ウォルター、労せず敵を捕らえる
彼らに襲いかかったのは、下水から突如として現れたドロウナーの群れだった。
ドロウナーは所謂ゾンビの系譜的な魔物ではあるが、腐り果ててあちこちから骨が露出した体にはあちこちに苔や黴がこびりつき、明らかに危険な気配を発している。
「あの光で俺たちの存在に気がついたのは、アイツらだけじゃ無かったって事だな」
「彼らの冥福を祈りましょう」
「他人事だなあ」
俺たちが適当なやり取りをしている間にも六体ほどのドロウナーは勢いよく下水から集団へと飛びかかる。
完全に虚を突かれた一団は、あっという間に腐った爪や牙の餌食となった。
「うわああああッッ!」
「いだい、助けてぐれええええっっっ」
「なんで!? どうしてこんなのが居るのよお!」
ドロウナーの雄叫びに混じって、集団の悲鳴が聞こえてくる。
一方、俺たちは息を殺して事が済むのを待つだけで良い。事の始末は魔物が全てやってくれる。
「にしても、本当に素人なんだな」
俺は思わず呟く。こんな状況になっているというのに、敵のリーダー格であると思われる松明持ちはまだ松明を灯したままだ。
ドロウナーは光に反応して集まったというのに、あれでは狙ってくれと言わんばかりである。
「たすげ、たず……グエッ」
「アグルルルルル……」
悲鳴の後に、肉を喰らう音とペチャペチャと何かを啜る音が聞こえる。
丁度その時ようやく松明の火が消え去ったが、時すでに遅しであろう。既に人の声よりも魔物たちの唸り声……そして食事の音の方が多く聞こえる。
ケリは付いたのだろう。
「あー、何も見えなくて良かったっス」
「そうですね。見たくもありませんが」
ケレスとシルヴィアは涼しい顔で言葉を交わしている。
「どのタイミングで出てくかだなあ。どうする?」
「でもこのままだと、アイツらこっち来そうっスね」
「そうだなあ」
そこで、おれはある一計を思いつく。
「シルヴィア、ずっと向こう側にライトボールを撃ってくれ。音と光のした方向にあいつらは向かうだろうから」
「囮という事ね。了解」
音を立てないように静かにレイピアを抜き、素早く呪文詠唱を終えたシルヴィアは、この下水道のずっと奥を目掛けて魔法を放つ。
狙い通りドロウナー達は爆竹の様な甲高い音と、眩い閃光が放たれた方向目掛けて動き出した。
「ドロウナーは全部消えたようですね。行きましょう」
「そうだなあ。うわっ、凄惨な光景」
つい数分前までは生きていた人間たちの死体が血溜まりの中、そこかしこに転がっていた。
数人はまだ辛うじて息があるように見えるが、そう長くもないし俺たちに出来ることは何もないだろう。
「結局こいつら何だったんスかね」
「さあ。分かりません。思い当たる節も無いです」
「ただの盗賊にしては随分と統制が取れてたな。ま、誰も生き残ってない今となっちゃどうしようも……」
俺がそう言いかけた所で、死体の中から声が聞こえた。
「ひっ……ひっ……」
死体の中から聞こえたのは息を殺しながら泣いている声と、鼻をすする音。
その出処はすぐに分かった。
「なるほど、さっきのリーダーさんか」
精霊の光を少しだけ強めてやると、他の死体の影に隠れながら口元に手を当てて声を押し殺そうとしていた一人の女の姿が見えた。
彼女の左腕は切り裂かれ、血が溢れている。彼女は俺たちの姿を見た途端に手を離してすがるように小さな声を発した。
「た、たすけて……」
女は、這いずって俺たちの元にやってくる。
「……この声、松明を持ってた奴だな」
「ウォルター君、どうする? 始末するか、それとも無視するか」
俺とシルヴィアの会話に割り込んでくる女。
「お、お願いします! 助けて下さい! 死にたくない!」
「と言ってもなあ。さっきまで俺たちの命を狙ってた奴を助ける義理はどこにも無いし」
「そうですよね。ドロウナーが襲いかかって無きゃ私達は死んでたかもしれないんですから」
「私を見捨てるつもりなの!? このままじゃ、私の腕が…… お願いだから助けて、助けてよぉ!」
ドロウナーを始めとする動く死体に噛みつかれたり引っかかれたりすると、適切な処置を素早く行わなければひどい事になるというのは定説だ。
見た所、彼女の傷はかなり深いので、今すぐ消毒を施して止血しなければどうなるか分かったものではない。
が、問題はそんな事をしてやる理由が何処にもないということである。
それどころか、泣き叫んでいるこの女を放って置けば、やがてドロウナーが戻ってくるだろう。
殺すか、それとも生かすか。
「ウォルター君、どうする?」
「旦那」
シルヴィアとケレスは俺に決断を託した。彼女たち二人の判断としては、前者を望んでいるのがありありと分かる。
ケレスに至っては早くやれと言わんばかりに手を振り回している。
事態を理解した女は、俺に対して拝むように手を合わせる。
「ちょ、ちょっと待ってよ。私を殺すって言うの? 嘘でしょ? なんで? 止めてよ」
「……」
女の表情に恐れの色が浮かぶ。そして、涙を流しながら縋るように俺の顔を伺う。
「あ…… あああああ!!!!」
そこで突然女が大声を出した。そしてそのまま、俺たちのところに張って来た。
「ひいいいっっ! 来た来た来たぁぁぁ! アイツらが戻って来たあ!」
一体のドロウナーが戻ってきたのだ。
「ヴルルルルル……」
黄色い歯を見せながら、既に役に立たなくなっている鼻を無駄にふんふんと鳴らし、辺りを伺いながらドロウナーは俺たちの方へとやってくる。
どうやら俺たちの存在に完全に気がついているわけでは無いようだ。
「ひっく……ひっく……」
女はいい年齢だというのに、泣きながら俺の足に縋り付いて顔を押し付ける。
俺は覚悟を決めてその女を振り払い、ドロウナーの方へと向かっていく。
「何を……」
声を発しようとしたシルヴィアを押し止めると、俺は音もなく剣を引き抜き、未だ俺の姿を捕らえていないドロウナーに対して先手を取った。
剣が毒々しい色をした右腕を切り落とし、その勢いを殺すことなく胸に剣を突き立てる。
手応えアリ。普通の魔物や人間なら必殺となるのコンビネーションだ。
だが、ドロウナーは一瞬怯んだ様子を見せた後に、残った左腕を大きく振り回し始めた。ダメージがあったとは思えない動きだ。
実際、右手の切断痕からは黄色い液体が少し滴るばかり。
「首を落とさなきゃならないか……」
しかし、奇襲を受けて怒っているのか、ドロウナーは激しく体を振り回してそう安々と首を狙えるような状況ではない。
どうした物かと考えていた時だった。
「とうっ」
ケレスのドロップキックが炸裂し、ドロウナーは勢いよく反対側の壁に叩きつけられた。
何かが潰れる音がしたのでフラッシュライト代わりに精霊の光量を窄めて収縮させ、ドロウナーが当たったと思われる壁の辺りを探る。
すぐに首が折れたドロウナーの死体を見つける。
「よし、なんとかなったな」
一段落したが、まだやるべき事は残っている。
この女への対応だ。




