追放先はいいところ~幽霊城でお茶したら、寝不足辺境伯に愛されました~
「アリサ・ガーネット! きみとの婚約を破棄する!」
「えっ、どうしてですか?」
「どうしてかは、その胸に聞いてみるがいい!!」
さげすむような婚約者の視線を浴びて、アリサ・ガーネットは立ち尽くした。
宮廷での派手な夜会の最中である。
(どうしてなのかしら。理由は……正直、山ほど思い付くわ)
まず、アリサは容貌が悪役っぽい。
長い銀髪に、紫色の瞳。
美人ではあるが、なんとなく陰気な顔だと言われがちだ。
さらに無表情気味だし、喋り方も淡々としている。
きっと性格が悪いのだろうとか、黒魔法を使っていそうとか、悪い噂は後を絶たない。
次に、婚約者の身分が高すぎる。
アリサはごく普通の伯爵令嬢だが、婚約者はこの国の第一王子、クリスだ。
金髪碧眼で長身の美男子で、貴族学校でも成績トップ。
いつも婚約狙いの貴族女子に囲まれていた。
そんな彼がどうしてアリサと婚約したのか。
当時もわけがわからなすぎて五回くらい「冗談ですよね?」と聞いてしまったが、面倒臭そうにあしらわれて、返事はもらえなかった。
まったくもって謎である。
さらに今、クリスは美しい金髪のお嬢さんの肩を抱いている。
人形のように愛らしい彼女は、社交界の花。
公爵家出身の、キャスリン・フォレスター。
どう見ても、アリサよりクリスとお似合いだった。
「よくわかりませんが、殿下のおっしゃる通りにいたします。私、次はどうしたらいいでしょう?」
礼儀正しく頭を下げるアリサに、クリスは顔を引き攣らせる。
「おまえはもうちょっと、悔しがるとかなんとかないのか!?」
「悔しがったほうがいいですか?」
「いいや、要らん! とにかく、もうわたしの婚約者ではないのだから、王宮からは追放だ! わたしの目の届かないところへ行け! まったく腹立たしい!」
(罪状もなにもはっきりしないのに、追放。……まあ、いいですけど)
王子とはいえ、そんな勝手をやる権力ってあるのだろうか。
アリサは首をひねったまま、軽く一礼して追放を承諾した。
ひとを呪いそうな見た目とはうらはらに、彼女は争いが嫌なのだ。
◆
「お嬢さま、本当にここへ行かれるのですか?」
「いいところですよ。王都から遠いし。家同士は知り合いだし。クリスさまの怒りが晴れるまで、身を隠すにはもってこい」
「でも……幽霊城と呼ばれてる城ですよ?」
不安顔の従僕に言われ、アリサは城を見上げた。
どろどろと灰色に曇った空にそびえる、つんつんとした真っ黒な塔。
黒に近い石を積んで作った大きな城は、この世の最果てみたいな崖の上にある。
「確かに陰気で、古くて、幽霊が出そう。でも、お茶はできるわ」
こくりとうなずき、アリサはせっせと城へ向かった。
こう見えてアリサはお茶が好きだ。
お茶会さえできれば、そこはいいところだと思っている。
「失礼します」
大きな扉の前でノッカーを鳴らすと、青ざめた顔の執事が出てくる。
「アリサさまですね」
「はい。しばらくお世話になります。シェルマン辺境伯はどちらに? 初対面なので、ご挨拶を」
「シェルマン辺境伯はお会いになりません」
「ご病気ですか?」
「人嫌いなのです。わたくしどもも、もうとんとお顔を拝見しておりません」
「あら、それは――」
好運、と、アリサは思った。
何せアリサはこの容貌だ。
一目で嫌われることも、まあまあある。
雲隠れ先でも嫌われたら、少し面倒だなあと思っていた。
が。
(顔をあわせないでいいなら、嫌われることもないでしょう! よし!)
