仲直り1
目の前でたくさんの本が、飛んでいる。
ふわふわのんびり浮いているものもあれば、勢いよく飛び回る本もあった。
「あー、えっと……捕まえる?」
今までたくさんのことを経験してきたと思ってた。
ある程度のファンタジーもいろいろ読んできて、いつか私も不思議な世界に引き込まれたらなぁ、なんて考えたこともあった。
だからこそ、越してきたばかりの街の早朝散歩で、何か素敵な出会いをなんて、柄にもないことをしてしまったからなのか。
夢であってほしいと願うばかりの現実は、刻々と現実から離れていく。
朝早くから開いてるなんて珍しいなと、足を踏み入れた “ユメの書店” という、古ぼけた看板が掲げられた本屋さん。
扉を開けた瞬間にそんな光景が広がっていたから、思わずそっと扉を閉めて、見なかったことにしようとした。
けれどそれさえも、現実は許してくれないらしい。
「ユメの書店へ、よぉうこそぉ」
「まっ魔法使い!?」
「何を寝ぼけてるんですか」
呆れるように笑う彼は、黒いローブに身を包み、負けないくらいの黒髪短髪に先の尖った帽子を乗せて、手には分厚い本を抱いて、はるか上にある視線が私を見下ろす。
しかもちょっと、偉そうに。
「ここ本屋ですよ? まだ朝ですよ? 寝惚けてるんですか?」
「は?」
わざとらしく私の額をつついた男はケラケラ笑って、飛び回る本たちの間を進んでいく。
歩みを進める男を避けるように、それでも飛び回る本。
その不思議な光景に、やっぱり私は足を止め、見入ることしかできないでいた。
さっきの態度は癪だけど、男の言うように私は寝ぼけているのかもしれない。
「ねぇ、入んないの? 本が日に焼けちゃうから、早く閉めてくれない?」
「え? だって本が空を」
「え? 何だって?」
「本が空を飛んでるじゃない」
「おぉーーーー! 君には見えるのか、そうかそうか、さぁ入りたまえ」
演技かかった態度で、私の手を引き店の中へ、私も一緒に足を踏み入れた。
そこは外から見るよりはるかに広い。
いや、外から見る大きさとはるかに違いすぎる!
まるで映画とかで見るような、大きな倉庫のようで……。
なんなのこのファンタジーな光景は!
「さぁさぁさぁ、どんな本がお望みですか?」
黒いローブをはためかせ、まるで魔法を放つように両手を広げてみせる。
そんな動きに合わせて、たくさんの本が彼の周りを、飛び回り始めた。
「いや、私なにも本なんて」
「いやいやいや、この店のこの本が見えたのならば、願う本があるはず」
「いやだから、私は特に欲しいものは」
「ここにはありとあらゆる本が揃っています」
私の言葉なんて聞きもしない男は、崩さない笑みで言葉を続ける。
ヤバい。
私はとてつもなくやばいところへ来てしまったのかもしれない……。
そう思ったのも束の間。
男は、変わらない口調で不思議な言葉を口にする。
「人の心を知るための勇気」
「え?」
「勇気を出すための勇気」
「えっと……」
「本当の気持ちを伝えるための」
「待って!」
それはまるで呪文のように、男の口から紡がれる言葉。
普段ならやっぱりここはヤバイところだと、逃げ出せるはずだったのに。
男の声と私の周りにまで飛び回り始める本が、逃げるという行為を留めさせた。
動かすはずの足を止め、代わりに動かさないはずの腕を上げ、手を伸ばさせる。
「あなたが必要とするものを持っている本たちが、あなたのそばへ行きたがっている、どうか受け取ってあげて」
囁くような男の言葉につられ、伸ばした手の中に、一冊の本が舞い降りて、小さな文庫本になった。
「その子があなたの背中を押してくれるよ」
「これは……」
表紙には大きな花と、それを取り巻く星空の絵。
大好きなあの人と、一生懸命語り合った大好きな小説。
隣で一緒にそれを見ていたはずの彼は、つい半年前に喧嘩して、別れ話まで飛び出させた。
あの人と出会ったこの小説は、そんなに有名にならなかったけれど、それでも私達は夜中まで語り合ったっけ。
そんな私たちを出会わせてくれた、楽しい時間を沢山くれた本。
もう一度あの頃のように、互いの気持ちを話し合える仲に戻りたい。
「でも今更こんな本を手に入れても……」
「あなたの願いはなぁに?」
「願い?」
広い広い空間を飛び回るたくさんの本。
男の言葉に合わせて、ばらばらに飛び回っていた本たちが、規則正しく並び飛び回る。
くるくると、ふわふわと、男が動かす指先に合わせ、舞い踊っているよう。
「あるでしょ? その本の人、本当は大好きなんでしょ? 仲直りしたいんでしょ?」
「そうだけど、今更だし……私……引っ越したし……」
「じゃあ何で、泣いてるの?」
「え?」
思わず触れた自分の頬には、確かに濡れたあとがあった。
触れた指先に、もう見ないと思っていたはずの涙が、しっかりと付いていた。
「仲直り、したいんでしょ?」
「……したいけど、もう遅いよ。どうにもできない」
「仕方ないなぁ」
そう言うと、男はもう一度手を広げ上げ、自分の周りにいた本を舞い上がらせた。
その光景はまるでたくさんの鳥が飛び立つよう。
そんなたくさんの鳥のような本が何かを導くように、小さな店の入口へ向かい飛ぶ。
バタバタと扉へぶつかって行くのに、どれ一つとして落ちないし壊れない。
それよりも、その衝撃で、少しずつ少しずつ扉が開いていく。
人一人分の隙間ができた時、そこにひとりの人間が現れた。
「あっ……」
『僕からの恩返し』
「え?」