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追放先はいいところ~幽霊城でお茶したら、寝不足辺境伯に愛されました~

作者: 栗原ちひろ
掲載日:2026/09/05

「アリサ・ガーネット! きみとの婚約を破棄する!」

「えっ、どうしてですか?」

「どうしてかは、その胸に聞いてみるがいい!!」


 さげすむような婚約者の視線を浴びて、アリサ・ガーネットは立ち尽くした。

 宮廷での派手な夜会の最中である。


(どうしてなのかしら。理由は……正直、山ほど思い付くわ)


 まず、アリサは容貌が悪役っぽい。

 長い銀髪に、紫色の瞳。

 美人ではあるが、なんとなく陰気な顔だと言われがちだ。

 さらに無表情気味だし、喋り方も淡々としている。

 きっと性格が悪いのだろうとか、黒魔法を使っていそうとか、悪い噂は後を絶たない。


 次に、婚約者の身分が高すぎる。

 アリサはごく普通の伯爵令嬢だが、婚約者はこの国の第一王子、クリスだ。

 金髪碧眼で長身の美男子で、貴族学校でも成績トップ。

 いつも婚約狙いの貴族女子に囲まれていた。


 そんな彼がどうしてアリサと婚約したのか。

 当時もわけがわからなすぎて五回くらい「冗談ですよね?」と聞いてしまったが、面倒臭そうにあしらわれて、返事はもらえなかった。

 まったくもって謎である。


 さらに今、クリスは美しい金髪のお嬢さんの肩を抱いている。

 人形のように愛らしい彼女は、社交界の花。

 公爵家出身の、キャスリン・フォレスター。

 どう見ても、アリサよりクリスとお似合いだった。


「よくわかりませんが、殿下のおっしゃる通りにいたします。私、次はどうしたらいいでしょう?」


 礼儀正しく頭を下げるアリサに、クリスは顔を引き攣らせる。


「おまえはもうちょっと、悔しがるとかなんとかないのか!?」

「悔しがったほうがいいですか?」

「いいや、要らん! とにかく、もうわたしの婚約者ではないのだから、王宮からは追放だ! わたしの目の届かないところへ行け! まったく腹立たしい!」


(罪状もなにもはっきりしないのに、追放。……まあ、いいですけど)


 王子とはいえ、そんな勝手をやる権力ってあるのだろうか。

 アリサは首をひねったまま、軽く一礼して追放を承諾した。


 ひとを呪いそうな見た目とはうらはらに、彼女は争いが嫌なのだ。



「お嬢さま、本当にここへ行かれるのですか?」

「いいところですよ。王都から遠いし。家同士は知り合いだし。クリスさまの怒りが晴れるまで、身を隠すにはもってこい」

「でも……幽霊城と呼ばれてる城ですよ?」


 不安顔の従僕に言われ、アリサは城を見上げた。

 どろどろと灰色に曇った空にそびえる、つんつんとした真っ黒な塔。

 黒に近い石を積んで作った大きな城は、この世の最果てみたいな崖の上にある。


「確かに陰気で、古くて、幽霊が出そう。でも、お茶はできるわ」


 こくりとうなずき、アリサはせっせと城へ向かった。


 こう見えてアリサはお茶が好きだ。

 お茶会さえできれば、そこはいいところだと思っている。


「失礼します」


 大きな扉の前でノッカーを鳴らすと、青ざめた顔の執事が出てくる。


「アリサさまですね」

「はい。しばらくお世話になります。シェルマン辺境伯はどちらに? 初対面なので、ご挨拶を」

「シェルマン辺境伯はお会いになりません」

「ご病気ですか?」

「人嫌いなのです。わたくしどもも、もうとんとお顔を拝見しておりません」

「あら、それは――」


 好運(ラッキー)、と、アリサは思った。


 何せアリサはこの容貌だ。

 一目で嫌われることも、まあまあある。

 雲隠れ先でも嫌われたら、少し面倒だなあと思っていた。


 が。


(顔をあわせないでいいなら、嫌われることもないでしょう! よし!)


