散った桜の記憶
工房の奥、薄暗いメンテナンスルーム。
人工皮膚を剥がされたサクラの義体が、簡易ベッドに横たわっている。
赤と黒のオッドアイは天井を見つめたまま、ほとんど動かない。
今は「メンテナンス中」
つまり、痛覚センサーを一時オフにして、深いメンテナンスモードに入っている時間だ。
普段は感情を抑えめにしているサクラだが、この状態になると、記憶の断片が静かに浮上してくる。
レンは隣の椅子に座り、ゆっくりとサクラの胸部コアユニットのアクセスパネルを開けている。
金髪が作業灯に照らされて柔らかく光る。
彼女の手は優しく、まるで恋人の体を撫でるようにパーツを触る。
「……サクラちゃん、今日はちょっと深く覗かせてもらうね。
コアの同期率が最近不安定だから」
サクラの声は、合成音声のように淡々と響く。
「……いいよ。
ただ、深く掘りすぎないで。
私、昔のデータは……あまり見せたくない」
レンは小さく笑って、ケーブルを接続する。
「わかってるよ。
でも、君の『散っても咲く』は、ただのスローガンじゃない。
本物の記憶から生まれた言葉だから……少しだけ、付き合って」
画面に、古いログデータが流れ始める。
2075年。ナノ・カタストロフから4年後。
まだアーク・ヘヴンが完成しきっていない頃、下層は今よりずっと混沌としていた。
少女は、桜の木の下で死んだ。
正確には、死にかけていた。
名前は、まだ「サクラ」ではなかった。
ただの、名前すら与えられていない実験体No.47。
企業連合の地下ラボで生み出された、初期型ナノ義体融合人間。
目的は「完全な痛覚共有兵器」のプロトタイプ。
ヴォイド・コロシアムの原型となる、痛みを売るための実験だった。
ラボが暴動で崩壊した日。
少女は、瓦礫の下敷きになった。
人工皮膚はほとんど剥がれ、機械の骨格が露わになっていた。
周囲には、燃える桜の木――実験施設の庭に植えられていた、唯一の「自然」。
痛みは、100%共有されていた。
自分の痛みも、他の被験者の痛みも、暴徒の怒りも、すべてが混じり合って脳髄を焼き続けた。
「もう……散ってしまえ」
少女は、そう呟いた。
花弁のように散る桜を見ながら、自分も散ってしまいたいと思った。
だが、散らなかった。
瓦礫の隙間から、金髪の少女が手を差し伸べた。
まだ若かったレン。
当時はただのフリーのメカニックで、暴動の混乱に乗じてラボの残骸を漁りに来ていただけだった。
「まだ生きてる……?
すごい義体だね。
こんなに壊れてても、コアが動いてる」
レンは、少女を抱き上げた。
少女の体は軽く、壊れかけの機械のようだった。
「名前は?」
「……ない」
「じゃあ、サクラでいい?
今、散った桜の下で拾ったんだもん。
散っても、また咲くように……生きてみない?」
少女は、初めて「名前」をもらった。
それから、レンは少女を修復した。
何度も、何度も。
人工皮膚を張り直し、痛覚センサーを調整し、感情抑制モジュールを緩め、少しずつ「人間らしさ」を取り戻させていった。
でも、完全には戻らない。
エコー・ロスは、静かに進行していた。
記憶の端が欠け、感情が薄れていく。
それでも、サクラはリングに立つことを選んだ。
なぜなら、レンが言った言葉が、心の奥底に残っていたから。
「散っても、また咲く」
工房の画面に、最後のログが表示される。
それは、桜の木の下でレンに抱き上げられた瞬間の映像。
少女のオッドアイが、初めて涙を映していた。
「……レン」
サクラの声が、合成音声ではなく、本物の震えを帯びる。
「ありがとう。
あの時、拾ってくれて」
レンは、そっとサクラの額にキスをする。
「ううん。
私の方こそ、ありがとう。
サクラちゃんがいてくれるから、私も散らないでいられる」
メンテナンスルームに、静かな桜の花びらLEDが舞う。
クゥちゃんがドアの隙間から顔を覗かせ、「にゃーん」と小さく鳴く。
散った過去は、決して消えない。
でも、それが散ったからこそ、今ここでまた咲いている。




