海野 瑞希【完】
瑞希のエピローグです。
とあるゲストが登場します。
あの出来事から長い時が流れた……。
私は殺人未遂で逮捕され、裁判で有罪判決を受けて刑務所に幽閉されることになった。
潮太郎とはあれっきり……裁判時に証人と被告人という形で目が合ったくらい……。
奈美も両親が引き取っていった……。
『お前にこの子の母親を名乗る資格はない。 お前とは縁を切る』
『これ以上、この子の人生を狂わせないで頂戴』
両親から突き付けられた最後の言葉……。
そこには生まれて間もない孫への想いだけで、長年可愛がっていた実の娘に対する温かな言葉は一切なかった。
ハハハ……何かと私に甘い両親まで見限られるとはね……。
元夫である潮太郎なんかは……私に対して何も言葉を掛けてくれなかった。
面会にも来てくれなかった……。
フフフ……私は本当に1人になったのね……。
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そして刑期を終えて自由を得た今……私には何も残されていない。
家も……お金も……何もかも私の手から離れていった……。
私を裏切った大洋はというと、殺人未遂で今も刑務所に服役しているらしい。
何でも潮太郎の母親を刺したとか……。
元々頭のおかしい子だと思っていたけど……とうとうやってしまったみたいね。
もうあの子に対する気持ちなんて完全に冷めている私には、そのことを聞いてもざまぁみろとしか思えなかった。
だけど……私は私で人を見下すような生活を送れている訳じゃない。
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「浜口さん、私は向こうの部屋を掃くから、あなたはこの廊下を掃いといて」
「はい……」
私は今……小さな清掃会社で働いている。
もう若くない体を酷使してやりたくもない清掃に明け暮れ……疲れ切った体で風呂なし安アパートに帰り、お風呂に入って寝る。
そして起床してまた働く……この繰り返し。
会社は高齢女性ばかりで出会いなんてないし……もらえる給料だって最低限の生活を維持するだけで精一杯……。
こんななんの面白味もないやりがいもない仕事なんて……やりたくないけれど……前科持ちで何の資格もない女を雇ってくれる職場なんてここくらい……。
やめたところで何のあてもない……。
両親も潮太郎も友人達も……みんな私と縁を切ってしまったから……。
だから私は……この生活を続けるしかなかった……。
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だけど女というのは……人間というのは……弱い生き物だ。
どんなに歯を食いしばって我慢しても……人のぬくもりが恋しく思ってしまう。
つらく苦しいばかりの人生を送り続けていれば……なおのこと……。
「瑞希さん、このステーキとってもおいしいです」
「そう? それはよかったわ……」
私は私の人生にぬくもりを与えたかった……幸せで満たしたかった……。
そんな思いから……私はマッチングアプリで若い男の子と会うようになった。
だけどそれは……恋仲なんてロマンのある関係性じゃない
なけなしのわずかな金を餌にして、たくさんの男の子を釣り上げているだけ……。
これを世間では……ママ活と呼ぶのかしらね。
「うめぇ!!」
今、一緒に食事をしているこの大学生もその1人……。
金欠気味らしく、ステーキをおごってやるとスマホでささやいた瞬間……私に飛びついてきた。
もちろん食事を終えたらそれでおしまい……。
彼は恋人が待つ家へと戻り……私は元の孤独な生活に戻る。
フフフ……皮肉なものね?
