黄金を生む作物
「……では、今回貴女をお招きした理由をお話致します」
私は一呼吸置いてから話し始める。ダヴリンは食い入るように私をじっと見つめたまま微動だにしない。
「単刀直入に申し上げます。貴女の所持しているグレインを倉庫一個分買い取らせて頂けません?」
「……え?」
バカみたいに口をポカンと開けたまま、私の言葉を反芻する牛のように喉をもごもごと動かすダヴリン。
私の今の言葉の意味が理解できていないように見える。
無理もない。私が彼女の立場だとしてもその言葉の意味は理解出来はしないだろうから。
「そ、それはどういう、事です?」
「そのままの言葉ですわ。『今の価格で』倉庫一個分の蓄えを買い取りたい。私はそう言っているのですけれど」
私がそう答えると、彼女は紫色の液体が満ちたワイングラスを手に取ると、火酒でも飲むかのように勢いよく煽ってそれを空にした。
そして指を鳴らして代わりを催促する。
洗練されていない粗野な仕草。普段から飲み慣れていないのが分かる。
ボーイがいつまでもやって来ない事に腹を立てた素振りを見せながら、ダヴリンは話し始める。
「何を仰っているのか、私には分かりかねます。何に使うおつもりなので?」
「投資ですわ。まさか私がそれをすべて自分で使うとでも?」
「……失礼ですが、まさか買占めを行うおつもりで?」
「そのつもりならもっと量が必要でしょう。それなら交渉相手に貴女を選んではいませんわ」
私は単刀直入にそう告げる。ダヴリンは当然不快感を顔に表すが、幸いにもそれ以上の対応はしない。
今目の前にいる、赤ら顔の中年女性は物事をヴェールの後ろに覆い隠しながら正体を問いかけ続ける事を好まない相手。私はそう判断した。
「流通量も売り手も多すぎるグレインを対象にして危険の多い買占めを行う筈が無いでしょう。いくらスヴォエ家の財力があったとしても、利益を出すまでにどれほどの投資をしたらいいのか」
「では、何故そんな提案を?」
「値段が上がることが分かっているからです」
私がそう言った直後にようやくボーイが席へとたどり着き、ダヴリンのグラスにワインを注いでいく。
「もっと入れて頂戴。そう、並々と」
余計な注文を付ける彼女を他所に、私はここから言うべきことと言ってはいけない事をもう一度考える。
ダヴリンを計画に引き込む為には、手の内をすべて明かす訳にはいかないが、すべてを見せてもいけない。かと言って彼女が計画の輪郭を大まかに理解できる程度には内容を言わなければならないのだ。
「……ふう」
「スヴォエ様、お飲み物は……」
「アルダーニュの鉱水を頂けます?」
私の注文に対して恭しく頭を下げて下がっていくボーイ。彼を目で追いながらダヴリンが口を開く。
「値段が上がるのが分かっているのなら、誰も苦労しないでしょうに」
「ええ、ですから苦労する事は無いのですわ」
「グレインなんて今の時期にそう値段が上がる訳が無いでしょう。夏が過ぎれば収穫を待つだけで、今の所どこにも飢饉の気配も無い。この状況でどこに値段が上がる要素があるのです?」
ダヴリンは私の話に興味を失いつつあるのだろう。どこか投げやりな態度が現れつつある。
彼女の言葉は間違っていない。普通ならその通りだろう。
だが、大きな要素を一つ見逃している。
「その通りですわね。……でも、戦争が始まるとすれば?」
「……え?」
「今の時期に戦争が始まるとすればどうなると思います? 大量の兵員の糧食が急遽集められるような事態になるとすれば? ……それも収穫前に」
はっきりと、ダヴリンの目の色が変わったのを私は見た。
そして何も言うこと無く、ワインを胃の中に収める事で私の言葉から逃避しようとしている。
そこを逃すわけには行かなかった。
