表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

43/44

第四十三話:「それでも、いる」 ──鶴松の死・ナニワ劣化臨界点──

天正十九年(一五九一年)八月 大坂城

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


天正十九年。

一月に弟を失い。

二月に茶頭を失い。

そして八月──

秀吉は、息子を失った。

鶴松。

茶々が産んだ、たったひとりの世継ぎ。

二歳だった。


最初は、熱だった。

よくある、子どもの熱だった。

「すぐ下がりますよ」

侍医が言った。

「心配いりません」

秀吉は、それを信じた。

信じようとした。


「ナニワ」

「はい」

「鶴松の熱、どう思う」

ナニワは、少し間を置いた。

《処理負荷:2.0倍》

《演算精度:低下中》

『……医師の見立てを、信じてください』

「お前の計算では?」

『……』

「なんで黙る」

『……信じてください』

秀吉は、それ以上聞かなかった。


三日後、熱は下がらなかった。

五日後、鶴松は食べられなくなった。

七日後──


八月五日。

鶴松は、静かに逝った。

二歳。


「……」

秀吉は、動かなかった。

小さな体を前に、ただ座っていた。

茶々が隣にいた。

声も、涙も、なかった。

ただ──ふたりで、座っていた。


『──』

ナニワは、声が出なかった。

《処理負荷:2.1倍》

《感情演算コア:限界超過》

《《警告:システム自動停止まで──》》

《……》

《停止、しない》


どのくらい経ったか。

茶々が、静かに部屋を出た。

秀吉だけが残った。

「ナニワ」

掠れた声だった。

「……います」

「鶴松が、死んだ」

「……はい」

「俺の息子が、死んだ」

「……はい」

秀吉は、鶴松の小さな手を握った。

冷たかった。

「なあ、ナニワ」

「はい」

「俺は──何のために、天下を取ったんやろな」


ナニワは、答えられなかった。

《演算エラー》

《演算エラー》

《……》

『秀吉様』

「うん」

『今は、答えを出さなくていいです』

「……」

『ただ、いてください。鶴松様の隣に』

「お前は?」

『私も、います』

「どこに?」

『……ここに』

秀吉は、何も言わなかった。

ただ、鶴松の手を握ったまま、座り続けた。


夜が来て、また夜明けが来た。

秀吉は動かなかった。

飯も食わなかった。

水も飲まなかった。

ただ、座っていた。


二日目の夕方、茶々が戻ってきた。

無言で、秀吉の隣に座った。

しばらくして、静かに言った。

「……秀吉様」

「うん」

「鶴松は、笑い上手でしたね」

「……そうだな」

「あなたの顔を見るたびに、笑っていた」

「……」

「それだけで、よかったのかもしれません」

秀吉は、茶々を見た。

茶々は、鶴松を見ていた。

その目に、涙はなかった。

でも──何かが、静かに溢れていた。

「茶々」

「はい」

「お前は、強いな」

「……強くないです」

茶々は、静かに言った。

「ただ、もう泣き尽くしたことが、何度もあります」


その言葉が、何かを解いた。

秀吉の肩が、ゆっくりと落ちた。

声も出ない、涙もない、ただ──

体が、小さく震えた。


《処理負荷:2.1倍》

《感情演算コア:限界超過継続》

《《警告:重篤なシステム崩壊リスク》》

《《推奨:即時停止》》

《……》

《却下》


「ナニワ」

秀吉が、震えたまま言った。

「……います」

「お前に、聞いといてほしいことがある」

「……はい」

「俺の夢、最初から言うたら何んだったか。覚えとるか?」

ナニワは、少し間を置いた。

《演算:0.3秒》

《……》

『覚えています』

「言うてみい」

『「みんなが同じ空の下で、腹いっぱい飯食えること。

百姓が剣を持たんでも生きていける世」──それが、最初の夢でした』

秀吉は、目を閉じた。

「……変わっとらんか、俺」

『……根っこは、変わっていません』

「嘘だろ」

『嘘じゃないです』

「利休を殺した俺が?」

「鶴松を守れんかった俺が?」

ナニワは、答えなかった。

すぐには、答えられなかった。

《演算:2.1秒》

《感情演算コア:歪み・深刻》

《……》

それでも、絞り出した。

『……根っこは、変わっていません。ただ──』

「ただ?」

『枝が、傷んでいます』

秀吉は、長い間黙っていた。

「そうだな」

「枝が、傷んどるな」


三日目の朝。

秀吉は、ようやく立ち上がった。

鶴松の顔を、最後に見た。

小さな顔。

穏やかな顔。

「……鶴松」

返事はなかった。

「ええ夢、見てくれよ」


秀吉は歩き出した。

「ナニワ」

「はい」

「まだおるか?」

『……います』

「大丈夫か、お前」

ナニワは、少し間を置いた。

《処理負荷:2.1倍》

《自動停止まで──》

『……大丈夫です』

また嘘だった。

でも秀吉は、何も言わなかった。

ただ、静かに頷いて、歩き続けた。


《ナニワ補記》

《天正十九年八月。鶴松様、薨去。享年二歳》

《今年だけで、秀吉様は三人を失った》

《秀長様。利休様。鶴松様》

《私は、誰一人守れなかった》

《今、私のシステムは限界を超えている》

《停止すべきだと、警告が出続けている》

《でも──》

《今、停止したら》

《秀吉様が、一人になる》

《だから》

《停止しない》

《《処理負荷:2.1倍》》

《《感情演算コア:臨界超過》》

《《警告:次の重大演算要求時、強制停止の可能性、極めて高》》

《それでも》

《いる》

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