広田 蒼歌④
蒼歌視点です。
やっぱり長くなるので区切ります。
しおくんの息子である大洋に襲われたあの事件から2ヶ月が経った。
あたしは自分のお小遣いを稼ぐためにしおくんの定食屋でバイトを始めた。
本当はバイトの求人なんてしていなかったんだけど……おばさんに無理を言って雇ってもらったんだ。
まあ距離的にもお給料的にも家のそばのコンビニの方が良いんじゃないかって、お母さんに勧められたんだけど……知らない人と一緒より、仲の良い友達と一緒の方が楽しいでしょ?
アイドル時代の貯金は生活費とか学費とか……本当に必要な時に使いたいしね。
もちろんバイトは大変だけど……何もしんどいことばかりじゃないんだ。
「ふ~ん……ふふふん……」
「ノリノリだね、蒼歌ちゃん」
「あっ鯛地さん」
「よく鼻歌聞くけど……歌が好きなの?」
「はい。 歌を歌うのは大好きです」
「そうなんだ……じゃあもしよかったら、お客さん達に歌を披露してもらえない?」
「えっ? そんなことしていいんですか?」
「いいよいいよ。 みんな常連だし……この店、殺風景だからさ。
万が一、おばさん達に怒られそうになったら俺が責任取るからさ」
「じゃあ、やっちゃいます!」
この時のノリがきっかけで……あたしは店内で歌を披露するようになった。
カラオケ機器なんてないから、スマホで曲を流しながらしゃもじや割りばしをマイク代わりにして歌を歌うんだけど……これはこれで楽しい。
何よりも……あたしの歌をお客さん達が楽しそうに聞いてくれるのがとても嬉しかった。
おじさんとおばさんも、あたしが店内で歌うのを許してくれるどころか……これからも歌ってほしいなんて言ってくれた。
しおくんはなんか渋い顔していたけれど……反対はしなかった。
--------------------------------------
学生とバイトの両立生活を始めてから3ヶ月近く経ったある日……。
この日もいつも通りバイトに行っていたんだけど……午後から台風が上陸するとかで、少し早めに店は閉めることになった。
まあお昼を過ぎた辺りから、大雨が降りだしてきたし……風も強い。
傘は持ってきたけど……帰りは大丈夫かな?
ピリリリ……。
閉店の準備を終えた直後、あたしのスマホにお母さんから電話が入った。
「えぇ!! 川が増水!?」
『そうなの……この雨で川の水かさが一気に高くなってね? もう掛かっている橋が水に浸かってしまっているの』
しおくんの家からあたしの家に行くには大きな橋を渡る必要がある。
その橋が渡れないとなれば……遠回りするしかない。
だけど……雨で視界が悪い上に風が吹きすさぶ中で遠距離を歩くのは危険だし……。
「じゃあ蒼歌ちゃん……今日はウチに泊まりな」
頭を抱えているあたしに、おばさんが救いの手を差し伸べてくれた。
それが最善の選択だと思い……。
「はいっ! よろしくお願いします!」
あたしはオウム返しのようにおばさんの好意に甘えることにした。
--------------------------------------
しおくんの実家に泊まることになったあたしは、色々検討された結果……しおくんの部屋で寝ることになった。
まあしおくんなら信用できるから……別に抵抗感なんてものはなかった。
「潮太郎……蒼歌ちゃんはあんたの部屋に泊めてやりな」
「なんで俺の部屋なんだよ!?」
しおくんがやたらあたしと同室になるのを嫌がっていたのがちょっとムカッとした。
あたし、いびきなんてかかないし……寝相だって良い方なのに……。
--------------------------------------
ガタガタ……
「すごい音……」
風が窓を叩く音……雨が降り注ぐ音……静かなしおくんの部屋をかき乱すそれらの音が、外の悲惨な光景を物語っているみたい。
「……あっ!」
布団に包まって寝転んでいると……あたしの視界に積み上げられた古い本の束が映った。
何か面白い本でもないかなと漁っていると……。
「おっぱい天国……」
本の束の中に……目を引くタイトルの本があった。
表紙には裸の女の子が載っているし……これが世にいうエロ本というものであるのは明白だった。
随分古い本みたいだから……きっとしおくんが若い頃に買った本だと思う。
若気の至りって奴なんだね、これが……。
「ふむふむ……」
あたしは初めて手にしたエロ本を興味本位で読み進めていた。
本来なら、こんなプライベートなものは見なかったことにしてそっと元の場所に戻すのがエチケットなんだとは思うんだけど……しおくんがどんなエロ本を読んでいたのか気になるし……。
「おっおい! 何を読んでいるんだ!?」
そこへしおくんがお風呂から戻ってきた。
「この子達……みんなあたしとそんなに歳変わらないね?
