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第5章 『秘密と裏切り。』

意識を失ったレオンハルトを守るため、リッカとサラは秘密の場所で治療と調査を進める。

一方、ヘレナもまた、ある『手がかり』によって事態の裏側に気づき始めていた。

それぞれの『真実』が動き出すとき、信じていたものは、果たしてどこまで本物なのか――

やがて浮かび上がる、過去と神話に繋がる不穏な真実。

それは、この世界の秩序を揺るがす何かの始まりだった――

東部森林地帯・隠された地下壕。【リッカ視点】

空気は、埃と安物の線香、そして火傷薬の匂いが混ざり合っていた。

とても快適とは言えない場所だったが――少なくとも、上層部の机上の異端審問官たちの目からは遠く離れている。

誰にも尾行されていないのを確認した後、私は古いバンカーの一つの扉を腰で押し開けた。両手には、コーヒーとチョコ、それにお菓子が詰まった紙袋があったからだ。

《これでレオンが目を覚ましたとき、何か食べさせてあげられるわね……健康的なものも持ってくるべきだったかも……いや、今はそれどころじゃないか》

扉を開けると、サラがベッドの傍に立っていた。

彼女の顔には明らかな困惑が浮かんでいた。まるで『何これ……』と目で言っているかのように。

レオンは依然として意識を取り戻していなかったが、少なくとも脈拍と心拍は安定し、呼吸も落ち着いていた。汗もかかず、震えもせず、魔法障害でよくあるような意味不明な言葉を呟くこともなかった。

ただ……まるで眠っているかのように、静かだった。

「……変わりないわね」

サラがこちらを向かずに呟いた。

「脈も正常。血流も問題なし。肉体は一応、維持されてる。けど、魔力のパターンが――」

そう言って、彼女はくるみサイズの小さな浮遊結晶を取り出した。

「リッカ……これは普通の昏睡じゃない。まるで、体が空っぽの殻みたいなの。魂が抜けてて、心臓だけが筋肉の記憶で動いてるって感じ」

私は彼女の隣に立ち、ため息まじりに微笑んだ。

それは諦めの笑みにも近かった。

「そっかー……じゃあ今頃、どこかでバカンス中かもね。お土産、買ってきてくれるかな?」

「……真面目な話をしてるのよ」

「でも、生きてるんでしょ? それだけで、十分よ」

そう返すと、サラは小さく首を振った。

「……今のところはね」

「今のところ? どういう意味?」

「言ったでしょ? 彼の身体は、心臓の筋肉の記憶だけで動いてる。これは……普通じゃない。むしろ、普通の魔導士ならとっくに死んでる。だけど……だからって安心はできない」

「どういうこと……?」

私の顔に、焦りが滲み始めていた。

「つまりね。魂が身体に戻らず、魔力の供給もないままだと、遅かれ早かれ……筋肉の自動運動は止まる。そうなれば――彼は、死ぬわ」

サラは、どこか虚ろな表情でそう答えた。

「……わかってる。生物学の基礎くらい、アカデミーで習ったわよ。でもさ、こうでもしなきゃ……真剣に不安になって潰れそうになるから。それに……ヘレナに殺されるし…あーあ、それも悪くないかもね。そしたら、死後の世界でレオンに再会できるかもしれないし」

サラは無言で私を睨み、チョコの箱を無造作に奪い取った。

「ちょっと……それ、彼のために買ったのに……」

「そういえば、最近あの子にずいぶん懐いてるみたいね。情報漏洩には気をつけなさいよ」

「それはもう遅いかも……ヘレナは、私がレオンを連れ出したとき、すでに全部気づいてたわ。彼女の探知能力を欺くなんて、そもそも無理な話よ」

「じゃあ、なぜまだ通報されてないの?」

「彼女と話したの。どうやら、上層部の裏にある闇に……気づき始めてるらしくて。信じられないかもしれないけど、彼女は『あんたを信じたい』って言ってくれた。だから、通報しなかったんだと思う」

サラは私をじっと見つめながら、煙草を一本取り出して火をつけた。

「……まあ、予想通りか。任官して日が浅いとはいえ、あの子は本当に頭が切れるもの。でも……言い過ぎには気をつけて。真実を探ろうとしてる私たちの存在がバレたら、全てが終わりよ」

「うん、わかってる……でも正直、彼女もレオンも――

どちらもこっち側に来てくれたら、すごく心強い。特にヘレナは……今後、重要な情報源になるかもしれない」

「この隠れ場所も、時間の問題で見つかるわ。ヴィレルさんが目を覚まさなければ、別の場所に移動しなきゃならないかも。でも、それもリスクが高い。彼の体がどう反応するか……分からないから」

