商人と傭兵編 7
前回のあらすじ
森を抜けた隊商だったが、突然降りかかる矢の雨と共に盗賊の襲撃に遭う。
賊の一人がスバルとカイルに目をつけ、馬上から剣を振り下ろす。
あわやと思われたが、それよりも早く、スバルの黒い剣が一閃していた。
左手に軽く下げていた剣に右手を添え、右足を半歩踏み出しながら刃を振り上げる。
それらの動作を一瞬でこなした結果、振り下ろされる途中だった賊の右手は、剣を持ったまま宙を舞うことになった。スバルの鈴が、一度だけ凛と響いた。
「ぎっ…あああぁ!?」
殺すはずだった相手に腕を斬られ、判断力を失ったラルは馬上で激しく体を動かす。突然の動きに馬も動揺し、右手を抑える乗り手を振るい落として走り出した。
「こっコイツ、抵抗しやがったぞ!」「殺せ!囲め!!」
他の賊たちが口々に喚きつつ馬首を巡らせる。
「はい、ストーップ。全員動くなー、馬に乗ってる奴も含めて」
その動きを制するように、スバル達の背後から声がかかる。能天気で場違いな声だったが、馬上の賊たちは直ぐに動きを止めた。
スバルとカイルが振り返ると、長身の男が笑みを浮かべながらこちらに近づいていた。そしてその男の後ろには、いつの間に近づいたのか、それぞれ武器を携えた男たちが50人以上近づいてきている。
「た、大将…」
「勝手なことすんなって言ったろお前らー。だから余計なアクシデントに巻き込まれんだよ。とりあえずお前らは逃げた馬を捕まえとけ。獲物を囲むのはこっちに交代しろ」
決して大声ではないのだが、大将と呼ばれた男の声は良く響いた。それに従って馬手たちは馬の逃げた方角へ走り出す。そしてセバ達が逃げる間もなく、新たに来た賊の半数ほどが包囲を引き継いだ。先ほどの馬に乗った賊たちと違い、包囲を固める間にも言葉数は少ない。
「あと、ラル。いい勉強になっただろー?しばらくそのまま反省しとけ」
「ひっ…ひぃ…大将、手当て、を…」
「ああ、分かってる。後でな」
大将と呼ばれた男は、ラルの方には目も向けないまま真っ直ぐスバルの前に近づき、少し距離をおいて立ち止まった。その鎧姿を少し眺め、口を開く。
「腕は立つみたいだな、護衛さん。名前を教えてくれるかい?」
「…スバル」
構えを解かないままスバルは答える。
「すばる?珍しい名前だな。お前さんには後で話があるからちょっと待っててくれや。隣にいるのは護衛、ではないようだな。商人だったらあっちの仲間のところで固まっててくれ。逃げようとしたら殺すけど、逃げなきゃ何もしない。今はね」
敵の大将から馴れ馴れしく喋りかけられたことと、言葉に何か裏があるのではないかと思い、カイルは戸惑う。
「…行ったほうがいいよ。ここだと危ないし」
呟いたスバルの横顔にカイルは目を向ける。視線にも反応しないままスバルは構えの先、敵の大将を正面に据え続けている。
その鬼気迫る表情から何故か儚さを感じ、カイルは思わず声をかける。
「スバルさん。死なないでください」
「うん。死ねないからね」
僅かに表情を和らげたスバルだったが、その顔を見ても尚、カイルの不安は消えなかった。
後ろ髪を引かれるように、カイルはゆっくりとスバルのそばを離れる。
「よしよし。おーい野郎ども、今から一人行くから、そっちのお仲間と合流させてやれ。ちょっかい出すなよ」
大将の声に低く応じつつ、包囲した賊たちが道を開ける。その間を歩き、カイルは円陣の中に入り込む。
「カイル!無事だったか!?」
カイルの肩を掴み、アジンが顔を寄せる。
「うん、アジンさん…ありがとう」
「よし、とりあえず良かった。お前も円陣に入って固めろ」
「でも、まだスバルさんがあっちに…何か話があるって、あっちの大将が言って」
「二人とも、静かにしろ。ココを抜けるまで勝手に喋るな。あとカイル。剣は抜くなよ。下手に刺激したら不味い」
セバが二人の会話を遮る。緊張した沈黙の中、大将という男が近づき、包囲の輪の正面に立った。
「で、ここのキャラバンのリーダーは誰かな?そいつと話があるんだけど」
「私だ」
セバが即座に答える。その顔を眺めつつ、大将は頷いた。
「なるほどね~、落ち着いてる。話をちゃんと聞いてくれそうで何よりだ。ちなみに、名前は?」
「セバ」
「セバね。ちなみに俺の名前はアドラー。よろしくな」
相変わらず笑みを絶やさないまま、アドラーは語りかけた。
「で、話なんだけど…まず俺らが盗賊ってのは分かるよね?」
「見ればわかる」
「うんうん。だから、君たちの荷物を丸ごと寄越して欲しいんだ。流石に服までは奪わない。大人しく従ってくれれば、命だけは」
「断る」
セバは即座に拒否を示した。
