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第二十三話:「半兵衛よ、逝くな──有岡城の闇と、友の死」

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

「官兵衛が──

 捕まった」

その言葉が、

秀吉の耳に届いた瞬間、

時間が、止まった。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

天正六年(一五七八年)秋。

荒木村重が、

謀反を起こした。

信長への反旗。

有岡城に籠城した村重を、

秀吉は官兵衛に言った。

「説得してきてくれ」

「承知しました」

官兵衛は、

一人で有岡城へ向かった。

それが──

最後の姿だった。


「羽柴殿」

使いの者が、

血相を変えて飛び込んできた。

「官兵衛殿が、

 村重に捕らえられました」

「……なんやて」

「説得に向かった官兵衛殿を、

 村重が幽閉したと」

秀吉は、

立ち上がれなかった。

「官兵衛は……

 生きとるか」

「それが……

 消息が、わかりません」

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


「ナニワ」

その夜、秀吉は呟いた。

「官兵衛は生きとるか」

ナニワは、

すぐには答えなかった。

『……わかりません』

「わからんのか」

『有岡城の中の情報は、

 私には届きません。

 ただ──』

「ただ?」

『あの男が、

 そう簡単に死ぬとは

 思えません』

秀吉は目を閉じた。

「……俺も、そう思いたいがね」

「思いたいけど」

声が、

かすかに震えた。

「地下牢に入れられとったら、

 どうなるかわからんがや」

『……秀吉』

「なんだ」

『官兵衛殿は、

 生きています』

「根拠は?」

ナニワは少し間を置いた。

『根拠は、ありません。

 でも──私がそう、

 思います』

秀吉は、

眼鏡を見た。

「計算機が「思う」か」

『……おかしいですか』

「おかしくないがね」

秀吉は静かに言った。

「俺も、そう思う」


だが──

さらに悪い報せが来た。

荒木村重が信長に讒言した。

「黒田官兵衛は、

 はじめから我が方に寝返る気だった」

「証拠に──

 あれほど長く戻らないではないか」

信長の顔色が変わった。

「黒田官兵衛の息子──

 長政を、処刑する」

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


播磨・三木城攻めの陣中。

竹中半兵衛は、

その知らせを聞いた。

「……長政を、処刑」

半兵衛の側近が言った。

「殿下、いかがなさいますか」

半兵衛は、

静かに立ち上がった。

その体は、

すでにひどく痩せていた。

咳が、止まらなかった。

それでも──

「私が、信長様のもとへ参る」

「半兵衛様、御体が」

「構わない」

半兵衛は、

静かに言った。

「官兵衛は裏切っていない。

 私が、保証する」


半兵衛は、

信長の前に立った。

病の体で、

それでも背筋を伸ばして。

「信長様」

「竹中半兵衛か。

 何用だ」

「黒田長政の命を、

 お助けください」

信長が目を細めた。

「官兵衛が裏切った。

 ならば人質の命は」

「官兵衛は裏切っていません」

半兵衛は、

まっすぐに言った。

「あの男が、

 荒木村重ごときに

 魂を売るような人間では

 ないことを、

 私が保証します」

「保証できる根拠は」

「私が──

 官兵衛を知っているからです」

信長は、

しばらく半兵衛を見た。

それから、

「……長政の処分は、保留とする」

と、言った。

半兵衛は深く頭を下げた。

「ありがとうございます」

その時、

信長が静かに言った。

「竹中。

 お前の体は、もう長くないな」

半兵衛は、

答えなかった。


陣に戻った半兵衛を、

秀吉が迎えた。

「半兵衛!

