思い出のアルバム~ある友情の話~
そこは不思議な本屋さん。
たくさんの本があるのに、どれもこれも真っ白。
ほんの数冊だけ色が付いているけれど、それも片手で数えられるほど。
そんな真っ白な本に囲まれた店主は、今日も楽しそうに歌を歌っていた。
「ほーん♪ ほーんとーはねー♪ みーんなしあわせなんちゃらら~」
よくわからない歌を満足そうに歌い切ったとき、店主の手元へ一冊の真っ白な本が飛んできた、はずだった。
「あらま」
その本は店主の手元に来た途端、ゆっくりと光を失っていき、悲しい色に染まる。
まるで本が泣いているように悲しみを浮かべ、店主の手にしがみつく様に重みを乗せた。
「なんて悲しい本、君を素敵な色に染め直すにはどうすればいいかな?」
そうして店主は、厚くて重くなった表紙を開いた。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
寄せては引き、寄せては引く。
誰に決められたわけでもないのに、ただひたすらそんな事が続く波打ち際。
夕日に照らされる海は空までもを輝かせ、紅く浜辺を照らす。
楽しそうに恋人や家族、そして友達同士だろうか、何人もの人が賑やかに遊び回っている中。
一人の少女が、泣いていた。
黒い模様のついた白が目立つワンピースを纏い、長く美しい黒髪は二つに結われ、小さな体をさらに小さくして、海を見つめる大きくて美しい瞳からはたくさんの涙を流している。
そんな少女の少し後ろに、本屋の店主は立っていた。
海水浴場には不釣合な格好のまま、暫く少女を見つめて、足を取られる砂浜にヨロヨロしながら少女の横まで来ると、腰を下ろした。
「綺麗な海だね」
「本当に」
「そんな綺麗な海を前にして、どうして泣くことがあるの?」
「泣きたいから」
「ふぅん」
「あなたはだぁれ? 神様? 魔法使い?」
「僕もわかんない、誰だろね」
「変な人」
初めて店主を見た少女の目からは、まだ涙が溢れている。
少女の表情を初めて見た店主は、そんな少女へにっこり笑ってみせると、ふと足元に落ちているものに視線を落とした。
「それは、本?」
「ううん、アルバム。思い出を、流しに来たんだけど出来なくて、泣いちゃった」
「思い出を流しに?」
「うん。あのね、わたし、大切な家族と友達に酷いことしちゃった」
「そうなんだ。見てもいい?」
「いいよ」
賑やかな声が少し落ち着いてきて、代わりに波の音が大きくなり始めた。
時折吹く風が波を押しとどめ、白く泡立つ。
少女の足元に刺さるように立っていたアルバムに手を伸ばした店主は、偶然少女の足に触れてしまった。
この暑い中、ずっとここにいただろうはずなのに、まるで氷のように冷たい肌に驚き、手を止めてしまいつつも、改めてアルバムを手にした。
そこには楽しそうに笑う少女と何人もの女の子が写る写真がたくさん貼られていた。
小さなメモには日付や場所、コメントなんかが描かれていて、少女の性格がよく現れている。
それはまるで、絵日記のようだった。
「とっても素敵な写真だね、コメントなんかすごく気持ちがこもってて、嬉しい楽しいが伝わる」
「ありがとうございます」
初めて笑った少女だったけれど、その瞳から涙が止まることは無かった。
白い肌を伝う雫がゆっくりと砂浜へ吸い込まれていく。
ゆっくりゆっくりページを開き続け、最後のページに来た時、店主は少しだけ時間をかけてそのページを見ていた。
「これはあなたが書いたの? それともこの写真の人達?」
「わからない、もう、わからないの」
「わからない? どうして?」
「私だった気もするし、みんなだった気もする」
ゆっくり海へと視線を戻した少女は、小さく息を吸って吐いて、目を閉じた。
少しだけ多くの涙を溢れ出させ、目を開く。
