S5:支配者階級スキルと真祖の目覚め
真祖吸血鬼が眠っている間、私はエレンから支配者階級スキルについて詳しい説明を受けることにした。
豪華なソファに腰を下ろし、膝の上には眠る少女。その銀髪を優しく撫でながら、私はエレンの話に耳を傾けた。
「では、サラさんが持っている支配者階級スキルについて、詳しく説明しますね」
エレンが真剣な表情になった。
「まず、スキル『憤怒』です」
「蟲魔王が持っていたスキルだよね」
「はい。このスキルは、怒りなどの負の感情を魔力に変換します」
エレンが説明を続ける。
「怒り、憎しみ、恐怖、悲しみ――そういった感情が強ければ強いほど、魔力が無尽蔵に生み出されます」
「無尽蔵……すごいね」
「ええ。理論上は、怒り続ける限り永遠に戦い続けることができます。体力も回復し続けますから」
それは確かに強力だ。
「でも、大きなリスクがあります」
エレンの表情が曇る。
「怒りの感情が強すぎると、スキルに身体を奪われてしまうのです」
「身体を……奪われる?」
「はい。前の蟲魔王がそうでした。最初は自分の意志で『憤怒』を使っていましたが、やがてスキルに飲み込まれ、理性を失いました」
エレンは悲しそうに目を伏せた。
「二千年間、彼の意識は残っていたそうです。でも身体は動かせなかった。ずっと、スキルに支配されたまま……」
「それって……」
想像するだけで恐ろしい。
自分の身体が勝手に動き、人を殺し、世界を破壊する。それを止められない。
「ちなみに、サラさんが最初に『異臭』を放ってしまったのも、蟲魔王の強大な魔力を間近で感じてしまったからです」
「え? そうなの?」
「はい。『憤怒』は常時発動していて、莫大な魔力を放出し続けていました。その魔力の圧力で、サラさんは恐怖を感じ、カメムシの防御本能が発動してしまったのです」
「なるほど……」
つまり、私が臭いを放ったのは、蟲魔王の魔力のせいだったんだ。
「だから、サラさん。『憤怒』を使う時は、本当に気をつけてください」
エレンが真剣な目で私を見た。
「怒りに飲まれてはいけません。常に冷静でいてください」
「分かった。気をつける」
私は頷いた。
強力だけど、使い方を間違えれば自分を滅ぼす。それが支配者階級スキルなんだ。
「次に、スキル『艶美』ですね」
「これって、常に魅了をばら撒くスキルだよね?」
「はい。常時発動型で、周囲に軽度の魅了状態異常を与え続けます」
エレンが少し困ったような表情を浮かべた。
「そして、このスキルは解除できません」
「え? 解除できないの?」
「はい。常に発動し続けます。サラさんが意識していなくても、周囲の人々は軽い魅了状態になります」
「それって……」
まずいんじゃないの?
「大丈夫ですよ。あくまで『軽度』ですから」
エレンが慌てて付け加える。
「洗脳のように思考を支配するわけではありません。ただ、サラさんに対して好意的になりやすい、という程度です」
「好意的に……」
「ええ。初対面でも親しみを感じたり、サラさんの言葉を信じやすくなったり。そういった効果です」
なるほど。確かに、それなら深刻ではない。
「でも、真祖様のように極限状態の方には、かなり強く作用してしまいます」
エレンが申し訳なさそうに言った。
「何十年も血を吸わずに耐えていた真祖様にとって、サラさんの血はあまりにも魅力的だった。そこに『艶美』の効果が加わって……判断力が鈍ってしまったのです」
「そっか……」
膝の上で眠る少女を見下ろす。
この子は、私のせいで我を失ってしまったんだ。
「……気をつけないとね」
「はい。ただし、『艶美』にも良い面があります」
エレンが明るく言った。
「交渉がしやすくなりますし、敵意を持たれにくくなります。とても便利なスキルですよ」
「まぁ、確かに」
使い方次第、ということか。
「そして、真祖様が持っていたスキル『強欲』についてです」
エレンの表情が真剣になった。
「このスキルは、一日数回だけ無条件でターゲットを配下にすることができます」
「無条件って……すごくない?」
「ええ。どんなに強い相手でも、どんなに離れた場所にいても、スキルさえ発動すれば配下にできます」
それは恐ろしいスキルだ。
「でも、重大な欠陥があります」
エレンは続ける。
「ターゲットが支配者階級スキルを持っていた場合、効果が反転するのです」
