誰がために
村を出て数日、食料も飲み物も底をつき、飢えで苦しんでいたロイ。鉛のように重い足を一歩、また一歩と、生きるために歩き続けた。
すると一つの村が見えてきた。だが、小さな瞳に映ったのは、燃え上がる家々と、戦いの騒音だった。
その村は盗賊団に襲われていた。抵抗していたのが、雇われ傭兵団、通称鉄の鴉だった。
鉄の鴉は、国家に属さず報酬のために戦争や警備に参加する独立傭兵団。
冷酷な実力主義で知られ、「勝てねば、死ね」が信条であった。創設者は元騎士で、戦争で味方に裏切られた経験から「仲間よりも金と成果」を信じるようになった。
兵士は、孤児、罪人、落ちぶれた元兵士など、「行き場を失った者たち」で構成されていた。
村を守る傭兵団は相手である盗賊団に数で押され劣勢の状況であった。
ロイは隠れて様子を見ていたが、目の前に女傭兵が倒され、盗賊に剣を突き立てられそうになっていた。
体が勝手に動いていた。
小さな体からは想像もできない俊敏な動きで背後をとり、盗賊を一撃で地面に叩き伏せた。
目の前でその光景を見ていた傭兵は呆気に取られていた。
「おい、あのガキ素手であの巨躯の盗賊をのしたぞ」
「へぇ、鬼族の者か」
強力な力を見た傭兵の隊長が言った。
「鬼の力か……面白い。おい小僧、今ここにいる盗賊を全員殺せば、鉄の鴉の一員にしてやろう」
「……嫌だ。僕は人を殺したくない!」
「……分かった。では殺さなくて良い、倒せ」
「…………それなら」
ロイはなるべく敵が苦しまないように一人一人急所を突いて気絶させていった。
隊長のヴァリクは思った。
「こいつは使える……このガキを使って戦地に赴き、成果を略奪すれば……」
ヴァリクは意気揚々とロイに話しかけた。
「素晴らしい、見事だ!お前ほど戦の神に愛された者はいないな。行くぞ小僧、我らの基地に案内する」
ロイは眉を顰めたままヴァリクを睨んでいた。
基地に着くと、まず番号を言い渡された。
「四七番、これが今からお前の名前だ。そしてこの牢が、お前の寝床だ。文句はなしだ。黙って住め」
傭兵団の拠点は砦というよりも古びた兵舎に近かった。
石壁はひび割れ、外の風が容赦なく吹き込む。
薄汚れた藁の上にボロボロの布だけが置かれた一角を見下ろす。壁には鉄製の杭。逃げ出さないように繋いでおく鎖の跡もあった。
名前ではなく番号。
家ではなく檻。
それが「ここにいていい」と言われた場所だった。
「母さん、父さん。僕、ここで頑張るよ。強く生きるよ。そしていつか再会しようね。おやすみ」
そう言って、毛布にくるまって静かに眠りについた。
次の日、配給の時間が来た。
ロイは列の最後尾に並ぶ。並んでいる間も、周囲の兵士たちがヒソヒソと話す。
「あれが鬼か……」
「あのガキ、素手で盗賊の一派を潰したらしいぞ」
「あいつ、裏で人食ってるんじゃねぇか」
声は小さいけれど、全部聞こえてくる。
食堂の隅に座ると、隣に座っていた男が無言で席を立つ。残されたのは無機質な皿と、乾いたパン。
ロイがぼんやりとパンを千切っていると、向かいの席に誰か座った。ゆっくりと顔をあげた。
見上げる直前、その人が話しかけてきた。
「ねぇ、あんた、名前は?」
「えっ?」
意表を突かれたロイは腑抜けた声を出してしまった。
目の前に座ったのは、ロイが助けた女傭兵だった。年齢は十五歳程に見えた。
「私はセレナ、あんたは?」
「ここでは番号なんじゃ……」
「私たちの間は名前でいいの」
「ぼ、僕はロイ」
「ロイね。よろしく、ロイ。」
「よろしく、お願いします……」
「ロイ、あの時助けてくれてありがとうね、本当に殺されるかと思ったよ。あいつデカくて太刀打ちできなかったし、なんか私ばっかり狙ってきたんだよね」