「商品を全て失った商人など、所詮死ぬしかないだろう。ましてや我々の故郷は遠く、戻ることもできない。お前たちに従おうと逆らおうと、我らはただ死ぬだけだ。何を話すのかと思えば、そんなくだらんことだったとはな」
「…ふーん。目先の餌にも釣られないか。じゃあ俺も正直に話すわ」
笑みを消し、アドラーは姿勢を正した。
「君たちの交易品は全て頂く。そのうえで、君たちには奴隷になって売り飛ばされてもらう。従わない奴は殺す」
「どっ…!?」
カイルは思わず声を上げる。円陣を固める他の顔ぶれも、一様に硬くなっている。声には出さないだけで、内心はカイルと同じであろう。
「ただし!奴隷になるんなら命だけは助ける。買い手がつくまで食い物もやる。そういった意味では、さっき言ったのも嘘ではないんだぜ?セバさんよ。ただ、抵抗されて傷がついたら値が下がるから、穏便に解決したかったってわけさ。奴隷って聞いて自棄になられても面倒だかんな」
「…そういうことか」
俯き、隣にいたカイルにだけ聞こえるような呟きを残した後、セバは険しい顔をアドラーに向ける。
「この近辺で奴隷取引などなくなったと思っていたのだがな。メセルタの統治はどうなっている?奴隷を扱うようなお前らを野放しにはしないだろう」
「メセルタァ?あんな国、こんな国境の外れまで警備できてねぇよ」
国の名を言うとき、僅かに苛立ちの色があったのを、その場の誰もが気付かなかった。ただ一人を除いて。
「最近はお隣のロムルスとの間でドンパチやってら。下々が奴隷になろうが、畑を焼かれようが知ったことじゃないってさ、お偉いさんはよぉ」
「あなたも畑を焼かれたのか、アドラー?」
不意に聞こえた声の主に視線が集まる。
20人ほどの賊に囲まれながら、スバルが声を張り上げていた。
「…なんでそう思うんだ、スバル?」
「あなたの手の胼胝、剣を使うには多すぎる。最近まで畑仕事をしていたのなら納得できる」
「…一年前だ、村ごと焼かれた」
静かに答えるアドラーの目は、暗く濁っていた。
「収穫を二日後に控えた日だった。突然やってきたメセルタの兵どもが、急に燃やしやがった。家も、畑も、家畜も。何もかも。俺たちに何も言うことなく」
「…」
「後から知ったんだがな、ロムルスの侵攻が迫っているかもしれないという情報があったんだそうだ。収穫期の村を襲い、食料と寝床を確保して、更なる侵攻の足掛かりにするっていう。それを国は鵜呑みにして、足掛かりを消しちまおうと考えたんだ。シンプルにな」
「そして、それは誤っていたと」
淡々と声をかけるスバルに、アドラーは目を剥いて答える。
「ああ、そうだよ!よく分かるなぁスバル!そうとも、結局ロムルスの侵攻はなかった。『あらかじめ対処したからだ』って軍のお偉いが言ったらしいけどよ、根も葉もない噂を勝手に信じて自分たちの村を焼いたなんて言えねぇもんなぁ!!」
怒鳴りきると、アドラーは深く息を吐き、頭を軽く振った。
「…俺たちの仲間の半分は、俺と同じ村にいた奴らだ。食うものも、居場所もなくなった連中が生きるためには、盗賊だってするしかねぇじゃねぇか」
「…そういえば、さっき僕に腕を斬られたラルって言う人、あれも同じ村だった人?」
そう言いつつ、スバルは倒れ伏した人影に指を向ける。手を抑えたままの格好のそれは、自らの血だまりの中でピクリとも動かなくなっていた。
「いや、あいつは違う。もともと盗賊やってた奴が、俺たちの仲間になっただけだ」
「へぇ。仲間なのに、腕を斬られても助けてあげないんだ。いい仲間ですね」
「なっ…」「このガキっ!」
スバルの声にこもった明らかな嘲弄の響きに、囲っていた賊たちが声を上げる。
「動くなおめーら!…ラルを放っといたのは、規律を乱して勝手にお前らを殺そうとしたからだ。あいつらは馬で先回りして、お前らが逃げるのを邪魔するのが仕事だったんだよ。それを逸脱したから、罰を与えた。それ以外にねぇ」
「ふーん。でもあの人があなたと同じ村の出身だったら、せめて治療はしてあげたんじゃないですか?」
確かにな、と賊のうちの一人が呟いた言葉が、やけに大きく響いた。
「お前らってそういう所あるもんな」「なにを!」「おいよせって」「でもよ」
一つの呟きが飛び火し、賊たちの間に喧噪が広がっていく。
「黙れ、黙りやがれっ!!」
アドラーが声と共に剣を振るい少し収まるが、ざわつきは下火になりながらも続いている。それをしばらく睨んだ後、顔にまた笑みを浮かべながらアドラーは振り向いた。
