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第四話:「禿鼠、戦場へ踏み出す」

草履取りになって、三か月が経った。


木下藤吉郎の名は、

那古野城内でじわじわと広まっていた。


「禿鼠が、また台所の無駄を削ったらしい」


「荷の積み方を変えたら、

 運搬の手間が三割減ったとか」


「信長様のお気に入りらしいぞ」



冷ややかだった視線が、

少しずつ、別の色に変わり始めていた。





ある朝、藤吉郎は信長に呼ばれた。



「藤吉郎。今日から荷駄隊の段取りを任せる。

 国境の砦へ物資を届けろ」



「はっ……! 必ず!」



(ナニワ、荷駄隊って何人くらいおるんだ?)



『現在の構成は十五名です。

 ルート選定はすでにシミュレーション済みで──』



(……し、みゅれぇしょん?)



『……あ』



ナニワが珍しく、間を置いた。



『……道の選び方は、すでに頭の中で

 練り上げております』



(ほぉ、ほれ最初からそう言えばええがね!)



『……肝に銘じます』



藤吉郎はひとりでくすりと笑い、

荷駄隊の面々のもとへ向かった。





荷駄隊の男たちは、藤吉郎を見て

あからさまにため息をついた。


「……草履取りが、隊長ですか」


「信長様も物好きやなぁ」



藤吉郎は気にしなかった。


ただ、全員の顔と名前を覚え、

積み荷の中身を確かめ、

馬の状態をひとつひとつ確認していった。



「ナニワ、この馬……右の前脚、

 ちょっとおかしくないか」



『脚部に軽微な炎症の兆候があります。

 過重な荷を負わせた場合、

 道中で動けなくなる恐れがあります』



「なんだって。ほなら今日は出さんほうがね」



「隊長、その馬は頑丈ですから問題ないですよ」


「馬に詳しくもないくせに」



周りの男がそう言ったが、

藤吉郎は静かに首を振った。



「右前脚、ちぃと触ってみゃぁ。

 熱持っとるがや」



半信半疑で触った男が、

ぴたりと動きを止めた。



「……本当だ。熱い」



「そうだがね。今日は荷を軽くして、

 別の馬に振り分けるがね」



男たちの間に、小さなざわめきが走った。





出発して半日。


山道の途中で、藤吉郎は手を上げた。



「止まれ」



「……何ですか、隊長」


「いきなり止まられても困ります」



「ナニワ、この先は」



『前方二十町ほどの場所に、

 ウォーターポイントが──』



(……うぉたぁぽいんと?)



『……湧き水が、ございます』



(最初からそう言えゆ!)



『……申し訳ございません』



藤吉郎は苦笑しながら前方に目を凝らし、

やがて草むらの奥を指差した。



「あそこに湧き水があるで。

 馬に水を飲ませて、一服してから行くがね」



「……どうしてそんなことが」


「長年、野山を歩いてきたでな」



男たちは黙って従った。


湧き水を見つけた瞬間、

全員の表情が微かに変わった。



──こいつ、ただ者ではないかもしれん。





砦への到着は、予定より早かった。


荷崩れもなく、

馬も疲弊せず、

全員が無事に帰ってきた。



「……おい、積み方が違う」


砦の武士が荷を確認しながら首を傾げた。



「米俵の向きと重ねる順番を変えました。

 振動で崩れにくいようにしてありますでよ」



「籠の矢束も崩れてない……

 こりゃどういう手品だ」



藤吉郎は無言で笑った。



(ナニワ、次はもっとええ経路があるか?)



『次回はルートを変えれば

 さらに半刻ほど短縮できます。

 詳細なナビゲーションを──』



(……なびげぇしょん?)



『……道案内を、いたします』



(毎回毎回……ほんま頼むわ、ナニワ)



『……努力いたします』





帰還した夜、信長は藤吉郎を呼んだ。



「首尾はどうであった」



「はっ。予定より早く届けられました」



「ほう。荷は」



「荷崩れなし。馬も全頭、無事でございます」



信長は藤吉郎を、じっと見た。


その目はいつもどおり、

何を考えているかわからない。


だが、しばらくして、

ぽつりと言った。



「……禿鼠、そなた、武の心得はあるか」



藤吉郎は一瞬、息を飲んだ。



(ナニワ、武の心得ってどう答えればええんだ)



『正直に答えることを推奨します。

 信長は、虚言を最も嫌います』



「……槍の扱いは、

 村の悪ガキと喧嘩しとった程度でございます」



「ふむ」



「ですが、荷の動かし方、

 道の読み方、人の動かし方なら──

 ちぃとは自信がございます」



信長はしばらく黙り、

それから口の端をわずかに上げた。



「正直な奴だ」



「……は、はぁ」



「次の戦では、荷駄隊の指揮を取れ。

 前線に最も近い兵糧の采配を任せる」



「……っ! 命に代えても、

 任を全うつかまつります!」



藤吉郎は頭を下げながら、

胸の内で静かに拳を握った。



(ナニワ……わし、また一歩進んだがね)



『はい、ご主人様』



『ただし──』



『兵糧とは、兵の命そのものです。

 失敗は許されません』



(わかっとるわ……だで、お前がおるんやろ)



しばらくの沈黙。



『……はい』



『私がいます』



その声に、いつもの温度のない冷静さはなかった。


かすかに、温かみが滲んでいた。





夜更け、藤吉郎は城下の橋の上に立ち、

月を見上げていた。


百姓から草履取り、

草履取りから取次役、

そして今日、

初めて"采配を任される"男になった。


「ナニワ」



『はい』



「お前、さっきから口数少ないがね。

 なんかあったか」



『……ひとつ、お伝えしておくべきことがあります』



「なんやな」



『私は未来の知識を持っています。

 この先、あなたが歩む道の

 大まかな流れも、知っています』



「ほぉ……ほんで?」



『ですが、ひとつだけ。

 道中には、あなたがひとりで

 乗り越えなければならない場面が

 必ずあります』



「……どんな場面だ」



『今はまだ、申し上げられません』



藤吉郎は少し考え、

それから静かに笑った。



「ええて。

 どうせそん時になったら、

 あんたがなんか言うでしょ」



『……おそらく、言います』



「だがね」



風が吹いた。


月が、雲の奥へと隠れていった。


禿鼠と呼ばれた百姓の男は、

静かに前を向いた。


戦が、近づいていた。



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    (第四話・完)

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