潮太郎とアオカの関係をパパ活と呼んで軽蔑していた私が……人恋しいあまりにママ活へと堕ちた。
滑稽すぎて笑う気にもなれない。
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だけど……ギリギリな生活を送る私に、そう何度も男と会う金なんて作れるわけがない。
どれだけ頑張っても……2ヶ月に1回、男と軽く食事や買い物に行く……そんなレベルだ。
もはやデートではなく、ただの恒例行事だ。
だけどそんな薄い関係性でも良いから誰かと安らぎの時を過ごしたいと願ってしまうのが私だ……。
「お腹すいた……」
毎日お腹を空かせ……最低限の化粧すらも常備できない……。
日に日に体はやせ細っていき……顔もシミやしわで汚くなっていった。
結婚していた頃はそれなりに自信があった自分の容姿……それが今やおとぎ話に出てくる魔法使いの老婆のように醜く変化していた。
そしてこの容姿になったせいで……金を撒いても男が寄り付かなくなってしまった。
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わずかな幸せすら味わうこともできなくなり……私の心は冷たく暗い絶望の底に沈んだ……。
もはや自分が生きている意味すら理解できなくなっていった。
いっそのこと……この無意味な人生に幕を閉じるか……。
そう思っていた頃……私は1人の人物に出会った。
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その日……私は仕事でとある老人ホームを訪ねていた。
私は午前中に建物の半分を清掃し終え……残りの清掃は午後行う予定だ。
そして私はわずかな休憩をもらい……広い庭のベンチに腰を下ろし、少し遅めのランチを食べていた。
ランチとは言っても……コンビニで買ったおにぎり1個だけ……。
もちろんそれだけでお腹が満たされる訳がないけど……金がないからどうしようもない。
食後……午後の清掃までここで少し休憩を取っていた時……。
「あの……すみません」
見知らぬ白髪頭の高齢女性が突然私に話しかけてきた。
優し気な風貌に見える反面……その目はどこか虚ろいでいるように見える。
「それで……足りますか? もしよければ……これ……どうですか?」
そう言って彼女が私に突き出してきたのはサンドイッチの入ったランチボックスだった。
「ちょっと作りすぎてしまって……」
「どっどうも……」
いきなりのことで呆気に取られたものの……食欲には勝てず、私は彼女の言葉に甘えてサンドイッチを頂いた。
「おいしい……」
優し気な微笑みを向けてくる彼女の温かさに……私は思わず涙がこぼれ落ちた。
他人に親切にされるなんて……久しぶりだったから……。
胸の奥から何か熱いものがこみあげてくるような感覚……。
それはこの長い時の間で失われていた人としての喜び……だったのかもしれない……。
「何かつらいことがあったんですね……。
私でよければ……お話を聞かせていただけませんか?
もちろん、無理にとは言いませんから……」
「……」
出所してから今まで、誰にも自分のことを話したことがなかった。
そもそも話す気もなかった……。
話した所で過去が変わるわけでもないし……この地獄のような生活から抜け出せるわけでもない……。
そんなの無駄……そう思っていたから……。
でもたった今、久しぶりに触れることができた人の純粋な優しさ……それが私の固く閉ざされていた心を……わずかに開いたのかもしれない。
「私……」
気が付けば……私は彼女に今までのことを打ち明けていた。
最初こそ、かいつまんで話そうと思っていたが……話していくうちにどんどん心にため込んでいた感情があふれ出ていき……最終的に長い物語を彼女に聞かせていた。
そんな私の話を……嫌な顔ひとつせず聞いてくれた。
「そう……そんなことがあったのね……」
「今でもわからないです……どうしてこうなってしまったのか……これからどうすればいいのか……どうすれば……幸せになれるのか……全然わからないんです……」
私が一通り話を終えると……彼女は何かを思い出すようにゆっくりと目を閉じた。
「私にも……似たような覚えがあります」
「どういう意味ですか?」
「実は私も……かつて夫を裏切ってしまったことがあるんです……それも衝動的な理由で……」
「えっ?」
「もう何年も前の話です……。
20代の頃……私は1人の男性とお付き合いをしていました。
彼は女性の扱いが上手くて、私は彼との結婚を夢見ていました……。
でも彼は……何人もの女性と関係を持っていたらしく……その中の1人を妊娠させて、別の男性を結婚させたんです」
「それっていわゆる托卵ってやつですか?」
「そうです……しかも彼は、それを賭け事にしていました。
妊娠した女性も彼と共謀して……」
そういえば昔……そんなニュースがあった気がする。
どっかの金持ちが托卵を賭け事に利用した挙句、それがバレて一家離散したとかなんとか……。
