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第一話「水を呼ぶ男」

空は、焼け焦げたように灰色だった。


雲はある。

なのに、雨は降らない。


降っても、大地に染み込む前に

蒸えてしまう。


干ばつは──もう、三年続いていた。



作物は枯れた。

家畜は痩せた。

村人たちの目から、

少しずつ、希望の色が消えていった。



そんなある日のことだった。



「おい、見てみゃあ。あいつ……なんか顔に

 つけとるがね」


「なんやありゃ。眼鏡……か?

 見たことない形だがや」


「ぶつぶつ独り言も言っとるし。

 干ばつで頭がやられたんじゃねぇか」


「ほんと、猿みてぇな顔しとるがね」



くすくすと笑い声が広がる。


ひとりの若い男が、

ふらりと村へ戻ってきた。


名は──日吉丸。



笑われても、彼は立ち止まらなかった。

笑い返しもしない。

ただ黙々と、鍬を担いで歩いていた。


その銀縁の眼鏡の奥で、

何かがかすかに光っていた。





「ナニワ、この村の地の下はどうなっとる?」



日吉丸は、人目を避けて畦道に座り込み、

小声で呟いた。



『地下水脈を解析しました。

 深度およそ三丈二尺。

 地点甲・乙・丙への井戸掘削を推奨します』



「地点甲……ってどこだがや」



『あなたの足元から北へ二十歩、

 東へ十歩の地点です。

 残り二か所は順次ご案内します』



「ほんとに水が出るんか、そこから」



『データ上の確率は九十三・七パーセントです』



「データ?パーセント??ようわからんけど……

 ほぉ、ええ数字っぽいがね」



日吉丸はよっこらせと立ち上がり、

北へ二十歩、東へ十歩。


ぴたりと足を止めて、

地面をじっと見つめた。



「……ここか」



ごくりと唾を飲み込み、

鍬を振り上げた。





掘る。


掘る。


掘る。



土は乾き切っていた。

岩のように固く、

鍬の刃が弾かれる。


それでも日吉丸は手を止めなかった。


鍬が折れた。

素手で掘った。


爪が割れ、指先から血が滲んだ。

汗と泥が顔にへばりつく。


村人たちは最初こそ遠巻きに眺めていたが、

日が暮れる頃には、誰もいなくなっていた。



「……あのハゲネズミみたいな顔のやつ、

 まだ掘っとるがか」


「ほっといたれ、どうせ何も出んわ」



一日目。


二日目。


三日目の夜明け前──



どぷ、と。


地の底から、何かが溢れる感触があった。



「…………」



日吉丸は動きを止めた。


もう一度、手を入れる。


また、どぷ。



「……出る」



確信した瞬間、彼は叫んでいた。



「水じゃぁああああッ!!!」





村人たちが飛び起きた。

子どもたちが駆け寄ってきた。


冷たく澄んだ水が、

砂漠のような大地の底から、

静かに、力強く、溢れ出してきた。



「う、うそじゃろ……」


「水が……ほんまに水が出た……!」


「日吉丸、お前……!」



歓声が、静まり返っていた村に響き渡った。


泣き崩れる老婆。

我を忘れて水を飲む子ども。

呆然と立ち尽くす農夫たち。



日吉丸は泥だらけの手のまま立ち上がり、

眼鏡をクイッと押し上げた。



「まだ二か所あるでよ。

 手伝ってくれる人、おらんか」





それだけでは終わらなかった。


日吉丸はナニワの声に従いながら、

次々と動いた。



乾燥に強い麦の種を選び抜き、

日当たりと風の流れを読んで

畑を作り直した。


村の外れに眠っていた古い水路を掘り起こし、

雨水を逃さず貯めるための桶を、

家と家の軒下に静かに配置していった。


さらには、地中深くに炭を埋め込み、

土が水分を手放さないようにする

"未来の農法"を、

ひっそりと広めていった。



「ナニワ、これほんまに効くんか?」



『すでに効果が出ています。

 この区画の土壌保湿率は、

 三日前と比べて四十一パーセント向上しました』



「だで、パーセントってなんだ?ようわからんけど……

 とりあえず、ええ感じっぽいがね」



『はい。あなたは正しいです』



「ふふ、当たり前だわ!」





季節が変わる頃には、

枯れ果てていた田畑が、

少しずつ緑を取り戻していた。


子どもたちの笑い声が、

久しぶりに村の路地に響いた。



ある夕暮れ、

老いた農夫が日吉丸の前に立った。


皺だらけの顔に、

やわらかい目をした男だった。



「なぁ……眼鏡の兄ちゃん」



「ん? なんだがや」



「あんた……何者だ?」



日吉丸はしばらく黙っていた。


夕日が畑を赤く染めていた。

風が稲の葉を揺らしていた。

遠くで、子どもの笑い声がした。



それから──にかっと笑って、

銀縁の眼鏡をクイッと押し上げた。



「ただの百姓だがね」



一拍置いて、続けた。



「ただ──ちぃと、未来を覗ける

  天才かもしれんけどな」



老農夫はポカンとして、

それから声を上げて笑った。


日吉丸も笑った。


ナニワはなにも言わなかった。


ただ、銀縁のレンズがほんのりと、

暖かく光っていた。





「奇妙な農民が、干ばつの村を救った」


噂は風のように広がった。


尾張の農村から、隣の村へ。

隣の村から、街道を渡った先の町へ。


名もなき百姓の噂は、

やがて武士たちの耳にも届くことになる。


──その名は、いつしか"禿鼠"と呼ばれ、

  戦場にも響き渡ることになる。



すべては、一つの銀色の眼鏡から始まった。



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    (第一話・完)

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