無表情のまま内心ガッツポーズを取り、アリサは城での生活を始めることにした。
◆
「こちらがアリサさまの部屋でございます」
「屋根裏ですね」
「もしご不満があるようでしたら――……」
「すてきな天窓」
「……はい?」
「すてきな円卓」
「はあ、まあ」
「これは、お茶会ができる部屋……!」
「そうですか?」
執事は部屋を見渡した。
屋根裏は簡素な部屋だ。
天井は斜めだし、低いし、床はぎしぎしいうし、広さもない。
それでも床には温かい絨毯が敷いてあるし、円卓にも椅子にも見事な彫刻が入っているし、何より天窓からの光が温かかった。
アリサは目をきらめかせて言う。
「私、早速お茶の準備をします!」
「お茶なら我々が淹れますが」
「自分で淹れるのがいいのです。あとでお湯をもらいに行きますね」
「それはもちろん、ご自由に」
「ちなみに、お願いなのですが……」
アリサは執事を見つめる。
じっとりした彼女の流し目に、執事はぎくりとした。
「な、なんでしょう?」
「お茶会というのは、ひとりでやると様になりません」
「なるほど。しかしここは辺境でして」
「私も雲隠れ中ですし、正式なお客さまは呼べません。そこで、執事さんたちがお客さまになっていただくわけには……?」
「まさか! それは不敬でございます」
「駄目ですか」
「はい。貴族は、貴族同士でお茶をするものです。それでは」
執事はそう言って去って行く。
アリサは彼を見送りながら考えた。
(この城にいる貴族は、私と、シェルマン辺境伯だけ)
しかし、辺境伯は人嫌いだ。
お茶会には来てはくれないだろう。
だったらひとりでお茶会しようか、とアリサは思う。
が、実際には、彼女はお客に困らなかった。
なにしろここは、幽霊城だったので。
◆
その日お茶会ができたのは、夜になってからだった。
荷物整理と、ひとりきりの夕食が終わったあと。
アリサは厨房でポットにお湯をもらい、うきうきと屋根裏へ帰った。
部屋の円卓には、自前のティーセットが並ぶ。
カップとソーサーは白磁で、細かな銀の蔓模様つき。
そこに注がれるのは、アリサが自分で調合したフレーバーティーだ。
「軽い紅茶に、白桃、洋梨、ジャスミン――ほんの少しだけバニラ。香りは華やかでも、味は甘ったるくない、みずみずしい傑作ね」
そういえば、クリスは一度もお茶会に来てくれなかった。
彼とはろくにふたりで喋ったこともない。
アリサのことは嫌いでも、お茶は飲んでくれたらよかったのに。
何しろ、こんなに美味しいのだから――。
そんなことを思っていると。
――ぽたり。
頭に水滴が落ちた。
「あら、雨もり?」
アリサは顔を上げる。
頭上には天窓。
その窓の外側に、濡れた手形がついている。
「手の形……?」
――ぺたん。
見ているうちに、手形が増える。
「なるほど、気のせいではない」
――べたん。
さらにもうひとつ。
普通は怖がるところだった。
しかしアリサは、あまり普通ではなかった。
争いが苦手で、お茶が好きで、他のものは、割とどうでもいい。
――べたん。
さらに手形が増えたところで、アリサは声をかけた。
「誰か、窓の外にいらっしゃるのですか?」
すると今度は、天窓に、逆さまの女の顔が映る。
きゃああああああ!
