第一話「水を呼ぶ男」
空は、焼け焦げたように灰色だった。
雲はある。
なのに、雨は降らない。
降っても、大地に染み込む前に
蒸えてしまう。
干ばつは──もう、三年続いていた。
作物は枯れた。
家畜は痩せた。
村人たちの目から、
少しずつ、希望の色が消えていった。
そんなある日のことだった。
「おい、見てみゃあ。あいつ……なんか顔に
つけとるがね」
「なんやありゃ。眼鏡……か?
見たことない形だがや」
「ぶつぶつ独り言も言っとるし。
干ばつで頭がやられたんじゃねぇか」
「ほんと、猿みてぇな顔しとるがね」
くすくすと笑い声が広がる。
ひとりの若い男が、
ふらりと村へ戻ってきた。
名は──日吉丸。
笑われても、彼は立ち止まらなかった。
笑い返しもしない。
ただ黙々と、鍬を担いで歩いていた。
その銀縁の眼鏡の奥で、
何かがかすかに光っていた。
◇
「ナニワ、この村の地の下はどうなっとる?」
日吉丸は、人目を避けて畦道に座り込み、
小声で呟いた。
『地下水脈を解析しました。
深度およそ三丈二尺。
地点甲・乙・丙への井戸掘削を推奨します』
「地点甲……ってどこだがや」
『あなたの足元から北へ二十歩、
東へ十歩の地点です。
残り二か所は順次ご案内します』
「ほんとに水が出るんか、そこから」
『データ上の確率は九十三・七パーセントです』
「データ?パーセント??ようわからんけど……
ほぉ、ええ数字っぽいがね」
日吉丸はよっこらせと立ち上がり、
北へ二十歩、東へ十歩。
ぴたりと足を止めて、
地面をじっと見つめた。
「……ここか」
ごくりと唾を飲み込み、
鍬を振り上げた。
◇
掘る。
掘る。
掘る。
土は乾き切っていた。
岩のように固く、
鍬の刃が弾かれる。
それでも日吉丸は手を止めなかった。
鍬が折れた。
素手で掘った。
爪が割れ、指先から血が滲んだ。
汗と泥が顔にへばりつく。
村人たちは最初こそ遠巻きに眺めていたが、
日が暮れる頃には、誰もいなくなっていた。
「……あのハゲネズミみたいな顔のやつ、
まだ掘っとるがか」
「ほっといたれ、どうせ何も出んわ」
一日目。
二日目。
三日目の夜明け前──
どぷ、と。
地の底から、何かが溢れる感触があった。
「…………」
日吉丸は動きを止めた。
もう一度、手を入れる。
また、どぷ。
「……出る」
確信した瞬間、彼は叫んでいた。
「水じゃぁああああッ!!!」
◇
村人たちが飛び起きた。
子どもたちが駆け寄ってきた。
冷たく澄んだ水が、
砂漠のような大地の底から、
静かに、力強く、溢れ出してきた。
「う、うそじゃろ……」
「水が……ほんまに水が出た……!」
「日吉丸、お前……!」
歓声が、静まり返っていた村に響き渡った。
泣き崩れる老婆。
我を忘れて水を飲む子ども。
呆然と立ち尽くす農夫たち。
日吉丸は泥だらけの手のまま立ち上がり、
眼鏡をクイッと押し上げた。
「まだ二か所あるでよ。
手伝ってくれる人、おらんか」
◇
それだけでは終わらなかった。
日吉丸はナニワの声に従いながら、
次々と動いた。
乾燥に強い麦の種を選び抜き、
日当たりと風の流れを読んで
畑を作り直した。
村の外れに眠っていた古い水路を掘り起こし、
雨水を逃さず貯めるための桶を、
家と家の軒下に静かに配置していった。
さらには、地中深くに炭を埋め込み、
土が水分を手放さないようにする
"未来の農法"を、
ひっそりと広めていった。
「ナニワ、これほんまに効くんか?」
『すでに効果が出ています。
この区画の土壌保湿率は、
三日前と比べて四十一パーセント向上しました』
「だで、パーセントってなんだ?ようわからんけど……
とりあえず、ええ感じっぽいがね」
『はい。あなたは正しいです』
「ふふ、当たり前だわ!」
◇
季節が変わる頃には、
枯れ果てていた田畑が、
少しずつ緑を取り戻していた。
子どもたちの笑い声が、
久しぶりに村の路地に響いた。
ある夕暮れ、
老いた農夫が日吉丸の前に立った。
皺だらけの顔に、
やわらかい目をした男だった。
「なぁ……眼鏡の兄ちゃん」
「ん? なんだがや」
「あんた……何者だ?」
日吉丸はしばらく黙っていた。
夕日が畑を赤く染めていた。
風が稲の葉を揺らしていた。
遠くで、子どもの笑い声がした。
それから──にかっと笑って、
銀縁の眼鏡をクイッと押し上げた。
「ただの百姓だがね」
一拍置いて、続けた。
「ただ──ちぃと、未来を覗ける
天才かもしれんけどな」
老農夫はポカンとして、
それから声を上げて笑った。
日吉丸も笑った。
ナニワはなにも言わなかった。
ただ、銀縁のレンズがほんのりと、
暖かく光っていた。
◇
「奇妙な農民が、干ばつの村を救った」
噂は風のように広がった。
尾張の農村から、隣の村へ。
隣の村から、街道を渡った先の町へ。
名もなき百姓の噂は、
やがて武士たちの耳にも届くことになる。
──その名は、いつしか"禿鼠"と呼ばれ、
戦場にも響き渡ることになる。
すべては、一つの銀色の眼鏡から始まった。
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(第一話・完)
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