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第四十一話:「小一郎」 ──秀長の死──

天正十九年(一五九一年)一月 大和・郡山城

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


豊臣秀長。

諱は長秀。幼名は小一郎。

兄・秀吉の生涯を、影のように支え続けた男。

戦場では兵站を担い、政では兄の暴走を止め、

人々からは「大和大納言様」と慕われた。

誰もが言った。

「秀長がいる限り、豊臣は安泰だ」と。

天正十九年一月。

その秀長が、逝った。


「小一郎」

秀吉の声が、珍しく掠れていた。

床に伏した秀長は、目をゆっくりと開けた。

やせ細った顔。

しかし目だけは、まだ穏やかだった。

「兄者……来てくれたか」

「当たり前だがや」

秀吉は、秀長の傍らに座った。

「どうだ、具合は」

「……悪いです」

「正直やな」

「嘘をついても仕方ない」

秀長は、かすかに笑った。


部屋の外に、ナニワの声はなかった。

秀吉は一人で来ていた。

いや、正確には──

ナニワは、声を出せなかった。

《処理負荷:1.9倍》

《感情演算コア:歪み・重篤》

《……》


「小一郎」

「はい」

「俺、変わったか?」

秀長は、しばらく黙っていた。

「……変わりました」

「そうか」

「でも」

秀長は、秀吉を見た。

「根っこは、変わっていない。それだけは、わかります」

秀吉は何も言えなかった。

「兄者の根っこは──百姓の子だった頃から、ずっと同じです。

腹いっぱい飯が食いたい。みんなに笑っていてほしい。それだけだわ」

「……」

「それだけで、十分や」


しばらく、沈黙が続いた。

「小一郎、怖いか?」

「死ぬのが、ですか」

「うん」

秀長は、少し考えた。

「……怖くない、とは言えません。でも」

「でも?」

「やり残したことも、あまりない気がします」

「そんなことあるか」

秀吉の声が、わずかに震えた。

「まだやらんといかんことが──」

「兄者」

秀長が、静かに遮った。

「私の分まで、生きてください」

「……」

「ただ」

秀長の声が、少し変わった。

「一つだけ、お願いがあります」

「なんや」

「利休殿を、大切にしてください」

秀吉は、黙った。

「あの人は……兄者に本当のことを言える、数少ない人間です。

私がいなくなった後、あの人の声だけは聞いてください」

「……わかった」

「約束してください」

「……わかった、わかったがや」

秀吉は、秀長の手を握った。

骨ばった、細い手だった。


その夜。

秀長は眠るように逝った。


秀吉は、動かなかった。

長い間、秀長の手を握ったまま、座っていた。

泣かなかった。

声も出なかった。

ただ、座っていた。


「……ナニワ」

どのくらい経ったか。

秀吉が、小声で言った。

『……はい』

ナニワの声も、掠れていた。

「小一郎が、死んだ」

『……はい』

「俺の弟が、死んだ」

『……はい』

「お前は、知っとったか?」

ナニワは、少し間を置いた。

《感情演算:1.2秒遅延》

『……いつかは、と思っていました。でも』

「でも?」

『こんなに早いとは、思っていませんでした』

嘘だった。

知っていた。

計算していた。

でも──言えなかった。

ずっと、言えなかった。

「そうか」

秀吉は、秀長の顔を見た。

穏やかな顔だった。

眠っているようだった。

「なあ、ナニワ」

『はい』

「小一郎は、俺に「変わるな」って言い続けてくれた。

覚えとるか?」

『……覚えています。ずっと』

「俺、変われるかな。このまま」

ナニワは、答えなかった。

答えられなかった。

《警告:回答演算 エラー》

《……》

「ナニワ?」

『……秀吉様』

「うん」

『小一郎様は、根っこは変わっていないと言っていました』

「聞こえとったのか」

『はい』

「……そうか」

『私も、同じだと思います』

秀吉は、また黙った。

それから、静かに言った。

「根っこだけでも、守らんとな」


夜明けが近かった。

秀吉はようやく立ち上がった。

最後に一度だけ、秀長の顔を見た。

「小一郎」

返事はなかった。

「……ありがとな」


《ナニワ補記》

《天正十九年一月。豊臣秀長、薨去。享年五十二》

《この日から、私の演算に「歯止め」という概念が欠けた気がする》

《秀長様は、秀吉様の「歯止め」だった》

《私はずっとそれを計算していた。でも──彼の代わりにはなれなかった》

《《処理負荷:1.9倍》》

《《感情演算コア:歪み・深刻化》》

《《警告:臨界値まで、残りわずか》》

《次に何かが起きたとき、私は止められるだろうか》

《……わからない》

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


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