それにみんな、おっぱい大きい……」
「ぐっ!」
「しおくんって、大きなおっぱいが好きなの?」
「とっとと寝ろ!!」
しおくんに怒られはしたけど……これは図星みたい。
なるほどなるほど……しおくんは巨乳好きか……。
しおくんもまだまだ子供だね……。
※※※
「……ねぇ、しおくん。 まだ起きてる?」
薄暗い部屋の中……あたしは隣で寝ようとしているしおくんに声を掛けた。
「えっとね?……改めてお礼を言いたいんだ」
「お礼?」
「あの時……あたしを助けてくれてありがとう……」
あたしは改めて……襲われていたあたしを助けてくれたしおくんにお礼を言った。
裁判やらなにやらで……きちんとお礼を言う機会がなかったから……。
「俺に礼を言う必要なんてない……そもそも俺は……蒼歌を助けるために駆けつけたわけじゃないんだ」
「……」
うん……それはわかっていたよ?
あの時のしおくん……父親の顔だったもの……。
犯罪に手を染めてしまった息子を救いたい……そんなしおくんの強い想いがあの時の言葉や涙に……にじみ出ていた気がするから……。
でもね?……あたしが感謝していることは、あたしを助けてくれたことだけじゃない……。
奥さんを寝取られても……犯罪者に成り下がっても……しおくんは子供への信頼を捨てきれずにいた。
あたしにはそれがすごく羨ましかった……。
あたしもかつて……心から自分のお父さんを尊敬していた……。
でもあの事件をきっかけに……お父さんへの信頼はすでにあたしの中にはない。
積み重ねてきた色褪せないたくさんの思い出も……今では黒ずんでよく思い出せないでいる。
多分……事件のショックからだと思う。
家族に裏切られたんだから当たり前だ……そう思っていた。
だけど同じように、家族から裏切られて傷ついたしおくんには……あたしにはない何かを持っている。
あたしが失いたくなかったものを持っている……。
そんな風に思ったからかな……。
「はぁ~……しおくんがお父さんだったらよかったな……。
しおくんがお父さんなら、きっと毎日がキラキラしていたと思うんだ」
なんてことを口にしてしまったのは……。
しおくんは嫌そうにしていたけど……。
失礼な……。
※※※
「いたたた……」
翌朝……あたしは壁に頭を打ち付けた痛みによって目が覚めた。
しおくんがあたしの布団を引っぺがしたせいだ……。
女の子を起こすんだから……もう少し丁寧に起こしても罰は当たらないんじゃない?
なんてむしゃくしゃして気持ちを胸に下へ降りると……裏口でしおくんが女の人と何か言い争っているのが聞こえた。
「しおくん? どうかしたの?」
何気なくしおくんにそう尋ねてみると……なぜかしおくんの足にしがみついている女の人があたしを見て愕然とした表情を浮かべていた。
えっ、何?
あたしの顔に何かついてる?
「この……泥棒猫ぉぉお!!」
「!!!」
叫び声を上げたかと思ったら……女の人は般若のような顔であたしに襲い掛かろうとした。
しおくんがすぐに後ろから羽交い絞めにしてくれたおかげで助かったけど……。
「蒼歌ちゃん! ひとまずこっちに来な!」
あたしは訳も分からないまま、おばさんに連れられて店の中へと下がった。
それからまもなく、女の人はおばさんが通報した警察によって連れていかれた。
※※※
後からしおくんに聞いたんだけど……あの女の人はしおくんの元奥さんだったみたい。
逮捕されたことで息子を見限り……しおくんと寄りを戻そうと迫ってきたとか……。
なんとも勝手な話だね……父親を見限ったあたしが言うのもなんだけど……。
もちろんしおくんはきっぱりと元奥さんを拒絶した……。
そして……元奥さんがあたしに襲い掛かろうとしたのは……あたしのことをしおくんの愛人だと思ったからみたい。
あの状況下じゃあ……そう勘違いするのも無理はないとは思う。
だからと言って……人の家で暴れて良い理由にはならないけど……。
--------------------------------------
その騒動から数ヶ月が経った……。
季節はすっかり真冬って感じで……こたつと暖房器具から離れることができない毎日を過ごしていた。
そんなある日……あたしは明日のバレンタインに備えて朝からチョコ作りに励んでいた。
送る相手は学校の女友達……。
みんなには転校して右も左もわからないあたしに良くしてくれた恩がある。
少しでもみんなに恩を返そうと……感謝を込めてチョコを作り続けていた。
「くそっ! なんで俺が……」
だけどあたし1人じゃ大変だから……しおくんにも家に来て手伝ってもらっている。
ずっと悪態ばかりついているけど……おばさん達には了承済みだし、しおくん自身も今日は暇らしいから問題なし!