「……分かってる。結局、私たちにできるのは――目を覚ましてくれるのを、信じて待つことだけ」

私はもう一度、レオンの方に視線を移した。

乱れた髪。

腕には戦闘時にできた擦り傷が、まだいくつか残っていた。

「彼、どうやら二つの魔法を使ったみたい……一つは、赤い糸のようなものを召喚して……まるで血でできた紐みたいだったの。あんな魔法、今まで見たことない。むしろ、あの糸……意志を持っているかのように、相手を食らおうとしてた」

私の説明を聞いたサラは、医学的な興味と理論的な恐怖が混ざったような微妙な表情で、ゆっくりとうなずいた。

「……それって、腱みたいだった? 人間の中身をそのまま見てるような……」

「そう! 神経とか血管みたいなものが空中で蠢いて、『それ』の首に絡みついて……まるで捕食するように……」

サラは一度目を閉じてから、無言で棚の方へ歩き出し、奥にしまってあった分厚いノートを取り出した。

表紙は染みだらけで、年季が入っている。彼女は迷わず、乾いた花びらが挟まれたページを開き、そこに描かれた古代風の図を私に見せた。

「もしかして、『それ』って……この絵に似てない?」

ページに描かれた図を見た瞬間、私は息を呑んだ。

……全く同じだった。まさに『それ』と同じ姿。

「……間違いない。『それ』だよ……そっくり」

「なるほどね……これで分かった。どうりでこの本が、魔導士の闇市でしか手に入らない理由も。図書館では絶対に見つからないわけだ」

「……なんで? 危険な内容とか?」

「そうじゃない。むしろ、その逆。……正しすぎるのよ。もしあなたの話が本当なら、この本にはとんでもない情報が詰まってるってこと」

「わ、私にはそこまで分からないけど……どういうこと?」

「この本には、大陸に伝わる神話が書かれててね。そこに出てくるのが、『空間の断片者』って呼ばれる存在。で、さっきの化け物は、彼の召喚獣の一体って書かれてる」

「う、嘘……それ、ただの伝説でしょ?アカデミーでもあまり触れないし、詳しく教わった記憶ないよ……」

「当然よ。アカデミーでは“神話”として適当に処理されてるから。でもね、私はずっと独自に調べてきた。……これが、その成果よ」

「……じゃあ、その『空間の断片者』って何者?」

「神話によると、彼は『ルクス』を守っていた十二守護者の一人。

まだ堕落する前の時代ね。彼の能力は、異次元から怪物を召喚して戦わせるというものだったらしい。それに、十二人全員が力を合わせれば、未だかつてない魔法が発動するとか……」

サラはページを慎重にめくりながら、私を鋭い目で見た。

「……つまり、その守護者が生きてて、私たちの国を襲ったって言いたいの?」

「そこまでは言ってない。でも、『それ』は間違いなくこの世界のものじゃない。ポータルから出てきた存在……自発的な次元の裂け目なんて、まずありえない。それに……あの姿。あまりにも、この絵と一致しすぎてる」

そう言いながら、彼女は指で絵の輪郭をなぞった。

そのスケッチは、人型ではなかった。顔もなければ、輪郭も曖昧。

全身が黒く塗られ、触れただけで寒気がするほどの不気味さだった。

「……まさか、『それ』を召喚したのって、レオンなの?」

「違う。彼自身は、召喚の痕跡がまったくない。でも、そこが一番怖いのよ」

「え……?」

サラは重く息を吐き、体重を机に預けた。声は一段と低くなる。

「……本当に気になるのは二つ。

一つ目はもしこの化け物が、『断片者』が遺した魔法の残響だったとしたら――

敵はどうやって、その魔法を手に入れたのか。それをどうやって、ヴィレリアの内部で発動させたのか。監視も結界もあるこの国で……そんなの、内部に協力者がいなきゃ無理よ」