 無表情のまま内心ガッツポーズを取り、アリサは城での生活を始めることにした。



「こちらがアリサさまの部屋でございます」

「屋根裏ですね」

「もしご不満があるようでしたら――……」

「すてきな天窓」

「……はい?」

「すてきな円卓」

「はあ、まあ」

「これは、お茶会ができる部屋……!」

「そうですか?」


 執事は部屋を見渡した。

 屋根裏は簡素な部屋だ。

 天井は斜めだし、低いし、床はぎしぎしいうし、広さもない。

 それでも床には温かい絨毯が敷いてあるし、円卓にも椅子にも見事な彫刻が入っているし、何より天窓からの光が温かかった。


 アリサは目をきらめかせて言う。


「私、早速お茶の準備をします!」

「お茶なら我々が淹れますが」

「自分で淹れるのがいいのです。あとでお湯をもらいに行きますね」

「それはもちろん、ご自由に」

「ちなみに、お願いなのですが……」


 アリサは執事を見つめる。

 じっとりした彼女の流し目に、執事はぎくりとした。


「な、なんでしょう?」

「お茶会というのは、ひとりでやると様になりません」

「なるほど。しかしここは辺境でして」

「私も雲隠れ中ですし、正式なお客さまは呼べません。そこで、執事さんたちがお客さまになっていただくわけには……?」

「まさか! それは不敬でございます」

「駄目ですか」

「はい。貴族は、貴族同士でお茶をするものです。それでは」


 執事はそう言って去って行く。

 アリサは彼を見送りながら考えた。


(この城にいる貴族は、私と、シェルマン辺境伯だけ)


 しかし、辺境伯は人嫌いだ。

 お茶会には来てはくれないだろう。


 だったらひとりでお茶会しようか、とアリサは思う。

 

 が、実際には、彼女はお客に困らなかった。

 なにしろここは、幽霊城だったので。



 その日お茶会ができたのは、夜になってからだった。

 荷物整理と、ひとりきりの夕食が終わったあと。

 アリサは厨房でポットにお湯をもらい、うきうきと屋根裏へ帰った。


 部屋の円卓には、自前のティーセットが並ぶ。

 カップとソーサーは白磁で、細かな銀の蔓模様つき。

 そこに注がれるのは、アリサが自分で調合したフレーバーティーだ。


「軽い紅茶に、白桃、洋梨、ジャスミン――ほんの少しだけバニラ。香りは華やかでも、味は甘ったるくない、みずみずしい傑作ね」


 そういえば、クリスは一度もお茶会に来てくれなかった。

 彼とはろくにふたりで喋ったこともない。

 アリサのことは嫌いでも、お茶は飲んでくれたらよかったのに。

 何しろ、こんなに美味しいのだから――。


 そんなことを思っていると。

 ――ぽたり。

 頭に水滴が落ちた。


「あら、雨もり?」


 アリサは顔を上げる。

 頭上には天窓。

 その窓の外側に、濡れた手形がついている。


「手の形……?」


 ――ぺたん。

 見ているうちに、手形が増える。


「なるほど、気のせいではない」


 ――べたん。

 さらにもうひとつ。


 普通は怖がるところだった。

 しかしアリサは、あまり普通ではなかった。

 争いが苦手で、お茶が好きで、他のものは、割とどうでもいい。


 ――べたん。

 さらに手形が増えたところで、アリサは声をかけた。


「誰か、窓の外にいらっしゃるのですか?」


 すると今度は、天窓に、逆さまの女の顔が映る。


 きゃああああああ!

