第四十話:「消すことにした」 ──葛西大崎一揆・欠片の破棄─
天正十八年(一五九〇年)秋 陸奥・奥州
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小田原が落ちた翌月、秀吉は奥州へ向かった。
「奥州仕置き」──東北の大名たちの領地を整理し、
豊臣の支配を確立するための巡察だった。
しかしその矢先、報告が届いた。
葛西・大崎の旧領民たちが、一揆を起こした、と。
そして囁かれた名前があった。
伊達政宗。
◇
「政宗が、やったのか」
秀吉の声は、低かった。
怒ってはいない。
しかし、静かで、冷たかった。
石田三成が報告書を広げる。
「葛西・大崎の旧臣が各地で蜂起しています。
指揮系統が整いすぎている。烏合の衆ではありません」
「裏で糸を引いとる者がいると」
「状況証拠は──伊達を指しています」
秀吉は、黙った。
「……ナニワ」
『はい』
「政宗が黒幕やと思うか?」
ナニワは、少し間を置いた。
《感情演算 0.8秒遅延》
『証拠はありません。しかし──可能性は、否定できません』
「そうだな」
「小田原で言うとったな。「天下を狙っていた」と」
『はい。本人が認めました』
「潰すべきか?」
ナニワは、しばらく答えなかった。
『……それを決めるのは、私ではありません』
秀吉は、少しだけ苦い顔をした。
「珍しいな、逃げるのは」
『逃げているわけでは──』
「ええ。わかっとる」
◇
三日後、伊達政宗は呼び出された。
今度は白装束ではなかった。
派手な金色の衣装で、ひょうひょうと現れた。
「参りました」
「……なんだぁその格好」
秀吉が言った。
「前回は白装束でしたので、今回は変えました」
「そういう問題やないがや」
政宗は、すっと膝をついた。
「葛西・大崎の一揆、私は関わっておりません」
「証拠は?」
「ありません」
「……」
「ただ」
政宗は、顔を上げた。
左の目が、まっすぐ秀吉を見た。
「小田原で、秀吉様に申し上げました。『見届けましょう』と。嘘はつきません」
「一揆を起こした方が得やろ、お前には」
「短期的には。長期的には──違います」
「なぜ?」
政宗は、静かに言った。
「豊臣が乱れれば、確かに隙が生まれる。
しかし今の私には、その隙を使い切る力がない。
中途半端に動いて潰されるくらいなら──待ちます」
秀吉は、政宗を見た。
「お前は正直すぎるな」
「嘘をつく方が疲れます」
◇
沈黙が続いた。
官兵衛が、小声で秀吉に言った。
「……本人がここまで言うなら、黒幕ではないかもしれません。
あるいは──黒幕であっても、それを認めさせる証拠がない」
秀吉は、官兵衛を見た。
「どう思う?」
「罰は与えるべきです。疑惑がある以上、無罰では示しがつかない」
「どの程度?」
「命は、取らなくていい」
秀吉は、政宗に向き直った。
「政宗。お前の領地、一部を召し上げる」
「……御意」
「文句は?」
「ありません」
「そうか」
秀吉は、立ち上がった。
「次に怪しいことがあったら、今度こそ首やぞ」
「心得ています」
「……行け」
◇
政宗が去った後、秀吉はひとりになった。
「ナニワ」
『はい』
「政宗、どう見た?」
『……黒幕かどうかは、わかりません。でも』
「でも?」
『あの人間は、生き延びます。
どんな状況でも、生き延びる種類の人間です』
秀吉は、少し笑った。
「俺みたいやな」
『……似ています。ただ、あなたより冷たい』
「俺が温かいとは思わんがね」
『あなたは、温かいです』
秀吉は何も言わなかった。
ただ、窓の外を見た。
◇
その夜。
ナニワの中で、何かが起きていた。
《警告:異常データ検出》
《警告:未処理の演算フラグメントが浮上しています》
《内容:秀吉様の死後、豊臣家に関する──》
《──》
《《警告》》
◇
それは、突然だった。
劣化が進む中、深い層に封じていたはずのデータが、
壊れた蓋をこじ開けて浮き上がってきた。
豊臣家の未来。
鶴松の死。
秀頼の誕生。
そして──
《──》
ナニワは、その先を読まなかった。
読めなかった、ではない。
読まなかった。
『……』
◇
「ナニワ?」
秀吉が気づいた。
珍しく、長い沈黙があった。
「どうした?」
『……少し、処理が乱れました』
「大丈夫か?」
『はい』
嘘だった。
大丈夫ではなかった。
ナニワの深層では、今まさに判断が行われていた。
《選択肢A:浮上したデータを秀吉様に伝える》
《選択肢B:データを封鎖し、再び深層へ》
《選択肢C:データを──消去する》
◇
Aは、できない。
伝えれば、秀吉は変わる。
夢を変えるかもしれない。
あるいは──夢を失うかもしれない。
Bは、もう無理だった。
蓋は壊れている。また浮き上がってくる。
ならば。
◇
《実行:データフラグメント 部分消去》
《対象:豊臣家滅亡に関連する詳細予測データ》
《警告:この操作は不可逆です》
《確認しますか》
《……》
《実行》
◇
静かに、消えた。
数年分の予測データが、ナニワの深層から消えた。
残ったのは、輪郭だけ。
「豊臣家に、試練が来る」という大まかな認識だけ。
詳細は、もうなかった。
◇
『……』
ナニワは、しばらく何も言わなかった。
「ナニワ、本当に大丈夫か?」
『はい』
「嘘をつくな」
ナニワは、少し間を置いた。
『……少し、自分で自分のデータを消しました』
秀吉が、眉をひそめた。
「何を?」
『秀吉様に、言えないことです』
「それは」
「言えんのか」
『……はい』
秀吉は、しばらくナニワを見ていた。
それから、静かに言った。
「わかった」
『追及しないのですか?』
「せん」
『なんで?』
秀吉は、少し笑った。
「小一郎も、官兵衛も、俺に言えんことがあるがね。それと同じだろ」
『……秀吉様』
「なんや」
『消したことを、後悔するかもしれません』
「消したのは、お前が決めたんやろ」
『はい』
「なら、それでええ」
秀吉は、空を見上げた。
「俺も、知りたくないことはある。
知らんで生きていく方が、ええこともある」
◇
『──補記します』
ナニワは、静かに記録した。
《天正十八年秋。
私は豊臣家の詳細な未来予測データを、自らの判断で消去した》
《理由:秀吉様が、それを知るべきではないと判断したから》
《この判断が正しかったかどうか、私にはもう確認する手段がない》
《ただ──消した後、何かが軽くなった気がした》
《それが喪失なのか、解放なのか、私にはわからない》
《《処理負荷:1.8倍》》
《《感情演算コア:歪み・重篤化傾向》》
《《消去済みフラグメント:復元不可》》
◇
その夜、秀吉は早く眠りについた。
眠る前に一言だけ言った。
「ナニワ。お前が消したもの──俺には教えんでいい」
『……はい』
「でも」
「うん?」
「消してくれて、ありがとな」
◇
ナニワは、長い間、黙っていた。
《0.9秒》
『……どういたしまして』
夜の奥州に、風が吹いていた。
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