の話は禁句だ。
無意識の内に相手の一番痛い所を殴ったのか、意識してやったのか。どう考えても前者なのでただ無駄に怒らせただけだろう。
俺はもう知らない。今すぐここから逃げ出したい。
でも無理ー! この後メルを宥める作業が追加! とんでもなく余計なことをしてくれたよこの娘!
それにこの街路での口論は否応なしに目立つ。
少なくない人々が俺たちを遠巻きに見ている。メルはともかく俺がこの街に来たということはあまり知られたくないというのに。
「ウフフ、フフッ、フフフフフッ」
「? 何ですのぉ、変に笑ってぇ」
「貴女のような田舎者ですものね。仕方ないと思っておりますの」
「は? 私がぁ、田舎者ぉ?」
相手の少女も流石に今の一言にはカチンと来たようだ。が。
「喧嘩というのは相手をよく見て売る物ですのよ、過去の栄光に縋るだけの、可哀想な一族の方」
その一言で、少女の表情は一変する。
一瞬、唖然とした様にぽかんとしていたが、すぐにメルに掴みかからんばかりに近寄っていく。その拳は固く握りしめられている。
過去の栄光? うーん、どういう事だろうか。
というよりメルはどうやら相手の事を知っているようだ。
「貴女、今、何を言ったのか分かっている、のですかぁ?」
「あらあら、地が出ていましてよ。腕力に訴えるつもりですの?」
そうだそうだ、取り敢えず仲裁しなければ。
「まあまあ、二人共一旦落ち着い」
「下がっていろ!」
「私は大丈夫ですわ、ウォルター」
方や怒声、方や柔らかな声色。
完全に形勢は一変していた。
余裕の表情で小さな胸を張り、相手を見下すメル。
一方、既に外面を取り繕う余裕すら無くし、怒りに震えている少女。
どちらの方が優勢であるかというのは傍目に見ても明らかだ。想像以上にメルの煽りスキルが高かった。
「ヴァリナ様!」
この喧嘩を聞きつけて、店の中から一人の紳士が現れる。
彼は、まず少女の方を見て駆け寄った。彼女の知り合いだろうか。
「あら、市長様」
「え……、し、失礼。どうして貴女様がここにいらっしゃるのですか」
「変わった方々がいらしているというので大切な友人と少しばかりの買い物に来たのですけれど、その友人にこの方が文句を付けてきたので困っていたのですわ」
市長と呼ばれた初老の紳士はメルとヴァリナと呼んだ少女とを交互に見比べている。明らかに困惑した様子だ。
帽子を取り、薄くなった頭を晒しながらただただオロオロと情けない顔をしているだけだ。
しかし彼が言ったヴァリナという名前、どこかで聞き覚えが……
そして市長……
そうだ。
この少女はヴァリナ・アカーシュ。
アカーシュ家の現当主の一人娘だ。