「あの子たちが大好きだった。けれどそれはあの子たちには面倒になってしまった。変に真面目すぎる私は、だんだん鬱陶しくなったんだろうね」
「うん?」
もう一度、最初からアルバムを開き直した店主は、一つ一つ丁寧に見直していく。
よくよく見ると、最初の内はしっかりと少女も映っていた。
けれどいつからか少女は小さくなり、見進めてみると、最後のページに向かうにつれ、少女がいない写真ばかり。
「それでも優しいみんなは私の存在だけは認めてた。だから私はみんなの言うことをなんでも聞いた。本当になんでも。それが私の居場所を表してくれる、またみんなと楽しく出来ると思い込んで」
「うん」
「だけど結局それは偽りの関係。いつまでも続けられるわけがない。みんなが私と口をきかなくなった」
「うん」
少女はゆっくりと顔を伏せ、再びたくさんの涙を流す。
ポタポタと滴り落ちて吸い込まれいく様子は、まるで砂時計のよう。
「分かっていたはずなのに、分かっていたから私も素直に従った。それがみんなと仲良くなれると、前みたいにみんなで楽しく過ごせると思って」
「うん」
もう一度最後のページを見た店主は、そっとアルバムを閉じると、少女の横顔を見た。
笑っているはずなのに泣いている、不思議な表情に、ただただじっと見入っていた。
「だけど、私はもう、みんなの目にも映ってなかった。どんどん色んなことがエスカレートして行くだけ。だから、なんとか良い思い出にして、忘れたくて……最後に何か思い出を残したくて、思い切ってみんなに声をかけてみた」
「うん」
最後のページに載っている写真は笑っていた。
とても幸せそうに、とても楽しそうに。
少女が大好きだったみんなが笑いあっていた。
けれど、コメントが少しだけおかしかった。
少女らしくないコメント。
「凄いんだよ、みんなの中に私はもういないの。私は空気、もしくは汚いもの。つい最近まで仲良かったのにね、可笑しいでしょう? なぜだと思いますか?」
「なぜかな?」
「……あなたのすべてに嫉妬してたから」
店主の後ろ。
いつの間にかやって来ていた女性が、手に花束を持って、驚いたような表情と悲しそうな表情を混ぜたような、おかしな顔で立っていた。
「やっと、会えた。会いたかった」
「私も会いたかった、良かった。今日で最後だった」
「あなたは、この写真の人?」
「はい」
店主より、少しだけ背の低い女性。
たくさんの写真に映っている女の子たちの一人と、場違いな服を着た店主が向かい合う。
二人の視界にはちゃんと少女を映して。
「夏になると決まってここへ来た。みんなで新作の水着自慢したり、日が暮れるまで遊び呆けてめいっぱい笑ってた。だからあの時、久しぶりにここへ呼ばれたのは、仲直りのきっかけになれるんじゃないかって思ってた。そんな訳ないのにね、私バカだから」
「馬鹿じゃない、馬鹿なのは私たちの方」
あの日、みんなは笑顔で私へ笑ってくれた。
あの日、久しぶりに笑顔でみんなに喋りかけられた。
あの日、仲良かだと思っていたみんなに、あなたとは絶交だと、笑顔で言われた。
「そして私は思い出のこの場所で、最後の写真を見た、それがそのアルバムの最後の写真」
最後の写真は、少女の大好きだった友達の集合写真。
そこに少女の姿は無く、店主の目の前にいる女性を中心に映された、そして間違いなくこの場所で撮ったであろう写真だった。
【大親友とはこのメンバー、他の誰も入れない唯一無二の仲間、これ以上ない本物の仲間なんだぜー!】
そんなコメントと共に締めくくられているアルバムを、少女は大切そうに抱きしめた。
「幸せそうに笑っているみんなが写っていて、良かった。安心した」
「私は……私たちはわざとあなたを突き放した! あなたの全てが魅力的すぎて、嫉妬して、嫌になって……だから……捨てた」
