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VAFシリーズ

Whiteout

作者: 濱野乱



スノーマンという種族がいます。

大きな雪玉が二つ上下に乗った、雪だるまのような容姿をしていますが、れっきとした冬の精で、意志を持ちます。

動きはなまくら、性格は至って温厚で、人に害をなすことはありません。

ところがこのスノーマン、人間に乱獲され、今や稀少種となっています。 

それは彼らが命を落とした際に、スノウパウダーという結晶を残すことが原因なのです。

スノウパウダーは、白くさらさらとした塩と見分けのつかない粉です。舌に載せると、すぐに溶けて消えてしまうので味はよくわかりませんが、これを料理の隠し味に加えると、あら不思議。

どんな不器量ものが作った料理でも、三千世界を探しても見つからない至高の料理に早変わり。

この素材の最大の特徴は、決して元の料理の味を変えないことにありましょう。

変えるのは人の心。

スノウパウダーの入った料理を口にしたものは、我を失い、料理を作った者の意のままになると言われています。

思考を奪う至高の料理。夢を現にしたいうつけものにうってつけの料理が完成するのでした。

媚薬の筆頭としてスノウパウダーは大人気でしたが、それも過去の話。


今や禁猟区が設けられ、スノーマンは手厚く保護されています。


幸福な被害者も不幸な加害者も、平等にその山の場所を知ることはありません。


人里から離れた峻嶺を持つ山々は原初から、その地に根をおろしていました。


山肌は白粉をはたいたような雪に覆われ、風の息吹に煽られ、不機嫌そうでした。

山裾に広がる森林地帯には雪がくまなく積もり、白兎が威勢よく闊歩する自然の庭です。


枯れ木の根本に”彼ら”がいます。近づいてみましょう。


南天の実が、彼らの目です。折れた枝が、彼らの腕です。

静かに時が流れてゆきます。彼らは時間を知り、自身の存在が刻一刻と減じてゆくのを感じ取っています。


雪解けまでが彼らの命の期限、スノーマンとは刹那を生きる種族なのです。

ニ体のスノーマンが並んでいると、まるで子供が作った不器用な創作物のようでした。


「風がやんだな」


スノーマンがおもむろに言いました。


「いいことじゃないか。来年の眷族は仕込み

終わったのだから」


スノーマンは雌雄同体で、雪の結晶にスノウパウダーを注入することで、眷族を作ります。その結晶は地面にとけ込み、来年、新たなスノーマンとして生まれ変わるのです。


「……、おーい」


どすんどすんという重たい音を立てながら、別のスノーマンが近づいてきます。表情はわかりませんが、まるでスキップするように跳ねるので、喜びを露わにしているようです。

ところが、

「おい、あいつが来たぞ」

木の側にいるニ体が、暗黙裏に言葉を交わします。

「あっち行けよ」

素っ気なく、確かな拒絶に、スキップも止まりました。

「お前はスノーマンじゃないじゃないか。タルタルソースの精」

そう、彼こそはスノーマンではなく、タルタルソースの精なのです。

スノーマンも、タルタルソースも系統図を辿れば同じ祖先にたどり着きます。伝説の白鯨、モビーディックを頂にどこをどう間違えたのか、末端に彼らがいます。つまり遠い親戚同士に当たるのですが、彼らの仲は険悪でした。


「タルタルソース風情が話しかけてくるんじゃねえよ」


「何を!? 馬鹿にするなとあれほど……」


「不純物混じりが言うことか!」

と、まあ不毛な言い争い延々と繰り返すのは歴史の悲劇と言えるでしょう。タルタルソースもスノーマンも見た目は変わらないのですから。

スノーマン一体が、離れた場所で言い争いを見るともなく見ていましたが、その背後から音もなく忍び寄る者がいるのを誰も気づきませんでした。

スノーマンの胸が貫かれ、細かな粒子が飛び散りました。形を保てなくなり、瞬く間に雪と同化してしまいます。

「な、なんだ!?」

スノーマンを破壊したのは、まだあどけなさの残る美しい少女でした。アッシュブロンドの髪をゆるくツインテールにし、新雪にも負けない白い肌は、しもやけで少し赤いです。小柄な体に、キャメルのダッフルコートを着ています。

