交渉
「エウラリア、後はよろしくね。私はこの子と遊んでるから」
そう言ってアリアンロッドはキルシュを指差した。
「えっ? 私、ですか?」
「そそ、お姉ちゃんとお話でもしてましょう。あっちはややこしそうだから」
「えっ……嫌です……」
「そんなこと言わないのー」
そう言いながら有無を言わさずキルシュを引っ張って連れて行くアリアンロッド。
まるで誰かを避けているようなわざとらしさがある。
お姉ちゃんなんて言う年でも無いだろう、とは思ったが止めておいた。
もしそんな事を口にしよう物なら、今俺の眼の前にいる彼女――エウラリアがただじゃおかないだろう。
「さて、ウォルター君。こんな所でお会いしたくはありませんでしたね」
ピュイ、と指笛を鳴らし、影の獣を消し去りながらエウラリアは言った。
憮然としているが、明らかに俺を警戒しているピリピリとした雰囲気。それに反応するように、俺の横に立っているアザリアが鋭い目でエウラリアを睨みつける。
「……校長先生だ。そう警戒するな、アザリア」
「こちらの方が? まさか」
俺の隣で殺気を放つアザリアを制しながら、エウラリアに対して挨拶をする。
「どうも校長先生。まさかこんな場所でお会いするとは」
「そうですね。私としても驚きです。既に門限の時刻はとうに過ぎているのですから、学院の外でお会いするとは夢にも思っていませんでした」
何が起きているのかに触れようともせずに、エウラリアは言い放つ。
白々しい。確かにその通りではあるが。
だったらこっちとしても白々しい嘘を話すとしよう。
「ええ、クリーフルさんを追いかけていたらこんな場所にまでたどり着いてしまいました。当然悪いことなのは分かっていますが」
「クリーフルさんが? まさか。彼女は体調不良で自室で休まれている筈です。ですからこんな場所に居る筈はありません」
「……なんでそんな事を、校長先生が知っておられるので? 副会長とは言え、クリーフルさんの事を随分と気にされているのですね」
俺がそう言うと、エウラリアは両手で顔を抑えてえづくように笑い始めた。
隣で短剣の柄に手を掛けたアザリアの手を抑えながら、改めてエウラリアに向き合う。
「……ククッ、ククククッ。そうだったねえ。そ、そうだった、ねえ。オマエは賢い。ワタシの罠を潜り抜ける位に、賢い。頭にくる位に賢い。殺してやりたい位だ」
「そりゃどうも」
「いい、いい。御託は抜きだ。抜き抜き抜き! 抜きだ! ややこしいのはワタシも嫌い。嫌いなのはあのガキも同じ。家も同じ。嫌い、嫌いだ」
そこまで言った途端に、突如として顔を上げたエウラリア。今しがたまでの言動が嘘のように、いつもの氷のような無表情に戻っていた。
「単刀直入に言いましょう。クリーフル……あの娘の今の中身は私が作り上げた“影喰らい”。それに彼女の体を乗っ取らせ、私の忠実な人形に仕立て上げようとしたのですが、手違いにより逃してしまいました」
……恐ろしい事を、この女はまるで挨拶するかのように自然に言い放った。
思わず顔が引きつるのを感じる。隣に立っていたアザリアも呆然とエウラリアを見ている。
「何故そんな事を?」
「厄介な存在だったからです。血筋を利用して私を脅しつけ、侮蔑し、見下してくる。いつかは始末するつもりでした」
「……あの子はあんたの、親戚だろ?」
「ええ、不幸なことに」
エウラリアがそう最後の言葉を言い放つ時に僅かばかりに仮面のような表情が崩れ、怒りを見せる。
その後ろに潜んでいる感情の渦がどれほどに黒々とした物なのだろうか。……触れない方が良さそうだ。
(それにしても、なんでそんな事を俺に? 何を考えてるんだ、コイツ?)
突如として変わり果てる性格に、底知れない気配。
エウラリア当人の性質も相まって今の彼女の言葉をどう受け取って良いものか悩む。
というか、罠じゃないのか?
どう答えたものか頭を悩ませている内に、珍しくアザリアが食って掛かった。
「失礼ですが、どうしてそれをウォルター様に伝えるのです? それに今貴女が言った事が事実であるのなら、そんな事を伝える理由が無いでしょう」
珍しくアザリアが食って掛かった。
「ウォルター君、この方は?」
「俺のメイドで、護衛をやってもらってる」
「そうですか」
素っ気なく答えたエウラリアは、アザリアを一瞥するとしばらく考え込んでいた後に口を開く。
「まず一つは、切っ掛けがウォルター君であったという事。あの世間知らずの娘が命を落とす羽目になった原因の内、二割程度は貴方にあるのですから」
「手を下したのは貴女でしょう。その責をウォルター様に押し付けられても困ります」
真っ当にも程があるツッコミである。ナイスだアザリア。
しかし、何一つ聞いている様子のないエウラリアはそのまま続ける。
「二つ目は、この事態を収める為には私だけでは手が足りません。――先程現れた者達、あれは“解放団”を名乗る貴族に恨みを持っている者たちのテロ組織。奴らが何を考え、どこからこの情報を手に入れたのかは知りかねます。ですが、奴らがクリーフルを表舞台に出す前に、なんとしても“あの子”を取り戻したいのです」
エウラリアが言っているのは、クリーフルではない。“影喰らい”の方だろう。
つまり、彼女を消した事については何とも思っていないという事か。
「そのために働けって事です?」
「端的に言うならその通りですね」
身代金やら何やらを要求されると面倒だと言いたいのだろう。
それにこの口ぶりなら、この女はまだクリーフルを“使う”つもりだ。
「ウォルター様がそれに従うと?」
「従わないというのなら、それ相応の手段を取るだけです。……既に校則違反を犯している事ですし、先日の一件も合わせて退学処分にでもして見せましょうか?」
「つまり俺には選択の余地が無いと」
「最初に言った通り、遠因の一つは貴方です。彼女の甘ったれた言動が原因とは言え、ストラット当主の耳に入れば厄介な事になるでしょうね」
事もなげに言ってくれる。
自分の思い通りに事が進んでいるからなのか、どこか楽しげだ。相変わらずの鉄面皮だがなんとなくそれが分かる。
だが、主導権を握ったつもりなら大間違いだ。
「……そりゃ大変だ。でも校長先生、俺が先手を取ってストラットの当主にこの事を伝える、なんて考えなかったのかな」
そう言った途端に、彼女の表情が凍る。……いや、元々凍ってるようなもんか。
「そんな事をして、貴方に何の益が?」
「無いよ。でもタダで良いように使われるよりはマシだ。タダ働きなんてしたら怒る子がいるし」
それなりの額がもらえるならともかく、今は他人の尻拭いをタダでやる暇なんて無い。
勝手にやってろって話だ。
「今の貴方の状況が……」
「ええ、分かってますよ。……確かに俺の今後は校長先生の判断一つで決まるかもしれません。……が、今の先生も似たような立場なのでは?」
「…………」
黙り込むエウラリア。
彼女も立場が危ういからこそ、事実かどうかは知らないがあんな事を喋ったのだろう。
自分一人で解決出来る事であるなら何も言う必要は無い。
俺が乗らなきゃ、共倒れするだけ。
分が悪いが、決定的な主導権を彼女が握っている訳ではない
つまりチキンレースだ。後はどこまで良い条件を引き出せるかだな。
本当はこういう交渉事はメルにお願いしたいが、今は居ないので仕方ない。




