第二十二話:「知略の男──黒田官兵衛、参る」
「この城を、差し上げます」
男は、
静かに言った。
秀吉は、
思わず聞き返した。
「……え?」
「姫路城を、
羽柴殿の本拠地として
お使いください」
「いや、待て待て待て」
秀吉は手を振った。
「お前今、
城を「差し上げます」言うたか?」
「はい」
「自分の城を?」
「はい」
「俺に?」
「はい」
秀吉はしばらく
この男を見つめた。
黒田官兵衛。
播磨の国人領主。
年は秀吉より五つ下。
細身で、
目だけが異様に鋭い。
「……お前、
正気か?」
官兵衛が、
わずかに口角を上げた。
「至って正気です」
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◇
天正五年(一五七七年)秋。
信長の命を受けた秀吉は、
播磨の攻略を任されていた。
西へ向かうための拠点が、
必要だった。
「播磨の豪族を、
どう取り込むかだがね」
秀吉が悩んでいると、
「羽柴殿に
お目通りを願いたいという者が」
と、家臣が告げた。
「誰や」
「黒田官兵衛と申す者です」
「聞いたことがないわ」
「姫路城主にございます」
「……姫路城?」
秀吉の目が光った。
姫路は、
播磨の要衝だ。
「通せ」
◇
現れた官兵衛は、
拍子抜けするほど物静かだった。
礼儀正しく頭を下げ、
「羽柴殿のご活躍は、
かねてより存じております」
と言った。
「ほう」
「信長様の天下統一は、
もはや時間の問題かと」
「そう思うか」
「思います。
ならば──」
官兵衛が、
まっすぐに秀吉を見た。
「私は、
その天下の側に立ちたい」
「俺の側に?」
「はい。
信長様の側ではなく、
羽柴殿の側に」
秀吉は、
眉を上げた。
「……信長様ではなく、
俺に仕えると?」
「はい」
「なんでだ?」
官兵衛が、
静かに答えた。
「信長様は天才です。
でも天才は、
天才でなければ理解できない」
「私は天才ではありません。
ですが──」
一拍、置いた。
「羽柴殿ならば、
私の言葉を聞いてくれると
思いました」
◇
秀吉は、
この男を面白いと思った。
「ナニワ」
小声で呼ぶ。
『……はい』
「こいつ、どう思う」
しばらく間があった。
《人物分析中》
『……危険です』
「危険?」
『頭が切れすぎます。
私と──似た思考をしています』
「計算機と似た思考?」
『先を読む力、
情報を整理する速度、
感情より論理を優先する判断。
私のデータ処理に近い』
「ほう……」
『ただ』
「ただ?」
『信頼できます』
「矛盾しとるがや」
『危険だけれど、信頼できる。
そういう人間が、
世の中にはいます』
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◇
「官兵衛」
秀吉は言った。
「一つ聞く」
「はい」
「お前は、
城を俺に渡すことで
何を得る?」
官兵衛は、
少しだけ笑った。
「羽柴殿は、
正直な方ですね」
「当たり前だがね。
騙し合いをしとる暇はないわ」
「私が得るのは──」
官兵衛が言った。
「天下の趨勢を、
最前列で見る権利です」
「それだけか?」
「それだけです」
秀吉は、
この男の目を見た。
嘘はない。
でも──
全部を語ってもいない。
「……腹の底まで
読めんがね、お前は」
「そうですか」
「でも──」
秀吉は、
ふっと笑った。
「気に入ったがね」
◇
こうして、
黒田官兵衛は
羽柴秀吉の参謀となった。
姫路城は、
秀吉の播磨攻略の本拠地になった。
「官兵衛」
初日の夜、
秀吉が言った。
「ナニワっていう俺の参謀に、
お前を紹介したいがね」
「……ナニワ?」
「俺の眼鏡や」
「眼鏡が、参謀?」
「まあ、見てみ」
秀吉が眼鏡を指で叩くと、
ナニワが言った。
『はじめまして、官兵衛殿。
あなたのことは、
よく知っています』
官兵衛の目が、
わずかに見開かれた。
「……この眼鏡、喋るのですか」
「喋るがね」
「……」
官兵衛は、
しばらく眼鏡を見つめた。
それから、
静かに言った。
「羽柴殿は──
やはり、ただ者ではない」
『官兵衛殿も、
ただ者ではありません』
「眼鏡にそう言われるのは、
初めてです」
『光栄です』
秀吉は、
二人(?)のやり取りを見て、
「なんか、
似た者同士だがね」
と、呟いた。
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◇
翌朝。
官兵衛が地図を広げた。
「播磨攻略の順序ですが」
「聞かせてくれ」
「まず別所長治を──」
「待って」
秀吉が手を挙げた。
「その前に一つ聞いていいか」
「なんですか」
「お前、朝メシは食うたか?」
官兵衛が固まった。
「……は?」
「メシだ。
空腹で軍議をしても
頭が動かんがね」
「……私は食わなくても」
「食え」
「は」
「食ってから話せ。
俺はそういうやつやがね」
官兵衛は、
しばらく呆気に取られた顔をしていた。
それから、
小さく笑った。
本当に小さく。
でも秀吉は、
それを見逃さなかった。
(こいつ、笑うじゃないか)
(いい顔するがね)
◇
後に、
官兵衛はこう語ったとされる。
「羽柴殿に仕えると決めたのは、
朝メシを食えと言われた朝だった」
「そういう人間に──
俺は弱いのかもしれない」
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◇
その夜、ナニワが言った。
『秀吉』
「なんだぁ」
『官兵衛殿は、
本当に優秀です。
でも──一つだけ、
気をつけてください』
「なんで改まって」
『あの方は、
あなたを超えることを
考えています』
秀吉は少し黙った。
「……わかっとるわ」
「でもそれは、
悪いことじゃないがね」
「俺を超えようとする奴が
隣にいてくれるなら──
俺も頑張れるがね」
ナニワは、
少し黙った。
『……あなたは、不思議な人ですね』
「なんで」
『普通、そういう人間を
恐れます』
「恐れてどうするんだがね。
使えばええ」
秀吉は、
あっけらかんと言った。
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天正五年(一五七七年)秋。
黒田官兵衛、参る。
この出会いが──
羽柴秀吉の天下への道を、
大きく加速させることになる。
でも今夜は、
ただ、
二人の男が酒を飲んでいた。
「官兵衛、飲めるか?」
「……少しは」
「少しでええがね。
一緒に飲もう」
「……御意に」
姫路の夜は、
静かで、
長かった。
【次回、第二十三話】
天正七年(一五七九年)。
官兵衛が、
囚われた。
有岡城。
荒木村重の裏切り。
そして──竹中半兵衛の、
最期の戦い。
第二十三話「半兵衛よ、逝くな──有岡城の闇と、友の死」