……と、叫んでもよかったのだが、アリサは叫ばなかった。
代わりに立ち上がり、天窓に声をかける。
「こんばんは。幽霊の方ですか?」
近くで見ると、女の顔は蒼白く、明らかに幽霊だった。
しかしその格好は、立派なドレス。
アリサの目は、きらんと光った。
「あの。貴族の幽霊ですよね? どうでしょう、お茶会のお客になってくださいませんか」
「…………」
幽霊はぽかんとしている。
アリサが、どうぞ、とカップを差し出すと、幽霊はそれを見た。
そうしてやがて、穏やかな顔になる。
すっ……と幽霊は消えて行った。
「お誘い、失敗ね」
アリサは少しがっかりして、カップを下ろす。
ところがカップのお茶には異変があった。
「香りが、しない……? ひょっとして、香りだけ吸っていってくれたの?」
アリサがつぶやくと、ことん、と、天窓に優しい音が響いた。
◆
それからのアリサの生活は、大充実だった。
この城には、生きた人間はアリサと辺境伯と使用人しかいない。
が、幽霊はたくさんいたのだ。
庭の池には、腰まで水に浸かり、草にからまった、貴婦人の幽霊。
廊下の隅には、彫刻と壁の隙間で動けなくなった、使用人の幽霊。
地下室には、棚の上に縮こまっている子どもの幽霊。
見つける度にびっくりはしたが、みんな、誘えばお茶に来てくれる。
しかもそのあとは、あまりひとを脅かさなくなる。
池の幽霊は、池の側でピクニックをしたら上がってきた。
そのあと池の水草を掃除したら、毎日にこにこ庭を散歩している。
使用人の幽霊は、彫刻を移動させたら、忙しく働くようになった。
生きた使用人の仕事を手伝い、アリサのお茶会も手伝ってくれる。
地下室の幽霊は、お茶を見せても棚から下りて来なかった。
お菓子を見せたらやっと下りてきたが、部屋の隅を見て怯えていた。
調べると、部屋の隅には鼠の巣穴があった。
鼠退治をした結果、地下室の幽霊は床に下り、元気に遊ぶようになった。
「……幽霊が怖くないのですか、アリサさまは」
呆れた執事に言われ、アリサは首を傾げる。
「ちょっとびっくりはしますが、みんな実害はないですよ。叫んだり、暴れたり、隠れたりしている場合は、原因があるみたいです」
「それで、池の掃除をしたり、模様替えをしたり、鼠退治をしたりですか」
「ついでにお城も綺麗になっているし、悪くないのでは?」
「まあ、実際悪くないのです」
うむ、と頷き、執事はアリサにお茶菓子をくれた。
そんな日々の中、アリサはついに、城主の辺境伯と出会うことができた。
アリサが銀色のポットを盆に入れて、廊下を歩いていたときだ。
後ろから、ずる、ずる……と足を引きずる音がした。
「新顔幽霊さん?」
アリサが振り向くと、そこには大柄な人影が。
「誰が幽霊だ……」
地を這うような声。
アリサがびくりとすると、彼は大きくよろめき、ゴン! と廊下の壁にぶつかった。
はわわ、となるアリサの目の前で、彼はどうにか持ち直した――かと思えば、反対側にふらふらーっとよろめき、ゴン!! と、反対の壁にぶつかった。
「だ、大丈夫ですか!?」
「大丈夫、ではない……」
うめく彼は、よく見るとたいそう整った顔をしている。
黒髪は乱れ、目の下には濃い隈があり、頬も少しこけているが、元は鋭い目つきの美男子なのだろう。
ただし今は、幽霊より幽霊らしい。
「目が回る、ねむい、ねる……」
男は言い、シェルマン辺境伯の部屋に入っていった。
「今の方が、シェルマン辺境伯」
アリサは彼の部屋の扉を見つめ、つぶやく。
(あれは人嫌いというか、寝不足では……?)
