プロローグ 悪役を始めるにはもってこいの日
ゆっくりと、体に刃が突き刺さっていくのを感じる。
深々と胸に突き刺さった刃を見ても尚、これが現実であるとはとても思えなかった。
そんな事よりも、仲間達は? 彼は助かったのか? 大丈夫なのか? そう思いながら辺りを見回すと、彼らは皆なんとか立ち上がっている。大丈夫だったようだ。
そもそもこうなった理由は、彼らの内の一人を敵の強襲から庇ったからだ。いつもの様に一人で突っ込んだ彼を庇い、こうなった。“いつもの事”である。
だが、すぐに意識は引き戻される。胸を引き裂くような猛烈な痛みと、呼吸が出来ない苦しさによって。
口から溢れ出す大量の血。何故? と思う前に、俺は地面に倒れていた。
痛さよりも、呼吸の出来ない苦しみが勝る。何か言葉を発しようとしても、溢れ出す血によって意味のない言葉を組み立てる事すら出来やしない。
藻掻くように手を伸ばす。そうしても苦しみから逃れる事など出来やしないというのに。
仲間たちが何か言っているようだが、聞き取ることが出来ない。
突然、痛みが消えた。胸の苦しみも消え失せ、呼吸に何の支障も無くなる。
仲間が治癒魔法を使ってくれたのだろう。そう思って俺は仲間を見る。だが、彼らは何故か悲痛な面持で俺を見ると、背を向けて立ち上がった。
「ウォルターの犠牲を無駄にしちゃいけない!」
「……そうね、絶対に倒さなきゃ」
「許さねえ、……!」
「行こう、奴はまだこの辺りに居る筈だ」
……え? なんで俺が死んだみたいな事を言っているんだ?
どうして、俺を置いて立ち去ろうとしているんだ?
置いて行かないでくれ、待ってくれ。俺はまだ死んでないんだ。
こんな場所で一人で死ぬのは嫌だ。
『また』一人で死ぬのは、嫌だ!
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
何時もの様に、目が覚めた。月曜の朝以上に憂鬱な朝だ。
だってそうだろう。自分が死ぬ夢を見たのだ。少しばかり憂鬱になろうが何一つとして問題はないだろう。
柔らかなベッドの滑らかなシーツに身を包まれながら、もう一度眠りに就こうとする。
だが、すぐに思い当たる。起きなくては会社に遅れてしまう。今は何時だ? 急がなくては。
俺はベッドから跳ね起きて立ち上がる。
違和感に気が付いたのはその時だった。全ての物が低く見えるのだ。
それに、部屋がやけに広い。6畳の1LDKの筈なのに、その数倍以上は軽くあるように見える。
それと、そもそも俺の部屋にベッドってあったっけか。煎餅布団では無かったっけか。
おかしい。何かがおかしい。俺は頭を捻りながら、辺りを見回す。
高そうな赤いカーペットの上には、木馬や遊びかけの積み木、それに絵本などがあちこちにばら撒かれている。
木の椅子の上に脱ぎ捨てられた衣服はミニサイズで、笑ってしまいそうになる程に小さい。
まるで子供の部屋の様だ。
子供? 俺は遠くに見える鏡の方へと駆け出していた。
そして鏡を見る。そこには見覚えのない……いや、違う。かつて散々見た自分の顔が映っていた。
短く切り揃えられた金髪に、少し目立ってきたそばかす。緑色の目は父上譲り、少し低い鼻は母上にそっくり。
思い出した。これは、『ウォルター・ベルンハルト』だ。しかも、その幼少期の姿である。
そして俺は『守屋光太郎』、しがない日本人の会社員……だった。
今思い出した。前の人生も、前の前の人生も。
「嘘だろ、だって、こんな事がある筈……」
俺は疑う。長い夢を見ていたのだと。もう一度目を開ければ、情けない顔をした会社員が映るのだと思い、何度も目を閉じては頬を抓る。
だが、何度やっても、何度やっても目が覚める事はない。これが現実なのだ。
俺は『ウォルター・ベルンハルト』の人生を再びやり直す事になったのだ。
まずは状況を整理しよう。
“俺”は、『守屋光太郎』であり、『ウォルター・ベルンハルト』である。
守屋光太郎としての俺は、幼いころから地味で目立たないが、真面目という評判で通っていた。その俺の転機となったのは、高校受験の日である。会場に向かう途中で知らないお婆さんが倒れていたので助けていたら、受験には当然遅れてしまい、それが原因で受験には失敗。
滑り止めの高校ではカースト最下位に属していて、散々な日々だったが学校には一日も休まずに登校。しかし満を持して望んだ大学受験にも失敗。
一浪してランクを下げた国立大へと進学するも、そこでの立場は真面目にいつもノートを取ってて見せてくれる人扱い。夢のキャンパスライフはしょうもない物であった。
就職も当然失敗。IT系に進学するも自分のキャパシティを越えた激務激務アンド激務。しかし真面目さが災いして手を抜く事も転職も行えないまま、ある日残業中に心臓発作で一人寂しく死亡。
「悲惨この上無いな」
うんざりしながら、ウォルター・ベルンハルトとしての俺を思い返す。
10歳頃までは裕福な暮らしをしていたが、この辺りで泥棒に入られた際のいざこざを発端とする心労が祟り父上が死亡、家は性悪の叔父に乗っ取られて資産を根こそぎ奪い取られ、母上と俺は露頭に迷う事に。
クソ真面目に勉強した俺は王立学校にギリギリ滑り込む事に成功する。しかし、その数年後に母上は病気で死亡。帰る場所を失う。
学校で出会った仲間は、リュート・バーンハイムやファルク・ローレンスを始めとする偉大な先祖の血を引いて居たり、王家の者だったりするような連中ばかり。そんな中で俺はクソ真面目に勉強しながら、その仲間たちの末席に加わるが、その中でも当然地味なまま過ごす。
その割には敵対していた令嬢達や、貴族の連中からは良く恨み辛み妬みの標的にされていたっけか。
そして、卒業後も彼らにくっついて回った挙句に、最期は仲間の盾になって死亡。
「なんだこりゃ……」
呆れた。真面目を形にしたように生きてきたというのにロクな事が一つも無い人生だったじゃないか、どちらも。
俺はウォルター・ベルンハルトとしての人生をやり直す事が出来そうだと言うのに、また真面目なまま生きていくのか?
……いや、それじゃダメだ。同じ結果になるだけだ。
悪役の連中や、性悪の叔父の方が良い生活をしていた事を思い出す。
他人の事なんか、知ったことか。真面目なんて何の意味も無い。
そうだ、今度の人生は悪役として生きてやろう。好き勝手に、私腹を肥やして我儘放題やり通して、俺だけの為に生きてやるんだ。
三度目の正直ってやつだ。今回こそ、絶対に幸せになってやる!