森の奥、舞い散る花
「アザリア、キルシュ、あまり手を触れないほうがいい」
「どう、したの?」
「多分ここには人が居る。誰かが管理してる場所だ。だからあまり触れない方がいい。」
何があるか分からないというのもあるが、これほどの種類を薬草や花々を集め、丁寧に区画分けをしている程の手の込みようを考えれば相当愛着を持って世話をしているのが伝わってくる。
俺にもその気持ちも少しは分かるつもりだ。踏み荒らされたり、勝手に摘まれたくは無い。
「人ですか? 気配は感じませんが」
「それでもだ。あんまり荒らしたくない。良い場所だ。……それよりもそろそろ行こう」
広場を後にして、目的地の滝へと向かう俺たち。
しばらく歩くと目的の滝にたどり着いたのが、轟々と流れ落ちる水の音で分かった。
そう大きくない滝だったが、勢いよく滝壺に流れ落ちる姿はそれなりに壮観だ。
滝壺の周りを見て、例の虫を探す。しかしどこにも見当たらない。
「なんだっけ、なんちゃら虫ってどこに居るんだ? 全然見当たらないけど。まさかここまで来て無駄足って事は……」
「あはは、大丈夫です、ウォルターさん。まだ月が昇ってない、ですから」
「というと?」
「月の光、それに反応して、姿を見せる虫、なんです。だから、もう少し待たないと」
彼女が言うには、月花虫は新月に月が見える位の良い天気で、しかも決まった場所にしか現れないという事。相当なレア物じゃないだろうか。
幸いにも今日は雲ひとつ無いので現れないという事はなさそうだ。というか結構な苦労をしてここまでたどり着いたのに天気の問題でまた来月、なんて事になったら普通に泣ける。
「しばらく、待ちましょう。焦っても、何も良いことは、ありませんから」
焦る俺に対して、どこかのほほんとしているキルシュ。
ちょうどよい大きさの倒木を見つけて腰掛けると、ナップサックからサンドイッチを取り出して食べ始めた。
「なんか準備とかはいらないのか?」
「大丈夫、です。もぐもぐ」
そんな彼女の様子を見ながら、少し呆れた様にアザリアが言う。
「火を焚いた方が良いかと。先程のゴルトウルフ達が戻ってこないとも限りませんし、最近奇妙な噂がありますので」
「変な噂ばっかだろこの辺なんて。ダンジョンと魔物が掃いて捨てるほどあるんだ。安全なのは街を北と南に貫く街道沿いだけだし」
「……万が一、という事があります。ですので火は焚きます」
それ以上何も言わずに黙って焚き木を集め始めるアザリア。こうなったら止めても仕方ない。
「相変わらず、心配性だね、アザリアさんは」
「さっきまでは口ではああ言ってたのにな。誰が一番甘いんだか」
そう言った後に俺はキルシュの横に座って二人で笑い合う。
食事を終えたキルシュは、膝に落ちたパン屑を振り払うと背伸びしながら立ち上がる。
「ここはいい場所、です」
「俺はあんまり落ち着かないけどな」
クー、クーと鳴きながら空を飛ぶ鳥の姿を見上げながら、俺は正直な感想を告げる。
「私はこの位、人里離れた場所の方が、落ち着きます。お婆様と居たころを、思い出しますから」
「……そっか」
そう言った後に、キルシュは暫くの間何も言わなかった。
その代わりに目を瞑り、流れ落ちる水の音や、遠くから聞こえる獣の遠吠え、甲高いベルの様な虫の声、そんな物に耳を澄ませている。
「私も、最初は、怖かったんです。夜になると、知らない音が一杯で、しかも森の中だから、怖い魔物も出たりして」
「最初、というと、まだあの森に居た頃の話か」
「……はい」
キルシュと出会った森を思い出す。どこか昼間でも仄暗い感じのする森だった。あそこに比べれば今俺が居るのは真夏のビーチリゾートに等しいだろう。
「お母さんに、お婆様の所へ、連れて来られて、そのままお母さんは、戻って来なくて、ずっと泣いてばかり、いたんです。それが、私の思い出せる、最初の記憶」
「君のお婆様って、確か有名なドルイドだったよな?」
「そう、みたいです。でも、私に取っては、優しいお婆様でした。泣いてばかり居た、私に、森の音を一つ一つ、ゆっくりと説明してくれた、んです」
そう言うと、キルシュはその小さな手で筒を作り、俺の耳元に当てる。
ひんやりとした感触が気持ち良い。
「ひっかく様な音が、あの木立から、聞こえますね?」
「ああ、それは分かる。まるで黒板を爪で引っ掻いたときみたいだ」
「木斬り虫の、鳴き声です。つがいの相手を見つける為に、ああやって、鳴いてるんです。……お婆様は、こんな感じで、一つ一つ教えてくれました」
一つ一つの音には、理由がある。
その理由が分かれば、恐ろしく思うことも無い。
キルシュの祖母が教えた事はそういう事なのだろう。
「だから、怖くない、です。それに今は、ウォルターさんに、アザリアさんも、いますから」
そう言って笑みを見せるキルシュ。
ちょうどその時、背後で足音がした。
「この音は、俺にも分かる」
「アザリアさんですね」
「??」
両手に焚き木を抱えたアザリアが、きょとんとした顔で立っている。状況がつかめていないようだ。
彼女は俺とキルシュが顔を見合わせて笑うのを見て、更に目を丸くしていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
パチパチと枝が爆ぜる音を聞きながら、空を眺めている。
夜の帳が下りる寸前、ほのかな明かりが未だ残る空。
誰も何も話さない。火が燃える音だけが森から流れる音に溶け込んでいた。
……そんな中、水面に月が映ったときにキルシュは口を開いた。
「もうすぐ、です」
その言葉の後に、世界は一瞬の内に一変した。
「これは……」
思わず声を失う程の光景が、そこには広がっていた。
淡い月の光の色に輝く蜉蝣のような虫が、水辺に集まってその身を懸命に輝かせる。
水面に映える月の輝きを取り込んでいるように、その輝きを時間と共に増していく月花虫達。
「行きましょう」
キルシュを先頭に、月花虫の群れが飛び交う水辺へと向かう。
彼女はその内の一匹を掴み上げると――
「……ごめんなさい」
そう呟いた後に呪文を唱えた。
「――凍り付け」
彼女の手の内で、月花虫の一匹が氷塊の中に閉じ込められていく。
その数瞬後に、水辺を舞う月花虫の群れから何かが弾ける音が聞こえた。
「な、なんだ?」
「敵ですか?」
「いいえ、違い、ます」
そう言いながら、キルシュは群れの一つを指差す。
「この月花虫が、成虫となって、外の世界を飛び回る。……それは、ほんの一瞬、なんです」
その言葉の後に、あちこちで今聞こえたのと同じ、何かが弾ける音が辺りに響き渡る。
それは小さな花火の様に、煌めきを残しながら弾けて散っていく月花虫の最期の瞬間の音だったのだ。
「線香花火、みたいだな」
幻想的で儚い光景。俺達はそれを、最期の一匹がその生命を散らすまで見つめていた。