「反転……」
「はい。支配する側が、逆に支配されてしまう。スキルを使った者が、ターゲットの配下になってしまうのです」
「それって……」
「ハイリスク・ハイリターンです。相手が支配者階級スキルを持っているかどうかを確認せずに使えば、自分が配下になってしまう」
エレンは肩をすくめた。
「真祖様は普段、このリスクを理解していました。だから『強欲』はほとんど使わなかった。でも今回は……」
「極限状態で、判断力が鈍っていた」
「その通りです。そして、サラさんの血があまりにも美味しくて『この人を手に入れたい』と本能が考えてしまった」
エレンが同情的な目で眠る少女を見た。
「だから、無意識に『強欲』を発動してしまったのです」
「なるほど……」
可哀想に。この子は、ただ生き延びようとしただけなのに。
「これらの支配者階級スキルには、共通する特徴があります」
エレンが人差し指を立てた。
「一つ目は、強力な効果がある分、リスクも大きいということ」
「『憤怒』は暴走するし、『強欲』は逆効果になる可能性がある」
「はい。使いづらいスキルが多いのです。でも、それだけ強力だということでもあります」
エレンは続ける。
「二つ目は、配下の数と忠誠度によって効果が変わるということです」
「配下の数?」
「ええ。支配者階級スキルは、その名の通り『支配者』のためのスキルです。多くの配下を持ち、深く従われているほど、スキルの効果が強くなります」
「具体的には?」
「例えば、スキル『艶美』なら、魅了をばら撒く範囲が広くなります。最初は半径数メートルでも、配下が増えれば数十メートル、数百メートルと広がっていきます」
「へぇ……」
「スキル『強欲』なら、一日に使える回数が増えます。最初は一日一回でも、配下が増えれば二回、三回と使えるようになります」
なるほど。つまり、配下を増やせば増やすほど強くなる。
「そして三つ目は、支配者権限です」
エレンが真剣な表情になった。
「支配者階級スキルを持つ者には、女神アイシア様から自動的に支配者権限が与えられます」
「支配者権限……配下を召喚したり、転移したりできるやつだよね」
「はい。それ以外にも、配下の状態を把握したり、配下と感覚を共有したり、様々なことができます」
エレンは付け加えた。
「だから、基本的に支配者階級スキルを持っていない者が、持っている者に勝つことは極めて難しいのです」
「そっか……」
つまり、私は今、とんでもない力を持ってしまったということだ。
蟲族の支配者として。
吸血鬼族の頂点として。
「重い……ね」
小さく呟いた。
「大丈夫ですよ、サラさん」
エレンが優しく微笑む。
「あなたには私がついていますし、真祖様もきっと力になってくれます」
「真祖様……」
膝の上の少女を見下ろす。
銀髪に赤い瞳。黒いゴシックドレスに身を包んだ、お人形のような少女。
この子と、これからどう接していけばいいんだろう。
「……ん」
その時、少女が小さく声を漏らした。
「あ、起きる?」
ゆっくりと、赤い瞳が開かれる。
最初はぼんやりとしていたその瞳が、徐々に焦点を結んでいく。
そして――私の顔を認識した瞬間。
「っ!」
少女が飛び退いた。
いや、飛び退こうとした。でも私の膝の上にいたので、バランスを崩して転びそうになる。
「わっ」
私が慌てて支える。
「大丈夫?」
「あ、ありがとう……じゃなくて!」
少女は私の手を振り払うと、数歩後ろに下がった。
警戒心に満ちた目で、私を見つめる。
「あなたは……誰?」
その声は、眠る前とは全く違っていた。
凛とした、威厳のある声。
これが、本来の真祖吸血鬼なんだ。
「えっと、サラっていいます。さっきも言ったけど」
「サラ……」
少女は私をじっと見つめた。
「あなたが……異邦人?」
「異邦人?」
「女神アイシア様から伺っていたわ。もうすぐ、別の世界から人々が来ると」
少女が説明する。
「そう……」
少女は複雑な表情を浮かべた。
そして、自分の体を見下ろす。胸元に手を当て、何かを確認するように。
「やっぱり……私、あなたの配下になってしまったのね」
「ごめんなさい」
私は頭を下げた。
「いえ……」
少女は首を横に振った。
「悪いのは私です。『強欲』を使ってしまったのは、私の判断ミス」
