海野 潮太郎④
潮太郎視点です。
「……」
彼女の壮絶な過去に俺は言葉を失った。
人気のアイドルだから華々しい生活を送っていると勝手に思っていたが、まさかそんな理不尽な目に合っていたとは……。
全く世の中というものは荒んでいるな。
「お母さんとおじいちゃんとおばあちゃんはあたしに良くしてるし……周りのみんなも良い人ばかりで、あたしはここが好き……でも、過去のトラウマがどうしても頭から離れないんだ」
「そう……なのか……」
「おじさんは……子供と仲が良いの?」
今の俺には答え難い質問だったが……俺は素直に答えることにした。
「仲は良かったよ……昔は」
「どういうこと?」
俺は彼女にこれまでのことを赤裸々に話した。
今まで誰にも話したことはなかったけど……俺と同じように信頼していた家族に裏切られた彼女に同情しているのか……思ったほど言葉に詰まることはなかった。
「そんなことがあったんだ……」
「我ながら未だに信じられないよ……妻のことも息子のことも心から信頼していたし、俺なりに愛していたからね」
「あたし達……なんか似たような境遇だね」」
「あぁ……そうだな」
境遇が似ている……たったそれだけのことで、出会ったばかりの女の子に妙な親近感が湧いた。
全くもって人間の感情というものはよくわからない。
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ヒュルルル……。
「くしゅん!!」
しばらく2人で軽い世間話をしていると……冷たい風にさらされたアオカがくしゃみをした。
「かなり冷えてきたな……そろそろ本当に帰った方がいい。 風邪を引いてしまうぞ」
「おじさんはどうするの?」
「俺も帰るよ。 色々話して少し気分が楽になった、ありがとう」
「あたしも……話せてよかったよ。 ありがとう!……あっそういえば今更なんだけど、おじさんってなんて名前なの?」
「俺か? 俺は海野 潮太郎だ」
「あたしは広田 蒼歌! 蒼歌でいいよ」
「わかった。 俺のことは……まあ好きに呼んでくれ」
「じゃあ……しおくん!」
「しっしおくん?」
「潮太郎だからしおくん! どうかな?」
48歳の俺が17歳の少女に君付けで呼ばれるなんて……なんとも複雑だ。
でもまあ好きに呼べと言った手前……今更、嫌だとも言えない。
「あぁ……それでいいよ」
「じゃあしおくん! また会おうね!」
「あっおい!」
元気よく手を振ったと思ったら……蒼歌はあっという間に走って行ってしまった。
なんともせわしない子だが……若いっていいもんだな……。
まあ会う機会があれば、また世間話でもしようかな……。
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翌日……その機会は想像以上に早く訪れた。
「あ……」
「あっ、しおくん」
いつも通り、実家の定食屋で接客兼雑用をしていると……店に蒼歌が母親らしき女性と共に入店してきた。
母親らしきとは言ったが……瑞希よりも若くてきれいな女性だ……とても高校生の娘がいるとは思えない。
「蒼歌……知っている人なの?」
「うん。 昨日公園で知り合った、しおくん。 とっても楽しく話ができたんだ」
「あらそうなの? それはそれは……娘がお世話になりました」
「いっいえ……私は何も……」
公認したとはいえど……公の場で君呼びされるのはなんともむず痒い。
案の定……両親や鯛地、周りの常連客は俺達に注目してきた。
「ちょっとあんた……いつの間にあんな若い子にちょっかい掛けてたの?」
「お袋……誤解を招くようなことを言わないでくれ。 あの子とは昨日ちょっと話をしただけだ」
そう言ってみたものの……やはり君呼びが気になるのか、お袋を始め……周囲のみんなが俺と蒼歌の関係を根掘り葉掘り聞いてきた。
全く……昔からこういう話には敏感なんだよなぁ……はた迷惑なほど……。
「お嬢ちゃん……こんなんだが、潮太郎を末永くよろしく頼むよ」
「はっはい! よろしくお願いされました!」
「親父まで……」
この日を境に……俺と蒼歌は周囲から勝手に公認カップル扱いされるようになった。