「貴女は倉庫一つ分のグレイン、それが一括で買い上げられればどれだけの利益になるか分かってらっしゃる? それはもう、莫大な富を生むでしょうね。……誰よりも素早く集める事が出来るのなら」
私の言葉を否定するように小さく首を振った彼女は、再びワインを煽る。
そんな事を今まで考えもしなかった、と言葉にせずとも伝わってくる。
「そんな事があるわけ無いでしょう」
「“ある”としたら?」
「王国がどこと戦争をするというの!? それにもしそうならどうして貴女程度の……」
そこまで言った所で、ダヴリンは言葉を濁す。
私はそれに乗る事にした。
「私程度の小娘が知っているか、と仰っしゃりたいんですの?」
「……失言よ。忘れて頂戴」
「いえ。貴女の疑念は最もですわ。いきなりこんな話を信じろという方が無理がありますものね」
私は嫌味にならない程度の笑みを浮かべて気分を害した訳ではないことを示す。
それは効果的であったようで、彼女はホッと胸を撫で下ろした。
「スヴォエの生業を知っていれば、その理由は分かるかと思いますけれど。兵を集めるためには金が要りますから」
「つまり、どこかの国が兵を集めていると?」
私は彼女の言葉に対して頭を振ることはしない。ここでは答えを与えるつもりはない。
なぜなら私も確かな情報を得ている訳ではないからだ。
私が得た情報は北のフランダリアがローメニアに対して穀物の供給を絞り始めている。
そして河川を行き来する為の新造船を作り始めている。
更に、スヴォエの本家に出入りする人間の中に見知らぬ顔がちらほらと現れるようになったという事。
これらの事象からの推測でしか無い。
……それでも彼女は食い付いた。
「言われてみれば、確かにこのステアマルクでも穀物の値が上がり始めてる。ごく僅かだけれど」
「……」
「事が起きた後に買い占めを行えば危険が大きいけど、その前に確保して素早く動けばどこにも疑われる心配も無い上に利益を独り占め出来る、という訳ね」
その通りだ。
ダヴリンはすっかりと納得した様子を見せる。飲酒しているのもあるのだろうけども、突然降ってきたこの儲け話に嬉々としているように見える。
「一つ聞きたいのだけど。どうして私を?」
「貴女の事情を調べさせて頂きましたわ。ずいぶんと経営が苦しいようで」
「ええ。言われるまでもなく苦しいわ」
彼女は嫌な顔をする事もなく、あっさりと認めた。
「この辺りの商売敵と違って私の所の農地は何か特別な作物を作ってる訳でもない。色々試してはいるけど、資金も土地も足りない。だから相変わらず主力はグレインみたいな穀物なのだけど……」
「その穀物も、フランダリアを始めとした周辺諸国から輸入した物に押されている。でしょう?」
効率化を図れていない旧態依然としたやり方の農業。土地を有効活用する事も無く、ただ大都市の近くに農地を有しているというだけの農園。それが彼女の土地だ。
それを彼女自身も分かっているのだろう。……だからこそ、この話に乗るはず。
「口が固く、穀物の供給先が限られているが穀物倉庫を所持しているほどに規模の大きい農園を所持している。それに適合するのが貴女だったという事ですわ」
「落ち目の私なら話に乗ってくると踏んだワケね」
「そうなりますわね」
しばらく考え込んでいた後に、ダヴリンは長年の悩みが晴れたかのように晴れ晴れとした顔で答えを出した。
「いいでしょう。その賭けに乗ります」
彼女がそう答えるであろう事を私は知っていた。そうなるようにお膳立てしてきたのだから。
上機嫌になった彼女は、手の内でワイングラスを弄びながら私に対して告げる。
「ただし、条件が一つ。倉庫一個ではなく、倉庫二個分を買い取って下さいな」
掛金の上乗せ、それも私の計算通りだった。
だが、それをおくびにも出さないようにしながら彼女に対して右手を差し出す。仮面のような笑顔を湛えつつ。
手の震えはもう収まっていた。