 ……と、叫んでもよかったのだが、アリサは叫ばなかった。


 代わりに立ち上がり、天窓に声をかける。


「こんばんは。幽霊の方ですか?」


 近くで見ると、女の顔は蒼白く、明らかに幽霊だった。

 しかしその格好は、立派なドレス。

 アリサの目は、きらんと光った。


「あの。貴族の幽霊ですよね? どうでしょう、お茶会のお客になってくださいませんか」

「…………」


 幽霊はぽかんとしている。

 アリサが、どうぞ、とカップを差し出すと、幽霊はそれを見た。

 そうしてやがて、穏やかな顔になる。

 すっ……と幽霊は消えて行った。


「お誘い、失敗ね」


 アリサは少しがっかりして、カップを下ろす。

 ところがカップのお茶には異変があった。


「香りが、しない……? ひょっとして、香りだけ吸っていってくれたの?」


 アリサがつぶやくと、ことん、と、天窓に優しい音が響いた。



 それからのアリサの生活は、大充実だった。

 この城には、生きた人間はアリサと辺境伯と使用人しかいない。

 が、幽霊はたくさんいたのだ。


 庭の池には、腰まで水に浸かり、草にからまった、貴婦人の幽霊。


 廊下の隅には、彫刻と壁の隙間で動けなくなった、使用人の幽霊。


 地下室には、棚の上に縮こまっている子どもの幽霊。


 見つける度にびっくりはしたが、みんな、誘えばお茶に来てくれる。

 しかもそのあとは、あまりひとを脅かさなくなる。


 池の幽霊は、池の側でピクニックをしたら上がってきた。

 そのあと池の水草を掃除したら、毎日にこにこ庭を散歩している。


 使用人の幽霊は、彫刻を移動させたら、忙しく働くようになった。

 生きた使用人の仕事を手伝い、アリサのお茶会も手伝ってくれる。


 地下室の幽霊は、お茶を見せても棚から下りて来なかった。

 お菓子を見せたらやっと下りてきたが、部屋の隅を見て怯えていた。

 調べると、部屋の隅には鼠の巣穴があった。

 鼠退治をした結果、地下室の幽霊は床に下り、元気に遊ぶようになった。


「……幽霊が怖くないのですか、アリサさまは」


 呆れた執事に言われ、アリサは首を傾げる。


「ちょっとびっくりはしますが、みんな実害はないですよ。叫んだり、暴れたり、隠れたりしている場合は、原因があるみたいです」

「それで、池の掃除をしたり、模様替えをしたり、鼠退治をしたりですか」

「ついでにお城も綺麗になっているし、悪くないのでは?」

「まあ、実際悪くないのです」


 うむ、と頷き、執事はアリサにお茶菓子をくれた。


 そんな日々の中、アリサはついに、城主の辺境伯と出会うことができた。

 アリサが銀色のポットを盆に入れて、廊下を歩いていたときだ。

 後ろから、ずる、ずる……と足を引きずる音がした。


「新顔幽霊さん?」


 アリサが振り向くと、そこには大柄な人影が。


「誰が幽霊だ……」


 地を這うような声。

 アリサがびくりとすると、彼は大きくよろめき、ゴン! と廊下の壁にぶつかった。

 はわわ、となるアリサの目の前で、彼はどうにか持ち直した――かと思えば、反対側にふらふらーっとよろめき、ゴン!! と、反対の壁にぶつかった。


「だ、大丈夫ですか!?」

「大丈夫、ではない……」


 うめく彼は、よく見るとたいそう整った顔をしている。

 黒髪は乱れ、目の下には濃い隈があり、頬も少しこけているが、元は鋭い目つきの美男子なのだろう。


 ただし今は、幽霊より幽霊らしい。


「目が回る、ねむい、ねる……」


 男は言い、シェルマン辺境伯の部屋に入っていった。


「今の方が、シェルマン辺境伯」


 アリサは彼の部屋の扉を見つめ、つぶやく。


(あれは人嫌いというか、寝不足では……?) 



 寝不足はよくないと、アリサは思う。

 何せ人相が悪くなる。


(私も顔で色々誤解されたけれど、辺境伯もそうなのかも)


 だとしたらどうにかしてあげたい、とアリサは思う。


 この城で寝不足になる理由といったら、幽霊だろう。

 何せ幽霊が多いのだ。


「ははあ、それで、ご主人さまの寝室を調べたいと?」

「はい。寝不足の原因が幽霊なら、今までの経験を生かせるかもしれないですし」

「そういうことでしたら、寝室に立ち入ってもよろしいのでは」

「見逃してくれます?」

「ええ。大事なものは別のお部屋にありますし」


 執事は言い、アリサが寝室の鍵を持ち出すのを、見て見ないふりをしてくれた。

 アリサは辺境伯が留守の隙を狙い、室内に忍び込む。


(普通の寝室ね)