「そう、だったんですか……」
セレナは気づいた、ロイの配給が異常に少ない事に。
セレナは自分の皿から焼いた肉の半分をロイの皿に移した。
「え、セレナさん、いいですよ、僕……」
「よく噛んで食べなよ。ほら、ここではね、倒れたら誰も拾ってくれないから」
「ありがとう……ございます」
これ以上言葉が出なかった。
この日、傭兵団にある依頼が届いた。それはある小国の村で反乱が起き、王国側からの「反乱分子の討伐」の依頼だった。
兵士たちを集め、整列させたヴァリクが言った。
「村人か、反乱兵かの区別は不要。農民を殲滅せよ」
ロイは思わずヴァリクに問うた。
「……本当に全員……殺すの?」
「これは戦争だ、四十七番。慈悲を捨てろ」
「行くぞ」
ロイたちがその村に入った時、そこはすでに燃え、泣き叫ぶ人々で溢れていた。
男たちは武器を持っていたが、ほとんどが農具。中には戦う気もなく、子供や家族を庇っているだけの者もいた。
それでも傭兵団は容赦しなかった。
男が斬られ、女が刺され、火が家を包む。
その混沌の様子に、ロイは打ちのめされてしまった。当然だ。まだ五歳の子供が戦争の生々しい残酷を目の当たりにしたのだから。
吐いてしまった。
「オェッオェッッ!」
ロイの前に一人の少年が怯えた顔で立ち尽くしていた。
ヴァリクが怒号を上げる。
「おい四十七番!何をしている!そいつを殺せ!」
ロイの手は、剣を握ったまま、動かない。
その少年が言った。
「やめて……助けて……」
剣の重みより、言葉の重みの方が、ずっと重かった。
直後、ロイの後ろに反乱兵が回り込み、ロイを切りつけた。
だが、それを庇ったのはセレナだった。
「ロイ!」
セレナは腕を斬られ、ロイはようやく反応する。
次の瞬間、鬼のような速さで敵を捩じ伏せ、地面に叩き伏せる。
敵兵は呟いた。
「ただ、家族を守りたかっただけなのに……」
ロイの手が止まる。
するとヴァリクが来てその敵兵の顔を潰した。
続けてロイの胸ぐらを掴みながら言った。
「ふざけるなよ四十七番!何のためにお前を雇ってやったと思ってる!仕事が出来ないのならば貴様も死んでもらうならな!次はないと思え……!」
任務終了。村は制圧された。拠点に戻った。
ロイはずっと自分の寝床にいた。何も食べず、何も喋らず。眠った。無理矢理でも眠った。起きているのが辛かった。
そんなロイの横に腰を下ろすセレナ。
「……あれがこの世界の正義よ。私たちは誰かの都合で誰かを殺してるだけ。命令は絶対。逆らうと自分の身が危険に及ぶ。でも、ロイは迷った。殺す事を躊躇した。私は間違いだとは思わないよ」
「……」
ロイの毛布を持つ手がワナワナと震えている。
セレナは一緒に横になって寝て、ロイを抱きしめた。
「大丈夫、大丈夫」
頭を撫でながら言った。
ロイは泣き出してしまった。
「怖かった。あたり一面血だらけで、悲鳴ばかりで、もう頭がおかしくなるかと思った。どうすればいいかわからなくなった。怖かった、怖かった。ごめんなさい。僕のせいで腕を斬られて、ごめんなさい」
「いいよ、怖かったんだよね。腕は大丈夫だよ。治療したから。今日はもうおやすみ」
ロイはセレナの温かい胸の中でウトウトと眠りについた。
初任務以降、ロイは迷いながらも任務をこなしていった。
十年の月日が経った。
村人、反乱兵、時に子供さえも「排除対象」とされる現場に何度も立った。
最初は目を背けていたことも、無表情で応じるようになっていた。
だが、そんなロイの人間性を結びつけていたのはセレナの存在だった。
食堂で席を空けてくれるのも、怪我の手当をしてくれるのも彼女だけ。
もはやロイの行動原理は「セレナを守る」それしかなくなっていた。