詳細はよく覚えてないけど……。
「彼の本性を知ることができた私は……彼との婚約を破棄して彼と別れました。
それから托卵に利用された男性と仲良くなり……そしてその男性と結婚しました。
お互いに大切なパートナーに裏切られた人間同士……だからとても息が合いました。
夫は心に大きな傷を負っていましたが……何よりも家族を愛している素敵な男性でした……。
だけど……私はそんな夫を裏切って……元彼と浮気してしまったんです。
一時の……快楽に魅入られてしまって……」
「……」
「最低なことしているという自覚はありました……。
でも……私は私を抑えることができなかった。
そんな自分の弱さが……元彼の子を身ごもるという最悪の結果を招いてしまったんです」
彼女の目からうっすらと涙が流れていた……。
それは当時のことを……今、どれだけ後悔しているのかを証明しているように見えた。
「知らぬこととはいえ……私は結果的に元彼の子を夫の子と偽ってしまった……。
それが引き金となって……夫の優しい心と良好に進んでいた人生を全て狂わせてしまった……。
全部私のせいです……」
彼女が両膝に乗せている手がプルプルと震えている……。
自分自身に対する怒りがにじみ出ているのかもしれない……。
「私は夫と離婚し……そして子供を育てるために身を粉にして働きました。
それが私にできるせめてもの償いだと思って……。
私が頑張ることが……息子の幸せに繋がると思って……。
だけど……それは甘い考えでした」
「どういうことですか?」
「息子が……学校でいじめを受けていたんです。
実父が托卵を賭け事にしていた最低の男であることがどこからか漏れてしまったようで……。
”犯罪者の子”だの”汚れたモンスター”だの……いわれのない罵声を浴びせらせ続けていたそうです。
特に女生徒からは強姦魔と蔑まれていたとか……。
もちろん学校にいじめのことを伝えはしましたが……これといった対応はしてくれませんでした。
きっと大ごとにしたくなかったんでしょうね……」
「……」
「息子はひどく傷つき……不登校にまでなってしまいました。
なんとか元気づけようと声を掛け続けていたんですが……ある日息子に言われたんです。
”どうして僕を生んだんだよ”って……”こんな目に遭うくらいなら生んでほしくなかった”って……。
私は何も言葉が出てきませんでした……そして改めて思い知りました。
私の勝手な行いが招いた不幸は……夫だけでなく息子の人生まで狂わせてしまったんだと……」
「それからどうなったんですか?」
「息子は不登校の子供が集まる学校に転校していきました。
だけど……あれ以降、息子は私と言葉を交わすどころか目すら合わせてくれなくなりました……。
もうあの子にとって……私は母親ではなく、ただの罪人なんです……。
その罪はきっと一生消えない……。
だから独り立ちして家庭を持った今もなお……息子は連絡もくれませんし、孫にも会わせてくれません」
親の都合で人生を狂わせた子供……。
そのフレーズが……無意識に奈美の顔を思い浮かばせる。
あの子は”大洋に振り向いてほしい”……”潮太郎とよりを戻したい”……そんな私の願望が作り出した産物……そう思っていたけど……。
あの子だって私と同じ人間……。
もし物心がついて、自分の出生や親のことを知れば……彼女の息子のように私を恨むかもしれない。
なんの愛情もなく生み落とした……私を……。
「父は息子が結婚した翌年に……母は息子に子供ができた2年後にそれぞれ病死しました。
もっとも……両親とは息子のことで疎遠気味になって、死に目にすらあえませんでしたけどね……。
そして私は……ひとりぼっちになってしまったんです……」
不敵に彼女の口からこぼれる笑み……。
自分自身の境遇を哀れんで笑っている……私にはそう見えた。
「全ては私の自業自得……それなのに……そう理解してたのに……私は孤独に耐えきれず、お金を使っていろんな男と会うようになってしまったんです。
愚かしいこととはわかっていたんですが……どうしても人のぬくもりに浸りたい……人並みに幸せをわずかでもいいから感じたい……そんな欲望に私は勝てなかった……」
それって……今の私と同じ……。
「だけど……ある日、ふと気付いたんです。
どれだけ男と会おうが……どれだけお金を使おうが……私は永遠に幸せにはなれないと……」
「どうしてそう言い切れるんですか?」
「だって……そうでしょう? 私は夫を裏切った時点ですでに……幸せになる権利を自分から捨てているのですから……。
私のせいで……夫や息子に生涯消えない傷を作ってしまったんです……。
そんな私が……今更幸せになんてなれるわけがないでしょう?」
「それは……」
「だけど気付いた所で……私には何もない。
この先ずっと孤独なまま、生涯を終えるのか……そう思うと怖くなりました。
もういっそのこと……この命を絶とうかとも考えましたが、それはできませんでした」
彼女の話はまるで……これからの私の未来を予知しているように聞こえた。