◆
寝不足はよくないと、アリサは思う。
何せ人相が悪くなる。
(私も顔で色々誤解されたけれど、辺境伯もそうなのかも)
だとしたらどうにかしてあげたい、とアリサは思う。
この城で寝不足になる理由といったら、幽霊だろう。
何せ幽霊が多いのだ。
「ははあ、それで、ご主人さまの寝室を調べたいと?」
「はい。寝不足の原因が幽霊なら、今までの経験を生かせるかもしれないですし」
「そういうことでしたら、寝室に立ち入ってもよろしいのでは」
「見逃してくれます?」
「ええ。大事なものは別のお部屋にありますし」
執事は言い、アリサが寝室の鍵を持ち出すのを、見て見ないふりをしてくれた。
アリサは辺境伯が留守の隙を狙い、室内に忍び込む。
(普通の寝室ね)
天蓋付きの寝台。
クローゼット。
鏡。
カーテンの閉まった窓。
壁に掛かった何枚かの絵。
窓辺の円卓と椅子。
「お茶会によさそうな円卓。……ん?」
円卓に気を取られていると、ふと横から風を感じる。
どうやら、クローゼットの裏辺りからだ。
「隙間風?」
クローゼットと壁の隙間に耳をくっつけてみる。
ひゅー……ひゅるるるる~~~……
ひぃ~~…………ひゃぁあぁ…………
「幽霊の声――みたいだけれど、これは風の音ね。寝不足の原因は、これかしら」
隙間風があると、夏は暑いし、冬は寒い。
そもそもうるさい。
寝不足になるのもわかる。
アリサは少し悩んだあげく、使用人にボロ布をもらって、クローゼットと壁の隙間に詰めてみた。
「よし、風の音は止んだ。これで辺境伯の睡眠事情が改善されたら、本格的な修理を提案しましょう」
辺境伯が眠れるようになれば、人嫌いも治るかもしれない。
そうなったら、アリサのお茶会に参加してくれるかもしれない。
お茶会に関してだけは、アリサはとてつもなく前向きなのだ。
◆
さて、その夜のこと。
アリサはこっそり自室を抜け出して、辺境伯の部屋の前にいた。
(辺境伯が眠れているか、気になって眠れない……)
幽霊とのお茶会も最高だが、やはり人間ともお茶がしたい。
この間見た辺境伯の整った顔がちらついて、アリサは自分の寝台を抜け出してきた。
周りには、アリサを心配する幽霊たちがふよふよ漂っている。
「大丈夫よ、みんな。辺境伯の寝息を確認したら帰るから」
ふよふよふよふよ
「平気、この城で危ないのはあなたたち幽霊くらいだし」
ふよ……ふよ…………
「そこで落ち込まない! ほら、武器も持っているし」
そう言ってアリサが幽霊に見せたのは、鉄梃――両手で持つような鉄製の棒、先は鈎状になった工具――だ。最近幽霊がらみで城の手入れをするので、仲良くなった使用人から借りてきた。
「これがあれば大抵の人間はびっくりするし、高いところのものも取れるし、邪魔なものは壊せるし……ん?」
幽霊と話をしていると、ふと、何か聞こえた気がした。
アリサは耳を澄ます。
(今のは……?)
………………ぁぁん。
にゃー…………ん。
「ね、猫の声!?」
どこから!? ときょろつく。
廊下に猫の姿はない。
ばっ、と壁に耳を付けた。
「部屋の中……? それか、まさか、壁の中!?」
何かを訴えかける猫の声に、アリサは焦った。
扉にかじりつき、ドンドンと叩く。
「開けてください! シェルマン辺境伯!!」
「………………何事だ」
案外すぐに扉は開いた。
濃い隈を作った辺境伯に、アリサは言う。
「この部屋に猫はいますか!?」
「……きみにも聞こえるのか」
「いるんですか!? いないんですか!?」
「いないはずだ。どうせ幽霊の声だろう。こう毎晩にゃーにゃーやられては……」
「ちょっと、失礼します!!」
「な、なんだ!?」
思い切って部屋に押し入り、アリサは声の出所を探る。
シェルマン辺境伯は動揺し、辺りをうろうろした。
「おい、きみ、未婚のお嬢さんがこんな夜中に……」
