君と共に、生きたい
「母上、解熱効果と睡眠効果のある薬を飲ませました。これでしばらくは大丈夫です」
それと同時に、俺は魔法によって軽い捜査を行う。
やはり患部は体の上半身に集中している。頭部を中心に上半身全体に酷い熱が発生している上に、喉の辺りに何かが詰まったような状態。
どう考えても危険な状態である事は確かだ。解熱剤によって熱は抑えられても、この分では直に窒息してしまうだろう。
母は心ここにあらずといった様子で、エレオノーラの手を握りしめていた。
今や彼女の顔色はすっかり真っ赤に染まりきり、息をするのも苦しそうだ。気道が狭められているのだから当たり前なのだが。
それに額に手を当てるとその発熱の酷さが分かる。メイド達が用意した濡れ布巾の水分が既に湯に近い状態となっている。
「問題は、何の毒かだ」
それが分かればなんとでもなる。
だが、それが分からない。
「となると、方法は一つか」
俺は屋敷の外、馬小屋の方向へと歩いていく。外の空はすっかりと濃灰色の雨雲に覆われ、僅かばかりの雨が降り注ぎ始めている。
じきに本降りとなるだろう。
馬小屋の柱に男は後ろ手に括り付けられ、座らせられていた。
少し遠い場所に犯行に使われた短剣が秣の上に放り投げられている。少し不用心だが手間が省けた。
俺はその短剣を手に取り、刃を眺める。黄色く染まったその刃に付着した毒は今もなお力を残しているようだ。ツンとした刺激臭が辺りに漂っている。
「おいクソガキ、さっきはよくもやってくれたな」
「……」
「なーにコソコソやってやがる、探偵の真似事か!?」
ヤケになっているのか、男は俺に対して乱暴な言葉を投げかけ続けている。
これから何をされるのかも知らずに。
「あのガキは生き残れねえよ、あの毒はワイルドベアですら殺せるんだ……」
「黙れ」
俺がそう言った途端に、男は黙り込む。あまりの声色の変化に動揺したのだろうか。
自分でもこんな声が出せるとはとても思っていなかった。
「この毒はなんだ? 言え」
俺はそう言って、短剣を男の目の前でチラつかせる。縛られた男は顔を引き、少しでも短剣から顔を離そうとしている。しかしすぐに柱にぶつかってしまった。
「知らねえ、知らねえよ。それよりも、何をするつもりだ、子供がそんな物を持つもんじゃねえよ」
俺は迷うこと無く、短剣を彼の肩に軽く突き刺した。
「あああッ! テメエ、何をした!」
「もう一度だけ聞こう。この短剣に塗られている毒はなんだ?」
「知らねえ、知らねえんだ! 本当だ!」
男は短剣が突き刺さった傷口を見て、ひどく怯えた様子だ。
「解毒剤を持っているんだろう?」
「ねえよ、持ってねえ! 俺が渡されたのはその短剣だけだ!」
そう言っている間に、男の表情はだんだんと朱に染まっていく。
「痛え! 痛えよ! 骨が軋む! 頼む、助けてくれ、俺は金で雇われただけなんだ……」
俺は短剣を元の場所に投げ捨てると、メソメソと泣き出した男を無視して歩きだす。助けを求める男の声が聞こえるが、知ったことではない。
「クソッ」
ああいう刺客は解毒剤を常に持ち歩くもんじゃないのか?