その言葉に、私の中で点と点が繋がった。

今まで混乱で考えが回ってなかったけど……これは、裏切りの証だ。

「……まあ、それは私たちも前から薄々感じてた。でも、今ので確信に変わったわね。絶対に、裏切り者がいる……何人も」

「その通り。でも……それだけじゃない」

「……まだあるの?」

「ええ……それが、『彼』に関することなの」

そう言って、彼女は再びレオンの方を見た。

「レオンに……何が?」

「彼も、あの類の魔法を使える可能性がある」

サラの言葉を聞いても、なぜか驚きはなかった。

あの『それ』と戦ったときの彼の魔法を思い出せば、納得しかなかった。

「それって、私たちにとっては……悪いことじゃない、よね?」

「それはね、二つの条件による。まず一つ目――この子が、もし反乱が起きたとしたら、どちらの側につくか。もしあの魔法の存在が明らかになって、彼が敵の側に回ったとしたら……

正直、私たちが太刀打ちできるとは思えない。昨日見たでしょ? 未完成の状態でも、彼の魔法はあの化け物と拮抗してた。完成してたら、どうなってたか分からない」

サラの理屈は、確かに正しかった。

だけど、私が見てきたレオンは、そんな裏切るような人じゃない。

あの子は……まっすぐで、誰かのために戦うタイプだ。

「……私は、そうは思わない。たぶん……もしヘレナが反対側に立ったら、レオンは最後まで彼女についていく。でも、それよりも気になることがあるの」

「何?」

「その魔法が……彼の身体にどんな影響を与えるのか。見てよ、昨夜のあの状態……それで未完成だったっていうんでしょ?完成形なんて使ったら、どうなるのか想像もつかない」

「……だから、あんたが彼をここに連れてきたのは正解だった。政府に引き渡してたら、きっと“兵器”として使われてただけよ。でも、ここもいつまでも安全とは限らない。警戒が強化されるのは間違いないし、見つかるのは時間の問題。だからこそ……準備を急ぐしかない」

「問題は一つずつ……今はレオンを目覚めさせることに集中しよう。

それから先のことは、それから考える」

私の言葉に、サラはじっと私を見つめた。

まるで『ドラゴンに恋した』とでも言われたかのような目で。

「リッカ……あまり個人的な感情を混ぜすぎないで。その子のことが好きなのは構わないけど、私たちの“目的”を忘れないで」

「……」

その一言に、思わず黙ってしまった。

「で、彼が呟いた詠唱、なんて言ってたっけ?」

「えっと……『オルド・ルクス... ファトゥム・インフェルナーレ』って。でも、それを言ったときの声は……彼のものじゃなかった。

まるで誰かが……彼の中から話してたみたいに」

サラはごくりと唾を飲み込み、重々しく本を閉じた。

「そんな呪文、公式のグリモアには載ってない。でも、その構文……『自律審判召喚』に近い。つまり、神の裁き。古代神が使ったとされる『封印命令文』に似てるわね」

「ちょ、ちょっと待って。つまり……レオンは『断片者』の一人かもしれなくて?それで、神罰みたいな魔法を無意識に使ってて?さらに異界の化け物まで召喚した可能性があるってこと?」

サラは静かにうなずいた。

私はもう力が抜けて、その場にぺたんと座り込んだ。

まるで焚き火の前で雑談してる学生みたいに、足を組んで。

「……まあ、調べを続けるしかないわね。とりあえず、私たちは彼を守る。彼が何者であれ、今はこっち側だし。『ファクション』の他のメンバーにも連絡済み。全員一致で同意してくれた」