突然の凶行に、スノーマンとタルタルソースは固まりますが、少女が襲ってこないのを見計らい、弾かれたようにその場を逃げ出しました。

少女は、細かく砕かれたスノーマンの欠片に指先で触れてから口に含みます。

「うま……」

甘露を味わうように、うっすら笑いました。


 2


この世界には、大きく分けて二種類の人間が暮らしています。

使う者と使われる者。

スノーマンの命を無情にも奪った少女、エチカは後者です。

生きていくためにはお金が必要ですから、エチカも働いて生活の糧を得ています。

しかし、その方法は誉められたものではありません。騙し騙され、人を傷つけることもしばしばです。

彼女が禁猟区にやってきたのは、スノーマンを密猟する仕事を引き受けたためです。スノウパウダーは高値で取引されているので、大きな儲けを狙うことが可能なのです。勿論違法ですが。

エチカは逃げたスノーマンを追いかけ、森を駆け回りました。スノーマンの見た目の割に素早い動きで翻弄され、余計な体力を使いました。

「はあ、はあ・・・・・・、チョー速い」

木に一瞬だけ映る影の軌跡を集中して追うことで、エチカは何とかスノーマンたちの動きに反応できました。

「何なんだ、あいつ。俺の動きについてくるぞ」

スノーマンが驚くのも無理はありません。雪上を滑るように高速移動できる彼らを捕らえるのは、普通の人間ではできない芸当なのですから。

エチカという少女の運動能力と、動体視力は並の人間の比ではないのです。

「仕方ない。あれをやるか」

予期せぬ襲撃者に、スノーマンは覚悟を決めました。

エチカは雪をはね飛ばしながら、急停止しました。

そこは森の中にあって、開けた空間でした。

半球型の物体が存在しています。そのドームの高さは、小さいエチカの背丈が二人分と、幅はエチカが両手を伸ばして十歩くらいありました。

えいっと、エチカは蹴ってみましたが、ドームはビクともしません。蹴ったブーツを通じて、黒ストッキングで覆われた足にまで衝撃が跳ね返ってきました。

「おーい、出ておいで」

エチカが楽しげに呼びかけますが、スノーマンは出てきません。

「遊ぼうよ。楽しいよ」

「やーだよ」

ドームの中から、からかうような声が返ってきました。

「あたしが楽しみたいから遊ぶのよ。壊しちゃうよ、こんなの」

エチカは余裕のある態度でドームの表面に両手をついて、相撲の押し出しのように踏ん張ります。

揺れるドームの中では、スノーマンが身震いしていました。

「うーむ、困ったなあ。あいつは俺の命を狙っているようだ」

「そのようだ」

「そう・・・・・・、え?」

スノーマンは、タルタルソースの精に対面していることにようやく気づいたのでした。

「何でいるの? お前」 

「いや、仲間でしょ。俺」

「いやいや、違うよ。タルタル。根本的に根元的に違うから」

「そうだな。わかったよ」

「いや、待て。やっぱり行くな」

それからタルタルは出ていきませんでした。

恐るべきエチカに食われるのが怖いのはタルタルも同じなのです。

「あの密猟者、やけにしつこいぞ。ここまでか・・・・・・」

スノーマンに闘争心はありません。言葉は悪いですが、禁猟区に守られた彼らには外的に立ち向かう意志が育つことがなかったのです。

「やれやれ、俺の出番かな」

重い腰を上げたのは、タルタルでした。

「あいつの狙いはスノーマンだ。ならば俺が出ていけばよかろう」

「しかし、お前は・・・・・」

「なあに、あいつにスノーマンとタルタルソースの区別なんかつきやしないさ」

スノーマンは、その提案を受け入れるしかありません。

可哀想なタルタルに対して、一抹の同情が芽生えただけでした。

「何故殺生をするのだ?」 

ドームの外に出たタルタルが、エチカに話しかけます。

エチカは、まだお人形遊びも抜けないような幼い少女でしたが、笑顔で応えます。

かね

タルタルは失望しました。結局、人間は金に縛られた生き物なのだと。

「・・・・・・、と言いたいところだけど、今回は私情も入ってるかな。墜としたい男がいるの」

「ほう。子供のくせに」

「彼のためなら何でもできる。あたしは強くなれる。どれだけ汚れても・・・・・・」

乙女の所信表明演説を、タルタルはせせら笑います。

「自分のためだろ? お前は自分に自信がないから、卑怯な手に縋ってここまで来た。格好つけてんじゃねえよ」

図星だったのか、エチカは憤怒に身を震わせました。

「きれいごとなんか言ってられないの! スノウパウダー寄越せえええええええ!」

エチカの怒声が森中によく響きます。

虎の尾を踏んだことを確信したタルタルでした。

「来いよ。お前が欲しいものはここにあるぜ」

エチカは雪をものともせず間合いを詰め、タルタルを破壊せんと迫ります。

