⑤現実を拡張して!
「つ……疲れた……」
『お疲れ様ですご主人! それでこそ下僕!』
怒る気力もない。
全ての段ボールを部屋へ運び終えた時には体力が限界を迎えていた。
一体中身は何だ? とても重い……機械でも入ってるのか。
『早速準備に取り掛かりますかね~』
「準備って……何だよ……?」
『むふふふふふ……お楽しみですよ』
PC内のハヤナは妖艶に笑い、一つのプログラムを起動させる。
画面に表示される青白いメニューと“アカシック・コーデックス”と名付けられたタイトル画面。
「もしかして……ゲーム? もう新作作ってたのか!?」
『いえ、新作ではありません。私が過去に制作したものです……日の目を見ることはありませんでしたが」
そう言葉を紡ぐ少女の表情はどこか寂しげ。
『昨夜、このゲームのエンジンを再利用してとあるモノを作りました……ご主人、⑥の箱を開けて頂けませんか?』
「いいけど……」
大人しく指示に従う。
段ボールにはそれぞれ番号が記載されたシールが貼られており、全部で12個。送り主や送り先の情報はどこにもない。不思議。
⑥の段ボールを開けると、中には……なんだこれ、VRデバイス?
『ちっちっち……ARやVRはもう時代遅れです。これからは……そう! MRが覇権となるのです!』
MR……確か拡張現実(Augmented Reality)と同じ、現実世界の映像にCGを合成した表現手段。
ARとの相違点は、眼前の表示パネルを通して現実世界が透けて見えるということ。
ゲームへの没入感はVRに劣るが、現実とのリンクで様々なギミックを楽しめる。
「でもMRは失敗したんだよな」
『そ、そんなことはありません! 今は反撃の隙を伺っているだけですので!』
ハヤナは認めないつもりか。
だが現実、MRデバイスは失敗した。
採用された映像の表示方法は網膜投射というものだ。眼球内の瞳に直接映像光を照射、網膜自体をスクリーンにすることで結像させる。このシステムならどれだけ視力が悪い人でも裸眼で利用できる。
失敗の原因はその価格か。
世に放たれたVR対応HMDが完全なディスプレイデバイスであったのに対し、MR対応HMDはコンピュータを搭載していた。これにより表現されたCGが遅延もズレもなく現実に張り付いたが、価格が跳ね上がってしまい一気に廃れた。
もちろん網膜投射システムそのものにも欠陥はあるが……。
『それよりご主人、早速電源を入れて繫いで下さい! 設定はこちらでやりますので!』
「はいはい……」
言われるがままに電源ON。
ついでに同梱ケーブルをデバイスとPCに接続。
『やんっ……』
「…………」
何も言うまい。
『同期問題なし……インストール完了! ではご主人、装着してみて下さい!』
「早いな!?」
『つっこみはいいですから早く早く!』
急かされ渋々承諾。
しかしVRデバイスを所有していない俺は正直ワクワクしていた。
これからゲームでもプレイさせるのか?
……あれ、こいつソーシャルゲームで天下取るとか言ってなかったっけ? まあいいか。
だが。
網膜に映されたのは予想だにしなかったもの。
「な……っ!?」
小っちゃなスマホの中ではなく。
薄っぺらいモニタの中でもなく。
『えへへ……』
拡張現実の中で彼女は笑う。
『どうですか? ご主人……ちゃんと見えてますか?』
「あ、あぁ……」
触れれば触れそうなほど目の前に。
現実と間違えそうなほどくっきりと。
ハヤナはただそこにいた。
『……ぃいよっしゃあ!! テストは成功です、後はプログラムをビシビシ改良していきますよ!』
「うおっ……うるせえ!」
一体化しているスピーカーが激しく振動。
なんだテストって……もしかしてMRデバイスに身を移すテストか?
『うるさいのはご主人です! 水を差さないで欲しいんですけどー?』
「てか散々期待させておいてこれだけか!? 何かプレイさせろよ!」
あれだけの肉体労働の対価がこれだとは……現実が更に浸食されただけじゃないか!
『はぁ……ご主人は嬉しくないのですか? 美少女AIハヤナちゃんが現実世界に降臨したのですよ? このデバイスを装着していればいつだって等身大のハヤナちゃんに会えるのです……嬉しくないワケがない』
「嬉しくないっつの! 犬を見る目で俺の頬をつねるお前を見てると、例えCGだと分かってても苛つくわ!」
『なっ……! それは犬さんに失礼ですよ!? 私はもっと低俗なものを見る目で……ボルボックスとかどうでしょう!?』
「肉眼で見えるか!……見える種もいたっけな」
ルーセレティは肉眼で観察できたな。
それはともかくボルボックスに失礼だ!
『まったく……口答えするのもほどほどにしておいて下さい』
わざとらしく溜め息を吐き、拡張現実のハヤナは近づいてきた。
『ご主人……顔はそのままで。まだセンサーが十分ではないですが、これくらいは出来るんですよ?』
言ってから俺の視界を移動し、隣に寄ってきたところで姿を消す。
網膜照射デバイスはそのシステムの関係で、眼球移動の際に映像が消失するといった欠点を持つ。ついハヤナを目で追ってしまったことでそれが起きたのか?
『……えへへ』
微かな笑い声が右耳を撫でる。
『……ご・しゅ・じ・ん』
「……っ!?」
それは鳥肌というべきか。
それとも寒気と呼ぶべきか。
やけに臨場感のある甘い吐息。
思考は完全に停止した。
『ぷっ……あははははは! 顔真っ赤ですよご主人!』
「なっ……なっ……!?」
『ぷぷっ……やはり童貞には刺激が強かったようですねえ? いやしかし面白いデータが取れました、次はやはりセンサーを……くくっ……あの顔はたまりませんねえ……』
「……うるせえええええ!」
勢いよくデバイスを取り外したのは恥ずかしかったからだろうか。
だがすぐにPCへ移動した少女は微笑む。
『一緒に【新コレ】を見ましょうか、ご主人!』
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