こうなれば、似たような症例を探して総当りで薬を作り上げるしか……
「ウォルター様」
本降りになり始めた雨を浴びながら屋敷に戻ろうとしたところを呼び止められた。
今行った事を見られたのか? 今の行為は相手が刺客とは言え、良しとはされないであろう事であるのは間違いない。心臓が高鳴る。
アザリアだった。彼女はいつの間にかいつものメイド服に着替えて、俺と同じように雨に打たれながら立ち尽くしている。
「なんだ、アザリア?」
すこし苛立たしかった。すぐにでも症例を探さねばならないというのに。
しかし、アザリアはそんな俺の心を見透かすかのように、ゆっくりと告げる。
「あの短剣に塗られていたのは骨腐れと呼ばれている毒です。あの男の反応からしてほぼ間違いないかと」
彼女の目は、馬小屋の方へと向けられている。まるであの男の苦しむ様を見てきたかのように。
何故それを知っている。そう問いかけようとした俺をアザリアはしっかりと見据える。
曇りなき目。彼女が嘘を付いているとは、俺にはとても思えなかった。
「分かった、ありがとう」
俺は、直ぐ様父の書斎へと向かった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
骨腐れと呼ばれる毒はすぐに見つける事が出来た。正式名称は長くて覚えられなかったが、その対処方法は幸いなことに詳細に書き記されていた。
劇薬であるトラミジュトの葉をごく微量混ぜた解熱剤を用意する。
それと同時に気道拡大効果のある薬剤を別途用意し、投与。
それと並行して魔力によって気道確保を行う。
俺は直ぐ様作業に取り掛かった。トラミジュトの葉は乾燥させた標本から取り出し、クランの実とバルカの葉と合わせて丸薬とし、飲み込ませる。
熱への対処はこれで終わり。
後は、呼吸を確保するだけだが、これが難儀だった。
ほぼ一日、一睡もせずにエレオノーラを抱き抱えながら微量の魔力を注ぎ込み続ける事になったのだから。
数時間後には医者が駆けつけたが、既に彼に出来る事は何もない。正確な診察だけは行って貰ったが。
日が暮れ、朝日が昇り、そしてまた日が暮れる頃にようやくエレオノーラの容態は安定した。
それを見届けたと同時に俺は限界を迎え、その後三日三晩死んだように眠り続けたらしい。
それを、俺は今ベッドの上で隣に座るアザリアから聞かされていた。
「どうして、何も聞かれないのですか?」
淡々とその後の顛末を口にしていた彼女は、唐突に言った。
それが何を示しているのかは、すぐに分かった。何故彼女が毒について知っていたか、だろう。
それも、暗殺者の間でしか知られていない名称で。
――骨腐れの毒。
それは暗殺者や裏社会の人間の間で使われている名称であり、医学に心得がある人間ならば別の名称で呼ぶ物だ。
つまり彼女は、というよりは彼女の両親がその道の人間だったという事だろう。
……何故彼女の一家が命を狙われたのか。そこから何となく察する事が出来る。
だが、それが何だ。
「それでエレオノーラが助かったんだ。感謝こそすれど、それ以上追求する必要は無いだろ」
「私は……暗殺者の家の者です。ウォルター様はそれを知って……」
「ああ。症例を調べる過程で君が口にした毒の名称の由来なんかも分かったよ」
「……はい。ウォルター様の考えている通りです。私は暗殺者の家に育ちました」
「そして、王家の者を狙ったか何かで、手酷く追われる事になったと」
彼女は頷く事で俺の問いに答える。
王家に関する暗殺容疑。どう考えても大罪だ。
もし、彼女を庇い立てしている事がバレたならば、当家にも火の粉が降りかかる事になるだろう。
「それでも、エレオノーラが助かったのは君のお陰だ。君が居なければ……」
前世と変わらずに、死んでいた。そう言いかけた所を飲み込んだ。
「申し訳ありませんでした。ずっと黙っていて。私、お暇を頂こうと思います。これ以上この家には……」
「アザリア」
俺は逃げ出すように立ち上がった彼女の手を取り、無理やり座らせる。
既に彼女の顔は、涙でぐちゃぐちゃになっている。
「今までと同じようにこの家に居てくれ。君の出自が何であろうと僕の気持ちは何一つ変わりはしない。だから、居なくならないでくれ」
願いを込めながら、俺は言う。
運命を大きく変えた最後の鍵は、俺の努力でも行動でもなく、気まぐれが引き起こした出会いだった。
だからこそ、この出会いを無かった事にはしたくない。
「はい……!」
涙を見せないように、俯きながら彼女は何度も頷く。俺の言葉を噛みしめるかのように、何度も、何度も。
ここで第一章完です。
次回からは少し時間が飛ぶ事になります。




