海野 潮太郎②
潮太郎視点です。
「なっ何を言っているの!? 離婚なんてそんな……」
「そうだよ父さん! 訳がわからないよ!」
訳が分からないのは俺だ……。
いつも通り家に帰宅したら嫁と息子が風呂場で不貞を犯していたんだからな……。
もうこれが現実なのかすら疑いたくなる。
「もう決めたことだ」
「あなたお願い! 冷静になってよ! 今までずっと3人仲良くやってきたじゃない!」
俺の足を掴んで上目遣いで泣き落としにかかる瑞希……今この場で1番泣きたいのは間違いなくこの俺だろ? 普通。
「だったら自分の立場になって考えてみろ。 俺達に高校生の娘がいたとしよう……俺が娘と風呂場で体を重ねている現場を目撃したら……お前、それからも今まで通り家族として俺と過ごせるのか?」
「……でっできるわよ!」
なんて絞り出すような声で答えてきたけど、俺はそれが嘘であると確信できていた。
まがいなりにも長年一緒にいた妻だ……こんな不貞にずっと気づかなかった間抜けな俺だが、こんな聞くに堪えない嘘がわからないほど馬鹿じゃない。
「あっそ……俺は無理だ」
俺は自分でも驚くほど冷めた声でそう言い残し、2人に背を向けて風呂場から出ることにした。
慣れ親しんだ風呂場であるが……今の俺にとってはおぞましいただの地獄だ。
「待って! 待って、あなた!」
「父さん! 少し頭を冷やせよ!」
後ろから何かごちゃごちゃ言ってきたが、俺は振り返ることはしなかった。
大洋が俺の腕を掴んできたときは、力いっぱいに振り払った。
その際に大洋は壁に頭を強打したが、俺は構わず財布やスマホ等最低限必要なものだけを持ち、スーツ姿のまま家を出た。
もうこの家でゆっくり眠れる気がしないんだ。
俺はその足でビジネスホテルに泊まり……俺と瑞希の両親に連絡を入れ、後日家に来てほしいと伝えた。
その時は緊急の要件としか言えなかったが、遅かれ早かれ……事実を打ち明けなければならない。
スマホには瑞希と大洋から大量の着信やラインが届いていたが、俺は無視した。
「どうしてこうなったんだ……」
俺は疲れ切った体を癒そうとベッドに横たわった。
天井をじっと見つめながら今までのことを思い返した。
両親のツテで開かれた見合いで瑞希と出会い結婚……それなり日が経って大洋が生まれた。
人見知りで少し気難しい奴だったが、普通に仲の良い親子だったと思う。
たまの休日には、瑞希とよく映画に行っていたっけな……あいつ映画が好きだったから……
大洋ともあいつが推しているアイドルのライブに何度か付き合っていた。
アイドルに興味はないが、少しでも親子の時間を設けたいと思ったからだ……。
俺達家族は普通に仲が良かった……そのはずだ。
では一体……どうしてこんなことが起きてしまったんだ?
何が……いけなかったんだ?
「わからない……」
神様でも誰でもいい……俺は答えがほしかった……。
でも誰も教えてくれない……。
一気にいろんなことがあったせいか……妻と息子に裏切られたと言うのに、涙すら出てこない。
もしかして俺は……結構冷酷な人間だったのかな?
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後日……互いの両親が俺の家に集まったのを機に、俺は弁護士を連れて家に帰った。
「あなた! 今までどこにいたの!? ずっと探していたのよ!?」
「なぁ父さん。 なんでおじいちゃん達がここに来てるんだよ?」
ドアを開けた瞬間、瑞希と大洋が出迎えてきたが……俺は無言のまま家に上がった。
リビングに入ると俺と瑞希の両親が一斉に俺に視線を向けた。
「潮太郎……どういうことだ? 緊急の要件とはなんだ?」
「潮太郎さん、一体どうしたというの?」
当然ながら、事情を知らない両親達は俺に問いかけてきた。
俺は一度呼吸を落ち着けた後、瑞希と大洋にもリビングの椅子に座る様に促し……昨日のことを話した。
もちろん最初は信じてくれなかった……まあ当然と言えば当然だがな。
でも俺には幸いにも……いや、不幸にも証拠がある。
「これを見てください」
俺はスマホで撮った動画を両親と義両親に見せた。
そこには風呂場で血の繋がった親子が愛し合う夫婦のように体を重ねているあまりに異様な光景がしっかりと記録されている……。
「なっ何だこれは……」
「うっ嘘でしょ?」
想像を絶する内容に、両親達は言葉を失った。
特に気が弱い義母はあまりのおぞましさに吐き気を催してしまい、トイレに駆け込んでいってしまった。
「とっ止めて! 止めてよ!!」
「こっこんなの盗撮じゃないか! ふざけんなっ!!」
取り乱す瑞希と俺を責め立てる大洋……。
この2人の態度こそ、動画の内容が事実であるという何よりの証明になるだろう……。
「相手が実の息子とはいえ、瑞希がしでかしたことは不貞行為とさほど変わりません。
何よりも……我が子にこんな歪んだ経験をさせた瑞希を……1人の親として許すことはできません」
「まっ待ってよ……私は……っつ!!」
瑞希が何かを言う前に、義父の平手打ちが彼女の頬を鳴らした。
「なっ何をするのよ!?」
「黙れ、この恥知らず!!」
普段温厚な義父が怒りを露わした所を俺は初めて見た。
俺もこれくらいはっきりと物を言えたなら、今の苦しみも少しは晴れていたのかな?