「君が死ぬくらいなら、俺が全員殺す」そんなふうに思うようになっていた。
ロイの暴力性は増していった。時には殺す必要のない敵も皆殺しするようになっていた。殺し方も惨たらしいものばかりだった。鬼の呪いが働いたのか……
ロイがこれまで大切にしてきた何かが、事切れる寸前だった。
傭兵団内部では、ロイの力が恐れられ始めていた。
制御できなければ大惨事になるという理由で、ロイの処分が決定した。
だが、驚異的な回復力と強力な力を持つロイを真正面から殺すのは難しい。
そこでヴァリクはセレナに命じた。
「あの化け物を誘導しろ。罠の中へ。あとは俺たちが仕留める。従わなければ、お前が代わりに吊られる事になるからな」
最後の任務の夜。
二人は焚き火の前で肩を合わせて、隣り合って座った。
満天の星空の下二人は穏やかに会話した。
「ねぇ、ロイ?ここを出たら、どこに行きたい?」
「いきなりどうしたんだよセレナ。考えた事もなかったな。どこに行きたいか、なんて」
「じゃあ今考えてみて?」
「んー、そうだなぁ、強いて言えば、海が見たいかな」
「海かぁ、良いね。じゃあ、今から行こ?」
「何言ってるんだよセレナ。また冗談か?」
「本気で言ってるの」
セレナは真剣な眼差しをロイに向けた。
「ロイ、傭兵団はあなたの処分を決定した。明日になったら傭兵団はあなたを殺そうとする。だから私と一緒に逃げよう」
「……そうかぁ、俺も俺なりにここで頑張って来たはずだったのにな。いつもこうだ。いつも俺は俺の信頼ってものを踏み躙られるんだ。」
「……ロイ?」
「セレナ、分かったよ。一緒に海に行こう。だけど、それはこの傭兵団を皆殺しにしてからだ」
「ロイ、何を言ってるの?そんな事、する必要ないよ!私がいるよ、ロイ、大丈夫だよ。ほら来て、もう一度私の胸の中に」
ロイは抱きしめようとするセレナの手を振り払った。
「セレナ、俺はもう我慢したくないんだ。この憎しみ、ぶつけなければ、気が済まない。返り討ちにしてやる」
「ロイ……」
そうして二人は寝床に戻った。
ロイは憎しみに心を燃やしながら眠りに着いた。
夜中、突然ロイは縛り付けられるような感覚を覚えた。
「何だ!」
次の瞬間ロイの檻が爆破された。
爆発の衝撃で胴体が千切れて建物の外に飛び出した。
ドチャッ。地面に落ちた上半身。ロイは痛みに悶絶した。状況が良くわからない。
「なんだ、何が起こってる!」
するとまた縛られるような感覚と同時に、体が全く動かせなくなった。
「なに?!回復しないだと?!」
体も再生しなかった。
ロイがいたのは広場だった。目の前を向くと、ヴァリクと団員たちが集まっていた。その後ろに誰か吊るされている。だれだ!動かない首を全力で伸ばして、確かめる。
セレナだった。拷問されて、体中血だらけで、裸に剥かれていた。
「あああああああ!!!」
声にならない悲痛の叫びを上げるロイ。
そうか、昨日の会話、聞かれていたんだ……
ヴァリクが高らかに喋り出す。
「ようロイ。お前の体、西の国では本当に、たいそう高い値で売れるらしいなぁ。お前の体、俺がもらうぞ」
「んんんん!!!」
目の玉を必死に動かして、周りの状況を確認する。
分かった。
ロイの周りには十人程度の魔導士が術式を展開して、ロイに結界を張っていた。
だから動けないし、回復もできなかった。
「無力だなぁ。あの女も守れねぇ。自分自身も守れねぇ。ロイ、お前には本当に同情しちまいたくなるぜ」
と言ってロイの心臓を剣で貫いた。
意識が遠くなるロイ。ついに気絶してしまった。
「よっしゃあ!鬼の討伐完了!これで俺も遊んで暮らせるぜ。何しようかな。まずは女を買ってだな……」
ドンッ!
