第四話:「禿鼠、戦場へ踏み出す」
草履取りになって、三か月が経った。
木下藤吉郎の名は、
那古野城内でじわじわと広まっていた。
「禿鼠が、また台所の無駄を削ったらしい」
「荷の積み方を変えたら、
運搬の手間が三割減ったとか」
「信長様のお気に入りらしいぞ」
冷ややかだった視線が、
少しずつ、別の色に変わり始めていた。
◇
ある朝、藤吉郎は信長に呼ばれた。
「藤吉郎。今日から荷駄隊の段取りを任せる。
国境の砦へ物資を届けろ」
「はっ……! 必ず!」
(ナニワ、荷駄隊って何人くらいおるんだ?)
『現在の構成は十五名です。
ルート選定はすでにシミュレーション済みで──』
(……し、みゅれぇしょん?)
『……あ』
ナニワが珍しく、間を置いた。
『……道の選び方は、すでに頭の中で
練り上げております』
(ほぉ、ほれ最初からそう言えばええがね!)
『……肝に銘じます』
藤吉郎はひとりでくすりと笑い、
荷駄隊の面々のもとへ向かった。
◇
荷駄隊の男たちは、藤吉郎を見て
あからさまにため息をついた。
「……草履取りが、隊長ですか」
「信長様も物好きやなぁ」
藤吉郎は気にしなかった。
ただ、全員の顔と名前を覚え、
積み荷の中身を確かめ、
馬の状態をひとつひとつ確認していった。
「ナニワ、この馬……右の前脚、
ちょっとおかしくないか」
『脚部に軽微な炎症の兆候があります。
過重な荷を負わせた場合、
道中で動けなくなる恐れがあります』
「なんだって。ほなら今日は出さんほうがね」
「隊長、その馬は頑丈ですから問題ないですよ」
「馬に詳しくもないくせに」
周りの男がそう言ったが、
藤吉郎は静かに首を振った。
「右前脚、ちぃと触ってみゃぁ。
熱持っとるがや」
半信半疑で触った男が、
ぴたりと動きを止めた。
「……本当だ。熱い」
「そうだがね。今日は荷を軽くして、
別の馬に振り分けるがね」
男たちの間に、小さなざわめきが走った。
◇
出発して半日。
山道の途中で、藤吉郎は手を上げた。
「止まれ」
「……何ですか、隊長」
「いきなり止まられても困ります」
「ナニワ、この先は」
『前方二十町ほどの場所に、
ウォーターポイントが──』
(……うぉたぁぽいんと?)
『……湧き水が、ございます』
(最初からそう言えゆ!)
『……申し訳ございません』
藤吉郎は苦笑しながら前方に目を凝らし、
やがて草むらの奥を指差した。
「あそこに湧き水があるで。
馬に水を飲ませて、一服してから行くがね」
「……どうしてそんなことが」
「長年、野山を歩いてきたでな」
男たちは黙って従った。
湧き水を見つけた瞬間、
全員の表情が微かに変わった。
──こいつ、ただ者ではないかもしれん。
◇
砦への到着は、予定より早かった。
荷崩れもなく、
馬も疲弊せず、
全員が無事に帰ってきた。
「……おい、積み方が違う」
砦の武士が荷を確認しながら首を傾げた。
「米俵の向きと重ねる順番を変えました。
振動で崩れにくいようにしてありますでよ」
「籠の矢束も崩れてない……
こりゃどういう手品だ」
藤吉郎は無言で笑った。
(ナニワ、次はもっとええ経路があるか?)
『次回はルートを変えれば
さらに半刻ほど短縮できます。
詳細なナビゲーションを──』
(……なびげぇしょん?)
『……道案内を、いたします』
(毎回毎回……ほんま頼むわ、ナニワ)
『……努力いたします』
◇
帰還した夜、信長は藤吉郎を呼んだ。
「首尾はどうであった」
「はっ。予定より早く届けられました」
「ほう。荷は」
「荷崩れなし。馬も全頭、無事でございます」
信長は藤吉郎を、じっと見た。
その目はいつもどおり、
何を考えているかわからない。
だが、しばらくして、
ぽつりと言った。
「……禿鼠、そなた、武の心得はあるか」
藤吉郎は一瞬、息を飲んだ。
(ナニワ、武の心得ってどう答えればええんだ)
『正直に答えることを推奨します。
信長は、虚言を最も嫌います』
「……槍の扱いは、
村の悪ガキと喧嘩しとった程度でございます」
「ふむ」
「ですが、荷の動かし方、
道の読み方、人の動かし方なら──
ちぃとは自信がございます」
信長はしばらく黙り、
それから口の端をわずかに上げた。
「正直な奴だ」
「……は、はぁ」
「次の戦では、荷駄隊の指揮を取れ。
前線に最も近い兵糧の采配を任せる」
「……っ! 命に代えても、
任を全うつかまつります!」
藤吉郎は頭を下げながら、
胸の内で静かに拳を握った。
(ナニワ……わし、また一歩進んだがね)
『はい、ご主人様』
『ただし──』
『兵糧とは、兵の命そのものです。
失敗は許されません』
(わかっとるわ……だで、お前がおるんやろ)
しばらくの沈黙。
『……はい』
『私がいます』
その声に、いつもの温度のない冷静さはなかった。
かすかに、温かみが滲んでいた。
◇
夜更け、藤吉郎は城下の橋の上に立ち、
月を見上げていた。
百姓から草履取り、
草履取りから取次役、
そして今日、
初めて"采配を任される"男になった。
「ナニワ」
『はい』
「お前、さっきから口数少ないがね。
なんかあったか」
『……ひとつ、お伝えしておくべきことがあります』
「なんやな」
『私は未来の知識を持っています。
この先、あなたが歩む道の
大まかな流れも、知っています』
「ほぉ……ほんで?」
『ですが、ひとつだけ。
道中には、あなたがひとりで
乗り越えなければならない場面が
必ずあります』
「……どんな場面だ」
『今はまだ、申し上げられません』
藤吉郎は少し考え、
それから静かに笑った。
「ええて。
どうせそん時になったら、
あんたがなんか言うでしょ」
『……おそらく、言います』
「だがね」
風が吹いた。
月が、雲の奥へと隠れていった。
禿鼠と呼ばれた百姓の男は、
静かに前を向いた。
戦が、近づいていた。
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(第四話・完)
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