鬼の忌み子のロイ
「おぎゃあ、おぎゃあ」
四人目の子供が生まれた。名はロイ。ロイの両親は彼が生まれた事をたいそう喜んだ。それもそのはず、ロイが生まれてくるまでにロイの母親は三度流産を経験していた。もう子供は出来ないのだと諦めかけていた。そんな時、生まれてきてくれた奇跡の子供であったのだ。ロイは両親にとって特別な存在だった。
だが、ロイには生まれた時から犬歯が生えていた。彼が鬼の忌み子である事は、もうすでに、示唆されていたのかもしれない。
ロイが四歳になった頃、大怪我を負った。
ロイは村の子供達と森の奥で遊んでいた。一人の子供が言った。
「崖の上に鳥の巣がある!あの鳥の卵を取って来れた奴が勇者だ!」と。
子供達はふざけ半分でロイにその卵を取らせようとした。
「お前が取ってこいよ」
「ロイ、お前なら必ず取れるって信じてるぜ」
まだ幼かったロイは、純粋にみんなに認められたいという気持ちで、その頼みを承諾した。
「うん、分かったよみんな!見てて!ぼくが卵を取ってくるからね!」
そうしてロイは崖を登り始めた。
「よいしょ、よいしょ」
崖の中腹辺りまでは順調に登っていた、が、その時だった。ロイが手をかけた岩が、岩肌ごとごっそりと剥がれ落ちた。そしてロイは十数メートル下の岩場まで落下してしまった。
「キャー!」
「…………!!!」
「ロイ!」
頭を強く打ち、頭蓋骨が陥没。右腕と左足の骨が複雑骨折し、不自然な方向に曲がった。胸を岩で打ちつけ肋骨が折れ、肺を損傷。呼吸困難に陥いる。全身に深い切り傷ができ、大量出血。
普通の人間なら即死か、助かっても一生歩けない程の重傷だった。
子供たちはロイのその姿に恐怖で凍りつき、ロイを置き、そのまま逃げてしまった。
しかし、ロイは……
数時間後には意識を取り戻し、傷を少しずつ治癒していった。十数時間後には傷口は完全に塞がり、骨も元通りになっていた。そして翌日、まるで何事もなかったかのように村に戻った。
これが恐怖の始まりだった。
死んだはずのロイが元気な体で帰ってきた。奇跡だと喜ぶ者もいれば、最初から崖から落ちたことなど、ホラ話だったのではないかと疑う者もいた。
しかし、ロイが崖から落ちた瞬間を目撃していた子供達はその回復の異常さに震え上がった。
「どうして、ロイは生きてるんだ……?」
「普通なら死んでる。あんな怪我、治るはずがない……」
「ロイは化け物なんじゃないか?」
一年後。ロイが五歳になった頃。
村のはずれにある古く巨大な納屋で、火の不始末が原因で火災が起きた。火の勢いは激しく、納屋の屋根が崩れ落ちそうになっていた。
だが、中には薪を取りに来ていた木こりの老人が取り残されていた。
「誰か!誰か助けてくれ!出られないんだ!」
「ダメだ!みんな避難しろ!ここはもう火の海だ!」
老人を助けようとした最後の大人たちがその納屋から出てきた。
村人たちは火に近づく事もできず、ただ立ちすくむばかりだった。
その時、ロイが人波を掻き分けて走り出した。老人を救おうというのだ。
誰かが叫ぶ。
「待て!子供が行ったら危ない!」
だがもう遅かった。燃え盛る納屋の中に小さな体で入り込んでいくロイ。
大人たちがどよめき始めた。
「ロイ、何をしているんだ!」
「死ぬ気なのか!?」
納屋の中は煙と火で満たされ、木こりの老人は大きく太い梁の下敷きになっていた。
炎に包まれている梁は、大人数人でも動かせるものではなかった。
だが、ロイは恐れる事なくその巨大な梁に手をかける。
ロイの腕を炎が包んでいく。
「くっ……!」
腕が燃えて激痛が走る。それでもロイはその老人を助ける事をやめなかった。
幼い腕にみるみるうちに力がこもっていく。
ミシミシ……ッ、ギギ……ッ
ありえない光景だった。
大人の男五人がかりでも動かせないはずの梁が、ロイの小さな腕でゆっくりと持ち上がっていく。
「ああああああああ!!!!」
老人を引きずり出した瞬間、梁は崩れ落ちて火の中に沈んでいった。
焼けた腕が回復していく。数秒後には元通りになっていた。
助けられた老人は煤けた顔で、泣きながら言った。
「ありがとう、ありがとう……君は命の恩人だ……ありがとう……ありがとう……ありがとう……」
ロイはその言葉がたまらなく嬉しかった。自分の勇気ある行動が褒められた気がしたから。人から認められた気がしたから。
「やった!僕は人の役に立てたんだ!僕には誰かを助ける力がある!みんな!」
しかし、周囲の大人たちは顔を引き攣らせていた。
「あの梁をロイが一人で持ち上げた……!?」
