下水道で魔物退治
たどり着いた下水道の入り口は、街の中心から少し外れた場所にあった。
鬱屈とした空気がどこか漂う地区の中でも、一際異彩を放つ建物。ジルさんから貰った地図通りなら、入り口はこの建物の中の筈……なのだが、どうしても下水道という嫌なイメージとはそぐわない建築だった。
まだぴかぴかと輝く小奇麗なタイルが貼り付けられている壁に、真新しい赤いレンガが積まれた三角屋根の大きな建物は、周囲の色を失ったような地味な建築群から明らかに浮いている。
一番周囲から浮いているのは、その建物の長い煙突からは白い煙が何故かもうもうと立ち込めていた事なのだが。
「なんだ、ありゃ」
「さあ……」
白煙を眺めながら、俺たちは揃って首をかしげる。
どうしても下水道の入り口というイメージにはそぐわない。
でもまあ、地図に記されているのだからここなのだろう。
石造りのゲートを潜り、中庭にたどり着く。
そこではワイワイと楽しそうに酒席を囲んでいる人々の姿があった。
「……ここは本当にダンジョンの入り口なのですか?」
「地図通りならそうなるな」
しかも、悪臭などはどこにも無く、誰もが見事なまでに綺麗さっぱり清潔な体から石鹸や香油の香りを漂わせている。
ここは健康センターか何かか?
「あそこを見てくださいっス!」
ケレスが見つけたのは、『冒険者登録所』と記された看板が吊るされた一角。
そこではメガネを掛けて髪の毛をキレイに固めた男が書類と睨めっこしていた。
それを見てシルヴィアは告げる。
「とりあえず彼に話を聞きましょう。間違っているにせよ、正しいにせよ、彼なら何か知っている筈です」
「だな」
「っスね」
コンコンとカウンターに拳を打ち付けると、男は顔を上げて俺たちを見る。
「なんだ? 登録か?」
「それよりも、下水道の入り口ってここでいいのか? なんか風呂上がりに一杯やってる感のある人達がウロウロしてるんだけど……」
そう言っている間にも、千鳥足の姉ちゃんがジョッキを両手に抱えながら俺たちの後ろを歩き去っていく。
「ああ。ここで間違いないよ。この先……別棟に下水への入り口がある。こっちの棟にあるのは風呂と休憩施設と飲食施設だ。」
「ということは、ここで登録したらあっちの通路に行けば良いんだな」
「ああ、そういう事だな。質問がなければちゃっちゃとこの書類に名前と連絡先を書いてくれ」
俺は先に予め用意しておいた質問を男にぶつける。
「仕事のレートはどうなってる? どういう形式で報酬の算定と支払いが行われるのかが知りたいんだが」
「魔物の種類とサイズで決まってる。算定手段は魔物の体の一部を持ってくる事だ。ドロトカゲなら尻尾、ヤイバ虫なら鎌って風にね。取った素材を換金所に持っていけば金を渡してくれる。レートは時価と数によるボーナス、それに何体か設定してる“大物”には特別報奨金がある。それ以外にもボーナスはあるが、詳しくは換金所で聞いてくれ」
俺の次に質問したのはシルヴィアだ。
「この施設は随分と豪華ですが、運営費用はどこから出ているのです?」
「市議会だけじゃなくステアマルクの商工会からも資金が出てるのさ。下水道が仕えなくなれば困るのは議会よりも商人、それに住人だからな。それに今言った部位はそれぞれ薬やらの原料にもなるので、魔術師連中とも取引してる。余すこと無く活用してるのさ」
言われてみればそうだ。ドロトカゲの尻尾は消炎剤としての役目があるし、ヤイバ虫の鎌は加工してアクセサリーや武器になる。
「それに何より、皆手に入れた金を酒と食い物に使ってくれるからな。渡せば渡した分だけ商人が儲けられる。市民は下水が使えるし魔術師は新鮮な素材が手に入り、市議会は文句を言われずに済む。そして俺は仕事が続けられて八方丸く収まるって訳さ」
上手い商売だ。冒険者も住み着いた魔物も飯のタネにしているのか。
転んでもただでは起きない精神を感じる。
「他に何か質問があるか?」
「いや、無い」
「じゃ、ここにサインを」
彼が指し示した書類には、要約すると『危険を承知して下水道に入ります』という内容が書かれていた。
