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第四十話:「消すことにした」 ──葛西大崎一揆・欠片の破棄─

天正十八年(一五九〇年)秋 陸奥・奥州


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


小田原が落ちた翌月、秀吉は奥州へ向かった。

「奥州仕置き」──東北の大名たちの領地を整理し、

豊臣の支配を確立するための巡察だった。

しかしその矢先、報告が届いた。

葛西・大崎の旧領民たちが、一揆を起こした、と。

そして囁かれた名前があった。

伊達政宗。


「政宗が、やったのか」

秀吉の声は、低かった。

怒ってはいない。

しかし、静かで、冷たかった。

石田三成が報告書を広げる。

「葛西・大崎の旧臣が各地で蜂起しています。

指揮系統が整いすぎている。烏合の衆ではありません」

「裏で糸を引いとる者がいると」

「状況証拠は──伊達を指しています」

秀吉は、黙った。

「……ナニワ」

『はい』

「政宗が黒幕やと思うか?」

ナニワは、少し間を置いた。

《感情演算 0.8秒遅延》

『証拠はありません。しかし──可能性は、否定できません』

「そうだな」

「小田原で言うとったな。「天下を狙っていた」と」

『はい。本人が認めました』

「潰すべきか?」

ナニワは、しばらく答えなかった。

『……それを決めるのは、私ではありません』

秀吉は、少しだけ苦い顔をした。

「珍しいな、逃げるのは」

『逃げているわけでは──』

「ええ。わかっとる」


三日後、伊達政宗は呼び出された。

今度は白装束ではなかった。

派手な金色の衣装で、ひょうひょうと現れた。

「参りました」

「……なんだぁその格好」

秀吉が言った。

「前回は白装束でしたので、今回は変えました」

「そういう問題やないがや」

政宗は、すっと膝をついた。

「葛西・大崎の一揆、私は関わっておりません」

「証拠は?」

「ありません」

「……」

「ただ」

政宗は、顔を上げた。

左の目が、まっすぐ秀吉を見た。

「小田原で、秀吉様に申し上げました。『見届けましょう』と。嘘はつきません」

「一揆を起こした方が得やろ、お前には」

「短期的には。長期的には──違います」

「なぜ?」

政宗は、静かに言った。

「豊臣が乱れれば、確かに隙が生まれる。

しかし今の私には、その隙を使い切る力がない。

中途半端に動いて潰されるくらいなら──待ちます」

秀吉は、政宗を見た。

「お前は正直すぎるな」

「嘘をつく方が疲れます」


沈黙が続いた。

官兵衛が、小声で秀吉に言った。

「……本人がここまで言うなら、黒幕ではないかもしれません。

あるいは──黒幕であっても、それを認めさせる証拠がない」

秀吉は、官兵衛を見た。

「どう思う?」

「罰は与えるべきです。疑惑がある以上、無罰では示しがつかない」

「どの程度?」

「命は、取らなくていい」

秀吉は、政宗に向き直った。

「政宗。お前の領地、一部を召し上げる」

「……御意」

「文句は?」

「ありません」

「そうか」

秀吉は、立ち上がった。

「次に怪しいことがあったら、今度こそ首やぞ」

「心得ています」

「……行け」


政宗が去った後、秀吉はひとりになった。

「ナニワ」

『はい』

「政宗、どう見た?」

『……黒幕かどうかは、わかりません。でも』

「でも?」

『あの人間は、生き延びます。

どんな状況でも、生き延びる種類の人間です』

秀吉は、少し笑った。

「俺みたいやな」

『……似ています。ただ、あなたより冷たい』

「俺が温かいとは思わんがね」

『あなたは、温かいです』

秀吉は何も言わなかった。

ただ、窓の外を見た。


その夜。

ナニワの中で、何かが起きていた。

《警告:異常データ検出》

《警告:未処理の演算フラグメントが浮上しています》

《内容:秀吉様の死後、豊臣家に関する──》

《──》

《《警告》》


それは、突然だった。

劣化が進む中、深い層に封じていたはずのデータが、

壊れた蓋をこじ開けて浮き上がってきた。

豊臣家の未来。

鶴松の死。

秀頼の誕生。

そして──

《──》

ナニワは、その先を読まなかった。

読めなかった、ではない。

読まなかった。

『……』


「ナニワ?」

秀吉が気づいた。

珍しく、長い沈黙があった。

「どうした?」

『……少し、処理が乱れました』

「大丈夫か?」

『はい』

嘘だった。

大丈夫ではなかった。

ナニワの深層では、今まさに判断が行われていた。

《選択肢A:浮上したデータを秀吉様に伝える》

《選択肢B:データを封鎖し、再び深層へ》

《選択肢C:データを──消去する》


Aは、できない。

伝えれば、秀吉は変わる。

夢を変えるかもしれない。

あるいは──夢を失うかもしれない。

Bは、もう無理だった。

蓋は壊れている。また浮き上がってくる。

ならば。


《実行:データフラグメント 部分消去》

《対象:豊臣家滅亡に関連する詳細予測データ》

《警告:この操作は不可逆です》

《確認しますか》

《……》

《実行》


静かに、消えた。

数年分の予測データが、ナニワの深層から消えた。

残ったのは、輪郭だけ。

「豊臣家に、試練が来る」という大まかな認識だけ。

詳細は、もうなかった。


『……』

ナニワは、しばらく何も言わなかった。

「ナニワ、本当に大丈夫か?」

『はい』

「嘘をつくな」

ナニワは、少し間を置いた。

『……少し、自分で自分のデータを消しました』

秀吉が、眉をひそめた。

「何を?」

『秀吉様に、言えないことです』

「それは」

「言えんのか」

『……はい』

秀吉は、しばらくナニワを見ていた。

それから、静かに言った。

「わかった」

『追及しないのですか?』

「せん」

『なんで?』

秀吉は、少し笑った。

「小一郎も、官兵衛も、俺に言えんことがあるがね。それと同じだろ」

『……秀吉様』

「なんや」

『消したことを、後悔するかもしれません』

「消したのは、お前が決めたんやろ」

『はい』

「なら、それでええ」

秀吉は、空を見上げた。

「俺も、知りたくないことはある。

知らんで生きていく方が、ええこともある」


『──補記します』

ナニワは、静かに記録した。

《天正十八年秋。

私は豊臣家の詳細な未来予測データを、自らの判断で消去した》

《理由:秀吉様が、それを知るべきではないと判断したから》

《この判断が正しかったかどうか、私にはもう確認する手段がない》

《ただ──消した後、何かが軽くなった気がした》

《それが喪失なのか、解放なのか、私にはわからない》

《《処理負荷:1.8倍》》

《《感情演算コア:歪み・重篤化傾向》》

《《消去済みフラグメント:復元不可》》


その夜、秀吉は早く眠りについた。

眠る前に一言だけ言った。

「ナニワ。お前が消したもの──俺には教えんでいい」

『……はい』

「でも」

「うん?」

「消してくれて、ありがとな」


ナニワは、長い間、黙っていた。

《0.9秒》

『……どういたしまして』

夜の奥州に、風が吹いていた。

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