秋のひととき
練習作として書きました。
お読みいただいて、少しでも楽しんで貰えれば幸いです。
「えっと。もう一回言って貰えるかな?」
「だから、耳かきをして欲しいのです。膝枕付きで」
「また突拍子のない事を言うね君……」
唐突な幼馴染の発言に、僕は目頭を押さえた。
10月の中盤。今日は風がとても強く、誰もが家から出ないであろう天気だというのに、彼女は急に自宅へ押しかけてきたのだ。
中間テストに向けて勉強中だった身としては、なかなかありがたくない訪問である。
当の彼女はというと、僕の事情も、強風で乱れた自らの髪も意に介さない様子でいた。
座布団に(ちょこん)と乗せた体をこちらへ向け、小首を傾げている。
「え、なんですか最初っから説明が必要ですか? ニブいですねー相変らず」
「うん。悪いけど、君の思考回路は僕と違う次元を生きているからね。順序立てて説明して貰えると嬉しい」
「何やら馬鹿にされた気分ですが、良いでしょう。最初から説明してあげます」
ビシ! と僕の鼻先に指を突き立て(指差して、ではない。爪が刺さって地味に痛いのだが)、彼女は再び口を開いた。
このような言動に、僕は昔から振り回されている。「思い立ったらすぐ実行」をモットーにしている彼女らしいといえばそうなのだが、少しは巻き込まれる側の身にもなって欲しい。
「まず、私が漫画研究部に入っている事は知っていますね?」
それは知っている。
彼女は中学に入った辺りから漫画の魅力に憑りつかれ、高校生の今となっては自ら漫画を描くまでになっていたのだ。
尤も、本人いわく「成果は芳しくない」らしい。
生憎と僕には、漫画の良し悪しが分からないので、何ともいやはやなのだが。
「はい。それが分かっていれば話は早いのです。そこで私は、短編の恋愛モノを書こうと思っているのですが……」
「のですが?」
「のですが……あ、ちょっと待って下さい」
ここで彼女は一旦会話を切って、卓上の紅茶を一口飲んだ。や、それ僕が飲もうとしてたやつ――
「……ふう。落ち着きました。で、それで作品を書くにあたって、私はリアリティが必要だと思うのです」
「そりゃ、まあ、そういうのって大事だろうね。でもそれじゃ恋愛したことない君に恋愛小説って」
と僕が言った瞬間、彼女は何故かそっと目を逸らした。つぶらな瞳が泳いでいる。思うところでも有るのだろうか。
「そこは、そう、間に合っているから大丈夫です」
「大丈夫って……それはそれとして、そのリアリティと耳かきと何の関係が?」
「ええ、そこで本題に入るのです。っと、また失礼」
今度は袋詰めのクッキーを食べ始めた。それも僕が買ってきたやつだが、もはや何も言うまい。
基本、抗議に類する言動は彼女に効果が無い事を、長年の経験でよく知っている。
まるでリスの如く(もきゅもきゅ)と頬一杯にクッキーを入れる彼女を見て、僕は思わずため息を吐いた。
そんな僕の仕草を怪訝そうに見ながら、彼女はクッキーを飲み込んで話を続ける。――きっと僕の心中など、察してすらいないのだろう。
「それでですね。作品のワンシーンで、ヒロインが彼氏に耳かきをして貰う場面があるのです」
「あぁ、そういうのってよくあるシチュエーションだよね。二人のスキンシップ的な感じのやつ」
「はい。で、そのシーンを描くにあたって、やはり実体験が必要だろうと!」
何故か彼女はぐっと拳を握って、こちらへ力説する。
肝心の恋愛については実体験なくて大丈夫なのだろうか?と思ったが、敢えて聞かない事にしよう。
「……つまり、僕にその耳かきをして貰おう、と。そういう事だね?」
「その通りです。で、引き受けてくれますね?」
そう言って、キラキラと輝く瞳を向けてくる。
こちらは勉強に集中したいのだが、嫌だと言って通用する相手では無い。
それに、耳かき程度ならせいぜい10~20分しかかかるまい。渋々ながら承諾する。
「いいよ。その代わり、あんまり上手じゃないけど文句言わないでよ」