「未婚だと何がいけませんか?」
「いけないだろう。こう、色々と」
シェルマン辺境伯は、案外堅いことを言う。
アリサは振り返り、真剣に言った。
「私の貞操より、猫の命と、シェルマン辺境伯の安眠が大事です!」
「な……」
シェルマン辺境伯は、びっくりしたように目を見開く。
そんな彼に、アリサは微笑みかけた。
「寝不足が解消されたら、お茶会もできますし」
「お茶会? いや、なんのことだ?」
怪訝そうな彼を放っておいて、アリサはクローゼットと壁の隙間をのぞいた。
「やっぱりここです! この、クローゼットの裏の、壁の中!」
「……その、壁の中がどうだって?」
「壁の中から、猫の声がします。幽霊ならいいですが、生きた猫が迷い込んでいたとしたら……!」
真剣なアリサに、辺境伯も、ふむ、と真顔になった。
「なるほど」
「あの。この壁、壊してみていいですか?」
「………………いいだろう」
辺境伯は案外あっさり言うと、重いクローゼットをずるずると移動させた。
「きみでは力が足りまい。俺がやる」
「いいんですか? 私も結構いけると思うのですが」
「何がいけるんだ……鉄梃を貸しなさい。下がっているんだ」
「わかりました、お願いします」
アリサが鉄梃を渡すと、辺境伯がそれを壁に打ち付ける。
カーン! カーン!! ボコッ……。
「あら? 今の音は……」
「この下、扉があるぞ」
辺境伯は言い、さらに鉄梃を振るう。
ほどなく壁の漆喰は剥がれ、そこに黒々とした古い扉が現れた。
にゃーん。にゃぁぁーん……。
扉の向こうから、寂しそうな猫の声が聞こえる。
辺境伯は躊躇わず扉を押した。
キィ――。
「暗いな」
「ランプを持ちます」
アリサがランプで照らすと、そこはかび臭い通路だった。
辺境伯が顔を突っ込み、辺りを見渡す。
「古い秘密の通路だ。空気も澱んでいる」
「猫はいますか?」
「猫は……」
「みゃあ、みゃあ」
ふたりして、声のしたほうを見る。
暗い通路に、うっすら浮かぶ、白い猫の影。
「……幽霊だな」
「幽霊ですね」
ふたりは言い、シェルマン辺境伯がアリサを見る。
「怖くないのか?」
「あまり。平和にお付き合いできれば、幽霊でも大丈夫です」
「変わっているな」
感心したように言われ、アリサは辺境伯を見上げた。
「シェルマン辺境伯は? 怖くないのですか?」
「怖い」
「怖いんですか」
「怖いが、ここは俺の城だ。……迷い込んでいるなら、出してやらないとな」
「…………」
当然のように言うシェルマン辺境伯を、アリサは少し驚いた顔で見上げる。
そして、やがて少し微笑んだ。
「お手伝いします」
「危ないかもしれない、きみは部屋にいろ」
「駄目です。あなたを守ってあげなくては」
大真面目なアリサに、辺境伯は呆気にとられる。
「わたしを? きみが?」
「あなたは幽霊が怖いんでしょう? 私は、この家の幽霊には大分慣れました」
「…………」
絶句したまま、辺境伯はまじまじとアリサを見下ろしていた。
アリサは、こんなふうに異性に見つめられるのには慣れていない。
少し頬が赤くなるのを感じ、視線を逸らす。
「先に行きますね」
「あっ、こら!」
辺境伯の制止も聞かず、アリサはランプを持って先に立った。
みゃあ、みゃあ。
猫は甘ったれた声で泣きながら、足下に寄ってくる。
「どうしたの、餌が欲しいの?」
みゃあ、みゃあ。
「こっちへおいで、部屋のほうへ」
みゃあ、みゃあ。
猫は鳴きながらうろつき、反対方向へ進む。
アリサと辺境伯が猫についていくと、別の古びた扉に行きついた。
「使われていない扉だな。ここから風が入ってくる……壊すぞ」
「壊していいんですか?」
「構わない。部屋のほうへ行きたくないなら、こちらから出たいのかもしれない」
シェルマン辺境伯は言い、鉄梃で古い木製の扉を破壊した。
ギィ……扉が開く。