サラは腕を組みながら、少し視線を逸らした。

「……一応、言っとくけど。私たちの正体を誰にも知られちゃいけない。絶対に」

「ヘレナにも?」

「特にヘレナ。……彼女のこと、大切に思ってるのは分かる。昔から一緒だったんでしょ?でも、今の状況じゃ危険すぎる。私たちの計画は、いよいよ最終段階に入る。

……それまでは、口を閉じてて」

私は唇を噛んだ。

……ヘレナには、彼を見せると約束してしまっていた。

でも今は……まだその時じゃない。もう少しだけ、様子を見るべきだ。

「まずは、レオンの魔力が本当に古代魔法に関係してるのかを調べる。それと、彼の魂が『断片者』と何か関係あるのかも。

……それが分かれば、どの断片者とつながってるか、突き止められるかもしれない」

私は目を細めて、眠るレオンを見つめた。

「……仮にそうだったら。むしろ今の状況だと好都合だよ。力があるなら、それを使ってこの腐った体制を内側から壊す――

そのために、レオンとヘレナを必ず説得してみせる」

ゆっくりと、彼の寝息に合わせて上下する胸元を見つめながら、私は小さくつぶやいた。

《……でもまずは、起きてよね、寝坊助。起きたら、毎晩あなたの部屋に忍び込んであげるから……ふふっ》

私はしゃがみ込んで、彼の髪の乱れた前髪をそっと耳にかけてあげた。

サラは私をじっと見ていた。

その表情は……呆れているような、いや、それよりもっと『甘すぎる』って言いたげな感じだった。

「ふぅ……結局、守るんでしょ? あの子を」

「……全力でね」

「もし彼が脅威だったら? ……気をつけてね」

部屋を出る直前、サラは最後にこう言い残した。

「……あの昏睡は、完全なものじゃない。感情とか……触覚とか……ちゃんと伝わるはず。丁寧に接していれば、もしかしたら、予想より早く戻ってこれるかもよ」

ドアが閉まり、部屋に静寂が戻った。

私は、またレオンのそばに座り込んだ。

「ねぇ、レオン……一目惚れって、信じる?」

「サラには、きっとバカみたいに見えるだろうね……

こんなにも、まだよく知らないあんたのためにリスクを背負うなんてさ」

***

西部戦線前線基地。ヘレナの部屋にて。【ヘレナの視点】


紅茶の入ったカップは、もうほとんど空だった。

私は、その残り香から立ち上る細い蒸気が、天井へと渦巻くのをただ見つめていた。

まるで、消えることに抗っているかのように。

窓の外には、いつものように完璧で、遠くて、冷たい月が浮かんでいた。

私は肘掛け椅子の肘に腕を預け、ゆっくりと目を閉じた。

……この静けさ、心地よすぎる。

ほんの少し、誰かがドアをノックしてくれたらいいのに──

そんなことすら思ってしまう。

「勘じゃ足りない……証拠が必要なのよ」

私はぽつりと呟いた。

あの事件以来、高官たちは私を放っておかない。報告書、会議、建前のような問いかけ……

それはまるで、礼儀に化けた『圧力』だった。

彼らは気づいている。

私が、『真の目的』に気づき始めていることに。

だからこそ……落ち着かないのだろう。

もう一度カップを口に運んだ。

ぬるくなった紅茶は、もはや味を失っていた。

また、レオンハルトのことを思い出す。

あの眼差し、あの魔法……

「オルド・ルクス... ファトゥム・インフェルナーレ……」

あの詠唱は、どの公認グリモアにも存在しない。

けれど私は、確かに聞いた。

鮮明に、明確に。

あれは呪文なんかじゃなかった。

まるで……罪の裁きを告げる、闇の底から届く宣告だった。

思わず眉間に皺が寄った。

あまりにも多すぎる。

辻褄の合わない点。歴史として美化された嘘。

それに……リッカ。

あの子は、本当に鈍い子じゃない。昔から知ってるから分かる。

何かを隠してる……絶対に。

それが気に食わない。

信頼してくれていない、それが……

「……まあ、仕方ないわよね。私は上層部に近すぎる。簡単に信用できる立場じゃない……」

──誰かがドアを叩いた。

その音に、私は思わず身を震わせた。一度だけのノックだった。

ゆっくりと立ち上がり、絨毯の上を滑るように歩く。

なぜだろう、空気が急に重くなった気がした。

ドアを開けると、誰の姿もなかった。

左右を見渡すが、人の気配は一切ない。

──床に、黒い封筒が落ちていた。

私はそれを拾い上げた。封もなければ、差出人の名前もない。

そして何より、魔力の痕跡すらまったく検知できなかった。

部屋に戻り、机の上に封筒を置く。

金属の羽ペンの先で、慎重に開封する。

中に入っていたのは、たった一枚の古びた紙だった。

端が焦げたように黒くなっており、角には『機密文書』の印。

その上部に、赤いインクでこう記されていた。

『極秘:断片者の再臨 ― コーデックス・ルクス計画』

その言葉を見た瞬間、胃がきゅっと縮んだ。

私は書類を三度読み返した。信じられなかった。

文章は途中で切れていたり、魔術的に塗り潰されたりしていたが、

全体の構図ははっきりしていた。

内容は『断片者再臨計画』と呼ばれるプロジェクトについてだった。

その中では、かつて神話として語られていた存在が、現実の計画として記録されていた。

「これって……ただの作り話じゃなかったの?」

断片者を完全に復活させるには、エリート魔導師から得られる魔力源が百単位で必要とされるらしい。

さらに、ノーゼン王国への潜入はすでに成功しており、

その国の元首ももう障害ではないと記されていた。

「まさか……」

さらに、文書の裏には一通の手紙が添えられていた。

宛名はなく、誰が誰に宛てたのかも不明。

だが、問題は──その中身だった。

『ノーゼンでの計画は順調に進んでいる。精鋭兵たちはこれまでにないほど強化され、新たな『協力者』を得た今、次の段階へと移れるだろう。

そちら、ヴィレリアの状況はどうだ?