だって今まさに……私は彼女と同じことを考えているんだから……。
「どうして……ですか?」
私はその先を知りたかった……。
どうして彼女が命を絶つ道を躊躇したのか……。
孤独でつらい毎日から……抜け出そうとしなかったのか……。
その答えを……。
「あるSNSの記事を読んだんです……」
「記事?」
「はい……何年か前に、大きな地震があったのを知ってますか?」
「えぇ……ニュースでもかなり大きく取り上げられていましたから……」
「実は元夫は大きな病院の医者でして……腕もかなり優秀だそうです。
そんな彼が……真っ先に被災地へ赴いて、負傷者の手当てを無償で行ったと記事には書いていました。
いつ余震が来るかわからないのに……彼はその場に留まって治療に専念したそうです。
その勇敢な姿勢に世間が心を打たれ、国から表彰状まで送られたそうです。
ですが元夫は……その表彰状を受け取りませんでした」
「なんで……そんな立派なことをしたのに……」
「その理由を……彼はこう述べました。
”私は人から敬られるような立派な人間ではありません。
個人的な理由で他人を躊躇なく傷つけることができてしまう愚か者です。
だけどそんな愚か者でも……人を助けることができる……人の幸せを願える……。
私は人の命を救うことで、それを証明したいんです。
私が被災地で行ったことは決して特別なことでも誰にもできないことでもありません……。
1歩踏み出す勇気があれば……誰にだってできることです。
でももし……勇気が出ないとか、自分を信じることができないと悩んでいるのであれば……この言葉どうか覚えていてください。
『人を幸せにできる人間は……きっと自分も幸せになれる』
私の父がよく口にしていた言葉です。
だから私は……自分が幸せになるためにも……人の幸せを願ってこれからも人の命を救っていきたいと思っています……」
「……」
「私はずっと……自分の幸せだけを追い求めていました。
だけど……彼に教えられました……。
人の幸せを願っていれば……きっと自分にも幸せが訪れると……。
ひたむきにそう信じる彼の姿を見ていると……私もそう信じてみたくなる。
だから私は……死ぬことをやめて、他人の幸せのために何かしようと……自分なりに頑張っているんです。
いつか……死ぬ時が来る前に……私に幸せが訪れてくれる……そう信じて……。」
彼女は涙を袖で拭い……私の手にそっと自分の手を重ねた。
「だからあなたも信じてみて……。
他人の幸せを願うなんて難しいかもしれないけれど……決してできないことじゃないの。
そして人を幸せにした分だけ……きっと自分にも幸せが返ってくるわ」
「そんなの……私にできるんですか?」
「きっとできる……。
体を悪くして老人ホームのお世話になっている身の私だって……こうしてあなたの幸せを願えるんだから……。
きっとあなたにだって……」
「……」
正直……彼女の言葉を全て信じることはできなかった。
もう人生が詰んでいる私に……今更人の幸せを願うなんて……できるの?
ずっと自分の幸せしか見ていなかった私が……。
「浜口さん! そろそろ午後の清掃を始めますよ!」
少し離れた場所から……上司(というべきなのか微妙だけど)の女性が私を呼ぶ。
「お仕事の時間みたいですね……」
「みたいです……。
あの……色々話をしてもらってありがとうございます」
「こちらこそ……あんな昔話を聞いてくれてありがとう」
「あの……また話に来てもいいですか?」
「もちろん! いつでも待ってるから」
「それじゃあ……あっ! そういえば名前をまだ言ってませんでした……」
「そういえばそうでしたね」
「私……浜口 瑞希と言います」
「私は牧村 栄子と言います。 これからもよろしくお願いします」
互いの自己紹介を終え、私は彼女……牧村さんに背を向けて仕事に戻った……。
これからの人生……牧村さんのように生きられるかわからないけれど……検討してみようとは思う。
なんだか今まで胸につっかえていた何かがほんの少しだけ取り除かれた気がする。
救われた……というのは大げさだけど……。
私の人生に少しだけ……ぬくもりが灯った気がする。
知っている人は気付いたと思いますが、今回の話で登場した牧村栄子は以前私が書き終えた『愛する彼のため~(以下省略)』に登場したキャラクターです。
瑞希も大洋同様に改心させるつもりでいたんですが、それにはきっかけが必要です。
それでふと思いついたのは似たような境遇である栄子に会わせるのが良いかなと思って出してみました。
もし読んでいない方がいれば、読んでみてください。
それぞれ末路は異なるものの、結果的にクズ全員が改心したのは自分なりのチャレンジでした。
クズには悲惨な最期を遂げてほしいと思う方(私自身も含めて)もいるかもしれませんが、毎回一部を除いて救いもなく逝くのもなんか味気ないと思いまして……。
では気を取り直して、次は潮太郎のエピローグを書きたいと思います。
完結まであと少し!!