すう、っと風が通る。
扉の先は、小さな中庭だった。
外から明かりが差し込み、通路が明るくなっていく。
「もう明け方だったんですね」
アリサが言ったとき、隣を誰かが通った気がした。
はっとして視線で追う。
真っ白く透けた令嬢らしき幽霊が、通路を抜けて中庭に出る。
猫の幽霊は大喜びで、その足下に駆け寄った。
みゃあ、みゃあ。
甘えて鳴く猫の幽霊に、令嬢の幽霊は餌をやっているようだった。
そうしてアリサたちを振り返ると、にっこり笑う。
――ありがとう。
幽霊は唇の動きだけでそう言って、すうっと消えた。
「…………」
「…………」
アリサと辺境伯は、しばしその場に立ち尽くしていた。
空がどんどん明るくなる。
みゃあ、みゃあ。
猫の声がして、ふたりはふと、下を見た。
そこには、生きている猫が、一匹、二匹。もっとたくさん。
「お城で飼っている猫ですか?」
「いや。先祖が嫌っていたから、この城は猫は禁止だ。だが、誰かがここで餌をやっていたんだな。昔、俺の部屋に住んでいた、病弱な令嬢なんかが」
「なるほど……」
アリサはうなずく。
病弱令嬢なら、なかなか外出もできなかっただろう。
代わりに、秘密の通路でここへ出て、猫に餌付けをしていたのかも。
病弱令嬢の死後、秘密の通路は保安上の問題か、老朽化か何かで塞がれた。
「病弱令嬢は、亡くなったあとも、ここから出られないような気分だったのかもしれませんね。あの猫の幽霊は、病弱令嬢を連れだそうと鳴いてたのかも」
「だとしたら、いいことをしたな」
シェルマン辺境伯は言い、ゆっくり中庭を歩いて行く。
そして、一匹の猫を抱き上げた。
その猫を見て、アリサは目を瞠る。
その猫は、さっきの幽霊猫だった。
「シェルマン辺境伯、その猫は」
「大丈夫だ、こいつは怖くない」
シェルマン辺境伯は言う。
「もう、満腹だからな」
そう言って幽霊猫を撫でる彼の手は、とても優しかった。
まばゆい朝日の中で、彼はなんだか、素晴らしく素敵に見えた。
彼はやがて、アリサのほうを見て、そっと笑った。
「ありがとう。きみのおかげで、城の仲間たちを救えた」
(城の仲間……幽霊が?)
本気で言っているなら、なんて変わっているんだろう!
変なひとだ。
そう思うのと同時に、なんだかひどく心がこそばゆくなった。
「あの」
「なんだ?」
シェルマン辺境伯はまだ笑っている。
アリサは力一杯言った。
「私のお茶会に、来て下さいませんか!!」
◆
翌日のお茶会は、ものすごく楽しかった。
城中のあらゆる幽霊が中庭に集い、ピクニックをしたのだから。
芝生に絨毯を敷き、バスケットいっぱいのお菓子を広げ、アリサ特製のお茶を飲む。
シェルマン辺境伯は絨毯の真ん中に胡座をかき、生きている猫と幽霊の猫にめちゃくちゃよじ登られていた。
「こんなにいたのか、うちの城の幽霊は」
シェルマン辺境伯は遠い目をしながら、カップを傾ける。
アリサはそれを満足げに眺めた。
「シェルマン辺境伯のほうが、幽霊にお詳しいのでは?」
「今まで直視してこなかったからな。というか、フランツでいい」
「フランツさま、質問をいいですか?」
「どうぞ、アリサ・ガーネット」
「幽霊が怖くて、直視できないのに、どうして城の仲間とおっしゃったんです?」
アリサの問いに、フランツは少し考えてから答える。
「この城は、俺の城だ」
「はい」
「ボロ城だが、守るために奔走している」
「はい」
「それがなんのためか、惰性か、先祖のためか、今まではよくわからなかったのだが――」
一度言葉を切ってから、改めてフランツは辺りを見渡す。
絨毯の上には幽霊の猫が寝そべり、生きた猫はそのへんをうろうろする。
消えたはずの幽霊令嬢はにこにこ幽霊貴婦人とお茶をしているし、使用人はみんなにせっせと給仕する真似をしていた。
幽霊だらけだが、賑やかで、穏やかなお茶会。