 なんで一人で行ったんだ!」

「羽柴殿が行けば、

 感情的になるでしょう」

「そんなことは」

「なりますよ」

半兵衛が、

穏やかに笑った。

「あなたは、官兵衛のことになると

 冷静でいられない。

 だから、私が行きました」

秀吉は、

何も言えなかった。

「半兵衛……」

「長政の命は、つながりました。

 あとは官兵衛が

 戻ってくるのを待つだけです」

「……お前は」

「なんですか」

秀吉は声を絞り出した。

「お前は、本当に……

 いつもそうだわ」

「そうですか」

半兵衛は、

また笑った。

「私は、ただ

 計算通りに動いているだけです」

「嘘つくな」

秀吉が言った。

「計算で、

 あんな病の体で

 信長様の前に立てるか」

半兵衛は、

答えなかった。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


天正七年(一五七九年)六月。

三木城攻めの陣中で、

竹中半兵衛は倒れた。

「半兵衛様……!」

側近が駆け寄る。

半兵衛は、

薄く目を開けた。

「……羽柴殿を、

 呼んでください」


秀吉が駆けつけた時、

半兵衛はまだ息があった。

「……来てくれましたか」

「当たり前だわ!」

秀吉は枕元に座った。

「医者は? 薬は?」

「もう、いいです」

半兵衛が静かに言った。

「羽柴殿」

「なんや」

「官兵衛が戻ってきたら──

 二人で、天下を取ってください」

「……そんなこと、今言わんといて」

「今しか、言えないので」

半兵衛が、

かすかに笑った。

「あなたは──

 本当に、面白い人でした」

「最初に会った時、

 三顧の礼で迎えに来て、

 名古屋弁で「頼むがや」と言って」

秀吉は、

唇を噛んだ。

「それが……忘れられない」

「半兵衛」

「はい」

「死ぬなよ」

「……」

「頼むから、死ぬなよ」

半兵衛は、

それには答えなかった。

ただ、

静かに目を細めた。

「羽柴殿が「頼む」と言うのを、

 また聞けてよかった」

「それで……十分です」

その言葉を最後に、

竹中半兵衛は、

目を閉じた。

享年──三十六歳。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


「……ナニワ」

秀吉の声が、

震えていた。

「半兵衛が、逝った」

ナニワは、

答えなかった。

「なんで」

「なんで半兵衛が死なんといかんのだ」

「あいつはまだ三十六だがね」

「俺より全然若いがや」

「こんなに頭が切れて、

 こんなに優しくて、

 なんであいつが──」

秀吉の声が、

途切れた。

ナニワは、

しばらく黙っていた。

それから、静かに言った。

『……私には、止められませんでした』

「お前のせいやない」

『でも──』

『半兵衛殿が体を壊していくのを、

 私は知っていました。

 でも言いませんでした。

 言ったら、あなたが悲しむから』

「……」

『それが、正しかったのか

 今でもわかりません』

秀吉は、

何も言えなかった。

ただ、

夜の陣営で、

一人、泣いた。

天下人になってから

初めて──

声を上げて、

泣いた。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


その年の秋。

有岡城が落ちた。

地下牢から救出された官兵衛は──

やせ細り、

足が不自由になっていた。

一年間の幽閉が、

この男の体を蝕んでいた。

秀吉が駆け寄った。

「官兵衛!」

官兵衛が顔を上げた。

その目は、

まだ、鋭かった。

「……羽柴殿」

「生きとったがね!」

「はい」

「よかった……

 ほんまによかったがや」

官兵衛は、

秀吉の顔を見た。

「……泣いているのですか」

「泣いてないがね」

「泣いています」

「泣いてないがや!」

官兵衛が、

かすかに笑った。

「半兵衛は──」

秀吉の顔が、

一瞬だけ歪んだ。

「……逝った」

「そうですか」

官兵衛は、

静かに目を閉じた。

「……あの男らしい」

「らしいわ。

 最後まで計算通りに、

 お前の息子を守って逝きやがった」

「……長政が」

「生きとる。

 半兵衛が守った」

官兵衛の目に、

何かが光った。

泣かない男が、

泣きそうになっていた。

「……半兵衛」

「官兵衛」

秀吉が言った。

「二人で天下を取ろう。

 それが半兵衛との約束だがや」

官兵衛は、

一拍置いて、

「……御意に」

と、答えた。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

天正七年(一五七九年)。

竹中半兵衛、没。

黒田官兵衛、解放。

この年、

羽柴秀吉は二人の参謀を

同時に失い、

同時に取り戻した。

そして──

眼鏡の奥で、

ナニワは静かに記録した。

《補記:

 竹中半兵衛という人間を、

 私は──好きだった》

《計算式では説明できない「好き」を、

 私は初めて、知った》

青い光が、

夜の中で揺れていた。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

【次回、第二十四話】

天正八年(一五八〇年)。

三木城。

兵糧を断ち、

ただ待つ。

「干し殺し」と呼ばれる、

最も残酷な戦が始まる。

第二十四話「兵糧なき城──三木の干し殺しと、俺の苦悩」

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