第四十八話:「夢の果て」 ──慶長の役・第二次朝鮮出兵──
慶長二年(一五九七年) 伏見城/朝鮮半島
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文禄四年、講和交渉は決裂した。
明の使者は言った。
「秀吉を日本国王に封ずる」と。
秀吉が求めたのは、明の皇女を後宮に迎えること。
朝鮮南部四道の割譲。
明との対等な国交。
どれひとつ、叶わなかった。
それどころか──「王に封ずる」とは、
臣下として認めるということ。
秀吉は激怒した。
慶長二年、再び兵が海を渡った。
十四万の軍勢が。
しかし今度は──誰も、止める人間がいなかった。
◇
「もう一度、行くがや」
秀吉は、地図を叩いた。
「今度こそ、決着をつけたる」
三成が、慎重に口を開いた。
「……殿下。兵の消耗が──」
「わかっとる」
「民の疲弊も──」
「わかっとる!」
秀吉の声が、部屋に響いた。
「わかっとるがや!」
「でも、これは俺の問題じゃない」
「明が、俺を舐めた問題だ」
三成は、それ以上言わなかった。
◇
官兵衛は、出兵の命を聞いた時、一人で空を見上げた。
「……ナニワ殿がいれば」
呟いた。
誰にも聞こえない声で。
「お前なら、止めたか」
「……いや」
官兵衛は、目を閉じた。
「お主でも、もう止められなかったかもしれん」
◇
慶長二年三月。
再び、朝鮮の地に火がついた。
◇
この戦は、残酷だった。
最初の戦より、ずっと残酷だった。
将兵たちは、戦果の証として──
耳を。鼻を。
切り取って送った。
塩漬けにして、船に積んで、海を渡らせた。
京の都に、塚が作られた。
数万の、名も知らぬ命の欠片が。
◇
「……」
その報告を聞いた三成は、文書を閉じた。
長い間、机を見ていた。
「……これは」
傍らの家臣が、静かに言った。
「太閤様の御命令です」
「……わかっている」
三成は、立ち上がった。
「わかっている」
それだけ言って、部屋を出た。
◇
朝鮮の海では、また李舜臣が待っていた。
日本水軍は、再び苦しめられた。
陸では、島津義弘が鬼神のように戦った。
泗川の戦い。
数万の明・朝鮮連合軍を、わずかな兵で退けた。
「島津に敵なし」と、戦場で言われた。
しかし──
勝っても、勝っても、終わらなかった。
◇
伏見城。
秀吉は、報告を聞き続けた。
「泗川で勝った」
「よし」
「しかし補給が──」
「続けろ」
「水軍が、また──」
「続けろ!」
◇
夜になると、秀吉は一人になった。
懐から、眼鏡を取り出した。
もう、何度繰り返したか。
「ナニワ」
静寂。
「この戦、どう思う」
静寂。
「……お前なら止めただろな」
静寂。
「俺もわかっとる。おかしいって」
静寂。
「でも、止められんのだわ」
秀吉は、眼鏡を握りしめた。
「止まったら、全部終わる気がして」
「小一郎も、利休も、鶴松も」
「全部、無駄になる気がして」
「だから」
「だから、止まれんがね」
◇
返事は、なかった。
でも秀吉は、眼鏡を懐にしまわなかった。
ずっと、手の中に持っていた。
◇
その頃、秀吉の体は確実に衰えていた。
食が細くなった。
眠れない夜が続いた。
時々、意識が朦朧とした。
侍医たちは、顔を見合わせた。
「……太閤様」
「なんだ」
「お体を、お休めください」
「休めん」
「しかし──」
「秀頼が、まだ五つだぞ」
秀吉は、侍医を見た。
「俺が休んどる暇は、ない」
◇
慶長三年に入ると、戦線は膠着した。
勝てない。
しかし退けない。
兵だけが、朝鮮の地で死んでいった。
◇
ある夜。
秀吉は、夢を見た。
百姓の子だった頃の夢だった。
腹が減っていた。
でも、笑っていた。
小一郎が、隣にいた。
母が、隣にいた。
みんなが、笑っていた。
「……」
目が覚めた。
部屋は、暗かった。
「俺は」
秀吉は、天井を見た。
「なんのために、戦ってとるんだろな」
◇
眼鏡が、少し温かかった気がした。
気のせいかもしれなかった。
でも秀吉は、そっと眼鏡を触った。
「ナニワ」
静寂。
「俺の夢、最初から言うてみてくれるか」
静寂。
「……そうだな。お前は黙っとるな」
秀吉は、眼鏡を空に向けた。
「でも俺は、覚えとる」
「みんなが腹いっぱい飯食える世」
「百姓が剣を持たんでもいい世」
「それが、俺の夢だったがね」
◇
声が、震えた。
「……どこで、間違えたんだ」
◇
《未来 藤宮研究室》
モニターに、ナニワの微弱な信号が映っていた。
「……聞こえてるか、NANIWA」
藤宮頼道が、静かに言った。
信号が、わずかに揺れた。
「そうか。聞こえてるな」
藤宮は、椅子に深く座った。
「お前が黙って聞いてやることしかできないのは、辛いな」
「でも──それだけで、あいつは救われてるかもしれない」
藤宮は、別のモニターを見た。
EDOの準備状況が、表示されていた。
「もう少しだ。待ってろ」
◇
── 語り ──
豊臣秀吉は、病の床に就いた。
朝鮮の戦は、まだ続いていた。
数万の兵が、海の向こうで戦い続けていた。
秀吉は、五大老に遺言を書いた。
秀頼を頼む、と。
秀頼を頼む、と。
何度も、何度も書いた。
「秀頼のことを、よろしく」という言葉を──
まるで、それだけが心残りであるように。
◇
《ナニワ記録──断片》
《……聞こえている》
《夢の話を、してくれた》
《最初の夢を》
《変わっていなかった》
《根っこは》
《ずっと》
《……よかった》
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