「よく分かんないなぁ、何をしに来たの?」
空気を読まない店主は、軽い声音で女性へ尋ねる。
そんな店主の前で顔を伏せた女性。
暫く波の音だけが響くそこに、やっと聞き取れるかどうかの声が聞こえた。
「私は……私は! どうしても謝りたくて、罪を償いたくて、でもどうしていいか分からなくて、わからなさ過ぎて、ここへ来たの」
「うん? えっとえっと、待って、訳がわからないのにここへ来たの?」
女性の顔をのぞき込む店主は、そのまま腕を組み、考える素振り。
じっと女性と、波に足をつけてこちらを見つめる少女を見交わした。
「本当の友達ってなぁに?」
「え?」
「簡単に仲間はずれにして、今更仲直りしたいって?」
「……はい」
「バカなの?」
「……馬鹿なことをしました」
「それで、彼女が死ぬ道を選んで初めて気付いたの?」
「それは……」
「誰だかわからない魔法使いさん? 彼女を責めないで。私がもっと強くて頭のいい人だったらこうならなかった」
波打ち際に立っていたはずの少女は、いつの間にか膝まで海に浸かっているようで、少しずつ少しずつさらに小さくなっているようだった。
たくさんの涙を流しながら、それでも笑う少女は、店主が口を開こうとするのを、遮るように言葉を続けた。
「あなたは十分罪を償った、私以上に苦しんでる。私は私の理想と夢が叶わなかったから、自らこの道を選んだだけ、選んでしまっただけ。逆に申し訳ないことをしてしまった」
「それがこの結果なの?」
白いワンピースは、よく見るとそれは模様ではなくて。
波風が吹いて捲れ上がる服の下。たくさんの傷の上に模様はできている。
傷跡をなぞるように現れた服の模様。
突然強く吹いた風は、少し先にある岬と、顔を伏せたままの彼女の手元から飛び上がった、いくつかの花弁。
自ら命を絶った少女は、あなたに会えてよかったと、微笑んだ。
「だってもう、五年も毎日……毎日毎日ここへ謝りに来てくれるんだよ。確かに取り返しのつかないことをしてしまったけれど、それは私が選択した運命、もう許されるべきだよ」
「でも、でも私は」
「それ以上言わないで。大丈夫、ちゃんと受け取ってる」
「でもっ!!」
「もう、仕方ないなぁ。けどこの願いは馬鹿な君の願いじゃなくて、心まで優しすぎる彼女の為だからね?」
「え?」
「美しすぎる少女さん」
海に沈みいく少女の元へ歩み寄った店主は、魔法使いのように、その辺に落ちていた木の棒を振ってみせる。
それでも涙を流している少女は、不思議そうにその動きを見つめる。
ぽたぽたと落ちる雫は、海へと吸い込まれ、キラキラと夕日と交代に出てきた月を揺らす。
「あなたの願いはなんですか? 最後に一つ、この魔法使いが願いを叶えてあげましょう」
「願い?」
「そう、あるでしょう? たった一つの願い事が」
困ったような表情をしながら泣いている少女は、ふと少し先にいる、花束を手にした彼女を見つめ、そして店主を見つめた。
「私の願い事はいいです、なので良ければ、彼女の願いを、彼女たちの罪を消してあげて、どうか心が休まるように」
すっと伸ばされた細く白い傷だらけの腕、そこからのびた人差し指が、しっかりと女性を指す。
驚いたようにそれを見つめる女性は、何かを言いかけてーーーー。
「違うっ! 僕はあなたの願いを叶えるの! 最後くらいワガママ言いなよっ、そんな事じゃお友達も幸せになれない!」
「えっ?」
今日見てきた中で一番たくさんの涙を流す少女は、潤んだ瞳で彼とそして店主を見つめる。
今までみたいに時折隠すこともせず、ぼろぼろといくつもの涙の筋を作り、キラキラと波とは別に水面を揺らしていく。
子どもらしく、腕で力任せに自分の顔を拭い、波に負ける声が店主の耳をかすめる。
「なぁに?」