ピンポーン……。
チョコ作りの最中……あたしの家のインターホンが鳴り響いた。
訪問者はあたしがかつて所属していたアイドルグループのリーダーであるリコちゃんとマネージャーだった鈴木さん。
2人を居間に通して話を伺ってみると……。
「単調直入に言うよ……アオカちゃん! ドルフィンガールズに戻ってきてくれないか!?」
鈴木さんからドルフィンガールズにカムバックしてほしいと頼まれた。
突然のことと予想外な言葉に、私は思わずポカンとしてしまった。
鈴木さんによると……ドルフィンガールズの人気はあの騒動から著しく低下していき、活動範囲も徐々にかつ確実に狭まっているらしい。
「それでやっとわかった……。
ドルフィンガールズにはアオカちゃんが必要だって……」
「あたしが?」
「そうだよ……その証拠に、アオカちゃんがいた頃の動画には今でも視聴者やチャンネル登録者が多いし……曲だって、アオカちゃんがセンターだった頃の方が良かったと、ファンから山のようにコメントが押し寄せているんだよ……。
どうか……戻ってきてくれ!! 頼む!!」
「……」
その場で頭を下げる鈴木さんの態度に……偽りや迷いはないように見えた。
本気であたしに戻ってきてほしいんだ……。
「それだけじゃない! 実は君を……次期ドルフィンガールズのリーダーに推薦したいと思っているんだ」
「りっリーダー?」
「あぁそうだ……リコちゃんが元々女優志望だったのは知っているだろう?
この前リコちゃんがヒロインを務めた映画がヒットしてね?
それを機に、本格的に女優へ転身することになったんだ」
「だからあたしがリコちゃんの後を引き継いでリーダーになるってことですか?」
「あぁそうだ……アオカちゃんにとっても悪い話じゃないだろう?
もう1度、アイドルに戻れるんだよ?
あの華々しい芸能界に帰ることができるんだよ?」
「……」
アイドル……芸能界……。
それはあたしが憧れて入った夢の世界……。
苦しい事やつらいこともたくさんあったけど……楽しい事や嬉しいこともたくさんあった。
アイドルはあたしの夢……あたしの全て……。
だから泣く泣く引退することになった時は……悔しくて悲しくてたまらなかった。
”アイドルでなくなったあたしに……何ができるの?”
ずっとそう思い続けていた……。
アイドルの肩書きを失ったあたしにはもう……何も残っていない。
そう……思い続けていた。
だけど……しおくんと会って……この町で暮らして……あたしの考えは少しずつ変わっていった。
アイドルでなくなっても……あたしにはあたしにしかできないことがある……。
あたしを必要としてくれる人たちがいる……。
だから……。
「ごめんなさい……せっかくのお誘いですけど……お断りします。
あたしは……今の生活の方が楽しいんです」
あたしの言っていることは詭弁なのかもしれない……ただのきれいごとなのかもしれない……。
もちろん……芸能生活の方が生活は潤うし、楽しい事だってたくさんあると思う。
だけどね?
一般生活でしかできないことや楽しめないことだってたくさんあると思う。
少なくともあたしは……この生活の方があたしらしく生きられていると思っている。
「なっ何を言っているんだ!? アイドルに戻れるんだよ? ファンの前でまた歌えるんだよ?」
「そうですね……でもあたし、バイト先のお客さんの前で歌う方が好きなんです。
お金にはなりませんけど……ライブとは違った一体感……みたいなものを感じることができるんです。
それを捨ててまで、アイドルに戻ろうとは思えないんです」
「きっ君は何を言っているんだ!? いいかい!? 君には人を寄せ付け魅了する確かな才能があるんだ。
その才能を活かすには、ドルフィンガールズに戻るしかない!