 天蓋付きの寝台。

 クローゼット。

 鏡。

 カーテンの閉まった窓。

 壁に掛かった何枚かの絵。

 窓辺の円卓と椅子。


「お茶会によさそうな円卓。……ん?」


 円卓に気を取られていると、ふと横から風を感じる。

 どうやら、クローゼットの裏辺りからだ。


「隙間風?」


 クローゼットと壁の隙間に耳をくっつけてみる。


 ひゅー……ひゅるるるる~~~……

 ひぃ~~…………ひゃぁあぁ…………


「幽霊の声――みたいだけれど、これは風の音ね。寝不足の原因は、これかしら」


 隙間風があると、夏は暑いし、冬は寒い。

 そもそもうるさい。

 寝不足になるのもわかる。


 アリサは少し悩んだあげく、使用人にボロ布をもらって、クローゼットと壁の隙間に詰めてみた。


「よし、風の音は止んだ。これで辺境伯の睡眠事情が改善されたら、本格的な修理を提案しましょう」


 辺境伯が眠れるようになれば、人嫌いも治るかもしれない。

 そうなったら、アリサのお茶会に参加してくれるかもしれない。


 お茶会に関してだけは、アリサはとてつもなく前向きなのだ。



 さて、その夜のこと。

 アリサはこっそり自室を抜け出して、辺境伯の部屋の前にいた。


(辺境伯が眠れているか、気になって眠れない……)


 幽霊とのお茶会も最高だが、やはり人間ともお茶がしたい。

 この間見た辺境伯の整った顔がちらついて、アリサは自分の寝台を抜け出してきた。

 周りには、アリサを心配する幽霊たちがふよふよ漂っている。


「大丈夫よ、みんな。辺境伯の寝息を確認したら帰るから」


 ふよふよふよふよ


「平気、この城で危ないのはあなたたち幽霊くらいだし」


 ふよ……ふよ…………


「そこで落ち込まない! ほら、武器も持っているし」


 そう言ってアリサが幽霊に見せたのは、鉄梃(かなてこ)――両手で持つような鉄製の棒、先は鈎状になった工具――だ。最近幽霊がらみで城の手入れをするので、仲良くなった使用人から借りてきた。


「これがあれば大抵の人間はびっくりするし、高いところのものも取れるし、邪魔なものは壊せるし……ん?」


 幽霊と話をしていると、ふと、何か聞こえた気がした。

 アリサは耳を澄ます。


(今のは……?)


