表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/12

金色に照らす 6

 武田勝頼は天正三年(1575)、三河国設楽原で織田、徳川連合軍に大敗を喫した。

 その後、一時は父信玄をも超える領土を手中に収めるが、織田、徳川、さらには関東の北条から攻められ、徐々に勢力を失いはじめる。

 

 かつて金太夫たちが籠っていた高天神城も、天正九年(1581)三月、徳川軍に攻め落とされた。

 この時、勝頼は北条と戦っており、城に援軍を送る余裕がなかった。

 家康は降伏を許さず、城兵は餓死か討ち死にかの二択を迫られたのだった。

 勝頼の威信は失われることとなる。


 石山合戦を終えた信長も武田攻めに本腰を入れ始める。


 翌年(1582)一月、信濃国木曽郡の木曾義昌(きそよしまさ)が信長の調略により武田を離反した。

 驚いた勝頼はすぐに木曾討伐軍を編成し、討伐に向かわせたが、残雪のため思うように行軍できないでいた。

 

 二月に入ると示し合わせていた通り、織田軍、徳川軍、北条軍が一斉に武田領土に攻め入った。

 関東口からは北条軍、駿河口からは徳川軍、飛騨口からは織田家臣金森軍、伊那口からは信長の嫡子信忠軍が同時に侵入し、武田領内は大混乱に陥った。


 信忠の軍が攻め寄せると、伊那の武田方の城は次々と降伏、自落していった。

 

 二月十四日、浅間山が轟音とともに火柱を上げた。

 浅間山の大噴火を武田家滅亡の兆しと予感した武田領内の人々は、武田を見限っていった。

 噴火を見た伊那大島城の兵たちは、恐れをなして城を逃げ出してしまったという。


 この頃になると、高遠にいる金太夫の周りも騒がしくなっていた。

 伊那の各城から落ち延びてきた兵たちが、高遠城に集まってきたからである。

 また、城下町の人々や周辺の村人たちが戦火から逃れるため、山寺に避難しはじめたからでもあった。


「死なないでくださいね」


 乱暴狼藉を取り締まるため、城下を見回った帰りである。

 金太夫は、毎日立ち寄っていた川辺で何を考えるでもなく、悠然と聳える山々を眺めていた。

 後ろから声を掛けられ振り返ると、()()が立っていた。


「きっと死ぬことを思っていたのでしょう」


 ()()は横に並ぶと言った。生活道具が入っているであろう風呂敷を肩に担いでいる。

 武士の妻子は、城内に避難することとなっていた。


「戦が終わったら、もう一度ここで景色が移り変わるのを、村の子供たちが遊ぶのを、あの水仙を眺めるのです。だから、死なないでくださいね」


「ああ」


 金太夫は、おそらくこの戦で俺は死ぬんだろうと胸の奥底で覚悟していた。

 ()()は、心無い返事をした金太夫の顔を睨んだ。


「……わかった。再び、この河原の景色を見るまでは、死なん」


 満足げに笑う()()の顔が、夕日に輝いている。

 通り過ぎていく暖かい風が揺らした黒髪を、金太夫は見ていた。


 



 



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