商人と傭兵編 6
前回のあらすじ
スバルと声だけの男の不穏な会話を耳にしたカイルは、その会話を聞いているのがばれて剣を向けられる。
だが、他言しなければ誰も傷つけないと約束を交わし事なきを得るのだった。
その際、他の『秘密』も口外しないように言われるが、鈍いカイルが気づくこともなくスバルはなんとも微妙な気分になったのだが、鈍いカイルに分かるはずもなかった。
どんな出来事の後でも、日は昇り、日常は続く。
睡眠不足が原因であろう軽い頭痛に悩まされながらも、カイルは実感していた。
前方には、もう見慣れた光景となった、スバルと隊の面々が固まって進んでいく姿が見える。時折弾けるような笑いが響くが、集中力が欠けた耳では会話を聞き取ることは出来ない。
「…元気だなぁ、スバルさん」
ぼそりと呟く。最後まで言い終わる前に眠気が増し、大口を開けて欠伸が出る。目尻に浮かんだ涙を拭いつつ、前を見る。意識がクリアになるがそれも一瞬で、睡魔に襲われ、目蓋が下がる。足がもつれそうになり慌てて目を開ける。その動作を繰り返し、意図せずして「眠りながら歩く」ことを実践しつつ、彼はなんとか隊列にくっついていた。
「よっカイル!起きろって!」
「だっ!?」
背中を走った衝撃にカイルはよろめく。打撃の主に向かって顔を向けると、案の定アジンがいた。
「…アジンさん、俺寝てたんすけど」
「知ってるっての。どうせお前のことだから、一晩中きっちり起きてたんだろ?こんな真昼間から眠気を引き摺ってちゃ、身が持たんぜ」
「え?不寝番って寝ないから不寝番じゃないんすか」
「字面だけだって。せいぜい火の番をしつつ、木にでも寄りかかって仮眠でもとりゃ良かったんだよ」
「あ、そうっすか…分かりました次から気を付けます。おやすみなさい…」
「って、寝るなって!」
カイルの頭を軽く小突き、目を細めながらアジンは言った。
「森を抜けたんだよ!」
草原だった。緑に覆われたなだらかな丘陵が続くさまに見惚れ、カイルは声もなかった。
空を見上げる。快晴、広がる青空と太陽の眩しさが目に痛いほどで、自然と手で庇を作る。
「んー!やっぱお日様っつーのはいいなぁ!生き返る気分だぜ」
足を止めたアジンが背を伸ばしながら言う。
隊の行列はいつのまにか解け、腰を伸ばす者、喚声を上げる者、自前の酒で一杯やる者など、思い思いに喜びを露わにしている。
見渡していると、スバルの姿が見えた。傍らのセバと何やら言葉を交わしているらしく、指をさして方角を教えるそぶりも見えた。カイルは二人に近づく。
「お、ちょうどいいところに来たな、カイル」
彼の姿を見つけたセバが機嫌よくいう。昨晩のことを意識してるのかいないのか、スバルは軽い会釈で迎える。
「無事、森も抜けられた。まともに街道沿いに行くと1ヶ月はかかる道のりを、せいぜい十日程度に抑えられた。それにスバル殿という得難い客人も得られた。お前もそう思うだろ?」
「はぁ、そうですね」
急な問いに戸惑いつつカイルは答える。その歯切れの悪い返事も気にせず、セバは続ける。
「だが惜しいことながら、やはりスバル殿はそろそろ我々と別れるそうだ。お前もこの数日学ぶところも多かっただろうから、しっかりお礼を言っておきなさい」
セバの言葉を聞き、彼はスバルを見る。短いながらも同行した奇妙な傭兵は、人のよさそうな笑みを浮かべてカイルを見ていた。
それを見た彼は、不意に昨晩の出来事を思い出す。不穏な会話とイイラズの木、そして約束。
「え…と…スバルさん。短い間でしたが、大変お世話になりました。良い旅路を」
目の前の人間の虚と実を測りかね一瞬口ごもるが、なんとか作った笑顔と共にカイルは礼を言う。
「こちらこそ、カイル君。君のことは忘れないから。良い旅路を」
屈託のない笑顔と共にスバルが返す。
「よし、では戻っていいぞ。ついでに、少し休憩時間を取ると皆に伝えてきなさい。皆浮かれて、すぐには動けないだろうからな」
「はい」
カイルがそう答えて頭を上げると、二人の背後に緑の稜線が伸びているのが見えた。
日を浴びるのがいくら久しぶりとはいえ、普通なら気にも留めない風景の一部だ。現にカイルもすぐに踵を返そうとした。
その時、稜線が光ったのが見えた。
後ろを向こうとした体を留め、カイルはそれを凝視する。その様子を見て、スバルとセバの二人も振り返る。
稜線上の光はチカチカと瞬きつつ、少しづつ増えるようだった。
「なんだ、あれは?」
「光…?金属の反射…?」
無意識にカイルが呟いたのと、スバルが剣の布を引きちぎったのは同時だった。
「…え?ええ!?」
「な!?スバル殿、何を!?」
「伏せて!!!」
スバルの叫び声に押されるようにして、カイルは訳が分からないまま地に伏せる。
直後、その眼前の地面に鈍い光が突き立った。
「や、矢!?」
まだ矢羽を震わせるそれを見て、カイルは何度目かの驚愕の声を上げる。だが状況を理解しきる間もなく、周囲に次々と矢が降り始めた。カイルには身を縮めることしかできない。
「襲撃ィ!西だァ!全員固まれ!頭上を守れえ!」
後ろでセバの怒声が響く。矢の雨の中を、いつの間にか後ろに退いたらしい。
(…スバルさんは!)