「信じられない…………鬼だ……」
「忌み子だ……化け物だ……」
村人たちは一歩、また一歩とロイから距離を取った。
子供達が言った。
「あんなの、人間じゃない……」
「こわい……」
老人の言葉により、ほんの一瞬、ロイの中に希望の灯火が灯った。それは、村で生きる「普通の子供」としての初めての期待だった。
だが、振り返って目にしたもの、それは、称賛ではなく恐怖、感謝ではなく距離、笑顔ではなく疑念であった。
村人たちはロイのその絶大な力に恐れ慄いた。
ロイは理解ができなかった。
どうして助けたのに恐れられるのか。助ける事は悪いことなのか。自分にしか出来ないことだったのに。
ロイの正しさが受け入れられない世界が、目の前にあった。ロイの幼い心には自分が間違っていたのか、世界がおかしいのか、わからなかった。
結果として残ったのは、
自分は存在してはいけないのではないかという恐怖、深い自己否定だった。
しかし、そんな自己否定の中に小さな希望もまた存在していた。老人が手を震わせながらロイの手を握り、謝意を述べたあの瞬間。あの瞬間は確かに、確かに温かった。
この希望が、彼が人を見限る前にもう一度人を信じる理由となった。
火事の一件を皮切りに、村人たちはの中でロイは鬼の忌み子だという噂が加速した。
村の子供たちは親に、怯えた表情で、「ロイと遊びたくない」と訴え始めた。それを見た親たちは「このままでは自分の子供が殺される」と思い込むようになっていった。
そんな中、村の集会が開かれ、「ロイを村から追い出すべきだ」という声が上がる。
集会に参加していたロイの両親は、その議決に猛反対した。
重い病気にかかっていたロイの母が声を張り上げ訴える。
「お願いです、あの子を追放しないでください。あの子は、ロイはまだ五歳の子供です!火事の時、誰があの老人を救ったか、お忘れではないですよね?あの場にいた大人は誰一人として動けなかった。それでもロイは自分の命を顧みず火の中に飛び込んだんです!お願いです……どうか、あの子の人を見てあげてください」
いい終わると同時に酷く咳をした。
続けて父が言う。低く、怒りと悲しみの混ざった声で。
「お前たち、俺たちは村で共に生きてきた仲間じゃなかったのか!ロイが怪物なら俺たちはなんだ?その怪物を愛し、育ててきた俺たちはなんだ!?力がある、それがなんだ!ロイが一度でも誰かを傷つけたか?!お前たちのために命を張ったじゃないか!」
拳を握りしめ、震えた声で叫ぶ。
「恐れるのは勝手だ、だがそれを正義にしてたった一人の子供を追い出そうっていうのか?!お前たちは本当にそれで人間と言えるのか?!」
その場に沈黙が流れた。誰もが俯き、口を閉ざした。
けれど、それでも、
「けど、何かあったらどうする」
「他の子に被害が出たら誰が責任を取るんだ」
という、小さな声が絶えなかった。
やがて、村長が二人に重く言い渡した。
「……申し訳ないが、これが村の決定だ。あの子には出ていってもらうしかない。命令に従わなければ、あの子の命を奪うしかないが……」
「脅しだ……なんて卑怯な……!」
父は考えた。自分がロイについていこうか、と。しかし病気の母をおいてはいけないし、一番上の子だって十二歳になったばかりだった。どうしても父は村を離れるわけにはいかなかった。苦渋の決断だった。
次の日の夜。村のはずれ。
灯りを全て落とした小さな家の裏口に、少年の影が立っている。
ロイは背中に包みを背負い、小さく息を吐く。月明かりだけが、行く道を照らしていた。
その隣には膝を着き、肩で息をする母の姿。
彼女の体はすっかり痩せて、薬草の匂いが染みついた布で咳を抑えていた。
「ごめんね……ロイ」
「母さん、安心して、大丈夫だよ。僕強く生きるから。母さんは母さんの心配だけしていればいいよ。何も不安な事はないさ」
「あなたは本当にどこまでも優しい……あなたは世界一の宝物よ、永遠に愛してる、ロイ。大好きだよ」
「僕もだ」
一歩後ろに立つ父。
「お前は俺の誇りだ。いつまでも健やかに。愛してる。ずっと。ずっと……」
「それじゃあ、行ってきます」
「うん」
ロイが歩き出す。踏みしめる草の音だけが、夜の静寂に響いた。振り返らない。いや、振り返れなかった。振り返れば、泣いてしまうから。走って、戻ってしまいたくなるから。だからロイは前だけを見ていた。
ロイの両親はその場に跪き、お互いに抱き合い、肩を震わせて泣いていた。ロイが見えなくなるまで、いつまでも、いつまでも見届けた。