「スバル君、君は俺を怒らせようとしてるみたいだが、やめた方がいいぜ?お前に話があるってのは、俺らの仲間にならないかって言おうと思ったからなんだよ。お前は腕が立つし賢そうだ。これから仲間になる連中と、最初から溝を作るのもバカみたいだろ?」
「ハッ。あなたたちの仲間になんてなるほうが馬鹿げてますよ」
鼻で笑うスバルの顔は、カイルがこれまで見たことがない、壮絶な笑顔だった。
「国を恨むんなら、国に挑めばいい。村を焼いた奴らに火をつけてやればいい。でもそれもせず、『生きるため』なんて自分たちに言い訳しながら、非武装の商人の身ぐるみ剥いで奴隷に堕として生きている。抵抗されない相手に一方的に振るう暴力。あなたたちのやっていることは、あなたたちの嫌うメセルタと同じことだ。そんなつまらない人の仲間に、僕がなるわけないでしょう」
「この…ガキがああああ!!」
アドラーの顔が憤怒で歪む。即座に剣を振るい、刃先をスバルに向ける。
「殺せ!!この野郎をぶち殺せえ!!!」
その声を待っていた様に、スバルを囲っていた賊たちが雪崩かかる。殺到する人波にかき消され、カイルの視界からスバルの姿が消えた。
「ス、スバルさん!!」
「カイル、静かに!…チャンスだ…」
飛び出そうとするカイルを抑えてセバが呟く。
カイルたちの周りに20人余りの包囲は残っているものの、先ほどの言葉と眼前の戦闘に浮足立ち、カイルたちに注意を払うものはいない。
セバがアジンに目配せをする。と、それをアジンが他のものに伝え、全員の顔つきが変わった。一人は腰を屈め、一人は背中を掻き、その度にどこからか手にした『何か』を手の内に隠す。
「全員…俺が合図したら、目の前の一人にやれ。投げたら森まで退く。アジン、カイルのことは任せた」
「了解。おい坊主、お前は俺とセバの荷物をもって走れ。後ろのことは気にせず、とにかく森に隠れるところまで走れ。俺たちもすぐに行く。いいな?」
「ア、アジンさん、いったい何が…」
「ん?どうやら、なんとかなりそうだってことだよ」
そう答えて、アジンは小さく笑う。いつもと同じ笑いのはずだったが、そこに先ほどのスバルの笑みと同質のものを感じ、カイルはたじろいだ。
(何?何なんだ?親父、アジンさん、みんな、なんなんだよ?)
混乱した頭で、セバとアジンの荷物を掴み手元に寄せ、カイルはスバルがいるであろうところを見つめた。
1対20人以上の戦闘は、まだ続いていた。実際の光景は人が壁となり見えないものの、怒声を縫って響くスバルの笑い声だけが、アドラーやカイルの耳に届いていた。
「ほら、いつまで寝てるのさ?刺すよ、刺しちゃうよ?って、後ろから不意打ちしても無駄無駄。ほら、君が邪魔するから刺しちゃったじゃん」
「…クソッ!」
時折悲鳴やうめき声が上がるが、それらにスバルのものが混ざることはなかった。仲間の苦悶の声を聞くたびに、アドラーは強く唇を噛みしめる。
「はい、ふとももにグサッと。ごめんねー。でも酷いよね、アドラーさんが命令したせいで痛い目に遭うのは君なんだよねー、自分は来ないのに。ほんと、命令しかしない人って駄目だよねー」
「スバルー!!命令だけかどうか、その眼で確かめろオ!!」
「大将!?」
鞘を投げ捨て、アドラーが目の前の混乱に向かって走り出す。仲間の制止が届く前に、アドラーの姿は戦闘に紛れ消えた。その姿に釣られ、隊商を包囲する賊の半数ほども我先にと戦闘に参加しに行く。包囲に残ったのは10人余りだった。
「…おいおい、血の気多いなぁ皆」
「どうする?俺らも行くか?」
「いや、それは不味いだろ。商人たちもいるし」
「あ、そうだったな。ま、いざとなればコイツラを人質にでもしてあっちの戦闘をおさめりゃ」
そこまで言って、賊の一人がカイル達に視線を向けようとした時だった。
「やれッ!!!」
セバの怒号とともに、商人たちの手から何かが放たれる。
一瞬後、悲鳴と狂乱がカイルの周りに巻き起こった。
赤く錆びた棒状の鉄片が、賊の目に、喉に、眉間に、刺さっていた。
「く、クソッ!こいつら、『針鼠』じゃねぇか!…あ、がああああ」
唯一無事だった賊も、間をおかず投げたセバの二投目を口内に打ち込まれその場に倒れこむ。
「な、あ、うあ」
「カイル、走れ!森まで走れ!」
たじろぐカイルに、またどこからか鉄片を取り出しつつアジンが叫ぶ。その先では調理用のナイフを手にしたセバが、目を抑える賊の元に走っている。
「わああああああああああ!!」
嘘だ。なんで。いや嘘じゃない。でも僕が護衛で。何のために。どうして。
全てに目を背け、カイルは森へと駆けだしていた。
草原を照らす太陽はまだ高く、地上の出来事に分け隔てなく、暖かな日差しを注いでいた。
そろそろ書き溜め文がなくなります