この偽りの戦争が長引けば、最前線で戦うべき魔導師たちを犠牲にしていることがバレかねない。だが朗報だ──第一の断片者が『部分解放』されれば、その国を一瞬で滅ぼすことが可能になる。そしてヴィレリアの併合を進め、次の段階へ──』

「……嘘でしょ、本当に……?」

手紙は途中で破れていた。

だが、そこまで読んだだけでも十分だった。

すでに噂として広まっていた作り話が──

完全に真実だったことが証明されたのだ。

もしこの情報が正しければ、政府の内部に、魔導師たちを大量に殺して魔力を奪い、国を無防備にした状態でノーゼンに明け渡そうとする

裏の勢力が存在していることになる。

「……クソッ……どうして、こんなことが……」

怒りが体中を駆け巡る。

今すぐにでも政府と真っ向から対立したい気持ちだった。

だが──

まだ誰が黒幕かは分からない。

もしかすると、上層部の中にも利用されているだけの者がいるかもしれない。

「つまり、ノーゼンの大統領はすでに亡くなっていて、今すべてを動かしているのはアルヴァ・クロイツ……この手紙を送ってきたのも、きっと彼だわ。でも、ヴィレリア内部の裏切り者が誰かを突き止めない限り、私は動けない」

私は手紙を小さな金庫に入れ、それを部屋のカーペットの下にある隠し仕掛けに収めた。

そして、ゆっくりと窓辺へと歩く。

「あの夜に起きたこと、そして上層部があれほどまでにレオンハルトの行方を探している理由……すべての辻褄が合う。まさか、彼もこの計画に関わっているの……?」

──いや、まだ結論を出すには早すぎる。

まずは冷静に状況を整理しないと。

「やっぱり、リッカに彼を預けて正解だったわ……」そう呟いた。

思考がぐるぐると回る。

その中に、ふとある疑問が浮かぶ。

《リッカがスパイになった理由……それも、この計画と関係があるのかも。でも、それは今は関係ない。まずはこの情報を彼女に届けなければ……だが、通信機で呼び出せば、傍受される可能性がある。……あの時、森から出たときに追っていなかったのは、やっぱり失敗だったかも》