「やった!いやー他に頼める人が居なかったのですよ。えへへ」
にへら、と顔を綻ばせてそのように言う。そんな仕草に一瞬ドキッとするも、頭を左右に振って雑念を払う。
「……あとで勉強、手伝ってよ。今度のテストは落とせないんだから」
「はいはい、それくらいお安い御用ですよー。君の脳を魔改造してあげちゃいますからね」
「……魔改造ってなに」
そう言葉を交わしつつ、耳かきを探そうと腰を上げる。
と、彼女が懐から細い棒を取り出した。新品の竹耳かきである。
「あ、用意してたんだ」
「もっちろんです。君に耳かきを頼もうっていうのに、肝心の物が無いわけがないでしょう」
ふふん、と何故か胸を張る彼女から目を逸らし、自らは姿勢を整えて正座に組み替える。そして膝を(ぽんぽん)と叩き、合図を送った。
すると彼女は、わくわくした表情で僕の膝に(ころん)と頭を預けてくれた。その顔は、まるで新しいオモチャで遊びたくてたまらない子供のようだ。
膝越しに、彼女の重さと体温を感じる。心なしか心臓の鼓動が早くなる。
「……あれ、案外固いんですね」
「そりゃまぁ、僕は男だし。肉付きがいいってわけでもないからね」
「ふーん」
ひとに膝枕をさせておいて、その膝に文句を言うのは止めて欲しい。
不満げに口を尖らせる彼女を無視して、僕は手にした耳かきを眺める。オーソドックスな――百円均一ショップに並んでいるような――竹耳かきだ。後ろに梵天も付いている。
これで、彼女の耳を。
そう意識した途端、かぁっと顔が熱くなった。理由はさっぱり分からなかったが、とにかくそれを誤魔化すように彼女へ声を掛けた。
「い、いいから始めるよ」
「はーい。よろしく頼むのですよ」
落ち着かない心境の中、彼女への耳かきが始まった。
***
左耳へ手を添える。
耳かきとは言っても、いきなり耳の奥へ匙を入れるような真似はしない。まずは耳の表面を耳かきのヘラで押す。軽いタッチで押すように、突くように。程よい刺激で、緊張をほぐすのだ。
「へー。最初はそういうところから始めるんですね」
「うん。いきなり奥まで突っ込んだらビックリするから」
そう言いながら、耳全体を丁寧に押す。ツボ押しも兼ねての刺激だ。そちらの効能はさておき、これだけの行為でもリラックス効果はある。
ひとしきりそれを行なった後、今度は耳たぶを摘んで(くにくに)と揉む。決して強い力を入れず、優しい指遣いを心掛ける。
軽く外側へ引っ張る。(コキッ)と、首筋から肩まで伸ばす。彼女の口から「あ……」と呟きが漏れた。
これが意外と凝りに効く。
特に彼女は漫画の執筆などで、長時間机に向かって同じ姿勢でいる事も多いだろう。そういう場合、首や肩が凝るのだ。
それが終わると、いよいよ耳かきで耳の溝をなぞり始める。(すーっすーっ)と滑るように、耳かきで耳殻の汚れを落として行く。なぞられた箇所が生き返ったようなピンク色に変わり、匙の先には灰色の耳垢が乗せられた。
「どう、痛くない?」
「……うん。繊細な手つきで、全然痛くないです」
「そ。なら良かった」
「まるで君の性格そのものみたいですよー」
「……それはどういう意味?」
「ふふ。ないしょです」
会話の最中も、細やかな手つきで汚れを削ぎ落としては手近のティッシュで拭き取る。ふと目線を彼女へ向けると、日向ぼっこをしている猫のような表情をしていた。
両の膝に感じていた彼女の重さが、段々と強くなる。
耳の襞、その奥まで(くりくり)と丁寧に掻きなぞる。そんなところまでは日常的に手入れしない。その分、気持ちよさもひとしおだろう。
おおよその汚れを取り去ると、ウェットティッシュを取り出して耳を綺麗に拭った。ひんやりした感覚が彼女に触れた瞬間「ひゃんっ」と声を上げた。
「あ、ごめん。びっくりした?」
「は、はい。少しだけ……」
そう答えた彼女の横顔は、微かに上気しているように見えた。急な事で驚いたのだろうか?
