第三十二話:「天下の城──大坂に、俺の夢を建てる」
天正十一年(一五八三年)秋。
摂津国・大坂。
かつてここには、
石山本願寺があった。
信長が十年をかけて戦い、
ついに明け渡させた
難攻不落の城砦。
その跡地に──
羽柴秀吉は、
新たな城を建てることを決めた。
天下の中心となる、
城を。
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◇
秀吉は、
更地となった台地に立った。
眼下に──
大川が流れている。
西には、
淀川の水系が広がる。
南には、
難波の海が光っている。
「……ここやがな」
秀吉は呟いた。
「ここが、俺の場所だがね」
『……どんな城にするつもりですか』
ナニワが聞いた。
「信長様の安土城より、
でかい城だわ」
『安土城の天主は七層でした』
「ならば、もっとでかくする」
『……安土城より大きいとなると、
当時最大の城郭になります』
「そーだがね」
秀吉がにやりとした。
「それが、俺の城だがね」
◇
官兵衛が地図を広げた。
「縄張りを引きました」
「見せてくれ」
秀吉が覗き込む。
「石垣は──」
「巨石を使います。
一つ一つが、人の背丈を超える大きさで」
「ほう」
「外堀、内堀の二重構造。
本丸を中心に、
二の丸、三の丸を配置」
秀吉が目を細めた。
「……官兵衛、これは」
「はい。
落とされることのない城です。
どれだけの軍勢が来ても、
この城が落ちることはない」
「なんでそこまでしなかんの」
官兵衛が、
静かに言った。
「ここが天下の中心になるからです。
天下の中心は──
永遠に、落とされてはならない」
秀吉は、
少し間を置いた。
「……お前は、
本当に先を見とるがね」
「あなたの軍師ですから」
「それしか言わんのか、お前は」
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◇
工事が始まった。
全国の大名に
普請への参加を命じた。
「天下普請」──
天下人の名のもとに、
日本中の力を結集する。
石が、運ばれた。
木が、運ばれた。
何万という人夫が、
台地を動き回った。
「すごいがね……」
秀吉は毎朝、
その様子を見た。
「ナニワ」
『はい』
「俺は昔──
農村の倅だったがね」
『知っています』
「田んぼの畦道を走り回って、
泥だらけで、
腹を空かせとった」
『はい』
「その俺が──
こんな城を建てとるがね」
秀吉は、
笑いとも泣きともつかない顔をした。
「夢みたいだがな」
『夢では、ありません』
ナニワが静かに言った。
『これは、あなたが作った現実です』
「そだな」
「でも……」
秀吉は台地の端に立ち、
大川を見下ろした。
「俺一人やったら、
こうはなれんかったがね」
「信長様がいて、
半兵衛がいて、
官兵衛がいて、
小一郎がいて」
「そして──お前がいた」
『……』
「ありがとうな、ナニワ」
ナニワは、
しばらく黙っていた。
それから──
珍しく、
すぐに答えた。
『……こちらこそ』
◇
小一郎が駆けてきた。
「兄者!
石垣の石が足りんがや!
近江から追加で運ぶか、
播磨から取り寄せるか、
どっちがええ!」
「官兵衛に聞け」
「官兵衛どのは今、
縄張りの修正で手が離せんがね!」
「ならお前が決めろ」
「俺が!?」
「お前が一番、
工事のことわかっとるがや」
小一郎が、
ちょっと困った顔をした。
「……そう言われたら」
「播磨の石の方が、
質がええがね。
でも近江の方が、
運ぶのが楽だがね」
「どっちが」
「質を取れや」
「播磨か! わかったがね!」
小一郎が走り去る。
秀吉は、
その背中を見ながら
静かに笑った。
『小一郎様は──
本当に優秀ですね』
「そだがね」
「あいつがいなかったら、
この城は建てられんがね」
秀吉は目を細めた。
「俺は前だけ見る。
小一郎は足元を固める。
官兵衛は先を読む」
「……うまいこと、
回っとるがや」
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◇
ある夜。
秀吉は一人で
建設中の天主台に立った。
夜風が、吹いた。
大川の水面が、
月を映していた。
「……信長様」
秀吉は、
空に向かって言った。
「見とりますか」
「俺は今──
あなたが果たせんかった
この地に、城を建てとります」
「あなたを超えようとは
思っとらんがね」
「ただ──」
秀吉の声が、
静かに揺れた。
「あなたが見たかった世界を、
ここから作りたいんだがね」
「戦のない世。
腹いっぱい食える世。
民が笑える世」
「それが──
俺の夢だがね」
「最初から、ずっと」
風が、吹いた。
川面の月が、
揺れた。
まるで──
答えるように。
◇
「ナニワ」
『はい』
「お前は──
俺の夢を覚えとるか」
『覚えています』
「最初に言ったのは、
いつやったかな」
『松下家の台所で、
まずい雑炊を食べながら
言っていました』
「そんな昔から
覚えとるんか」
『あなたと話した事は
忘れるはずがありません』
秀吉は、
目を細めた。
「俺は変わったか、ナニワ」
ナニワは、
少し間を置いた。
『……変わりました』
「やっぱりそうか」
『でも──』
「でも?」
『夢は、変わっていません』
秀吉は、
少しだけ笑った。
「そやな」
「夢だけは、変わらんがね」
「変えたくないがね」
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◇
工事は、
昼も夜も続いた。
松明の灯りの下で、
人夫たちが動き続けた。
秀吉はその様子を見ながら、
「ナニワ」
『はい』
「この城が完成したら、
何をする?」
『……天下統一です』
「それが終わったら?」
『民の生活を豊かにすること』
「それが終わったら?」
ナニワは、
少し間を置いた。
『……戦のない世で、
あなたが笑っている様子を
見ること』
秀吉が、
眉を上げた。
「それはお前の夢か?」
『……そう、なるかもしれません』
「計算機が、夢を持つか」
『あなたといると──
いつの間にか、
なってしまいます』
秀吉は、
声を上げて笑った。
久しぶりの、
明るい笑い声だった。
「ええがや、ナニワ。
一緒に夢見よ」
『……はい』
「二人で」
『……はい』
夜の大坂に、
秀吉の笑い声が
響き渡った。
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◇
ナニワが記録した。
《天正十一年秋。
大坂城、築城開始。
この城は──
信長様が果たせなかった夢の跡地に建てられた。
秀吉は「信長様を超えようとは思わない」と言った。
私は──その言葉を信じている。
今は、まだ。
夢が、変わっていない間は。
この城が天下の中心になる日まで──
私も、一緒に見届ける》
青い光が、
夜の大坂を静かに照らした。
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大坂城は──
やがて、
日本最大の城郭となる。
その天主は金色に輝き、
遠く海からも見えたという。
農村の倅が建てた、
天下の城。
そこから──
豊臣の時代が、
始まろうとしていた。
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【次回、第三十三話】
天正十二年(一五八四年)。
尾張国・小牧。
かつての主の領地で、
秀吉は──
徳川家康と初めてぶつかる。
「小牧・長久手の戦い」。
この戦いで──
秀吉は初めて、
「負け」を経験する。
第三十三話「たぬきの壁──小牧・長久手、家康との初対決」
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