フランツは最後にアリサを見ると、ふわりと笑う。
「きみと猫を助けたとき、幽霊も城の仲間だと思えた。俺は多分、この城が好きな奴らのために、ここを守ってきたんだ」
(ああ、好きだわ)
ふわりと思ってしまい、アリサは何度か瞬きをする。
こんなふうに、はっきりひとを『好き』と思うのは、初めてかもしれない。
でも、この、正直で、仲間思いのひとが好きだ。
きちんと寝たせいで、少し隈も薄くなっている。
目つきの悪さも軽減され、こうして見ると正統派の美男子だ。
「……きれい」
アリサが思わずつぶやくと、フランツもつぶやく。
「うん。きれいだな」
「はい!? な、な、なにがですか!?」
まさか、自分のこと!? と、アリサは真っ赤になる。
が、フランツは平然としたものだ。
「何を動揺している。以前に比べて、城が大分綺麗になっていて驚いた、という話だ」
「ああ! 池とか地下室とか、お掃除しましたから」
「……きみがやってくれたのか?」
驚くフランツに、アリサはこくんと頷く。
「なんでそんなことを? きみは期間限定の客だろう」
「それはそうですが……」
しばらく考えたのち、アリサは、さっきのフランツの笑顔を思い出して言う。
「お茶会がしたかっただけなんです」
「こんな幽霊城で?」
「はい。だって私、大好きですから」
この城も、あなたも。
声に出さずに言うと、フランツは固まってしまった。
「っ…………!」
やがて、うっすら赤くなって視線を逸らす。
そうしていると、彼はずいぶん若く見えた。
ひょっとしたら、十八歳のアリサとそう遠くないのかもしれない。
なんだかどきどきしてきた。
アリサはそうっとフランツの顔をうかがう。
「フランツさま、照れてます?」
「照れてはいない!」
フランツは叫び、ふと、唇を引き結ぶ。
「……いや、少し、照れているか。この城を好きだと言ってくれた客は、初めてだから」
ぼそぼそと言うフランツは、なんだかすごく可愛らしい。
どうしよう、全然目が離せない。
もう少し側ににじりよってもいいだろうか。
駄目だろうか。
駄目でも行きたいから、もういいか!
アリサがそんなことを考えていたとき。
ふと、城のほうが騒がしくなる。
続いて、ばたばたと執事が飛びこんで来た。
「申し訳ございません、急なお客さまが、すぐに案内しろと強引に……!」
「強引だと!? このわたしを誰だと心得る!! この国の第一王子だぞ!!」
城の執事を横に避けて登場したのは、金髪碧眼の美男子。
アリサの元婚約者、第一王子のクリスであった。
「殿下、一体どうなさったのです? 私、隠れたほうがいいですか?」
きょとんとしたアリサが聞くと、クリスはうなる。
彼は血走った目でアリサとフランツを見て、派手に顔を歪ませた。
「アリサ、このあばずれ!! もう浮気か!?」
「浮気も何も、私は未婚ですよ。殿下は人違いをなさっているのでは……」
「していない!! おまえほど変な女が他にいるか!?」
「全然いるのでは? というか、キャスリンさまは一体どちらへ?」
「あんなつまらん女は置いてきた! 堂々としているように見えてこっちに気遣いしまくるし、自分より家の都合で動くし、わたしの顔色をうかがってばかりで、ぜーんぜんつまらん! 気も休まらん!!」
(結構えり好みが激しいのね、クリスさまって)
キャスリンも大変だろうが、どうか頑張ってほしい。
他の女性を選ぶなら、それはそれで。
そんな気分でアリサがぼうっとしていると、クリスはつかつかと歩み寄ってきた。
「すぐに来い! 王都へ戻るぞ!」
「えっ、待っ……!」
腕をつかまれそうになり、アリサがにじりさがる。
そこへ、フランツの手が伸びた。
ぱしっ。
座ったままクリスの手を掴み、彼を見つめる。
クリスは驚き、真っ青になってフランツを見下ろした。
「貴様……何をした?」
