曇りのひととき
次話投稿です。
練習作ですが、ちょっとだけ続きます。
座卓に向かい、僕は深いため息を吐いた。
今日の天気はすっきりとした快晴なのだが、僕の心の中は、もやもやと霧がかかったようだ。
懸念の中間テストも無事終わり、他の学生達は解放感を得ている頃だろう。
僕自身も同じように、テスト勉強の疲労を取っていた筈だ。
そう、“筈”だ。
「さぁさぁ、早く横になるのですよー!」
「……ねぇ。君はいつになったら、順序立てて説明するっていう事を覚えるの?」
これである。
このあいだ彼女に耳かきをしてあげてから、暫くはこうした強襲……もとい、訪問は鳴りを潜めていた。
きっと漫画を描く作業に没頭しているのだろうと、あるいは他の誰もと同じようにテスト勉強を行なっているのだろうと思い、安心して一人の時間を過ごせていたのだが。
テスト期間が終わった途端、こうして僕の部屋に押しかけてきたのだ。
今も座布団に鎮座して、急かすように僕の右手を引っ張ってくる。
その様子は、まるで「散歩に連れてけ」と玄関へと手を引く犬のようだ。
文句を言っても無駄だろうと諦観の念で一杯だが、それでもため息を吐かずにはいられない。
「えー。このあいだからの流れで、何となく予想つきそうなものですよ? 相変わらず――」
「ニブイって言うんでしょ。はいはい分かったから、そのニブイ僕でも理解できるように説明してくれないかな」
「分かりました。努力してみます」
ふと見ると、何処となく彼女の表情が硬いように見えた。普段は能天気に振る舞っているが、何か問題でもあったのだろうか。
(因みに、既に彼女はさも当然のようにお茶菓子の煎餅を頬張っている。この膨らんだほっぺたを引っ張りたい衝動に駆られるものの、辛うじて堪えた)
「えーとですね。このあいだ耳かきをしてくれたでしょう」
「そうだね。してくれたっていうか、半ば強制じみてたけど」
「失礼ですね、私はそんな強引じゃありませんよ。……で、それはともかくです。あの後漫画を描いててですね、ある問題に直面したのです」
「……問題って?」
彼女は「実は……」と前置きをして(ついでに、僕の緑茶を横取りして)から、僕の顔を真っ直ぐ見つめてこう言った。
「実は……私は『耳かきをする側』について、何一つ知らない、という事に気付いたのです」
「それ、そんな深刻そうに話す事かな?」
「な、し、失礼ですね! この知識を持っているといないのとでは、情景描写とか、心理描写とか、キャラクターの振る舞いとか、色々影響が出るのですよ!」
あまりのくだらなさに目眩を起こしそうだが、当の彼女は顔を真っ赤にして僕の肩を揺さぶっている。どうやら彼女なりに悩んでいるようだ。
まぁ、リアリティという点に拘る彼女にとっては、なかなか重要なのかも知れない。
再び、僕は深い深いため息を吐く。
「で、じゃあ何? 僕にその『耳かきする側』について取材でもしようって?」
「いえ、違います。私に耳かきをさせて下さい、って事です」
そういうと、彼女は懐から耳かきを取り出した。それは、いつぞや彼女から押し付けられた安物の耳かきで――
「ちょっと待って。それ、確か僕が机の引き出しにしまっておいた筈なんだけど」
「ああ、これですか? はい、その場所に入っていましたので拝借しました」
「漁ったの? ねぇ、僕の部屋を漁ったの? しかもいつの間に……」
「細かい事はどうだっていいじゃないですか。 さ、じゃあ私の膝へ横になって下さい」
彼女がここまで押しを強くするのも珍しい。眼前の菓子に手を出す事こそ日常茶飯事だが、無断で他人の部屋を漁る行為はここ最近無かった筈である。
これではプライバシーもへったくれも無い。流石にこれは苦情のひとつも言わないと気が済まない。
だが、彼女は「さぁさぁ、早くして下さいー」と言いながら僕の腕を引っ張り続けている。そんな所作に心臓の鼓動を速めてしまう自分が憎らしい。
彼女がこんな状態では、とてもこちらの話を聞いてくれる余地などありはしないだろう。
絶対、後で腰を据えて話をしようと固く心に誓い、僕は彼女へ向き直る。
ただし、それは彼女の希望を了承したからではない。
「ねぇ。それって僕が被験体じゃないと駄目なの? 君の家族とか、他にも承諾してくれそうな人はいると思うけど」
「なんですか、私に耳かきされるのが嫌なのですか?」
「まぁ、嫌っていうか……僕も忙しいし、他にも色々やる事あるし……」
彼女は小首を傾げて、僕の瞳を覗き込んでくる。それから目を逸らし、適当にはぐらかす。
「えー。大丈夫ですよ、ほんの十分くらいですから、そんなに時間かかりませんよ」
「いや、時間の問題じゃなくて、その、僕は耳かきされるのが嫌いなんだよ」
「へ、どうしてですか?」
「えーと……他の人に耳を触らせるのって、あんまり……」
言葉を濁すと、彼女は顔をこちらに近付けて、
「心配ありません。他の人っていいますけど、私と貴方の仲じゃないですか!」
「別に、たいして親密でもないと思うけど……っていうか顔近い……」
何とか誤魔化してみようと試みるも、どうにも彼女は引く様子を見せない。
