2 病室での通話は解禁されました
一方烏丸も、事件後原稿を提出に行ったままの高磯を探そうかと考えていた。事件の後始末で辰巳も昨日一日は寝ていなかったらしく現在シエスタ中である。とはいえ、高磯の居場所に正直検討がついている訳でもない。一日にして自分の下宿先に帰っている可能性もあるが、仲林からは未だに帰っていないと伝わっている。
さてどうしようかと悩みつつも烏丸は昨日事件が有った出版社にやってきた。事件から一夜開けたものの、原稿争奪戦の話題は巷に出回っていない。この辺りの情報統制が出版社によるものなのか辰巳達のグループによるものなのかも烏丸は知らずに居た。昨日辰巳から聞いたのは、辰巳の所属する会社(あるいは企業の連合)は今回の事件を出版社側の人間に対して揺さぶりの条件として上層部にちらつかせることで対応を済ませたということ。辰巳としては不満そうだったが、今後の高磯の活動に影響が少ないだろうとは言っていた。しかし今肝心の高磯は行方しれずとなっている。斬りつけた女性ですら名前を知ること無く事件は突発的に始まり何事も無く終わりそうになっていた。
どうしようか、と考える烏丸。その時携帯電話が古谷からの通話を伝えてきた。
「病室での通話は禁止じゃありませんでしたっけ」ちょっぴり不安げに烏丸が尋ねる。
「知らなかったのか、最近解禁されたんだぞ健康優良不良少女」通話先の声が普段道理で、胸を撫で下ろす。
「不良なら親戚に一人いるのでお貸しします、死ぬまで返却は不要です」
「2001年までに返さなくても大丈夫だったのか」
「……右腕、大丈夫ですか」
「見てくれだけ酷く見えたけど縫った人がそれなりに上手でさ。リハビリとかも大掛かりなのは不要だと」
「良かったと言ってよいかわからないですけど、少し安心しました」
「……高磯、連絡とれたか?」
「いいえ、まだ。古谷さんの方も駄目でしたか」
「烏丸サン、今回は巻き込んでしまって本当にすまない」
「介入したのは私の方ですよ」アハハ、と誤魔化すように笑う。顔を実際に合わせてたら表情でバレていただろう、と烏丸は思った。
「駅に届いた原稿は回収してくれたか」
「切られたあと遺言みたいに言ってましたね、駅で原稿を……って」
「勝手に殺さないでくれ」今度は古谷のほうが笑った。
「回収しましたよ。……2セットほど」フウ、と溜息をつく烏丸。
「…………バラバラに切り刻まれた原稿、と誤認させるために高磯の原稿の中にはもう1セットの原稿が必要だった」
「だからって、『自分のオリジナルの原稿』をわざわざ破損させて偽装したんですか」
「辰巳さん……いやお兄さんか。あの人からも聞いたけど、パソコン上にも原稿データは消されてた。僕自身の原稿はもうこの世に存在しないさ」静かな声で古谷は言う。
「原稿用紙362枚、現在修復が済んだのは45ページほどですが」何故か怒ったような口調になる烏丸。自分でも少し不思議だった。
「無駄だと思うぞ、そもそもそんなに大した小説じゃない」沈黙は驚きか、諦念か。
「教えてください、何を書こうとしたのか」古谷の言葉を無視し、つっけんどんに烏丸は言う。
携帯電話の通話時間だけが2人の間で動いていた。
「幽霊、って信じるか」
「……いつぞやの悪霊でしたっけ」
「僕達の学校には『出る』って噂があった。実際はクラスの不良少年達を懲らしめるために心霊部員がちょっとしたドッキリを仕掛けたのが初めだったらしい」一度息をつく古谷。
「どの年度か正確に絞ることは不明だったが、ある年ウチの学校から引っ越した生徒が自殺した」
「その年以降、何故か心霊部員の所属メンバーは校内での登録人数より1人多かった。部会はそれぞれが誰か分からないよう仮面舞踏会の形式で行われていたからだ」
「……一人多い部員、その人が誰かを攻撃したんでしょうか」
「分からない。イタズラ魔術師って名前だったり拾参繋ぎの星辰だったり心霊部員のメンバーが一人変わる度にその性質や名前も変化していった。だけれど有る年、僕らが高校に入るより昔の時はイジメ行為をしていた人物達を神隠しに追い込んだらしい」
「一人加わるだけで、そんなに大掛かりなことに?」
「攻撃される側の人間が集まって攻撃するってのは皮肉だけど。僕はその幽霊の所業を集めて一遍の小説に書こうとしていた、というか卒業するときに書いた」
「幽霊は、というべきか。居ないはずの生徒はどうなりました」
「文章にしてまとめたらあっさり消えた。だからもうそれでいいんだ、破り捨てられてお祓いにもなったろうさ」
「それで良いんですか」尋ねるようだったが、納得は行かなかった。
「元々自己満足の小説さ、心配なのは行方しれずの人間のことだけ」
コク、とつばを飲み込む烏丸。
「あの子は、古谷君を心配してました。何故書くのを辞めてしまったのか気にかけていました」
「アイツにとって、書くことが攻撃手段だったとしても?」
「そうだったとしても、高磯さんにとって古谷君達文藝部は特別なものです」そう、思いますと烏丸は付け加える。
「…………そうなのかな。そうであって欲しいと思うのは驕りだろうか」それまで軽い調子だった古谷の声が、急に涙ぐんだかのような悲しげな声に変わる。
「古谷君が自分の小説を壊してでも後輩を守りたかったのなら、相手もきっと思ってくれてます」
「……僕にはさ、小説の才能なんて無い。高校時代に高磯の小説を見て打ちのめされたんだ。だからせめて先輩としてアイツの小説は、アイツの書こうという思いは守りたいと思ったんだ」
古谷の告白に、烏丸の息が止まる。季節は夏だというのに、暑さをちっとも感じれなくなった。
「ちゃちな計画立てずに、そのままアイツの望むまま出させてあげればよかったんだ。それが今まで書いてきた動機だったんならそれが正しかったのに、僕は」古谷の激情に初めて遭遇する烏丸は何を言っていいのか分からない。
「…………急にごめんな、病室は誰もいなくて寂しいんだ」
「……良いんです、話し相手にはなりますよ。人探しの合間に、ですが」何かを言ってあげられない自分に酷く嫌気が指しながら、烏丸は答えた。