突然ロイの周りに衝撃波が走った。
「何だ!」
ロイの身体に紋様が浮かび上がる。そして額からは大きく厳かな角が二本生えきた。
油断していた魔導士たちが震え始め、一斉に逃げ出した。
「ちっ!奴の体に何が起きてる!」
鬼族の者は体に致命傷を負うと呪いを解放して自我を失う代わりに、一命を取り留める生存方法を持っていた。
ロイは力のある限り暴走し尽くす鬼となった。
体の回復が急速に始まった。一秒も満たないうちに完治した。
「おいおいおいおい、なんかやばそうだぞ、これ……」
ヴァリクは恐れをなしていた。
「こんなの逃げるしかねぇだろ」
ヴァリクが逃げ出すと、周りで見ていた団員たちも一斉に逃げ始めた。
虐殺が始まった。
ロイはまず、ヴァリクの首を千切り、胴体を殴りまくりぐちゃぐちゃにした。
「おおおおお!」
雄叫びをあげた。
そうして次の人間、また次の人間へと標的を変え、残酷に殺していった。
数十分後あたりは血の海になっており、傭兵団は皆殺しにされていた。
ロイは血の海で苦しむように暴れていた。
紋様が身体に焼きつくような痛みを与えていたのだ。
最初の衝撃波でロープがちぎれたおかげで動けるようになっていたセレナが、ボロボロの身で、ヨロヨロとロイに向かっていった。
足を引き摺りながら、最後の力を振り絞り、ゆっくりと近づいていく。
「ああああああああ!!!」
叫び続けるロイ。
そんなロイを抱きしめるセレナ。
弱々しい声で、優しく声をかける。
「ほら、そんなに叫ばないの。大丈夫だから」
「あああああああああああ!!!」
セレナの腕に噛み付いた。
「つッ!」
痛みに耐えるセレナ。それでも声をかけ続ける。
「大丈夫だよ。大丈夫。もう安心していいからね。大丈夫、大丈夫、大丈夫、大丈夫」
頭をさすり続けた。
「あああああああ!!!」
暴走はまだ止まらない。
「はいはい分かったよ、ロイ。そうだったロイはこれが良いんだよね」
と言って、ロイの頭を優しく抱いて、自分の胸に寄せた。
「あああ!!……あああ………………」
すると体の紋様がスルスルとなくなっていった。
暴走が止まった。
二人はその場に倒れた。
「やっと眠ってくれた、本当に手のかかる子なん……だか……ら」
数時間後、ゆっくりと目を覚ましたロイ。
目の前は血の海、そして倒れているセレナの姿。
「セレナ!」
醜い仕草で、血で滑りながら、セレナを抱き抱える。
「セレナァァ!!!」
「全部俺のせいだ。俺があの時、セレナと一緒に逃げなかったから、セレナは……セレナは……あああああああああ……!!」
世界を呪った、傭兵団を呪った、何より、自分の愚かさを呪った。
蹂躙、圧殺、絶叫、懇願、そして絶望。ロイの頭のなかは混沌だった。
悲しみと憎しみ、その二つがロイの体の中で渦巻き、ロイを取り込んで行く。
「ふざけんじゃねぇよ!このクソ野郎が!俺から奪うな!どうしていつもいつもお前たちは俺から奪うんだ!」「…………違う……馬鹿なのは俺だ…………一番大事な人を自分で殺して、泣き叫べば良いと思ってんだろ!そんなことしてもセレナは帰ってこねぇんだよ!なんて惨めで、愚かなんだ俺は……俺が死ねばよかったのに。なのにこうしてのうのうと生き残って!クソ!クソ!クソオオオオ!」
跪き、涙を流し始める。
「はぁ……俺は人と関わっちゃダメなんだ……こんなに愚かなんだから、どうせまた人を殺すんだ。そうさ、今までと同じ、人を傷つけることしか出来ない人間なんだから。俺は鬼だ……。人間でも何でもない。ただの鬼だ……。ああ……俺は存在しちゃいけなかったんだ……俺は俺が大嫌いだ…………」
絶望と自己否定、深く、深くロイの胸に染み付いていった。
大切だったはずだった、なのに、どうしてもっと大切にできなかったんだろう。どうして……どうして……。セレナ……
そうして、セレナの亡骸を抱いたまま数日茫然としていた。セレナの体がだんだんと変化していったので、埋葬した。
それからロイは山に籠るようになった。人と関わらない生活を続けた。何度も何度も自殺しようとした。けれど鬼の力によってそれは叶わなかった。ただただ時間を浪費する毎日。なんの希望もなかった。
どんどんと狭くなる心の視野。もう暗いことしか考えられなくなっていた。生活圏も数十メートルしかなく、なんのために生きているのか、本当にわからなかった。そんな生活が三年程続いた。
いつものように、川に魚を獲りにいった時。ありえない光景を目にした。そこにセレナがいたのだ。