おそらく7割ほどは冗談で、あとの3割は本気なんだろう……。
蒼歌の母親もクスクス笑うだけで、何も言わないし……。
当の蒼歌も特段強く否定しないから、余計に周りが調子づく始末……。
これじゃあ1人で必死に否定している俺の方が馬鹿みたいじゃないか……。
「ねぇしおくん、ライン交換しない? 直接話すのもいいけど、スマホならいつでもどこでも連絡し合えるから……」
「あぁ……いいけど……」
食事を終えた蒼歌と連絡先を交換し……彼女は陽気な笑顔で母親と共に店を後にした。
それがよほど仲睦ましく見えたのか……常連客達から”再婚はいつだい?”なんてアホな質問が飛んでくる始末。
それから1日中……俺はみんなに酒の肴にされてしまった。
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それからというもの……蒼歌から定期的にラインが来るようになった。
ラインの内容はほとんどは遊びの誘い……。
遊びとは言っても、変な意味はない。
カラオケとか……釣りとか……ボーリングとか……ごく一般的な遊びだ。
俺には仕事以外にこれといってやることはないので……蒼歌の誘いを受けることが多かった。
たまに宿題や勉強を見てほしいと家に呼ばれることもあったが……学生時代は赤点ギリギリだった俺に、最近の勉学についていけるはずもなく……2人して1日中、頭を抱えることがほとんどだった。
まあなんにしても……気晴らしになるので蒼歌に誘われるのは素直に嬉しいと思うが、遊ぶ相手なら……学校の同級生でも誘えば良い気もする。
気になって蒼歌にそのことを尋ねてみたら……。
『実を言うとさ……学校には特別親しい友達とかはいないんだ。
以前はアイドルやってたからさ……自然と人が集まって仲良くなれたんだ。
でも今は……』
蒼歌はそれ以上、言葉にはしなかったが……伝えたいことは伝わった。
アイドルという肩書きを失った蒼歌には、かつてのように大勢の人を引き寄せる力はないんだろう。
元々の性格なのか……過去のトラウマを引きずっているのか、意外にも蒼歌はコミュニケーションが得意な方じゃないようだ。
無口という訳ではなさそうだが、俺や母親のように見知った人間以外にはどこかたどたどしく感じる。
まあ俺もコミュニケーションは苦手な方だから、そこは妙な親近感が湧いた。
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蒼歌と知り合ったばかりの頃は、彼女と過ごす時間は少し複雑な気分だった。
そりゃそうだ……。
親子ほど歳の離れた男女が毎日のように2人で過ごすことなんて……そうはない。
あったとしても、せいぜいパパ活くらいだろう。
実際、蒼歌と一緒にいる際に……何度かパパ活を疑われて職質されたしな。
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でもまあ……そんな関係が半年を過ぎる頃には、大分俺達の関係はほぐれていった。
気軽にラインで連絡を取り合い……気軽に互いの家に上がれる……ある意味家族のような絆が俺と蒼歌の間にあった。
親父とお袋は”良い嫁さんもらったな!”なんて半分冗談で喜んでいるが……。
『しおくん、ハンカチとティッシュ持った?』
『猫背になってるよしおくん。 もっと姿勢を正す!』
『しおくん、読んだ本はきちんと元の場所に戻さないとだめだよ?』
何かとつけて、いちいち小言を突っ込んでくるあの細かさ……。
俺からすれば嫁というより、世話焼きおかんと言ったところだな。
まあ言われるたびに素直に従う俺も俺だが……。
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俺が蒼歌と知り合ってから1年近くが経過しようとしていた。
この日は休日で暇を持て余していたが……外は夏真っ盛り。
冷房の効いた部屋から出て、サウナのように熱い外へ出るメリットなど俺には全くない。
故に俺は、1日中部屋に引きこもる決意を固めていた。
ピロンッ!
