一人ぼっちじゃない
結局、ポットの中の物を殆ど飲ませられた。無心で飲み干した俺の舌はピリピリして痺れたままだ。
少しでも動くと胃の中でタプタプと揺れている謎の液体と砂利が口から戻ってきそうなので動くことも出来ない。
ぐったりとしている俺をよそに、アザリアはキルシュへと聞く。
「よろしければ、何故こんな森の奥で貴方のような子供が一人で居るのか、聞かせてくれませんか?」
「あ……。はい。えっと、少し前までは、私は、お婆様と一緒に、居たんです」
「そのお婆様、というのは今どこへ?」
「そっちの、部屋に、居ます」
そう言ってキルシュは寝室と思わしき、ベッドの見える部屋を見る。
違和感のある言葉だった。本当に彼女の言うお婆様というのが居るのなら、この小屋に入った時、何らかの気配を感じてもおかしくはないだろう。
それはアザリアも気が付いたようだ。キルシュに気取られぬ様に、寝室の方を伺っている。
「一つ、聞きたい。いいかな?」
「は、はい」
「君が使った魔法は、お婆様から教わった物?」
「ま……ほう……?」
魔法という単語を初めて聞いたかのように首を傾げるキルシュ。
どういう事だ?
「君の使った、あの力の事だよ」
「ああ、あれの事なら、私は、『のろい』って、呼んでます。お婆様も、そう言って、ました」
呪い。今、確かにこの娘はそう言った。
つまりは……
『呪術』と呼ばれる類の魔法がある。ドルイドと呼ばれる者達が得意としたそれらの魔法は、人や生き物を贄とする事すらを厭わない粗暴さ、そして何よりもその効力の強烈さから魔法使いの間でも忌避された。
さらに、彼らは一様に特殊な信仰を持っていた。血に纏わるとされるそれらの信仰によって、彼らは教会や同じ魔法使い達からも徹底的に追い詰められ、根絶やしにされる事になった……。
というのは建前。彼らドルイドは多くが逃げ延び、その信仰を捨てて人々の中にひっそりと溶け込んでいった。彼らの中の多くは魔法使いの共同体に参加し、ドルイドの持っていた『呪術』の多くの要素は魔法使い達の体系に取り込まれていった。
しかし。それを良しとしないごく一部の者達は山野に潜み、ひっそりとその信仰を守りながら暮らし続けている。血生臭い儀式を今もなお行いながら。
「ウォルター様、そろそろお暇しましょう」
「え……?」
突然立ち上がったアザリアと、驚いた表情を見せるキルシュ。その瞳は俺の方を縋るように見つめている。
この瞳には抗いがたい。だが、今彼女が言った事が嘘で無ければ、この家に住んでいると思われる『お婆様』は、恐るべき存在だ。
「せ、せめて、お婆様に、挨拶を、していって、くれませんか?」
「う……」
ここまでのやり取りで、キルシュ自身に何の敵意も無い事は分かっている。それだけにこれは断りづらい。
既に彼女の力は存分に見せられている。ここで彼女の機嫌を損ねる事こそ避けたい。
「分かった。じゃあ、お婆様の所に案内してくれるかな?」
「はい!」
椅子から飛び降りると、キルシュは寝室の方へと向かっていく。
俺は深呼吸を一つすると、ゆっくりと向かっていく。アザリアに声を一つ掛けながら。
「万が一の時でも、手を出すな。もし『お婆様』が本物の邪悪な魔女だとすれば、魔術を持たないアザリアの攻撃は無駄だ」
「……はい」
覚悟を決めながら寝室へと踏み込んだ俺が見た物は……
「お婆様、お客さん、ですよ」
「ウォルター様……」
「ああ……」
俺とアザリアは顔を見合わせる。俺たちが見たものは、既に乾ききった老婆の亡骸がベッドに横たえられた姿だった。
亡骸に対して、キルシュは呼びかけを続けている。
しかし老婆が答えを返す事はない。これから先も同じだろう。
「お婆様、今日も、こんな様子。ずっと、何も、食べて、くれない」
「キルシュちゃん、君のお婆様は……、その……」
「? どうしたんです?」
「もう亡くなってる。死んでるんだ」
俺はそれが彼女を傷つけると覚悟しつつ、はっきりと言った。
「しんでる……?」
「えっと、気分を悪くしたら謝るよ。だけど、お婆様は」
「どういう、意味、ですか?」
「え……?」
俺は言葉を失う。
この子は、死という概念を理解していないのだ。
「お婆様が、動かなくなる、前にも、言ってました。しぬ、って、何ですか?」
「それは……」
「それは、その人が永い眠りに付いたという事です」
答えに詰まる俺の代わりに答えたのは、アザリアだった。
キルシュと、祖母の亡骸の近くへと歩み寄ると膝を付き、キルシュの手を取って優しく語りかける。
「貴方のお婆様は、もう動くことはありません。気が遠く成る程の長い眠りに就いたのですから。ですから、人々は土の下に葬るという事をするのですよ」
「ほうむる? よく、分からない、です。……でも、お婆様は、もう動かない、のです、ね。分かっては、居ました。けれど、けれど」
「……」
キルシュの白い肌を、涙が伝っていく。
頬を伝い、祖母の亡骸へと落ちていく。
「私は、ずっと、お婆様と、二人で、暮らして、来ました。……これで、私は、一人ぼっち」
「いいえ、違います。ですよね? ウォルター様?」
哀しみに暮れる少女の肩を抱き寄せたアザリアは、何かを願うような目で俺を見る。
彼女が何を求めているのかは、すぐに俺にも分かった。
……また、両親に色々と言われるのだろうな。
「キルシュ、僕たちの家に行こう」
「え……?」
「お婆様もしっかり葬ってやらなきゃいけないし、君みたいな小さな子が一人で暮らしてちゃいけない」
俺もまた、キルシュの傍らに歩み寄る。
「だから、一緒に行こう」
彼女は、無言で頷いた。




