広田 蒼歌②
蒼歌視点です。
お父さんに犯されかけたあの夜から……あたしはお母さんの寝室でお母さんと寝るようになった。
自室には入るどころか近づくことすらできないから……。
できれば引っ越したいところだけど……金銭的にそれは厳しい。
仕事が多いアイドルだからって、お金が有り余っている訳じゃないからね……。
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『あ~お~か~。 愛してるよ~』
「ハァ……ハァ……うぐっ!!」
あの夜から毎日のようにお父さんが夢に出てきた。
そのたびに目を覚ましてしまい、結果的に睡眠不足で顔が見るに堪えないものとなっていた。
もはや化粧でごまかせるレベルじゃない……。
健康面も精神面もボロボロで……仕事どころか外出すら困難なくらいだ。
あたしは事務所の社長とマネージャーにだけ事実を打ち明け、表向きには体調不良と言う形で長期休暇を取らせてもらった。
グループのみんなには迷惑を掛けるし……ファンのみんなにも心配かけて申し訳ないけれど……こればかりはどうか許してほしい。
でもあたしは絶対……アイドルとして復帰する。
いつになるかはわからないけど……あたしはもう1度、みんなの前に立ってみせる!
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お父さんに有罪判決が下った後、あたしはすっかり引きこもりの仲間入りを果たしてしまった。
ドルフィンガールズの動画配信やSNSをぼんやりと見ているだけで1日を消費している。
でもその中で……グループのみんなもファンのみんなも……あたしの帰りを待っていると温かな声やコメントをあたしにくれるのがとてもうれしかった。
それにお母さんだって……お父さんに裏切られてひどく傷ついているはずなのに……あたしの身の世話や心のケアに勤しんでくれている。
みんなの温かさをありがたく思う反面……申し訳ない気持ちで毎日胸が痛かった。
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あの悪夢のような夜から1ヶ月後……。
あたしの心にさらなる追い打ちを掛ける出来事が起きた。
「なっ何よこれ……」
いつも通り、何気なくネット記事を見ていると……目を疑う文字が飛び込んできた。
【国民的人気アイドルのアオカ! 実の父親と禁断の関係に堕ちる!】
大きなタイトルで大々的にあたしとお父さんのことが記事にされていた。
しかもその内容は、”アオカは母親から父親を寝取った悪女”とか”アオカは父親の子を身ごもっている”とか……事実とは全くかけ離れたことばかりつづられている。
一体どこから情報が漏れたのか?
そんなことはどうでもいい!
それよりどうして……こんなデタラメな記事が世に出ているのか?
それがあたしには全く理解できなかった。
「こんなの……全部デタラメじゃない!! 何を考えているの!?」
こんな事実無根な記事を信じる人間なんていない……。
そう思っていたんだけど……現実は異なっていた。
『近親相姦とかマジか~。 そんなの創作の中だけの話だと思っていたんだけど……実際あるんだな』
『しかも父親との子供までいるって話だろ? やばいな』
SNS上では、この訳の分からない記事を信じてあたしに軽蔑的なコメントを残す人間が多数いた。
まだそれだけなら歯を食いしばって耐えることはできた……。
『ちょっと小耳にはさんだんだけどさ……アオカちゃん、枕営業までしてるって話だぜ?』
『俺はパパ活で小遣い稼いでいるって聞いた』
『マジか……まあ父親と寝て孕むくらいだもんなぁ……それくらい朝飯前だろ?』
もはや空想の域に達するレベルの噂話までネット上で広がっていた。
もちろんあたしには身に覚えのないことばかりだ。
だけどこの噂話も信じている人間は多く、ドルフィンガールズのSNSにインタビューじみたコメントが大量に届いていた。
その上……この噂話はさらに拡大していき……ついにはグループのみんなにまで噂の魔の手が伸びていった。
【ドルフィンガールズリーダーのミウちゃん。 19歳ですでに既婚者で2児のママ!?】
【ドルフィンガールズ最年少のリコちゃん。 ニューハーフであることが判明!!】
等々……ありもしないでっち上げな噂話がネット上で次々とあふれ出ていった。
もちろん、事務所側は全て事実無根であることを記者会見で伝えてくれたけど……みんな全く信じてくれなかった。
いや……そうじゃない。
本当はわかっている……みんな事実なんてどうでもいいんだ……ただ、このデタラメな記事や噂話であたし達をこき下ろしたいんだ。
人間だれしも……自分の安全と確保し、他者を寄ってたかって攻撃することに快感を覚える節がある。
自分達が正しいと信じ切り、常識を逸脱した相手を攻撃して正義感に酔いたい。
常にネットを利用しているあたしにも……身に覚えがある。
だからこそ……わかる……わかってしまう。
「大丈夫……みんなきっとわかってくれる」
それでもあたしは……みんなを信じたい気持ちはどうしても捨てきれなかった。
何の根拠もない空虚な期待を胸に……あたしは黙って耐えるしかなかった。
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だけど……そんな小さな希望もすぐに砕けた。
ネットでの騒動が起きてから1ヶ月ほど経ったある日……マネージャーの佐々木さんがあたしの家を訪ねてきた。
「単刀直入に言うよ……。 アオカちゃん、ドルフィンガールズをやめてくれないか?」
「どっどうしてですか!?」
「アオカちゃんも知っているだろ? 今、ドルフィンガールズが世間からどれだけ叩かれているのか。
根も葉もない噂話で、みんな精神的に相当参っているんだよ……。
僕達も頑張って火消しに掛かっているんだけど……全然追いつかないんだ。
こうなった以上……火種となっているアオカちゃんがグループから出て行ってもらうのが、最善の方法だと思うんだ」
「それは要するに……トカゲのしっぽ切りということでしょうか?」
あたしの隣で話を聞いていたお母さんがはっきりとそう尋ねると……佐々木さんは申し訳なさそうな顔で頷いた。
「僕だって……本当は嫌だよ? でもこのままだと、ドルフィンガールズのイメージはどんどん下がる一方だ。
そうなったら最悪……ドルフィンガールズは解散することになる。
グループのみんなだって……せっかく軌道に乗ってきたアイドルの道を断たれることになるんだ。
アオカちゃんだって……それは本望じゃないだろう?」
「……」
「だからって……蒼歌を見捨てるというんですか!? 蒼歌には何の非もないんですよ!?」
「それは重々承知しています……ですが、世間にとって今のアオカちゃんはアイドルではなく、ただのネタなんです!