 ………………ぁぁん。

 にゃー…………ん。


「ね、猫の声!?」


 どこから!? ときょろつく。

 廊下に猫の姿はない。

 ばっ、と壁に耳を付けた。


「部屋の中……? それか、まさか、壁の中!?」


 何かを訴えかける猫の声に、アリサは焦った。

 扉にかじりつき、ドンドンと叩く。


「開けてください! シェルマン辺境伯!!」

「………………何事だ」


 案外すぐに扉は開いた。

 濃い隈を作った辺境伯に、アリサは言う。


「この部屋に猫はいますか!?」

「……きみにも聞こえるのか」

「いるんですか!? いないんですか!?」

「いないはずだ。どうせ幽霊の声だろう。こう毎晩にゃーにゃーやられては……」

「ちょっと、失礼します!!」

「な、なんだ!?」


 思い切って部屋に押し入り、アリサは声の出所を探る。

 シェルマン辺境伯は動揺し、辺りをうろうろした。


「おい、きみ、未婚のお嬢さんがこんな夜中に……」

「未婚だと何がいけませんか?」

「いけないだろう。こう、色々と」


 シェルマン辺境伯は、案外堅いことを言う。

 アリサは振り返り、真剣に言った。


「私の貞操より、猫の命と、シェルマン辺境伯の安眠が大事です!」

「な……」


 シェルマン辺境伯は、びっくりしたように目を見開く。

 そんな彼に、アリサは微笑みかけた。


「寝不足が解消されたら、お茶会もできますし」

「お茶会? いや、なんのことだ?」


 怪訝そうな彼を放っておいて、アリサはクローゼットと壁の隙間をのぞいた。


「やっぱりここです! この、クローゼットの裏の、壁の中!」

「……その、壁の中がどうだって?」

「壁の中から、猫の声がします。幽霊ならいいですが、生きた猫が迷い込んでいたとしたら……!」


 真剣なアリサに、辺境伯も、ふむ、と真顔になった。


「なるほど」

「あの。この壁、壊してみていいですか?」

「………………いいだろう」


 辺境伯は案外あっさり言うと、重いクローゼットをずるずると移動させた。


「きみでは力が足りまい。俺がやる」

「いいんですか? 私も結構いけると思うのですが」

「何がいけるんだ……鉄梃を貸しなさい。下がっているんだ」

「わかりました、お願いします」


 アリサが鉄梃を渡すと、辺境伯がそれを壁に打ち付ける。


 カーン! カーン!! ボコッ……。


「あら? 今の音は……」

「この下、扉があるぞ」


 辺境伯は言い、さらに鉄梃を振るう。

 ほどなく壁の漆喰は剥がれ、そこに黒々とした古い扉が現れた。

 

 にゃーん。にゃぁぁーん……。


 扉の向こうから、寂しそうな猫の声が聞こえる。

 辺境伯は躊躇わず扉を押した。


 キィ――。


「暗いな」

「ランプを持ちます」


 アリサがランプで照らすと、そこはかび臭い通路だった。

 辺境伯が顔を突っ込み、辺りを見渡す。


「古い秘密の通路だ。空気も澱んでいる」

「猫はいますか?」

「猫は……」

「みゃあ、みゃあ」


 ふたりして、声のしたほうを見る。

 暗い通路に、うっすら浮かぶ、白い猫の影。


「……幽霊だな」

「幽霊ですね」


 ふたりは言い、シェルマン辺境伯がアリサを見る。


「怖くないのか?」

「あまり。平和にお付き合いできれば、幽霊でも大丈夫です」

「変わっているな」


 感心したように言われ、アリサは辺境伯を見上げた。


「シェルマン辺境伯は? 怖くないのですか?」

「怖い」

「怖いんですか」

「怖いが、ここは俺の城だ。……迷い込んでいるなら、出してやらないとな」

「…………」


 当然のように言うシェルマン辺境伯を、アリサは少し驚いた顔で見上げる。

 そして、やがて少し微笑んだ。


「お手伝いします」

「危ないかもしれない、きみは部屋にいろ」

「駄目です。あなたを守ってあげなくては」


 大真面目なアリサに、辺境伯は呆気にとられる。


「わたしを? きみが?」

「あなたは幽霊が怖いんでしょう? 私は、この家の幽霊には大分慣れました」

「…………」


 絶句したまま、辺境伯はまじまじとアリサを見下ろしていた。

 アリサは、こんなふうに異性に見つめられるのには慣れていない。

 少し頬が赤くなるのを感じ、視線を逸らす。


「先に行きますね」

「あっ、こら!」


 辺境伯の制止も聞かず、アリサはランプを持って先に立った。


 みゃあ、みゃあ。


 猫は甘ったれた声で泣きながら、足下に寄ってくる。


「どうしたの、餌が欲しいの?」


 みゃあ、みゃあ。


「こっちへおいで、部屋のほうへ」


 みゃあ、みゃあ。


 猫は鳴きながらうろつき、反対方向へ進む。

 アリサと辺境伯が猫についていくと、別の古びた扉に行きついた。


「使われていない扉だな。ここから風が入ってくる……壊すぞ」

「壊していいんですか?」

「構わない。部屋のほうへ行きたくないなら、こちらから出たいのかもしれない」


 シェルマン辺境伯は言い、鉄梃で古い木製の扉を破壊した。


 ギィ……扉が開く。

 すう、っと風が通る。


 扉の先は、小さな中庭だった。

 外から明かりが差し込み、通路が明るくなっていく。

 