そう言って、少女は深く息を吐いた。
「何十年も耐えてきたのに……最後の最後で、我を失ってしまうなんて」
その声は、自嘲的だった。
「あの……」
私は恐る恐る尋ねた。
「お名前、聞いてもいいですか?」
少女は少し驚いたような顔をした。
そして、小さく微笑んだ。
「ミレイユ。私の名前はミレイユよ」
「ミレイユ……」
「真祖吸血鬼として二千年以上生きてきたけれど、今日ほど恥ずかしい思いをしたことはないわ」
ミレイユは頬を染めた。
「いきなり襲いかかって、血を吸って、しかも『強欲』まで使って失敗するなんて」
「あの、気にしないでください。私も大丈夫だし」
「大丈夫なわけないでしょう」
ミレイユが真剣な表情になった。
「あなたは今、私を配下にしたことで、全ての吸血鬼族の頂点に立ってしまったのよ」
「それは……分かってます」
「分かっているなら」
ミレイユは一歩近づいた。
「これから、どうするつもり? 私たち吸血鬼を、どう扱うつもりなの?」
その赤い瞳が、私を見据える。
試すような、値踏みするような視線。
この子は、自分の主人になった私が、どんな人間なのかを見極めようとしているんだ。
私は少し考えた。
そして、正直に答えることにした。
「正直、分からない」
「分からない?」
「うん。私、この世界に来てまだ数分だし、何をすればいいのかもよく分かってない」
ミレイユが呆れたような顔をする。
「でも」
私は続けた。
「あなたが配下のために、何十年も自分を犠牲にしてきたこと。それは知ってる」
「……」
「そんな優しい人を配下にしてしまったんだから、責任は取らないと。あなたも、あなたの配下も、ちゃんと守らないとって思ってる」
ミレイユの目が、少し驚いたように見開かれた。
「本当に?」
「本当」
私は頷いた。
「だから、これから色々教えてほしい。この世界のこと、吸血鬼のこと、これから何をすればいいのか」
「……あなた、本当に変わった人ね」
ミレイユが小さく笑った。
「普通、力を手に入れたら、まず自分のために使おうとするものなのに」
「そうなの?」
「ええ。でも、あなたは違う」
ミレイユは私をじっと見つめた。
「あなたは……もしかしたら、信頼できるかもしれない」
「ありがとう」
「まだ信頼したとは言ってないわよ」
ミレイユが慌てて付け加える。
「これから見極めさせてもらうわ。あなたが本当に、私たちを守れる主人なのか」
「はい。よろしくお願いします」
私は手を差し出した。
ミレイユは少し躊躇したあと、その手を取った。
小さくて、冷たい手。
でも、その握り返す力は、確かに温かかった。
「それで、サラ」
ミレイユが改めて私を見た。
「今後のことを話し合う必要があるわね」
「今後のこと?」
「ええ。あなたは私を配下にしたことで、全ての吸血鬼族の支配者になった。これは、この世界にとって大きな変化よ」
ミレイユは真剣な表情になった。
「神聖国をどう統治するか、異邦人たちをどう迎え入れるか。決めなければならないことがたくさんある」
「確かに……」
「一人で決められることではないわ。私も、配下の吸血鬼たちも含めて、しっかり話し合う必要がある」
ミレイユはそう言うと、少し考えるような表情をした。
「サキを呼びましょう」
「サキ?」
「私の配下で、神聖国の実務を取り仕切っている吸血鬼よ。とても有能で、信頼できる子」
ミレイユが優しく微笑む。
「私が何十年も部屋に閉じこもっている間、神聖国を守ってくれていたの」
「そうなんだ」
「ええ。サキも交えて、三人で今後について話し合いましょう」
「エレンもいるから、四人だね」
「そうね。四人で」
ミレイユが支配者権限を使い、サキにメッセージを送る
「サキ、聞こえる? 私の部屋に来てちょうだい。大事な話があるわ」
「すぐに来るはずよ」
「分かりました」
私は頷いた。
これから、この世界での生活が本格的に始まるんだ。
吸血鬼族の支配者として。
そして――この世界で生きていく者として。
不安もある。でも、ミレイユやエレン、そしてこれから会うサキがいてくれる。
きっと、何とかなるはずだ。
「さて、と」
私は深呼吸した。
新たな一歩を踏み出すために。
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