まずは衣食住の食事から
翌朝。早朝から家を抜け出した俺達二人は、廃教会へと辿り着く。
俺が集合時間として要求した時間よりも少しばかり早いが、既に内部は人で埋まっていた。
あちこちが砕けたステンドグラスが、室内に舞っている埃をキラキラと輝かせている。
そして室内に無駄に頑丈に作られている木製の長ベンチは、一癖も二癖は勿論、脛や顔に当たり前に傷がありそうな若い少年少女で埋めつくされており、ヤンキーの集会かと思うような雰囲気の悪さだ。
ここで説教を行っていた神父の霊がこの様子を見たら、今すぐ悪霊になり兼ねない。
教会の中では寄った寄らない、こっちを睨んだ睨まないという低レベルな争いがあちこちで行われており、この教会がこれだけ騒がしい場所であった事は普通に使われていた頃でも無かっただろう。
「ざけんじゃねえぞ!」
「ボルター村のガレンだ、表出ろやテメエ」
「ムカつく顔してんなお前」
この有様だ。時間丁度に来ていたら既に殴り合いが繰り広げられていただろう。そんな予想を予めしておいて良かった。
「ウォルター様、本当にこんな連中を?」
「こんな連中だからこそ、だ。これまでの人生だったらまず関わる事なんて無かっただろうけどな」
「はあ……」
イマイチ要領を得ない様子のアザリア。
まあ、こんな連中を見てしまっては仕方あるまい。
「お前ら、下らねえことで争ってんだな」
「んだとコラ!」
「殺すぞ!」
おーおー、血の気の多い連中だ。
怒声と罵声が俺に浴びせ掛けられるが、決して立ち上がり、俺に殴りかかろうとしてくるような奴は居ない。
それは、ここに居る全員が俺との実力差を身を持って体感した事のある奴らばかりだからだろう。
彼らの背丈より遥かに小さい俺に対してビビりまくっているのは、圧倒的な実力差があってこそ。
リベンジを考えていそうな奴も居ないわけでは無さそうだが、そういう連中も今すぐにどうこうという考えでは無さそうだ。
そんな状態になった時の為の備えもあるのだが、使わないのであればそれが良い。
「そこのお前、なんで隣の奴と殴り合ってた?」
俺は、騒がしい連中の中の一人を指差して聞き取る。
「こいつ、俺を睨みつけて来やがったんだ」
「なんで睨んだ?」
「俺の隣に座って挨拶も無い。ナメられてると思った」
「なるほどね」
実にくだらないにも程がある。
彼らは面子を潰されるのを極端に嫌うという訳だ。ヤンキーというのはいつの時代も、どこの世界でも似たような精神である。
俺はそんな集まった連中の中で一人を選び、呼び付ける。
「お前、やりたい事はあるか?」
「突然なんだよ、何が言いたいんだよ」
「夢とか希望、そういう物を持っているかと聞いているんだ」
「チッ。ねえよ、んなもん。俺たちは皆食い詰め者さ。揃いも揃って腹を空かせて日々を過ごしてる。んな夢だのがあるのは、お前みたいな貴族の坊主だけだ」
そう。彼らは“まともじゃない”連中だ。行き着く先にまともな未来はない。
山賊や盗賊と言った後ろ暗い生業を始める者達も現れるだろう。しかしこの王国は、そんな賊徒が大手を振って歩けるような環境と治安ではない。先日も隣の領内で中規模な盗賊団の摘発が行われたばかりだ。
少し目立てば、すぐに潰される。
行き詰まっているのだ。全てに。
だったら、俺がそのはけ口を与えてやればいい。
「僕がお前らにその二つをやろう。まずは食い扶持と、目的を」
俺はそう言うと説教台の上に登り、指を鳴らす。
それと同時に俺の背後で爆発が巻き起こる。
「ゲホッ、ゲホッ」
「何だ……?」
舞い上がった埃のせいで、あちこちからは咳き込む声が聞こえる。まだ彼らは仕掛けに気が付いていない。
その間に俺は袖口で口元を抑えて、埃から身を守っていたアザリアに目配せする。
彼女は俺の背後に周り、爆発と同時に現れたテーブルの上に掛けられたクロスを取り去る。
その上に載せられていたのは、サンドイッチやパン、まだ暖かさの残る巨大な鍋一つのスープ。それに少しばかり香辛料の香りの強いハムに切り落とし肉。サラダまで添えられている。
予め用意させておいた物を魔法で出現させただけなのだが、彼らには効果てきめんだったようだ。
「な……」
「嘘だろ……」
俺をまるで神を見るかのように畏れ見る者達。良くも悪くも単純だ。この位の仕掛けでしっかりと乗ってくれるのだからありがたい。
「これは全て君たちに与える。好きに食べて貰って構わない。食事が終われば君たちに仕事を与えよう」
「お前、何を考えてるんだ……」
「僕の名前は『お前』じゃない。ウォルター・ベルンハルトという名がある。僕の命令に従うのであれば、それ相応の対価を支払おう」
どよめきが教会を満たす。
ここに居る全ての人間は俺の実力を知っている。出自も知っている。
だが、誰一人としてこんな展開は予想もしていなかったであろう。
驚きと戸惑い。それが彼らを支配していた。
「僕に従う者達は、予め渡しておいたハンカチを彼女に渡せ。それと引き換えに食事を与えよう」
「……面白えな、ベルンハルトの旦那」
先日ノシたばかりのアランが答えた。
「いいぜ、何を考えてるのかは分からんが、美味い飯に仕事をくれるってんだ。乗らない理由がない。だろう?」
アランは付いてきた彼の仲間たち(まだ顔のあちこちに痛々しい痕を残している)に問いかける。彼らは頷く事でそれに答え、立ち上がり、アザリアの方へと歩いていく。
「あいよ、姉ちゃん」
「……」
アザリアは彼が鼻をかんだ事を覚えているのだろう。乾いた血のこびり付いたハンカチをつまみ上げると予め用意しておいたバスケットに放り込む。
そして、アランと彼らに付き従う悪童達に、手際よく食事を渡していく。
大きな木皿に載せられたたっぷりのパンに山盛りにされた肉とハム、そして彩りとして用意された少しのサラダ。大きなスープ皿には丸い豆と巨大な肉が所狭しと浮かんでいる。いや、違う。皿を埋め尽くす豆と肉の間に少しばかりスープが入っているというのが正しいだろう。
「こんな美味そうな飯、何時ごろ以来だろうな……」
アランとその仲間たちは席に戻ると、実に美味そうにかぶり付く。まずは肉から、そしてパン。スープの豆から一気に流し込んでいく者も居る。
周りの者達は、その様子を何も言うこと無くじっと眺めている。手を出す者は誰一人として存在しない。
「あちっ、あちっ」
「はは、急いで食うからだよ。それにしてもこのパンの美味い事。屑はもちろん、ふすまも混じってねえ!」
それで完全に流れは変わった。悪童達は我先にとアザリアの方へと駆け出した。
注:ふすまというのは扉として使われる襖の事ではなく、麦なんかの表皮部分の事です。




