ポイズン
白いソファーに両足を投げ出し、オレは静かに目を瞑る。右手にはミネラルウォーター。洗い立てのグラスに透き通る水がゆらめき、天井からの光を白く反射している。
『さて、この事件で使われたテトロドトキシンは自然界にあるものです。簡単にいうとフグ毒のことですね』
つけっ放しのテレビから甲高い声が聞こえた。興味はないが、わざわざ消す気にもならない。
『フグ毒は自然界にあるといっても稀ですよね。それも中毒死が三回重なると』
『保険金殺人事件の疑い、ですね』
『ええ。三人の妻が同じ亡くなり方とは不思議を通り越していますよ』
ゲスト連中が顔を見合わせ、深刻そうに眉を寄せた。
中央の司会者はなにやら深刻そうに頷いている。
どうやら話題は連続殺人のことらしい。さすがに報道にうといオレでも知っていた。夫が妻に食べさせたとか飲ませたとかで問題になっている。警察は動いてはいるものの逮捕までは至らない。
『ここで人間関係を整理してみましょう。ボードをご覧下さい』
司会者はどこで調べたのか詳細な図で説明を始める。
正直、オレは男女がどうのとか夫婦がこうのとかいうことは苦手だ。こういう番組もわからない。目の前の組の問題で頭がいっぱいだ。明日、独占権をめぐって抗争がある。
話し合いにすればという一派もいるが、それが通じる相手ではない。綺麗ごとではなく力を見せつけなければどうしようもないことがあるのだ。
負ければうちの組は手を引かなければならない。
『夫は否認しています。こうなるとやっかいですね。毒のルートは不明なんです』
『つまり共犯がいるということでしょうか?』
『ネットで手に入れた可能性は?』
『どうなんでしょう。私は調理師友人説を押しますね』
テレビは白熱している。
ちらりと横目で見ながらオレは水を一口飲んだ。
結論が出ないことを話して楽しいのだろうか。ま、しょせん他人の話だ。オレは組を率いる者として考えなければならない。
オレは静かにカーテンを見つめた。窓の外は星が動く時間だ。
〈……さて、と〉
まず一番手のマサをどうするか、だ。
マサは足が速く動きも捕らえにくい。奴を封じ込めるのは一苦労だろう。それにマユミもあなどれない。女だと舐めていると痛い目にあう。
うちの初手はツバサとメグに任せるか。いや、組長のタクマはこちら同様、読んでいるだろう。だとすれば誰が出ても同じだ。
最初は潰し合い。重要なのは二番手か。
『そもそもどうしてフグ毒を使ったかなんですよね』
『あ、私もそう思った』
『一番強い毒はポツリヌストキシンだそうですよ』
『ヨーロッパの一部では毒キノコの缶詰が売られているとか。ネットでの取り寄せならこちらを使うんじゃない?』
『でも完全犯罪を狙うならば、事故に見せかけられる毒物がベストでしょう』
敵はヨシキを出して来るだろう。素早さこそないが重量のある身体は破壊力がある。全力で突進されればオレの組は負ける。
ヨシキをどうするかが鍵だ。まともにやりあうのは得策ではない。
主力を足止めする方法はないだろうか。
この際だ。汚いといわれる手でも構わない。組の将来がかかっているのだ。
『自然にみせるとかいうなら、トリカブトとか植物系の毒の方が良いんじゃない』
『確かに。じわじわやるなら、こちらの方が良いかも』
『駄目ですよ、そんなこと言っては』
『いや、これは見ている方への警告でもあるんじゃないですか』
『しかし――』
どうもテレビは荒れているらしい。生放送ではままある。オレは自身の解決策を見出せないまま耳を傾けた。
毒か。
毒。
今まで考えたこともなかった。
ごく自然に相手を弱らせられるらしい。それも確実に。
『やだ、そんなに心配しなくても。賢明な人はやらないって』
『犯罪は犯罪ですから』
『ビタミンAは不足してもなんですけれど、過剰摂取も問題になってますよ。静かな毒殺を目指すならアレルギーを上手に利用すれば』
『ここでそんなことを説明しても……』
『司会者さん、口にできる危険を認識しようということでしょう。理にかなっていますよ』
オレはいつしかテレビに引き込まれていた。
毒というものをタクマやヨシキ達に食べさせることは無理でも手に塗ることができるなら――いや、手ではなく指に塗ればいい。そうすれば体内に取り込ますことは可能だ。
〈それで我が組は勝てるのなら……〉
良心が痛んだが、ここは目を瞑ろう。
問題はその毒を明日の抗争に間に合うように入手できるかだった。とにかく時間がない。テレビではネットなどと入手方法を言っているが、オレには無理だ。
いっそ隣組のエリーに頼むか。彼女はとにかく顔が広い。
だが、エリーはタクマの女だという噂もある。ここはリスクを避ける方が無難か。それとも噂は噂だと一笑に付すべきだろうか。
〈うーん……〉
オレは真剣に悩んだ。
こんなことなら事前に調査しておけば良かったと後悔する。組長になって半年。オレはまだまだ未熟だ。
『でも伴侶が持って来たものを疑うというのも情けないですね』
『今後の警察の捜査を待ちましょう』
『では次はプロ野球ニュースです』
テレビはオレを見捨てるかのように話を変えた。バットを振る選手がアップになる。
どうすりゃいいんだ。
オレは水の入ったグラスを床に投げつけ、イラ立ちをあらわにした。
落ち着け。
落ち着け。
まだ方法はあるはずだ。
オレは思わず口に指を入れ、吸った。
「――あらやだ、もうこんな時間。アサトったらクズってる」
その時、グラスの音を聞きつけたのか母親が台所から走って来た。
床を拭きながらテレビを消す。
「急いでネンネさせなきゃ。今日は残業で遅くなっちゃった。そのせいで食事の時間もずれて……って子供に関係ないわね」
母親はオレを軽々と抱き上げ、ベットに連れて行こうとする。
待て。
まだ作戦を考えてはいない。明日はブランコの独占権をかけてもも組とやりあう日だ。
ふたば保育園で決戦の日なのだ。
「いい子ね。ママが添い寝してあげまちゅよ」
母よ、頼む。
オレはさくら組のトップだ。責任がある。
ブランコは死守したい。寝かせないでくれ、頼むっ。
オレは手足をバタつかせて抗議した。
せめて毒を――ああ、毒とかいうモノを手に入れるまで、頼むッ!
どくーーーーっっ。
読んでいただきありがとうございました。
これからも前向きに精進します。