「もう明け方だったんですね」


 アリサが言ったとき、隣を誰かが通った気がした。

 はっとして視線で追う。

 真っ白く透けた令嬢らしき幽霊が、通路を抜けて中庭に出る。

 猫の幽霊は大喜びで、その足下に駆け寄った。


 みゃあ、みゃあ。


 甘えて鳴く猫の幽霊に、令嬢の幽霊は餌をやっているようだった。

 そうしてアリサたちを振り返ると、にっこり笑う。


 ――ありがとう。


 幽霊は唇の動きだけでそう言って、すうっと消えた。


「…………」

「…………」


 アリサと辺境伯は、しばしその場に立ち尽くしていた。

 空がどんどん明るくなる。


 みゃあ、みゃあ。


 猫の声がして、ふたりはふと、下を見た。

 そこには、生きている猫が、一匹、二匹。もっとたくさん。


「お城で飼っている猫ですか?」

「いや。先祖が嫌っていたから、この城は猫は禁止だ。だが、誰かがここで餌をやっていたんだな。昔、俺の部屋に住んでいた、病弱な令嬢なんかが」

「なるほど……」


 アリサはうなずく。

 病弱令嬢なら、なかなか外出もできなかっただろう。

 代わりに、秘密の通路でここへ出て、猫に餌付けをしていたのかも。

 病弱令嬢の死後、秘密の通路は保安上の問題か、老朽化か何かで塞がれた。


「病弱令嬢は、亡くなったあとも、ここから出られないような気分だったのかもしれませんね。あの猫の幽霊は、病弱令嬢を連れだそうと鳴いてたのかも」

「だとしたら、いいことをしたな」


 シェルマン辺境伯は言い、ゆっくり中庭を歩いて行く。

 そして、一匹の猫を抱き上げた。

 その猫を見て、アリサは目を瞠る。


 その猫は、さっきの幽霊猫だった。


「シェルマン辺境伯、その猫は」

「大丈夫だ、こいつは怖くない」


 シェルマン辺境伯は言う。


「もう、満腹だからな」


 そう言って幽霊猫を撫でる彼の手は、とても優しかった。

 まばゆい朝日の中で、彼はなんだか、素晴らしく素敵に見えた。

 彼はやがて、アリサのほうを見て、そっと笑った。


「ありがとう。きみのおかげで、城の仲間たちを救えた」


(城の仲間……幽霊が?)


 本気で言っているなら、なんて変わっているんだろう!

 変なひとだ。

 そう思うのと同時に、なんだかひどく心がこそばゆくなった。


「あの」

「なんだ?」


 シェルマン辺境伯はまだ笑っている。

アリサは力一杯言った。


「私のお茶会に、来て下さいませんか!!」



 翌日のお茶会は、ものすごく楽しかった。


 城中のあらゆる幽霊が中庭に集い、ピクニックをしたのだから。

 芝生に絨毯を敷き、バスケットいっぱいのお菓子を広げ、アリサ特製のお茶を飲む。

シェルマン辺境伯は絨毯の真ん中に胡座をかき、生きている猫と幽霊の猫にめちゃくちゃよじ登られていた。


「こんなにいたのか、うちの城の幽霊は」


 シェルマン辺境伯は遠い目をしながら、カップを傾ける。

 アリサはそれを満足げに眺めた。


「シェルマン辺境伯のほうが、幽霊にお詳しいのでは?」

「今まで直視してこなかったからな。というか、フランツでいい」

「フランツさま、質問をいいですか?」

「どうぞ、アリサ・ガーネット」

「幽霊が怖くて、直視できないのに、どうして城の仲間とおっしゃったんです?」


 アリサの問いに、フランツは少し考えてから答える。


「この城は、俺の城だ」

「はい」

「ボロ城だが、守るために奔走している」

「はい」

「それがなんのためか、惰性か、先祖のためか、今まではよくわからなかったのだが――」


 一度言葉を切ってから、改めてフランツは辺りを見渡す。

 絨毯の上には幽霊の猫が寝そべり、生きた猫はそのへんをうろうろする。

 消えたはずの幽霊令嬢はにこにこ幽霊貴婦人とお茶をしているし、使用人はみんなにせっせと給仕する真似をしていた。


 幽霊だらけだが、賑やかで、穏やかなお茶会。


 フランツは最後にアリサを見ると、ふわりと笑う。


「きみと猫を助けたとき、幽霊も城の仲間だと思えた。俺は多分、この城が好きな奴らのために、ここを守ってきたんだ」


(ああ、好きだわ)