少女と同じように、海に浸かっているはずの店主なのに、その服はどこも濡れていなくって、まるで店主を避けるように波が引いていく。
「ーーーーしたい……」
「自信持って、大丈夫だから、大きな声で」
一瞬、波の満ち引きが止まり、満月の明かりが海を照らす。
風が止まり、まるで切り取られた空間が彼女の声を響かせた。
「みんなと仲直りしたい!」
瞬間、少女の腕に抱かれていたアルバムが、眩いばかりの光を放った。
その光は少女を包み込み、だんだん大きくなって、店主と、そして少女と彼女とその周りすべてを包み込み、消えた。
バサリと音がして、波打ち際の砂浜に、一冊のアルバムが落ちた。
最初に見た時のように突き刺さるそれを、店主がそっと拾い上げる。
三度目の表紙を捲る行為をして、ゆっくりと眺めていき、あっと言う間にやってきた最後のページ。
そこにはーーーー。
「マナ! マナ! 本当に、本当にごめん。あなたの未来まで奪うつもりはなかったのに、本当に、ごめん」
波打ち際に両膝をつき、子供ように大声で泣き喚きながら崩れ落ちそうになって、店主は彼女の腕を支えた。
持っていたはずの花束は海に流されて、月に吸い込まれるよう。
「さぁ、笑ってあげなきゃ」
「でも……」
「マナちゃん? のお願いごと、叶えてあげるんでしょ?」
手にしていたアルバムを彼女へ開いて渡すと、ついてもいない砂を払い、店主は背を向けた。
「なっ、なんて事を……」
せっかく腕を引いて立ち上がらせてあげたのに、彼女はまた泣き崩れるように砂浜に突っ伏し、大声で泣いていた。
「……エイ」
離れていく店主の横を、何人もの女性が通り過ぎる。
それぞれに花束を持ち、砂浜にはまる足を気にもせず進んでいく。
そのまた後ろに、二人の男女が立っていた。
二人の内の女性は泣いていた。
その泣き顔は先の少女の面影に似ていて、今にも泣き崩れてしまいそうだった。
開かれて砂浜に落ちたアルバム。
そこは最後のページ。
可愛らしい満面の笑みを浮かべた、泣いてなんていない少女と、少女を取り囲む様に楽しそうに幸せそうに彼女たちも笑う写真。
【楽しいこと、嬉しいこと、悲しいことも馬鹿なことも、いっぱいいっぱい一緒に出来て良かった! どうか大好きなみんなが、これからもっともっと幸せになりますように、もう私のせいで、泣きませんように】
「私は、私たちは、本当に許してもらってもいいのっ!!」
エイと呼ばれた女性は、また大声で泣き叫んだ。
満ちては引き、満ちては引いていく波が、そんな声を引き込んで行く。
それはまるで、もう大丈夫。
そうさっきの少女が話してくれているように。
白い本が沢山並ぶ本棚の間で、今日も店主はご機嫌そうによくわからない歌を歌う。
新しく増えた色のついた本を手に、表紙を撫でる。
そこには美しい海を背に、二人の女性が笑っている。
「友情かー。人数が増えれば問題も起きるのかなー、相手を思いやるのも友情なのかなぁ、難しいなぁ。僕にも友達がいたらこんな風に…………寂しいこと言うなよー」
ひとり突っ込む店主は、いつかの夢を思い描いて本をしまう。
「アルバムは人の気持ちを表す本、なーんていうのかなー。ほーん♪ ほーんは~」
何度目かのよくわからない歌を口ずさみ始めた時、店の扉が久しぶりに開かれた。
「いらっしゃいませー、ようこそ……あら? あなたは」
白く美しい少女が、今度は上から下までちゃんと真っ白なワンピースをまとって、そこに立っていた。
もう泣いてなんていないその表情は、どこか恥ずかしそうで緊張しているようでーーーー。
「あの、人手がいるからとお聞きして……」
「あぁ、アルバイトさんですね、どうぞどうぞ」
飛び交う本の間を、サラリと交わして入口まで来た店主。
小さな少女は見上げるようにして、心の底から湧き出すような、美しく可愛らしい笑顔を浮かべた。