ひどいことを言いますが……我々にとっても、アオカちゃんはもう重荷でしかないんです」
「そんな……」
佐々木さんにはっきりと告げられた戦力外通告……いや、追放と言った方が的確なのかもしれない。
だってドルフィンガールズをやめたら……もう芸能界にあたしの居場所はない。
こんな騒動が起きたんだもの……どこの事務所もきっと拾ってくれない。
「佐々木さん……」
「なんだい?」
「グループのみんなは……なんて言ってるんですか? あたしのことを……」
「アイドルとしてこれからも活動していきたい……それが全員の意見だ。
社長もみんなの意見を尊重している」
つまりみんな……あたしにやめてほしいって思っている訳だ……。
当然と言えば当然か……あたしがいる限り……ドルフィンガールズは世間から言われのない批判や罵声を浴び続けることになる。
あたしさえいなくなれば……いずれこの騒動も鎮火するかもしれない。
そうだ……あたしがいるから……みんなつらい目に合っているんだ……。
あたしさえ消えたら……みんな助かるんだ。
「……わかりました。 あたし……ドルフィンガールズをやめます」
「おぉ! わかってくれたんだね」
「はい……今までお世話になりました」
「蒼歌……本当にそれでいいの?」
「いいんだよ……みんなに迷惑はかけられないから……」
「蒼歌……」
こうしてあたしはドルフィンガールズを辞め、芸能界を引退した。
会見などはせず、SNSに引退表明を記載するだけにした。
といっても……文章は佐々木さんが打ちこんだものなんだけど……。
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アイドルを辞めたあたしは、お母さんの実家がある田舎に引っ越した。
前々からお母さんに静かなところでのんびりできるから引っ越さないかと勧められていたから、予定自体はあった。
今住んでいる町には嫌なことやつらいことが多すぎるから……遠く離れた場所に行きたい思いは強かった。
学校も転校することにした……。
あの騒動で友達はみんなあたしから離れていったし……ドルフィンガールズのみんなもあたしに会いに来てはくれず、引っ越し当日に見送ってくれる人は誰もいなかった。
もうこの町にあたしを必要としてくれる人もいないし、心残りもない。
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お母さんの実家では、おじいちゃんとおばあちゃんが温かくあたし達を迎えてくれた。
確かにここはのどかで、何も考えずに済む。
周りの人もみんな良い人で、アイドルだったあたしを知る人はほとんどいなかったのが幸いだった。
でもやっぱり……心のどこかでズキズキと痛みを感じる。
過去の傷というものは……やはり簡単には消えないものなんだな……。
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引っ越してからしばらく経ったある日……。
あたしは学校を終えて家に帰宅していた。
この日はいつもの帰路から少し離れて、遠回りしていた。
これといって理由はないけれど……強いて言えば気分転換かな?
「あっ……こんなところに公園があったんだ……」
暗い夜道を歩く最中……あたしは小さな公園に通りかかった。
子供の頃はよく両親に連れられて遊びに行ってたな……。
「……? あのおじさん、何してるんだろ?」
無意識に公園へ足を踏み入れると……中年のおじさんがブランコに腰を下ろしているのが見えた。
こんな時間に公園に1人でいる男性……失礼なのは承知しているけれど、あたしは思わず警戒心を持ってしまった。
だけど街頭に照らされたおじさんの顔を見た瞬間……その警戒心はすっかり消えた。
だって……ものすごく思いつめたような顔をしているんだもの……。
何もかもに嫌気がさしたようにうつむいているその姿は……どこか今のあたしに重なるものがあったような気がした。
「……」
あたしは自分でもよくわからないまま、おじさんの隣のブランコに腰を下ろした。
そしてあたしに気が付いて声を掛けてきたおじさんに思わず尋ねた。
「おじさんは……家族と仲が良い?」
次話は潮太郎視点です。
さっと終わらせて、瑞希と大洋に次の行動を取らせたいと思います。