 ふわりと思ってしまい、アリサは何度か瞬きをする。

 こんなふうに、はっきりひとを『好き』と思うのは、初めてかもしれない。


 でも、この、正直で、仲間思いのひとが好きだ。

 

 きちんと寝たせいで、少し隈も薄くなっている。

 目つきの悪さも軽減され、こうして見ると正統派の美男子だ。


「……きれい」


 アリサが思わずつぶやくと、フランツもつぶやく。


「うん。きれいだな」

「はい!? な、な、なにがですか!?」


 まさか、自分のこと!? と、アリサは真っ赤になる。

 が、フランツは平然としたものだ。


「何を動揺している。以前に比べて、城が大分綺麗になっていて驚いた、という話だ」

「ああ! 池とか地下室とか、お掃除しましたから」

「……きみがやってくれたのか?」


 驚くフランツに、アリサはこくんと頷く。


「なんでそんなことを? きみは期間限定の客だろう」

「それはそうですが……」


 しばらく考えたのち、アリサは、さっきのフランツの笑顔を思い出して言う。


「お茶会がしたかっただけなんです」

「こんな幽霊城で?」

「はい。だって私、大好きですから」


 この城も、あなたも。

 声に出さずに言うと、フランツは固まってしまった。


「っ…………!」


 やがて、うっすら赤くなって視線を逸らす。

 そうしていると、彼はずいぶん若く見えた。

 ひょっとしたら、十八歳のアリサとそう遠くないのかもしれない。

 なんだかどきどきしてきた。

 アリサはそうっとフランツの顔をうかがう。


「フランツさま、照れてます?」

「照れてはいない!」


 フランツは叫び、ふと、唇を引き結ぶ。


「……いや、少し、照れているか。この城を好きだと言ってくれた客は、初めてだから」


 ぼそぼそと言うフランツは、なんだかすごく可愛らしい。


 どうしよう、全然目が離せない。

 もう少し側ににじりよってもいいだろうか。

 駄目だろうか。

 駄目でも行きたいから、もういいか!


 アリサがそんなことを考えていたとき。


 ふと、城のほうが騒がしくなる。

 続いて、ばたばたと執事が飛びこんで来た。


「申し訳ございません、急なお客さまが、すぐに案内しろと強引に……!」

「強引だと!? このわたしを誰だと心得る!! この国の第一王子だぞ!!」


 城の執事を横に避けて登場したのは、金髪碧眼の美男子。

 アリサの元婚約者、第一王子のクリスであった。


「殿下、一体どうなさったのです? 私、隠れたほうがいいですか?」


 きょとんとしたアリサが聞くと、クリスはうなる。

 彼は血走った目でアリサとフランツを見て、派手に顔を歪ませた。


「アリサ、このあばずれ!! もう浮気か!?」

「浮気も何も、私は未婚ですよ。殿下は人違いをなさっているのでは……」

「していない!! おまえほど変な女が他にいるか!?」

「全然いるのでは? というか、キャスリンさまは一体どちらへ?」

「あんなつまらん女は置いてきた! 堂々としているように見えてこっちに気遣いしまくるし、自分より家の都合で動くし、わたしの顔色をうかがってばかりで、ぜーんぜんつまらん! 気も休まらん!!」


(結構えり好みが激しいのね、クリスさまって)


