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第三十二話:「天下の城──大坂に、俺の夢を建てる」


天正十一年(一五八三年)秋。

摂津国・大坂。

かつてここには、

石山本願寺があった。

信長が十年をかけて戦い、

ついに明け渡させた

難攻不落の城砦。

その跡地に──

羽柴秀吉は、

新たな城を建てることを決めた。

天下の中心となる、

城を。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


秀吉は、

更地となった台地に立った。

眼下に──

大川が流れている。

西には、

淀川の水系が広がる。

南には、

難波の海が光っている。

「……ここやがな」

秀吉は呟いた。

「ここが、俺の場所だがね」

『……どんな城にするつもりですか』

ナニワが聞いた。

「信長様の安土城より、

 でかい城だわ」

『安土城の天主は七層でした』

「ならば、もっとでかくする」

『……安土城より大きいとなると、

 当時最大の城郭になります』

「そーだがね」

秀吉がにやりとした。

「それが、俺の城だがね」


官兵衛が地図を広げた。

「縄張りを引きました」

「見せてくれ」

秀吉が覗き込む。

「石垣は──」

「巨石を使います。

 一つ一つが、人の背丈を超える大きさで」

「ほう」

「外堀、内堀の二重構造。

 本丸を中心に、

 二の丸、三の丸を配置」

秀吉が目を細めた。

「……官兵衛、これは」

「はい。

 落とされることのない城です。

 どれだけの軍勢が来ても、

 この城が落ちることはない」

「なんでそこまでしなかんの」

官兵衛が、

静かに言った。

「ここが天下の中心になるからです。

 天下の中心は──

 永遠に、落とされてはならない」

秀吉は、

少し間を置いた。

「……お前は、

 本当に先を見とるがね」

「あなたの軍師ですから」

「それしか言わんのか、お前は」

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


工事が始まった。

全国の大名に

普請への参加を命じた。

「天下普請」──

天下人の名のもとに、

日本中の力を結集する。

石が、運ばれた。

木が、運ばれた。

何万という人夫が、

台地を動き回った。

「すごいがね……」

秀吉は毎朝、

その様子を見た。

「ナニワ」

『はい』

「俺は昔──

 農村の倅だったがね」

『知っています』

「田んぼの畦道を走り回って、

 泥だらけで、

 腹を空かせとった」

『はい』

「その俺が──

 こんな城を建てとるがね」

秀吉は、

笑いとも泣きともつかない顔をした。

「夢みたいだがな」

『夢では、ありません』

ナニワが静かに言った。

『これは、あなたが作った現実です』

「そだな」

「でも……」

秀吉は台地の端に立ち、

大川を見下ろした。

「俺一人やったら、

 こうはなれんかったがね」

「信長様がいて、

 半兵衛がいて、

 官兵衛がいて、

 小一郎がいて」

「そして──お前がいた」

『……』

「ありがとうな、ナニワ」

ナニワは、

しばらく黙っていた。

それから──

珍しく、

すぐに答えた。

『……こちらこそ』


小一郎が駆けてきた。

「兄者!

 石垣の石が足りんがや!

 近江から追加で運ぶか、

 播磨から取り寄せるか、

 どっちがええ!」

「官兵衛に聞け」

「官兵衛どのは今、

 縄張りの修正で手が離せんがね!」

「ならお前が決めろ」

「俺が!?」

「お前が一番、

 工事のことわかっとるがや」

小一郎が、

ちょっと困った顔をした。

「……そう言われたら」

「播磨の石の方が、

 質がええがね。

 でも近江の方が、

 運ぶのが楽だがね」

「どっちが」

「質を取れや」

「播磨か! わかったがね!」

小一郎が走り去る。

秀吉は、

その背中を見ながら

静かに笑った。

『小一郎様は──

 本当に優秀ですね』

「そだがね」

「あいつがいなかったら、

 この城は建てられんがね」

秀吉は目を細めた。

「俺は前だけ見る。

 小一郎は足元を固める。

 官兵衛は先を読む」

「……うまいこと、

 回っとるがや」

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


ある夜。

秀吉は一人で

建設中の天主台に立った。

夜風が、吹いた。

大川の水面が、

月を映していた。

「……信長様」

秀吉は、

空に向かって言った。

「見とりますか」

「俺は今──

 あなたが果たせんかった

 この地に、城を建てとります」

「あなたを超えようとは

 思っとらんがね」

「ただ──」

秀吉の声が、

静かに揺れた。

「あなたが見たかった世界を、

 ここから作りたいんだがね」

「戦のない世。

 腹いっぱい食える世。

 民が笑える世」

「それが──

 俺の夢だがね」

「最初から、ずっと」

風が、吹いた。

川面の月が、

揺れた。

まるで──

答えるように。


「ナニワ」

『はい』

「お前は──

 俺の夢を覚えとるか」

『覚えています』

「最初に言ったのは、

 いつやったかな」

『松下家の台所で、

 まずい雑炊を食べながら

 言っていました』

「そんな昔から

 覚えとるんか」

『あなたと話した事は

 忘れるはずがありません』

秀吉は、

目を細めた。

「俺は変わったか、ナニワ」

ナニワは、

少し間を置いた。

『……変わりました』

「やっぱりそうか」

『でも──』

「でも?」

『夢は、変わっていません』

秀吉は、

少しだけ笑った。

「そやな」

「夢だけは、変わらんがね」

「変えたくないがね」

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


工事は、

昼も夜も続いた。

松明の灯りの下で、

人夫たちが動き続けた。

秀吉はその様子を見ながら、

「ナニワ」

『はい』

「この城が完成したら、

 何をする?」

『……天下統一です』

「それが終わったら?」

『民の生活を豊かにすること』

「それが終わったら?」

ナニワは、

少し間を置いた。

『……戦のない世で、

 あなたが笑っている様子を

 見ること』

秀吉が、

眉を上げた。

「それはお前の夢か?」

『……そう、なるかもしれません』

「計算機が、夢を持つか」

『あなたといると──

 いつの間にか、

 なってしまいます』

秀吉は、

声を上げて笑った。

久しぶりの、

明るい笑い声だった。

「ええがや、ナニワ。

 一緒に夢見よ」

『……はい』

「二人で」

『……はい』

夜の大坂に、

秀吉の笑い声が

響き渡った。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


ナニワが記録した。

《天正十一年秋。

 大坂城、築城開始。

 この城は──

 信長様が果たせなかった夢の跡地に建てられた。

 秀吉は「信長様を超えようとは思わない」と言った。

 私は──その言葉を信じている。

 今は、まだ。

 夢が、変わっていない間は。

 この城が天下の中心になる日まで──

 私も、一緒に見届ける》

青い光が、

夜の大坂を静かに照らした。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


大坂城は──

やがて、

日本最大の城郭となる。

その天主は金色に輝き、

遠く海からも見えたという。

農村の倅が建てた、

天下の城。

そこから──

豊臣の時代が、

始まろうとしていた。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

【次回、第三十三話】

天正十二年(一五八四年)。

尾張国・小牧。

かつての主の領地で、

秀吉は──

徳川家康と初めてぶつかる。

「小牧・長久手の戦い」。

この戦いで──

秀吉は初めて、

「負け」を経験する。

第三十三話「たぬきの壁──小牧・長久手、家康との初対決」

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


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