致し方ない。
覚悟を決めて、僕は首を縦に振る。
「あぁ、もぉ。分かったよ。耳かきされればいいんでしょ?」
「おー、分かってくれるのですね! やーやっぱり持つべきものは君ですよ!」
かなり不本意ながらそう告げると、待ってましたとばかりに(にぱぁっ)と彼女の表情が明るくなる。目線を合わせるのがつらくて、僕はそっと目を逸らした。
「じゃ、そうと決まれば早速横になって下さい」
「ちょ、引っ張らないで引っ張らないで」
そういうが早いか、彼女は僕の腕を取って半ば強引に膝の上へ安置する。予想外の柔らかさを持つそれにドキッとしながらも、ふとある疑念が浮かぶ。
「ねぇ」
「何ですかー」
「君、誰かに耳かきしたことあるの?」
「嫌ですねー。全くないから、こうして君を実験台にしてるんですよ。話聞いてました?」
「……じゃあ、やり方については知ってる?」
「勿論、ばっちり調べました」
「……そう」
彼女が「調べた」というのなら、ある程度は信用しても良いのだろう。
だが不思議と、僕の脳が危険予測のアラームを鳴らした。
今まで子どもの頃、こうして彼女のわがままに付き合った結果、酷い目に遭う事は幾度となく有った。
そうでなくとも嫌な記憶を呼び起こしそうで、不安でならない。
「……あのさ。やっぱり止め」
「さー、それじゃ始めますよー♪」
が、僕の抗議を意に介さず、彼女は鼻歌を歌いながら耳かきを手元で(くるくる)と回している。
慌てて起き上がろうとするも、いつの間にか僕の頭は膝枕では無く、彼女の太腿でがっちりとホールドされていた。これでは身動きが取れない。
彼女の膝が、まるで拘束具のように思えてきた。
「じゃ、いきますねー」
天真爛漫な笑顔を浮かべ、彼女は耳かきを構える。
僕の顔は、緊張でガチガチに強張っていた。
***
「はい、まずは耳の入り口からやりますねー」
その言葉と同時に、耳かきが僕の耳へと侵入を開始した。
急に耳へと感触が伝わり、どきっとしてしまう。入り口とはいえ、耳の内側へ触っている事に変わりは無いのだ。
これが耳の淵や耳殻から始まるのなら、少しは心構えもできるのだが。
「ゆっくり、気を付けてね」
「分かってますー。えへへ」
彼女の言葉は、いつもよりやや跳ね上がっているように聞こえる。耳かきの実験をできる事が、そんなに嬉しいのだろうか?
カリカリカリ……と素早いタッチで耳壁を掻かれる。
この感触は悪くない。悪くないのだが、少々ペースが速いように思う。
「あんまり掃除してないんですか?結構汚れてますねー……」
「う。……大きなお世話だよ」
あまり見られたくなかったので、ついきつい言葉が出てしまう。が、彼女はそれを意に介さず(聞いていないのか?)、自分の作業を進める。
テーブルに広げられたティッシュには、焦げ茶色の汚れが落とされていった。
「どうですか、気持ちいいですかー?」
「まぁ、うん」
言葉が濁る。確かに汚れは取れているのだが、素直に気持ちいいと言えない。
「じゃ、もっと奥まで入れますよ」
「もう一回言うけど、ゆっくり進めて」
「はーい」
続いて、耳かきが奥へと入れられる。ここは流石に彼女も気を遣ったのか、先程に比べると慎重に進められた。
カリコリと軽いテンポに、ゆっくりとした指遣い。これは結構気持ちいい。
若干の不安を抱えつつ、彼女の手に身を委ねようと、僕は瞼を閉じた。
が。
「大物を見つけました!」
「……はい?」
突如、上からそんな声が降ってきた。
ふと目を開けると、彼女が瞳を爛々と光らせて、僕の耳を覗き込んでいたのだ。
「大物、って、そこから見えるの?」
「はい。耳の穴を塞ぐような感じで入っています。こんなの入ってて気にならないんですか?」
「気にならないっていうか、普段の生活では問題にならないから、放っておいた」
「へー。君って繊細そうに見えて、意外とズボラなんですねー」
「はいはい。どうでもいいけど、それ、あんまり無理に取ろうとしないで」
「へ? いや、折角見つけたんなら取らなきゃダメですよ」
僕の言葉を無視して、彼女は耳かきを奥へと進ませた。彼女がいうところの“大物”に耳かきが触れると、(ゴリっ)と硬い振動が伝わる。それと同時に、微かな鈍い痛みも。
「ねぇ、ちょっと待って。今痛かったんだけど」
「んー、ごめんなさい。少し我慢してて下さい……」
「えっ」
もはや最初の「ゆっくり、気を付けて」は何処へやら。耳かきが大物を掻き出そうと差し込まれ、そのたびに(ゴリゴリ)と鈍い痛みが耳の奥から頭の後ろまでを通り抜ける。
なおも自分の手元に集中する彼女に、僕は段々腹が立ってきた。
「あのさ。そろそろいい加減に……」
「あーもう。焦れったいですね。こうなったら」
「あの、僕の話聞いてる?」
僕の言葉は耳に入っていないらしい。その状況に、昔の嫌な記憶がいくつも蘇ってくる。
そんな僕をよそに、彼女は懐から銀色に光る細長い物体を取り出した。
ピンセット、しかも先端が緩くくの字に曲がっているタイプだ。耳に入れるには少々大きなタイプだが、そこら辺は分かっているのだろうか?