そこにペンを走らせて自分の名前を書き込んでいく。これでもう後戻りは出来ないって訳だ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
苔むした階段を降りていく度に、鼻の奥に感じる妙な感覚が強まっていく。
「うへー、ムズムズするっス」
「我慢しろ。外したほうが辛いんだからな」
「それになんだかこのマスク、蒸れて辛いっス。なんなんスかこれ」
顔に貼り付けたマスクをもぞもぞとイジっているケレスに注意しながら、ゆっくりと階段を下っていく。
嫌なほどに湿気た空気は、一段降りる度に澱んでいくような気がしてならない。
壁に手を添えながら、ゆっくりと足元を確かめるように一段一段降りているシルヴィアが言う。
「この階段、どこまで続いているのかしら」
「そうっスね。地の底とか?」
「縁起でもない」
やがて、底にたどり着いた。
十メートルほどの感覚で松明が壁に設置されているが、そのほとんどは明かりが灯されていない。
なので、光源は自分で用意しなければならない。
俺は剣を抜き、呪文を唱えた。
「光の精よ、我が道を照らしたまえ。『ライトア』!」
呼び出された小さな蛍の様な光の精霊が俺たちの歩く道を煌々と照らし出す。
小石ほどの大きさだが光量は松明のそれよりもずっと明るく、何よりも片手を塞がなくても良い。
「うへ……汚いっスね……」
「本当。地の底ってのも間違いじゃないかもしれませんね」
ケレスとシルヴィアが好き勝手な事を言っているが、分からなくもない。
人が二人並んで悠々と歩けるほどに幅がある石造りの道を両脇に置き、中央を悠々と流れる幅五メートルほどの巨大な下水溝を流れる汚物に想像もしたくないよう何か、そして時折聞こえる謎の水音。
そして、壁に張り付いた犬ほどの大きさの物体。
それはボトリと地面に落ちながら、ゆっくりと俺たちの方へ向かってくる。
「ドロトカゲだ」
精霊から放たれる光を目にしたのだろう。
ドロトカゲの群れは、口から毒々しい黄色い舌を出しながら警戒するようにシューシューと音を立てている。
「気をつけろ、コイツらは毒を持ってる」
「言われなくても、こんな毒々しい色をしていたらそれは分かります!」
シルヴィアは細身のレイピアを抜き、ドロトカゲを警戒しながら言う。
「なんて醜悪な色。黄色い斑点に、妙にテラテラしてて…… 気持ち悪い」
「こんなのに触りたく無いっス!」
ケレスの張りのある声が下水の中に反響したのと同時に、彼女は今にも襲いかからんとしているドロトカゲの先手を取ってその右足を振り抜いた。
ケレスが足を振り抜くと、そのまま勢いよくドロトカゲは飛んでいき……
光も届かないほど遠くからジャボン、と下水に落ちる音が聞こえた。
それを合図にして、ドロトカゲが前方から何体も現れ、無心で突進してくる。
「ケレス、お前なあ……!」
剣を振り、一匹仕留める。そして返す刀でもう一匹。
ドロトカゲはその大きさよりも、意外なほどに敏捷な動きが特徴的だ。
コイツラはその四肢を繰り、信じがたいほどの速さで地面を駆ける。
「何か、問題が、あるっスか!?」
もう一体のドロトカゲを蹴り飛ばし、下水溝の反対側の壁にぶち当たるケレス。
「下に落としたり、向こう側にやったら尻尾が取れないだろ!」
「あっ、そっスね」
ようやく自分が何をしていたのかに気がついた彼女は、向かってくるドロトカゲを躱すと、その頭を踏みつけ……
そして潰した。
「これでいいっスか?」
「いいね!」
「ウォルター君、上!」
その言葉を受け、天井を見上げる。
そこには天井に張り付いた二体のドロトカゲが、今にも俺達に向けて自由落下を始めようとしていた。
シルヴィアが、手首のスナップを効かせながら最少の動きで針のような切っ先をトカゲの頭に突き立てる。
「これで終わりね」
石畳の上にそのまま体を叩きつけたトカゲを一瞥もせずに、シルヴィアはレイピアを鞘に収める。
「尾の切り取りはやらないから、君がやって。触るのも嫌」
「もしかして、苦手なんですか?」
「……だったら何よ」
倒したばかりのドロトカゲの尾を切り取る俺を、信じがたい物を見る目で見るシルヴィア。
その横でケレスは靴のつま先を地面に擦りつけていた。




