お菓子はいかが?
「……はあ」
俺とアザリア、そして俺たちの背に隠れているキルシュを見ると母は深い深い溜息を付いた。
十分に予想は出来ていた展開だ。俺とエレオノーラに激甘な父はともかく、母だけはなんとか説得しなければならない。
しかし、この子の素性を知られれば、間違いなく追い出そうとするだろう。どうしたものか。
「一体、その子は何なのですか? 随分と奇妙な格好をしているようですけれど、貴方のお友達なのですか、ウォルター?」
「あー、なんというか……」
「この子は森の奥の小屋で、祖母の亡骸と共に一人で生活していました。その不憫な姿を見た私が連れてきてしまいました。全ての責任は私に有ります、奥様」
そう言うと、母に深々と頭を下げるアザリア。
彼女は臆する事なく真正面から全てを告げた。たまにこの娘はとんでもない度胸を見せる時がある。
今、その度胸を試さないで欲しかったのだが。
それを告げられた母の表情は珍しいまでに蒼白かつ、わなわなと拳を握りしめて震えている。
これは、マズ過ぎるのではないか?
このままでは正面突破どころか玉砕になり兼ねない。そう判断した俺が口を開こうとしたが、既に遅かった。
母は無言のまま俺たちの方へと歩いてくる。
その姿に恐れを感じ取ったのか、キルシュは俺の服の裾を掴んで離そうとしない。
考えてみれば当たり前だろう。見ず知らずの二人に、こんな屋敷に連れて来られて、挙句の果てにこんな問答をする羽目になってしまったのだ。怖がるのも当然だ。
……ああ、クソッ、こうなれば行く所まで行くしか無い。
どうなろうと知ったことか。
「母上」
「退きなさい」
「いえ、退きません」
決然として俺を見る母。俺はその目を真正面から見返す。決して引かないという意思表示だ。
「そこを退きなさいと言ったのです、ウォルター」
「この子を放り出すというなら、僕も一緒に放り出して下さい、母上」
俺がそう言うと、母は驚いたように目をしばたたかせる。
「放り出す? 誰が? 誰を?」
「この子を放り出すつもりなんでしょう?」
「……勘違いをしているようですね、ウォルター。その子の顔を見せて下さい」
母はいつもの厳しくも穏やかな表情に戻る。その姿を見た俺は、仕方なしに横に避けようとしたのだが……
キルシュは俺の避けた方に動き、相変わらず俺の影から動こうとしない。
その様子を見た母は、俺たちと同じ目線程にかがみ込むとキルシュに優しく呼び掛ける。
「お嬢さん、お顔を見せて下さいな」
「…………」
「あら、随分と綺麗な子ですこと」
母は少しぎこちなく笑いながら、キルシュに向けて手を広げる。
抱きかかえようとしているのだろうか。まだ彼女は警戒して俺の後ろから動こうとはしないのだが。
「お嬢さん、貴女のお名前は?」
「……キルシュ、です」
「キルシュさんというのね。こちらへいらっしゃい。エレオノーラと一緒にフリテッレを作ったばかりなの」
何を言われているのか分からないようだが、取り敢えずは母に敵意が無い事を理解したようだ。
キルシュは俺の方を伺いながら、応接室に向かった母の後を追う。
「なんとか……なったか……」
「ええ、そのようですね」
「まさかバカ正直に洗いざらい言うなんて思って無かったよ……」
「奥様の事です。下手に隠し事をするよりもああいう風に正直に述べた方が好印象かと」
分かっていても、それを平然とやってのけるこの少女の胆力というのは大したものだ。
「それよりも、早く行きませんと」
「あ、ああ」
俺を追い抜かして足早に応接室に向かったアザリアは、取って返して調理場の方へと向かっていった。
お菓子と茶を取ってくるのだろう。
「ウォルター。貴方のその頑固で突飛な事をする性格は一体誰に似たのか…… 私のお祖父様の血かしら……」
母が応接室に入ってきた俺を見るなりそう言う。その両脇にはエレオノーラとキルシュの姿があった。
三周目なのであんまり気にする事は無いですよ、とはとても言えない。笑って誤魔化す以上の術が取れないのが申し訳ない。
キルシュは小さな皿に載せられたたこ焼きサイズの揚げパンの様な菓子を見て目を丸くしている。食べ物だと認識できていないようだ。
しかし、エレオノーラが迷うことなくその菓子を口に入れているのを見て、恐る恐る自分も口に運ぶ。
「甘、い」
口に入れた途端、キルシュのカチコチに固まっていた表情が一気に緩む。
「ええ、甘いでしょう? 今お代わりを持ってきますからね、幾らでも食べて良いのですよ。ね、エレオノーラ?」
「……はい」
エレオノーラはやや不満げだ。突然現れた謎の少女に自分のお菓子を横取りされてると思っているのだろう。仕方ない。
「あ、兄様……。うう……」
「どうした?」
エレオノーラは、俺と皿の上のお菓子を見比べて、口をぎゅっと真一文字に結びながらしばらく悩んだ末に言った。
「兄様も食べる……?」
「良いよ。二人で食べな。それに今アザリアがまだまだ持ってきてくれる」
やや残念そうな表情をしながらも、エレオノーラは残り少なくなった皿に手を伸ばす。
彼女達をここまで夢中にしているお菓子。これがフリテッレだ。
固く焼き上げられた表面から受ける印象とは異なり、意外と柔らかい食感と良い卵の香りが特徴的だ。
フリテッレは祭りの時期になると作られる季節物のお菓子であり、地方や都市ごとに特色のある物を出すようになっている。
フルーツを入れたり、蜜やクリームを入れてみたり。
極上の甘露と名高い、エッセンと呼ばれる様々なフルーツと糖樹の蜜を煮詰めて発酵させた液体を元に作ったクリームを中に詰めた物が最高級品とされる。
ベルンハルト領においては平凡な何も入っていない物が大半なのだが、それは中に入れられるような物を特産とはしていないからだろう。
「お茶と、お代わりをお持ちしました」
アザリアが大皿一杯に載せられたフリテッレとお茶を持ってきた。
今度はフリテッレ単品だけではない。クリームチーズや蜜も漬けて食べられるように小皿に用意されている。
「ありがとう、アザリア。貴女も一緒に食べなさいな」
「はい、ありがとうございます」
そう言うと、彼女はお茶を俺たちに配膳した後に当然の如く俺の隣に座る。
その一方で、エレオノーラとキルシュはお茶に目もくれず黙々とフリテッレを食べ続けていた。