にも関わらず、蒼歌から無情にもラインが届いた。
『しおくん。 近所のおばさんからアイスもらったんだけど、食べに来ない?』
『遠慮しとく。暑いから外に出たくない』
灼熱地獄のような暑さに耐えたご褒美がアイスというのも見合わない。
そう思って俺は断ったんだが……。
『あたしはそんな軟弱な子に育てた覚えはないよ!』
母親じみた文句を返してきた蒼歌に”軟弱で結構!”と返そうとしたが……。
『いいから来なさい!!』
とういうメッセージがマシンガンのように流れてきたことに圧倒され……。
『はい……』
俺は強制的に蒼歌の家に行くことになった。
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「ぜぇ……ぜぇ……暑い……」
照り返す日差しが俺の体力と水分を奪い、追い打ちを掛けるように熱風が吹いてくる……。
年齢的に50近い俺にはかなり堪えた。
だが行かなければあとて蒼歌になんと言われるかわかったものじゃない……。
「なんか俺……蒼歌にしつけられてないか?」
蒼歌の言いなりと化していた自分を哀れに思いつつ……俺は灼熱の暑さと戦った。
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「ついた……?」
ようやく蒼歌の家に到着した俺の目に、蒼歌が玄関口で誰かと対話している姿が映った。
まだ遠目で後ろ姿しか見えないが、蒼歌と同い年くらいの男の子みたいだ。
来客かと思ったが……それなら家に招き入れるはず。
灼熱地獄のような暑い日ならなおさらだ……。
まあ何かしら事情があるのかもしれない……。
友人とはいえ、部外者が口を出すのも良くない。
「蒼歌」
そうは思いつつ……俺は玄関口へ近づいた。
そりゃあ、こんな猛暑の中……歩いてきたんだ。
このままトンボ帰りなんてしたら、途中で倒れてしまう。
「あっしおくん」
俺の声に反応して、蒼歌が俺に視線を向けてくる。
それにつられて、来客者も俺に振り向いてきた。
「!!!」
その来客者の顔を見た瞬間……俺は思わず立ち止まった。
それはもう今後、見ることはないと思っていた顔……。
懐かしくもあるが、同時につらく感じるその顔……。
「なんでお前が……ここにいるんだ……大洋」
それは紛れもなく、俺の血を分けた1人息子であり……俺から瑞希を奪った張本人である大洋だった。
「父さん……父さんがなんで、アオカちゃんの家に来てるんだよ」
「それは……蒼歌に呼ばれて……」
「蒼歌?……おい父さん。 何、馴れ馴れしくアオカちゃんを呼び捨てにしてるだ? 失礼だろ?」
「彼女がそう呼んでいいと言ってたから呼んでいるだけだ。 俺達は友達だからな」
「はぁ? 父さんみたいな中年のおっさんが、こんな若くて可愛い蒼歌ちゃんと友達になれる訳ないだろ?
妄想も大概にしろよ!」
俺の呼び捨てがよほど気に入らなかったのか……大洋の目がみるみる内に鋭くなった。
「妄想なんかじゃないよ。 あたしがしおくんにそう呼んでいいって言ったの」
蒼歌が俺をフォローしてくれた瞬間、大洋は信じられないと言わんばかりに目を丸くし……再度、玄関口の蒼歌へと一瞬、視線を戻した。
「しおくん?……なんだよそれ……おい、父さん!! アオカちゃんとどういう関係なんだよ!!」
「しおくん!!」
怒りに満ちた表情を浮かべた大洋が、俺の胸倉を掴んできた。
その目には嫉妬の炎が燃えていることが見てわかる。
「良い歳した大人がこんな若い子にちょっかい掛けるとか……恥ずかしくねぇのかよ!? 常識ってもんがねぇのか! みっともねぇ!!」
母親と関係を持った男の口から出たとは思えない罵声が飛び出たのだった。
次話は大洋視点に行きたいと思います。