思い至り視線を上げると、スバルが仁王立ちになっているのが見えた。
傭兵は飛来する矢に相対し、切り払っていた。
露出している頭から首にかけては剣の腹で防ぎ、足元のものは脛当てが弾くに任せ、そして左右に逸れたものは剣の構えを変えて大きく振るい、打ち落としている。
後ろに矢が流れるのを防いでいるのは明らかだった。
「スバル…さん」
「敵、来るぞオォ!全周防御!円陣組め!動くなよ!」
「セバ!!坊主が、カイルが離れてる!やられるぞ!」
切迫したアジンの声に振り向くと、後方に隊商の全員が固まっていた。荷物の袋や鍋などを頭上に掲げ、流れ矢が来るのを防いでいる。
「間に合わん!もうそこまで奴らが…!」
セバの声は、突然響いた蹄の音に遮られた。伏せているカイルの脇を掠めるように、栗毛の巨体が駆け抜ける。
「カイル君立って!僕の後ろに!」
スバルの声で我に返り、カイルは飛び起きた。直後、さっきまで伏せていた地面を抉り馬達が走り抜ける。
スバルとカイルを置き捨てたまま、馬手は隊商の円陣を遠巻きに囲み始めた。馬は六頭と少数だが肉付きがよく、何より乗り手たちが薄い笑みと共に見せつける刃が隊商の動きを牽制している。
「おいおい、マジかよ!百本射ったのに死傷者なしっぽいぜ!」
斧を担いだ男が大げさに叫ぶ。
「うちの弓手も当てになんねーなぁ、おい。四本に一本当てるぐらい俺でも出来るぜ?」
「もっと頭使えよリック。そんなに当たっちまったらこっちが困るんだよ」
「そうそう、問答無用で殺すのは護衛だけだって、もう三回は言ったぜ」
「でもよ、今回は護衛も死んでなさそうだぜ?ほれ」
リックと呼ばれた男がアゴで示し、賊たちの視線がスバルに集中する。
「…ほんとだ。運がいい奴もいるもんだな」
「鎧着てるからだろ。こんな小さな隊商に完全武装の護衛なんかついてるの初めて見るよ、俺」
「ていうかこいつ、ちっさくね?こいつが護衛なの?殺っちゃってもいいの?」
賊の一人が無造作に馬を近寄らせ、睨み据えるスバルの目の前に来る。
「うーん。どう見ても強そうに見えないけどなー。隣にいるのも違うだろうし。ていうか子供じゃねこのサイズ?どうせ殺るつもりだったんでしょ?俺が殺ってもいいよね?二人まとめてでも出来るよ多分」
「お前の殺し好きにはほんと頭が下がるよ、ラル。こっちの得物が刃こぼれしないからありがたいぜ」
「殺るなら景気よくやれよ、ズバーッとな」
馬上で何気なく『殺る』と交わされる度に、カイルは恐怖と、それに勝る憎悪を感じていた。
(俺たちの命をなんだと思ってるんだよ!刺し違えてでも、殺してやる!)
浅く息を吐き、腰を落とす。マントの下の剣の位置を探り、鞘に手を添える。
「シッ…待って…」
すぐに気配を感じたのか、少しだけ振り向いたスバルが小さく制止する。
冷静なスバルの声に頭を冷やし、カイルはゆっくりと手を放した。
「じゃ、俺が殺っちゃうからね?いつも悪いねみんな、へへ…」
へつらうような笑みを浮かべたまま、ラルはスバル達に向き直った。振り向く動きと共に、白刃が光を受けて瞬く。
「ということだから、君たちも動かないでよ。流石に鎧ごとは切れないから、首が狙えるようにちょっと傾けてもらえると嬉しいな。脳天からだと見た目が悪いからね」
剣を振りかぶったまま、ラルは首をかしげて見せる。カイルの目から見ても隙だらけの動作だったが、剣を満足に扱えない15の少年には、馬上の敵を相手に抜き打ちを駆けるのは分が悪かった。
そしてスバルは、まだ剣を振ろうとはせず、微動だにしないまま敵の刃先を見つめていた。
「何?協力してくんないの?痛くしないで済んだのにな~。ほんと、もったいないねぇ!」
残念そうな声が終わりきらぬうちに、賊は剣を振り下ろしていた。馬上の使用に適した長剣はその重量と長さを生かして、スバルの頭蓋を過たず砕いていただろう。
スバルの剣が瞬時に閃かなかったなら。
読了ありがとうございました。
そろそろ戦闘描写ありますので、苦手な方は薄目でご覧ください