「あなたの手を掴みました、殿下」
「そ、そそ、そ、そんなことが、許されると思っているのか!? わたしは第一王子! 王位継承権第一位! 次期国王だぞ!?」
クリスは殺気立って怒鳴り散らすが、フランツは落ち着き払っている。
「知っていますよ。そして俺は、幽霊城の城主。シェルマン辺境伯だ」
「はっ! そうだよなぁ? その辺境伯が王子に敵対したら、どうなると思っている? 無礼討ちだ、無礼討ち!! この場で斬り捨ててくれる!!」
クリスは怒鳴り、フランツの手を振り払った。
そのまま一歩下がって、腰の剣に手をかける。
さすがのアリサも、これには真っ青になった。
「やめてください、クリスさま!! 争いはいけません!!」
「そう思うなら、その男に言え!! 反逆者の無礼者に!!」
クリスの目は嫌な光を帯びてぎらぎら光り、聞く耳を持たないようだ。
フランツは、そんな彼から目を離さずに立ち上がる。
「俺は反逆などする気はありません」
「ならばここで俺に斬られろ! そこで素直に立っていろ!」
「いいですよ」
フランツがさらりと言う。
クリスは目を瞠り、アリサはフランツの腰にかじりついた。
「だ、だめです、フランツさま、だめ……!!」
アリサは争いが嫌いだ。
争いを避けるためなら、気のない相手の婚約者にもなれる。
婚約破棄だって、追放だって平気だ。
でも、フランツを失うのは嫌だった。
きっとこれから、大事なお茶仲間になるひとなのだ。
(このひとが斬られるくらいなら、いっそ私が)
そんなアリサの頭に、ぽん、と、フランツの大きな手が乗る。
フランツはそのまま、はっきりと言い切った。
「無礼討ちだと言うのなら、俺だけを斬りなさい。俺はこの城の城主だ、城の者を守る義務がある。あなたは、この城の猫の一匹も、花の一輪も、幽霊のひとりでさえ、決して傷つけてはならない。もちろん、この、アリサもだ!」
アリサはフランツを見上げた。
フランツはアリサを見なかったが、代わりに、大きな手が力強く頭を撫でてくれる。
「はあ!? アリサはおまえの城の者じゃないだろうが! 何を思い上がっているんだ!!」
「俺の城の仲間ですよ。俺の大事な城を、守ってくれた」
フランツの言葉が、アリサの胸を震わせる。
じわ、と感涙を滲ませながら見上げていると、フランツがやっとアリサのほうを見てくれた。彼は優しく、それでいて、少しいたずらっぽく笑う。
「ありがとうな、アリサ」
「フランツさま……」
見つめ合うふたりを見て、クリスは段々と青ざめていく。
数歩後ろへ下がり、剣の柄を握ったまま、ぶるぶる震える。
そんな彼を、ずらりと幽霊たちが取り囲んだ。
「ひっ……!」
すさまじい形相の幽霊たちに囲まれ、クリスは徐々に戦意をなくす。
彼はついに剣から手を離し、吠えた。
「覚えていろ!! この無礼、いつか必ず、おまえの首を絞めるぞ……!」
「俺は忘れてあげますよ! あなたのみっともない態度のことは、すべて!」
「っ……!! くそっ……くそっ! くそっ!!」
フランツの宣言に、クリスは赤くなったり、青くなったりしたのち、よろよろと去って行った。残されたのは、フランツとアリサ、そして、すっかり穏やかな顔になった幽霊たち。
「フランツさま!」
アリサがフランツに抱きつくと、フランツも軽く彼女を抱き返した。
「大変だったな。怖かっただろう」
ぽんぽん、と軽く背を叩かれると、嬉しくて涙が出てしまう。
胸が温かい気持ちでいっぱいだ。
なのに涙は止まらない。
こういうとき、どう言ったらいいのだろう。
アリサはよくわからない。
だから彼女は、こう言った。
「あの。私たち、これから、毎日お茶会をしましょう!」
フランツは一瞬きょとんとしたあとに、やけに嬉しそうに笑って、こう返した。
「毎日は多いかな。三日に一度くらいでいこう」
END