「潮太郎君! 本当に申し訳ない!!」
平手打ちを喰らって腰を抜かす瑞希とトイレからなかなか出てこない義母に代わって義父が俺に頭を下げてきた。
「瑞希! 何をしている!? お前も頭を下げなさい!!」
「!!!」
瑞希の首根っこを掴み、無理やり土下座の態勢を取らせる義父。
そのあまりの迫力に、瑞希は抵抗できずに成すがままに頭を下げさせられた。
「おい大洋! お前もお父さんに頭を下げろ!」
「なっなにするんだよ!」
「いいから下げなさい!!」
そして大洋は、俺の親父とお袋に頭を押さえつけられて瑞希の隣で謝罪を強要されていた。
瑞希とは違って、大洋はかなり反抗していたが……非力なあいつには年寄り相手とはいえ2人がかりは厳しいみたいだった。
だが俺の心には……何も響かなかった。
「潮太郎君……こんなことを言えた義理ではないが……娘とやり直してくれないか?」
瑞希に頭を下げさせたまま、義父は俺にそう提案してきた。
「娘がやったことは人としても母親としても最低だ……言い訳のしようもない……。
だがどうか……許してほしい。 瑞希は私達が責任を持って更生させる!
今回の要因とは言え、大洋はまだ高校生だ……どうか、家族を続けてはくれないだろうか?」
客観的な視点から見れば、義父の言葉が身勝手極まりないように聞こえるかもしれない。
でも義父だって、俺がどれだけ傷ついているか理解していない訳じゃない。
何がどうあろうと……彼にとって瑞希は大切な1人娘で大洋は可愛い孫……2人に対する思いやりを捨てきれないんだろう……。
こればかりは常識だのなんだので片付くものじゃない。
俺だって父親の端くれだ……義父の気持ちはわかる。
でも……。
「すみません……お義父さん。 俺にはもう……2人を幸せにする自信はありません」
義父には申し訳ないが……俺はもう瑞希と大洋を家族として受け入れることはできない。
「そうか……すまない」
義父はぐっと堪えていた涙を流していた。
せっかくできた娘の家族がバラバラになることを嘆いているんだ……。
瑞希をこんな人間にしてしまった自分達の教育を悔いているんだ……。
義父が悪いわけじゃないと声を掛けるべきだったのかもしれない……離婚を決めてしまったことを詫びるべきだったのかもしれない……。
でもこの時の俺には……自分以外の人間に気を配るような余裕はなった……。
俺は自分のことしか考えることしかできない弱い男だ……。
※※※
それからようやく弁護士を挟んだ話を始めることができた。
相手が実の息子とはいえ、夫以外の男と関係を持ったことに変わりはない。
証拠もあるため、離婚話は俺が有利になるように進んでいった。
離婚問題を何件も扱ってきた弁護士も、こんなケースは前代未聞らしく……終始難しい顔をしていた。
レアなケース故に、慰謝料についてはかなり難航していた。
でも俺が瑞希に求めているのは離婚だけ……。
金のことは正直どうでもよかった。
だが義両親の意向で、慰謝料と相殺という形で夫婦の共有財産を俺が全て受け取ることになり……少額ながら義両親から迷惑料まで頂いた。
俺には無用な金だったが……どうしても受け取ってほしいと言って聞かなかったから受け取るしかなかった。
また……親権については瑞希に譲ることにした。
息子と関係を持つような母親であれば、父親が親権を持てる可能性が高いかもしれない。
でも俺は親権を放棄した……。
”そうでなかったら……こんなことできないじゃないか……”
あの時の大洋の言葉……瑞希を女として抱いたあいつを、俺は瑞希と同じ裏切者としか認識できなくなってしまっていた。
「養育費は毎月払う……大洋を頼む」
話がまとまり……俺は夫として最後の言葉を瑞希に掛ける。
「あなた……どうしてもだめなの? 私達ずっと一緒だったじゃない……大洋と3人で……幸せに暮らしてきたじゃない……それなのに……”こんなこと”で終わると言うの?」
「お前にとっては”こんなこと”でも……俺にとってはそうじゃないんだよ」
瑞希はこの期に及んで、自分がしたことの重大さが理解できていないらしい。
あいつにとっては教育の一環なのだろうが……俺にとってはただただおぞましいだけだ。
「大洋……これからは母さんと力を合わせて生きていきなさい。
ただ……もうこれ以上、母さんと体を重ねるのはやめておきなさい。
お前の将来に影響してしまうかもしれない……」
そして大洋にも……父親として精一杯の言葉を掛けた。
「……」
大洋は俺の言葉に反応せず、ただ無言のままうつむいてしまっていた。
これにこりて、真っ当な人生を歩いてくれるのならいいが……。
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それから間もなく離婚は成立し……俺は家を出て田舎の実家に引っ越すことにした。
今勤めている会社には退職願を出した。
瑞希と大洋と過ごしたこの町で生きていくことができなかったからだ……。
「それじゃあ元気で……さようなら……」
「ごめんなさいあなた……さようなら……」
俺は家の前で見送る2人に別れを告げた。
俺に何度も離婚を思いとどまらせようとしていた瑞希だったが、腹を決めたのか……平静な顔つきで俺を見送ってくれた。
大洋からは結局、謝罪も聞けず……最後の別れでも能面のような顔で無言を貫いていた。
まるで俺のことなどどうでもいいと言わんばかりの態度に、俺は少しショックを受けた。
せめて最後くらい……親子として別れたかったな……。
「……」
俺は引っ越しトラックに乗り込み、長年住み慣れた町を……我が家を……去った。
暗闇に包まれた自分の人生に大きな不安を抱きながら……。
次話は瑞希視点です。
大洋と関係を持ったところから始めてみたいと思います。