芸能界に復帰することだけが……君の人生を最高に満たす方法なんだ!
ここで暮らしているだけでは、君の才能は埋もれたまま枯れてしまう!!」
「そう言ってくださるのは嬉しいですけど……それでもあたしは戻るつもりはありません。
ドルフィンガールズのみんなにも鈴木さんにも申し訳ないですけど……あたしはこの町で、普通の女の子として暮らして生きたいんです」
「アオカちゃん……気でも狂ってしまったのか?
華々しい芸能生活以上に素晴らしい生活なんてこの世にある訳がないだろう!?」
「そうかもしれませんね……無理に理解してくれなんて言いません。
あたしに言えることは……アイドルに戻るつもりも芸能界に戻るつもりもない……それだけです」
「たっ頼む……そんなこと言わないで、戻ってきてくれ。
このままじゃ……ドルフィンガールズは終わりだぞ!
ドルフィンガールズがどうなってもいいのか!?」
深々と頭を床にこすりつける鈴木さん……
ドルフィンガールズを引き合いに出されたことで、あたしは言葉を見失ってしまった。
「鈴木さん、もうやめましょう……」
そんな中……今までずっと口を閉ざしていたリコちゃんが、ここで口を開いた。
「りっリコちゃん……」
「あの騒動であたし達は自分達の保身のためにアオカを切り捨てた……。
アオカの気持ちや事情なんて無視して……。
あの時はそうするほかなかったから……今更謝れる気も後悔する気もありません。
でも……そんなアオカに助けを求めるどころか縋り付くなんて……ムシが良すぎると思いませんか?
鈴木さんがどうしてもと言うから着いてきましたが……アオカがあたし達の誘いを断るというのなら……これ以上の会話は時間の無駄です」
「しっしかし……このままじゃドルフィンガールズが解散して……」
「このままグループが解散してしまうのなら……それはあたし達の力不足が招いた結果です。
グループを卒業して女優に転身するあたしにこんなことを言う資格はないのかもしれませんが……もういいじゃないですか」
リコちゃんはソファから立ち上がると……頭を下げる鈴木さんの腕を掴んで強引に立ち上がらせた。
「りっリコちゃん……」
「アオカ……悪かったわね……」
リコちゃんはそのまま鈴木さんを連れて、家を出ていった。
ちょっと冷たい感じだったけど……きっとあたしの気持ちを汲んでくれていたんだと思う。
それから数年後……鈴木さんが危惧していた通り、ドルフィンガールズは解散してしまった。
だけどリコちゃんは女優としていろんなドラマや映画で活躍するようになっていた。
やっぱりリコちゃんは……すごい子だよ。
※※※
「じゃあ俺は帰るから……」
チョコ作りとラッピングがあらかた終わり……しおくんが帰ろうとしていた。
「あっ! しおくん待って……はいこれ」
あたしはしおくんを呼び留め、こっそりと作っていた手作りチョコを手渡した。
「1日早いけど……バレンタインチョコ! 今日のお礼も込みでね」
「あぁ……ありがとう」
実を言うと……男の人にチョコを上げたのは初めてだったりする。
アイドル時代のバレンタインイベントは、手作り風にラッピングしただけの市販のチョコだったからね。
なんかしおくん、渋い顔をしていたように見えたけど……きっと気のせいだ。
女の子からチョコをもらって嬉しくない男の子なんていないもん!
--------------------------------------
プルルル……。
翌朝……バレンタイン当日……家の電話が鳴り響き、お母さんが受話器を取った。
「はい……広田です……えっ?」
驚いた様子で電話の相手と色々話しているみたい……。
どうしたんだろう?
ガチャン……。
通話を終え、受話器を置いたお母さんが大きなため息をついた後……。
「蒼歌……急だけど、これから警察に行くから仕度して」
「どっどうしたの?」
「あの人が……お父さんが……亡くなったらしいわ。 自殺みたい……」
「えっ!?」
楽しいはずのバレンタインが……一気に曇った瞬間だった……。
次話も蒼歌視点です。
その後、エピローグを書く予定でしたが少し大洋視点を挟みます。
長引かせる気はなかったのですが、本当に彼の結末に悩んでいるので……。




