ウォルターの戦い、そしてメルの戦い
「いやー、いっぱい倒したっスね。もうこれで良いんじゃないっスか? これだけ倒せばすっごい稼ぎっスよね?」
ケレスの言う通り、十は下らない数のドロトカゲが石畳の上に転がっている。
俺はその尾を手持ちのナイフで一本一本丁寧にぷちんぷちんと切り取って次から次へと革袋の中に放り込んでいきながら、呑気な彼女に答えた。
「全部合わせても銅貨一枚強、って所かな」
「ええ~! それだけっスか!?」
「雑魚中の雑魚だから仕方ないだろ。もっと強いかデカイ敵なら値段は上がる」
嘆くケレスだが、嘆きたいのは本当はこっちだ。
今倒したドロトカゲの尾のサイズはだいたい厚さ三センチ程度。この程度じゃ雀の涙程度の額にしかならないのは自明である。
ちなみにドロトカゲの討伐ボーナスは二十体から。掃いて捨てるほどいる魔物なのだ。その割に使える部位も少なく、肉も食えない。
「とまあ、次が来たぞ」
今度現れたのはドロトカゲではなくヤイバ虫が数体。戦闘の音を聞きつけて来たのだろうか。
中央の下水から這い上がってきたこのイノシシほどのサイズの虫は、両手の鎌をこすり合わせながら近づいてくる。
「気持ち悪いっスね…… もう帰りたくなってきたっス」
ケレスはヤイバ虫を見てつぶやく。無理もない。名前の由来であるカマキリっぽい鎌を持った上半身にゲジゲジの下半身が組み合わさったその姿は醜悪そのものだ。
ちなみにばっちり肉食であり人も食う。そうでなきゃこんなデカイ鎌を持っている訳が無いのだが。
デカイ個体になると数メートルクラスのもいるらしい。
「そうかしら。よく見るとあの足とか可愛いと思うけど」
「どんなセンスだよ……」
髪をたなびかせながら腰に下げたレイピアを再び抜き放ちつつ軽口を叩いているシルヴィア。
さっきまでトカゲにビクついていたのと同一人物とは思えない。
「旦那、こいつもどうせ安いんスよね? だったらこう、魔法でバーっと焼き払いっちゃいましょうよ」
「賞金が出なきゃ意味が無いだろ…… こいつらは結構高いぞ? このサイズなら銅貨三枚くらいは貰えるはずだ」
「おお! 俄然やる気が出てきたっス」
「現金だなあ……」
拳を撃ち合わせながら、深く息を吐いてヤイバ虫と向き合うケレス。言葉通りようやく本気になったようで、
俺たち三人と虫はじわじわと距離を詰めていき……
「行くぞ、オラっ!」
俺たちは敵と激突した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ウグッ、ゲホッ。ゲホッッッ」
私は嗚咽を部屋の中に撒き散らしながら、胃の中から酢よりも酢っぱい液体を全て吐き戻した。
ハンカチで口元を拭い、濁った鏡の中に映る気弱そうな琥珀色の瞳をした少女を睨みつけてやる。
「メルキュール、情けない顔を見せてはいけませんことよ。貴女の役目を果たす時が来たのですから」
私は、鏡の中の私に対して語りかけた後に俯き、深く息を吸う。
そしてもう一度顔を上げる。
そこには少し前までのひ弱で世間知らずで、か弱い少女の姿は無かった。
「よし」
そのタイミングで扉をノックする音が聞こえる。
「時間です、メルキュール様」
「ええ。すぐに行きます」
私を呼び付けたのはアザリア。
ウォルターの従者であり今日の私の護衛で、私自身の命を預けるに値する数少ない存在。
私の従者であるカリンと違って表情にあまり起伏がない性質であるアザリアだけれど、今の私の顔を見たら流石に目の色を変えた。
「……大丈夫ですか?」
「ええ、大丈夫。心配いらないわ。少し気分が悪くて」
痩せ我慢にも程がある言葉がつらつらと口から出てくる。
本当は“少し”どころではない。大変に気持ちが悪い。少しでも気を抜けばこのまま倒れ込んでしまうだろう。
けれども私は自分自身にそれを許さない。それどころかいつも以上に気丈に振る舞って見せる。
「時間なのでしょう? 行きますわよ」
そう言いながら、私はアザリアが開いてくれた扉を抜け、赤い絨毯が敷き詰められた廊下にゆっくりと歩み出る。
私の意志を知ってか知らずか、それ以上何も言うことなく私の数歩後ろに下がって付き従うアザリアと、その横にいつの間にか現れていたカリン。二人を連れて、私は気が遠くなるほどに長い道をゆっくりと歩いていく。
……やがて、長い長い廊下を通り抜けた先に目的の場所にたどり着いた。
清潔そうなシャツを身に纏ったボーイが金細工の施された大扉の前に立ち、さり気なく私の道を塞ぐ。
「予約していたメルキュール・フランソワーズ・スヴォエです」
「お待ちしておりました。どうぞお入りください」
開かれた扉の向こう側には、室内に設えられた色の付いた噴水から流れ落ちる滝を中心に、幾つかのテーブル席が用意されており、その内の一つに私を待ち受けている姿があった。
「あそこですね」
アザリアが指し示したテーブルには、どっしりと椅子に深く座っている恰幅の良い女とその背後に護衛として立っているスーツ姿の男女の姿があった。
「……ええ、そのようですね」
あのテーブルにいる女こそ、私が今日交渉相手として選んだ豪農であるダヴリン・ヘンズワース。
ステアマルクの東方に彼女の有する大農園が存在し、そこからグレイン……パンやポーリッジと呼ばれる粥の原料となる穀物が豊富に供給されている。
私はダヴリンの待つテーブルへ向け、普段よりも少し胸を張りつつ一つ一つの動作を仰々しく、かつゆったりと歩いていく。
それを見たダヴリンが驚き、そして目を細めてこちらを見ているのがすぐにわかる。
こういう交渉事は第一印象こそが大事だ。決して主導権を相手に渡すわけにはいかない。
あくびが出るほど気が遠くなるほど長い時間を掛けて私はテーブルにたどり着くと、ゆったりとスカートを持ち上げて挨拶を行う。
「ご足労頂き感謝致しますわ」
「失礼ですが、貴女がスヴォエの……? 聞いていたよりもずっと、その……」
私の姿を見て完全に戸惑っているダヴリン。私の後にまだ誰か別の人物が現れるのでは無いかとしきりに背後の扉を気にしているのが見て取れる。
「私に何か?」
「いや、そうではありません。ただ、貴女のお父様やお母様が同伴されているのかと……」
ダヴリンが困惑するのも当然だ。私の名前よりもスヴォエの名を前に出して彼女をここに呼び付けたのだから。
しかし、私はわざと不快そうに見えるように目を細めて眼の前の老女を睨みつける。キツくなりすぎないよう、節度を保ちながら。
「なるほど。私一人では交渉相手として不満と。貴女はそう言う訳ですのね」
「い、いえ、そういう訳では……」
身を翻そうとした私に対して、ダヴリンは戸惑った様子を見せながら引き止めるように手を伸ばす。
……想定通り。
「失礼致しました、メルキュール様」
それを確認した私は表情を和らげながら初めて席に着く。
「問題がないのでしたら、手早く本題に入ってもよろしくて?」
「え、ええ」
完全にダヴリンは私に気圧されているのが見て取れる。
しかし、私の意識は彼女ではなく、自らへと向けられていた。
震える右手をもう片方の手で無理やり抑えつけ、誰にも見られぬように覆い隠す。
弱い自分を決して彼女に気付かれないように。