「ちょーっと痛いかも知れませんよ」
「ちょっとっていうか、痛っ、もう既に痛いからね?」
分かっていないらしい。
これから始まる行為にぞっとしたのもつかの間、それは容赦なく僕の耳へと差し込まれた。
デリケートさの欠片もないようなサイズと指遣いで、耳壁のあちこちにぶつかる。そのたびに(チクチク)と痛みが走る。
反射的に体がビクッと動いてしまい、それで余計にピンセットが耳壁へ当たるという悪循環。
ただひたすら、早く終わってくれと祈るばかりだ。
やがて大物に辿り着いたそれは、標的を掴もうと何度も開閉を繰り返す。
「んー……上手く取れませんね……」
「―――~~~っ!!」
ピンセットが耳の中で暴れ、痛みで思わず体が跳ね上がりそうになる。だが、僕の頭は彼女の太ももでがっちり固定されており、身じろぎひとつ出来やしない。
やがて彼女は大物を掴んだらしく、「よしっ」と小さく呟いたのち、一気にそれを引き抜いた。
瞬間――例えようもない痛みが稲妻のように耳を駆け巡り、それは頭や背骨まで(ビリビリ)と伝わった。強く固着された耳垢を、力任せに引っ張ったせいだ。
痛い。
痛い痛い痛い!
僕はなりふり構わず大声で叫び、ありったけの力を出して暴れた。
「や、え、どうしたのですかいきなり!」
驚く彼女の声が聞こえたような気もしたが、そんな事に構っていられない。全力を振り絞り、ようやく彼女の束縛から抜け出した。
僕は耳を押さえてうずくまる。痛みで(キーン)と耳鳴りのような状態になっている。
僕の中で色々な感情がぐちゃぐちゃになって渦を巻き、思わず涙がこぼれた。
彼女は、まるで理解できていないが如く、目を丸くして呆然とこちらを見つめていた。
***
「あのー、ですね……私も申し訳ないと思っているのです」
「…………」
「や、一応、このあいだ君にしてもらったのを思い出しながらー……って考えてたのですよ」
「…………」
「私も、悪ノリといいますか、つい熱中してしまって、ですね……だから、その」
「…………」
「ご、ごめんなさい」
半泣きになりながら土下座する彼女を尻目にしつつ、片耳を押さえていた。
今も僕の片耳は痛みで疼いている。
先程から彼女は謝罪の言葉を述べているが、それを聞いている余裕など有りはしない。
彼女がらみの厄介事で、こんなに痛い思いをしたのは久しぶりだった。
お互い成長してからは、ここまで痛みを伴うような行為に巻き込むなんて事は無くなっていたのだが。油断していた。
それも含めて、色々なトラウマが堰を切ったように溢れている状態なのだ。
耳かきをされるのが嫌だ、と言ったのに。
気を付けて、とあれほど言ったのに。
「うう……」
ふと彼女を見遣ると、涙をためて潤んだ瞳をこちらに向けていた。まるで捨て犬のような顔をしている。
そういう顔をされると、まるでこちらが悪い事をしているかのように思えてしまう。だが、それとこれとは話が別だ。
「帰って」
「うっ」
僕は射抜くような視線を、容赦なくぶつける。
それに威圧されたのか、すこしビクッと跳ねたのち、がっくりと肩を落としてしまった。
普段と違い、やけに気を落としている。流石に彼女も思う所が有るのだろう。
「……ごめんなさい」
そう一言置いて、彼女はのろのろと部屋を出て言った。
去り際に「こんな筈じゃなかったのに……」などと呟いていたが、それは僕の知った事では無い。
苛立ちと、それとは別のもやもやした感情を抱えたまま、僕はその姿を見送った。
いつの間にか、快晴だった空は雲で覆われていた。
***
「はぁ……何をやっているんでしょうか私は……」
彼の部屋を出てから、私はすっかり意気消沈していた。
当初の目的も果たせぬまま、逆に彼を怒らせてしまった。幼いころから一緒にいるが、ああも怒った姿は見た事が無い。
もう望みは無いだろうか。
何をすれば、償いになるだろうか。
否、そんな機会などこの先あるのだろうか。
私らしからぬ弱気な発想で頭がいっぱいになる。
「どうしましょう……」
そんな私の手には、一枚の紙が握られていた。
私の悩みは、まだ解決しそうにない。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
御意見、御感想など頂けましたら感謝致します。