今度は気を付けつつ、丁寧に耳を拭う。
「じゃあ、中に入れるね」
「はいー。お手柔らかにお願いするのですよ」
「ん。頑張ってみる」
その宣言とともに、耳かきを穴へ侵入させた。
最初は入口辺りから。(コリコリ)と小刻みのタッチで耳垢を除去する。強すぎず弱すぎず、絶妙な力加減で刺激しじわじわとした快感を呼び起こす。
乾いたタイプの耳垢が少しずつ取れていた。
「汚れていますか?」
「ううん。全然。まぁそもそも耳って、そんな頻繁に掃除しなくってもいいくらいだからね」
「あ、そうなんですか」
他愛もない言葉を交わしながら、耳掃除が進められる。
彼女へと視線を落とすと、柔らかな表情を浮かべていた。どうやら耳に意識を集中させているようだ。
だが、よくみると口の端は(ぴこぴこ)と小刻みに震えている。
僕には、彼女の気持ちが手に取るようにわかった。入口辺りのかゆみが取れると、今度は奥がかゆくなってくるのだ。
だがそんな彼女をよそに、耳かきは決して奥へ踏み込ませず入口だけを掻き続ける。
じっくりと作業を進める。
やがて小刻みな震えが指先へ、足先へと伝播してゆく。彼女はむずがゆそうに肩を揺らした。
そんな微電流のようなもどかしさが臨界点に達するかと思われた瞬間
耳かきを奥へと滑り込ませ、(じんじん)と悲鳴を上げる耳壁を擦り上げる。
今の今まで物欲しげに蠢いていた彼女の唇が、「ひゃぁん」と艶のある声を漏らした。
「ん、痛かった?」
「だだだ大丈夫です?! 何でもありません」
「……本当に?」
「何でもありませんったら!」
彼女は目元にうっすら涙を浮かべ、顔を真っ赤にしている。そんなつもりは無かったのだが、少々、意地悪をしてしまっただろうか。
お詫びの言葉を述べる代わりに、(カリ、カリ……)とかゆい部分を的確に刺激してあげる。耳かきで掻くたびに、彼女の口から切なげにため息が漏れる。
先程とは種類の異なる微電流が、体中を駆け巡っているのだろう。
その横顔は、焼いたマシュマロの如くどろどろに蕩けきっていた。
そうして暫く、彼女の身も心も満たしてあげる。
「うん、汚れは全部取れたよ」
「もぅ……終わりですか……?」
「そうだね。最後に仕上げを――」
(ふーっ)
「はひっ」
そっと、耳元に息を吹き掛ける。不意打ちで仕掛けたせいか、彼女は上ずった声を出した。
意識が溶けていた彼女にとっては、やや刺激が強すぎたかも知れない。
「な、な、な、何をっ」
「何って、仕上げ」
「そんな事も無げに言わないで下さいっ!」
遊ばれた事に抗議するように、彼女の眼はこちらを睨みつけている。だが、それを柳に風と受け流す。
「はいはい、これで左は終わりだよ。次は反対側を――」
そう言いかけたが、ふと彼女の顔を窺うとその瞼は重たげに下がっていた。
やがてそれは完全に閉じ切り、口からは安らかな寝息が聞こえ始めた。
「……仕方ないな」
僕はため息を吐きつつも、彼女を起こさないようにしつつその髪をそっと撫でた。
***
「あのさ。そろそろ日が暮れちゃうんだけど」
「――ひゃいっ!?」
既に夕日が深く沈む頃。
あの後、ずっと彼女は気持ちよさそうに眠ってしまっていた。
だが、流石にこのまま眠らせておける時刻でもない。僕は彼女の肩を揺すり起こしたのだ。
「あー……すっかり寝てたんですね」
「うん。僕の脚も痺れてきたし、いい加減どいてくれると助かる」
「ってそうですね、失礼しました」
慌てた様子で彼女は体を起こす。やれやれ、やっと解放された。僕も強張った体を(ぐぐっ)と伸ばす。
「やー、それにしても随分と気持ちよかったですよ。一体どこでこんな技術を憶えたんですか」
「別に、大した事じゃないよ」
不思議そうにこちらへ問うてくるが、適当にはぐらかして僕は立ち上がる。わざわざ教えるような事でも無いし、仮にそうするにしても今日は遠慮したい。
「さ、もう帰りなよ。天気悪いんだし、家まで送るからさ」
「いえいえそれは悪いです。どうせ家まで数mもないんですから」
「そう? ならいいけど、気を付けなよ」
「はい。気持ちだけ受け取っておきます」
そう言った彼女は、どこか僕の問いかけに対して上の空だ。
彼女は立ち上がって小走りで玄関へと向かう。その様子から察するに、きっと何か漫画に関わるインスピレーションを得たのかも知れない。こういうときは、彼女の好きにさせるのが一番だ。
「漫画が描きあがったら、一番に読ませてあげますね」
「はいはい。あんまり気にしなくていいよ」
玄関口で靴を履きながら、彼女はそう言った。が、今の彼女がその言葉を憶えているかどうかは、期待できない。だから、あまり気にしない事にする。
と。そこで、まだ彼女から耳かきを預かっていた事を思い出した。
返却しようと差し出すと、そっとそれを押し戻される。
「あ、それは差し上げます。今回の御礼ってことで」
「僕もう自前のを持ってるんだけど」
「まぁまぁ気にしない気にしない」
そう言うと、彼女は身なりを整えてこちらへ振り返る。その表情はどこか晴れ晴れとしたような、そんな印象を持たせた。
「じゃ、またよろしくお願いしますね」
「ん。またね」
玄関のドアを勢いよく開けて、彼女は走り去った。
さて勉強の続きをしようと踵を返した刹那、ふと手元に残された耳かきを見詰める。
……『またよろしく?』
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
ひとつひとつの描写が、体感でイメージできれば何よりです。
御感想、御意見などいただけましたら感謝致します。