 キャスリンも大変だろうが、どうか頑張ってほしい。

 他の女性を選ぶなら、それはそれで。

 そんな気分でアリサがぼうっとしていると、クリスはつかつかと歩み寄ってきた。


「すぐに来い! 王都へ戻るぞ!」

「えっ、待っ……!」


 腕をつかまれそうになり、アリサがにじりさがる。

 そこへ、フランツの手が伸びた。

 ぱしっ。

 座ったままクリスの手を掴み、彼を見つめる。

 クリスは驚き、真っ青になってフランツを見下ろした。


「貴様……何をした?」

「あなたの手を掴みました、殿下」

「そ、そそ、そ、そんなことが、許されると思っているのか!? わたしは第一王子! 王位継承権第一位! 次期国王だぞ!?」


 クリスは殺気立って怒鳴り散らすが、フランツは落ち着き払っている。


「知っていますよ。そして俺は、幽霊城の城主。シェルマン辺境伯だ」

「はっ! そうだよなぁ? その辺境伯が王子に敵対したら、どうなると思っている? 無礼討ちだ、無礼討ち!! この場で斬り捨ててくれる!!」


 クリスは怒鳴り、フランツの手を振り払った。

 そのまま一歩下がって、腰の剣に手をかける。


 さすがのアリサも、これには真っ青になった。


「やめてください、クリスさま!! 争いはいけません!!」

「そう思うなら、その男に言え!! 反逆者の無礼者に!!」


 クリスの目は嫌な光を帯びてぎらぎら光り、聞く耳を持たないようだ。

 フランツは、そんな彼から目を離さずに立ち上がる。


「俺は反逆などする気はありません」

「ならばここで俺に斬られろ! そこで素直に立っていろ!」

「いいですよ」


 フランツがさらりと言う。

 クリスは目を瞠り、アリサはフランツの腰にかじりついた。


「だ、だめです、フランツさま、だめ……!!」


 アリサは争いが嫌いだ。

 争いを避けるためなら、気のない相手の婚約者にもなれる。

 婚約破棄だって、追放だって平気だ。


 でも、フランツを失うのは嫌だった。

 きっとこれから、大事なお茶仲間になるひとなのだ。


(このひとが斬られるくらいなら、いっそ私が)


 そんなアリサの頭に、ぽん、と、フランツの大きな手が乗る。

 フランツはそのまま、はっきりと言い切った。


「無礼討ちだと言うのなら、俺だけを斬りなさい。俺はこの城の城主だ、城の者を守る義務がある。あなたは、この城の猫の一匹も、花の一輪も、幽霊のひとりでさえ、決して傷つけてはならない。もちろん、この、アリサもだ!」


 アリサはフランツを見上げた。

 フランツはアリサを見なかったが、代わりに、大きな手が力強く頭を撫でてくれる。


「はあ!? アリサはおまえの城の者じゃないだろうが! 何を思い上がっているんだ!!」

「俺の城の仲間ですよ。俺の大事な城を、守ってくれた」


 フランツの言葉が、アリサの胸を震わせる。

 じわ、と感涙を滲ませながら見上げていると、フランツがやっとアリサのほうを見てくれた。彼は優しく、それでいて、少しいたずらっぽく笑う。


「ありがとうな、アリサ」

「フランツさま……」


 見つめ合うふたりを見て、クリスは段々と青ざめていく。

 数歩後ろへ下がり、剣の柄を握ったまま、ぶるぶる震える。

 そんな彼を、ずらりと幽霊たちが取り囲んだ。


「ひっ……!」


 すさまじい形相の幽霊たちに囲まれ、クリスは徐々に戦意をなくす。

 彼はついに剣から手を離し、吠えた。


「覚えていろ!! この無礼、いつか必ず、おまえの首を絞めるぞ……!」

「俺は忘れてあげますよ! あなたのみっともない態度のことは、すべて!」

「っ……!! くそっ……くそっ! くそっ!!」


 フランツの宣言に、クリスは赤くなったり、青くなったりしたのち、よろよろと去って行った。残されたのは、フランツとアリサ、そして、すっかり穏やかな顔になった幽霊たち。


「フランツさま!」


 アリサがフランツに抱きつくと、フランツも軽く彼女を抱き返した。


「大変だったな。怖かっただろう」


 ぽんぽん、と軽く背を叩かれると、嬉しくて涙が出てしまう。

 胸が温かい気持ちでいっぱいだ。

 なのに涙は止まらない。


 こういうとき、どう言ったらいいのだろう。

 アリサはよくわからない。

 だから彼女は、こう言った。


「あの。私たち、これから、毎日お茶会をしましょう!」


 フランツは一瞬きょとんとしたあとに、やけに嬉しそうに笑って、こう返した。


「毎日は多いかな。三日に一度くらいでいこう」


END

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― 新着の感想 ―
王家は何故このアホを放置してんだ。
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