レオンハルトの姿が脳裏に浮かぶ。

あの魔法。あの瞳。

「あれは本当に恐ろしかった……まるで悪魔が罪人に裁きを下しているようだった。しかも、使うたびに自分の体を傷つけている気がしてならない……」

「彼はどこにいるの……無事でいてくれればいいけど……リッカ、ちゃんと見せに来てくれるかしら……」

《──でも、どうして私はこんなにも彼のことを……?もっと心配すべきはヴィレリアの未来のはずなのに》

《…いや、私の監視下にあるんだから、気にかけるのは当然……よね? もう、何言ってるのよヘレナ、しっかりしなさい!》

頬をぺちぺちと叩き、意識を現実に戻す。

《……どうすればこの情報をリッカに渡せるか。明日の朝食時なら、周囲に怪しまれずに会話できるはず。最近は兵士たちと過ごす時間も多いし、違和感もないはず》

「それに……私の地位を使えば、上層部の核心にもっと近づけるかもしれない」

証拠はまだ不十分。

だが、本能がこれを真実だと叫んでいた。

──敵は、戦場だけにいるわけじゃない。

この国の内側にこそ、最大の脅威が潜んでいる。

ひとつの不安が、ずっと頭から離れなかった。

翌朝の朝食時にリッカに渡すためのメモを書きながら、私は心の中でつぶやく。

「もう確信した……レオンハルトは、私たちが思っている以上に深く関わっている……」

窓の向こうには雲ひとつない夜空と、くっきりと浮かぶ満月。

その光に照らされながら、私はガラスに手を当てた。

冷たい感触が、心の奥を刺す。

「……レオンハルト」

言葉は、まるで過去からの残響のように胸に返ってきた。

《状況は、私たちの想像よりもはるかに悪い……そして、誰一人として、それに備えられていない気がする》

翌朝、食堂でリッカと短く顔を合わせた。

言葉は交わさなかったが、目が合った瞬間、私たちは互いに察した。

──何かが動き始めている、と。

だから、わざと彼女にぶつかるフリをして転ばせた。

すぐに手を差し伸べて起こす──その一瞬を使って、メモを彼女の手に渡す。

すべては自然に、何事もなかったかのように。

……表面上は、ね。

***

どこかの場所。【レオン視点──深い眠りの中】


すべてが白かった。

いや、部屋の照明が明るすぎて眩しいとか、そういう類じゃない。

これは、純粋で、絶対的で、目が潰れそうなほど明るい『白』。

でも目を閉じることすらできなかった。というより──まぶたすらなかった。

いや、そもそも身体がない。

私はただ、どこかに漂う存在になっていた。

《……あー、またかよ。ってことは死んだのか? 俺、また雲になっちゃったの?》

そう考えたのか、それとも声に出して言ったのか……よく分からない。

「これが、いわゆるあの世ってやつか……」

地面もない。空もない。音すらない。

ただ、無限に広がる白と、どこまでも続く沈黙。

その沈黙が、まるで体の内側から響いてくるようで、ぞっとする。

そして私は──まるで牛乳の中に浮かぶチリのように、ただ漂っていた。

これが永遠の休息……だとしたら、なんて冴えないんだ。

《……俺の引退プラン、終わったな。ようやく静かな人生を手に入れると思ったのに》

動こうとしても、何も起きなかった。

叫ぼうとしても、声が出なかった。

ただ存在するしかない。

……まあ正直言うと、月曜の朝に会社へ向かう時の気分とあまり変わらない。

けれど、自分の二度目の死を受け入れかけたその時、何かが変わった。

それは『空』のようなもの──いや、空ですらない場所──に、黒い点が現れた。

まるで遠くの星のように小さくて、けれど確かにそこにあった。

それは少しずつ広がり、真っ白すぎるシーツに開いた穴のようにぽっかりと口を開けた。

そして、そこにぶら下がっていたのは──時計だった。

普通の時計じゃない。

まるで巨大な懐中時計。どこにも繋がれていない鎖で、空中にただ浮かんでいた。

その文字盤は銀色で鈍く光り、針もなかった。

けれど、それがわずかに震えていた。まるで、何かを語りかけようとしているかのように。

──そして、声が聞こえた。

女性のような、優しい声。

囁くように、その時計から、そして同時に自分の内側から響いてきた。

「……アルヴィエル……」

「え? すみません、誰? アルヴィエルって誰? それ俺じゃないよね? いや、もしかして俺か?」

声は続いた。

その響きは、幽霊が不吉な予言を告げる映画の中のような、そんな哀しげな調子だった。

「ルクスの十二人の断片者──」

「え? ちょっと待ってください、完全に人違いだと思います。俺、ただの浮遊する魂ですけど」

「時……空間……命……死……記憶……形……混沌……光……闇……運命……言語……犠牲……」

「……はい、なるほど……さっぱり分かりません」

一つ一つの言葉が、頭の中に見えない鐘の音のように響いた。

だが、『運命』という言葉が出た瞬間、世界そのものが震えた。

純白の空間に、細かいヒビが走る。

まるでこの空間自体が、一瞬だけ縮んだかのように。

そして、何かを言いかけたその声が、急に歪んだ。

まるで古いビデオテープが無理やり巻き戻されているように、ねじれる。

「えっ!? やめて! それ、重要な話っぽいじゃん!」

私は本能的に、時計に向かって意識を飛ばした。

引き寄せられるように、吸い寄せられるように。

初めて、自分に手のようなものがある感覚を得て、それを時計へと伸ばす。

近い。

あと少し。

金属の震えを虚空の中で感じ取れるくらいに。

そして──匂いがした。

……味噌ラーメン?

《おい、マジかよ……俺の潜在意識、こんな大事な場面で飯テロしてくるのか……』

そう思いながら、ついに時計の縁に触れた、その瞬間。

すべてが、ぶっ壊れた。

乾いた音が鳴り──

世界が、砕けた。

白い空間は、まるで乾いた絵の具のようにひび割れ、粉々に崩れていく。

時計は爆ぜ、無数の光の断片となって俺の無い身体へと突き刺さった。

そして、虚無に呑まれる直前に──

あの声が、今度は遠く、歪みながらも、もう一度だけ聞こえてきた。

「──運命を裂いた者は……目覚めることができるのか……?」

「…え…あれ?…確かに…俺の人生、週一で放送されてるあの手のテンプレアニメみたいになってきてるじゃん…ちくしょう…」


次回:『仮面の裏に潜む者たち。』

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