タルタルが望んだのは、その交差の一瞬でした。

タルタルの口から、白い液体が勢いよくほどばしります。すなわち、エチカの顔面は白濁に染まりました。

「ひゃん、んんっ・・・・・・!?」 

エチカは顔にこびりついた液体に驚き、ひっくり返りました。白くてどろどろした粘着質な液体は目、鼻や口にまで入り、彼女の焦りを加速させます。 

「え? なにこれなにこれ、ぬるぬるする。キショ・・・・・・」

袖で顔を必死で拭いますが、糸を引く液体は油性なのかなかなか拭えません。ヨーグルトに似ていましたが、さすがの彼女も口にする勇気はありませんでした。

「もうやだ・・・・・・うう」

泣き出しそうなエチカでしたが、このくらいであきらめきれません。基本に立ち返り、スノーマン拿捕に意欲を燃やします。

タルタルの心は満足で一杯でした。彼はスノーマンとして死ぬことができます。しかも仲間を守った英雄として。生まれながらタルタルソースという宿命を背負った彼は、自身の尊厳を保つことだけが生きがいだったのです。

ところが予期せぬ事が起こります。

エチカの頭をケムクジャラの手が、真横からつかんでいたのです。

エチカの頭を掴んだのは、灰色熊です。大きさは三メートル近くある、屈強な森の猛者でした。

「ここ俺の縄張りなんだけど、なにしてんの、君」

熊が低い声で詰問すると、エチカは青ざめます。ぶらんぶらんと、振り子のようにエチカの首から下が揺れました。

「あっちでいいことしようや」

熊とエチカは、森の暗がりの中に消えました。

取り残されたタルタルは天を仰ぎます。

「どういうことだ。熊は冬眠中のはずじゃ」

「俺が起こしてきたのさ」 

なんとドームに隠れていたと思われたスノーマンが、ひとっ走りして、熊を呼んできたのです。

ところがタルタルは、納得いきません。

「余計なことをしやがって。俺はスノーマンとして死にたかった。タルタルソースの精なんてもうまっぴらなんだよ!」

タルタルの悲痛な叫びを、スノーマンは真摯に聞き届けます。

「そう言うな。俺もさっきまでスノーマンじゃないお前を馬鹿にしていたさ。でも今なら言えるね。お前はスノーマンじゃなくても、俺のダチだと」

「ダチ・・・・・・」

生まれて初めて他者に認められたタルタルは、我を失いそうになるのでした。

「お前は俺を助けた。そして俺は間接的にお前を助けた。貸し借りはなしだ。これでダチにならなきゃ嘘ってものさ」

タルタルは感極まって、少しタルタルソースをこぼしてしまいました。

「い、いいのか・・・・・・? 俺はここにいても」

「ダチに許可なんているかよ。だから俺ももう言わないぞ。さっきはありがとうな」

照れくさそうにスノーマンが言います。

タルタルは、もう溶けて消えてしまっても悔いはないと思いました。

熊が四つん這いでスノーマンたちに近づいてきます。熊の体は傷だらけになり、背中の至る所から血が流れていました。

「すまん、力になれなくて。こいつ強いわ」

息も絶え絶え言う熊の背中に、エチカが跨っています。勝者はエチカだったのです。

「今日からこの山の主は、あたしよ」

意気揚々として、スノーマンを見下ろすエチカです。どんなひどい命令をしてくるのでしょうか。

「ありったけのスノウパウダーを持ってこーい!」

スノーマン全員に死ねと言うのでしょうか。これはあまりに理不尽な要求です。 

タルタルはスノウパウダーが、エチカの期待するほどの効果はないと説明しました。噂はあくまで噂で、尾ヒレがついただけだったようです。 

エチカは話を聞くと頬を膨らませただけで、とやかく文句を言いませんでした。何か思うところがあったのでしょうか。

「仕事は終わり。あたし、もう帰る。一人分のスノウパウダーは手に入れたから」 

未練なさそうに言って、エチカは熊に乗ったまま森の敷地の外に向かいました。

「あんたたちにも友情とかあるのね。意外だった」

「普通の人間はスノーマンの言葉がわからないから、そう思うのも無理はない」

「あたしどうせ普通じゃないもん」

明後日の方を向いて、エチカはつぶやきました。

「お前さんなら、媚薬なんてなくてもイチコロだ。心配するな」 

タルタルの見え透いたお世辞に、エチカは小さく声を立てて笑います。

「バイバイ」

エチカはとことこと、林を駆け抜けていきました。先ほどまで、熊と取っ組み合いの喧嘩をしていたとは思えない華奢な背中が遠ざかっていきます。

「俺たちも帰ろうぜ」

夕方が近くなると、吹雪いてきました。

熊は冬眠に戻りに穴蔵へ。

タルタルとスノーマンは仲良く並んで、森の中へと消えていきました。


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