第十三話:「今浜を、長浜と呼ぼう──禿鼠、城主になる」
天正元年(一五七三年)秋。
「北近江三郡、くれてやる」
信長は、そう言った。
藤吉郎は、一瞬言葉を失った。
「……さんごおり?」
「三郡だ。今浜を拠点に、好きにせい」
「……城主、ということですか」
「ほかに何がある」
藤吉郎は、深々と頭を下げた。
(俺が……城主)
(中村の百姓が……城主)
頭の中で、母の顔が浮かんだ。
◇
今浜の地を初めて踏んだとき、藤吉郎は琵琶湖を見た。
広かった。
海のように、広かった。
「ナニワ。ここで城を作るんやがね」
『はい。湖岸に築けば水運が使えます。物資の輸送と商業の発展、両方に有利です』
「そういうことや。ここは城だけやなく、町も作る」
小一郎が隣に立った。
「……兄貴、気が早すぎやろ」
「早いくらいがちょうどええんやがね」
藤吉郎は湖に向かって、大きく息を吸った。
風が、まっすぐ吹いてきた。
◇
まず、藤吉郎は名前を変えた。
木下藤吉郎から。
羽柴秀吉へ。
「羽柴……」
小一郎が首をかしげた。
「どこから来たんや、その名前」
「丹羽長秀殿の『羽』と、柴田勝家殿の『柴』をいただいた。あとは信長さまから『秀』の一字を」
「……わかった。それで、俺は?」
「お前は羽柴秀長や」
「……なんで俺まで変わるんや」
「家族やからに決まっとるがね」
小一郎は、しばらく黙った。
「……まあ、ええわ」
◇
次に、地名を変えた。
「今浜を……長浜と呼ぼう」
ナニワが聞いた。
『長浜、ですか?』
「信長さまの『長』をいただく。この町は大将のおかげで生まれた町やからな」
小一郎が、静かに頷いた。
「兄貴らしい名前や」
「そうか?」
「決して忘れんという意味やろ。誰のおかげかを」
藤吉郎は、少し照れた。
「まあ……そういうことだがね」
◇
長浜の建設が始まった。
ナニワが設計した「都市計画」を、藤吉郎が人の言葉に直して伝える。
『市場は南北の街道沿いに。職人街は東、商人街は西。水路は……』
「職人と商人の町を分けて、市場を真ん中に作る。水路はここや、ここに引く!」
『藤吉郎様、それを「インフラ整備」と言います』
「戦国時代に通じる言葉で言えやがね!」
『……道と水を整えると言います』
「最初からそう言え!」
作業員たちが、笑いながら働いた。
笑いが絶えない現場だった。
疲れても、また笑って、また動いた。
◇
城が完成した夜。
秀吉は天守の上に立ち、琵琶湖を見渡した。
月が、水面に映っていた。
「ナニワ」
『はい』
「俺は百姓だったんだがね」
『はい』
「百姓が城主になって……長浜という町を作った」
『はい』
「これ、夢やないよな?」
眼鏡の光が、ほわりと揺れた。
『夢ではありません。あなたが、自分の力でここに立っています』
秀吉は、深く息を吸った。
琵琶湖の風が、髪を揺らした。
(母ちゃん、見えとるか)
(俺、城主になったで)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
天正元年(一五七三年)。
木下藤吉郎、羽柴秀吉となる。
今浜は長浜となり、城と町が生まれた。
百姓の子の物語は、まだ続く。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━




