金色に照らす 5
それからまた、長い年月が過ぎた。
天正十年(1582)二月、金太夫は武田の領地である信濃国伊那郡高遠にいた。
高天神城攻防戦から八年、姉川の戦いから十二年がたっている。
金太夫は高天神城陥落後、又兵衛と共に高遠に配属された。
浪人の身であったため、この地にきたばかりのころは諏訪頼清という地侍のもとで厄介になっていた。
暫くして土地を与えられた金太夫は、自らの畑を耕すのが日課となった。
畑仕事がひと段落すると、高遠城の南を流れる三峰川の辺で一休みするのが習慣となった。
「本当にそうかしら」
ぱっと咲き誇ったような笑みを浮かべながら、はなは言った。
川原で休んでいると時折、諏訪頼清の妻であるはなが握り飯などを差し入れに来ることがあった。
この日も顔を出したはなに、金太夫は昔話をぼそぼそと語っていた。
普段無口な金太夫は不思議なことに、二十も歳の離れたこの女の前では多弁になった。
『七本槍』などたいして世間に知られていなかったのではないか、このまま戦場に出られず山の中で畑を耕して一生を終えるのではないか、気が付くと金太夫は己の境遇について愚痴を漏らしていた。
「本当にそうかしら」
三峰川の上流に聳える雪をかぶった仙丈ケ岳を眺めていた金太夫は、はなに目線を移した。
「四郎様は、渡辺様が武勇に優れたお方だとご存じだったからこそ、この地に配されたのではないかしら」
四郎とは武田勝頼のことである。信玄の四男である勝頼は、武田家の跡取りに決まるまで高遠城主を務めており、高遠の人々は親しみを込めて、四郎様と呼んでいた。
高遠城は西の織田が攻め込んできた際、武田の本拠地甲斐国を守る最後の砦であった。
信長さえも一目置いた金太夫をこの地に配属することで織田の牽制になると勝頼が考えたに違いない、とはなは言いたいのであろう。
「で、あるかのお」
「きっと、そうです。もし渡辺様が江州の戦で戦功を挙げていなければ、ここにはおられなかったかもしれませんね」
金太夫は急に照れ臭くなり、はなから目を逸らすと、川辺に咲いている黄色い水仙を見て言った。
「暖かくなってきたな」
「そうですね」
二人は暫くの間、川のせせらぎに耳を傾けていた。
すると三人の子供を連れた男が、三峰川の対岸から浅瀬を歩いてこちらに渡ってくるのが見えた。
三峰川は雪解けの時期になると流れが速くなり、歩いて渡るのが困難になった。
しかし、一か所だけ地元の人しか知らない浅瀬があった。そこを渡ってくるのである。
「よう、金太の兄貴。それにはな殿も。お元気そうでなにより」
目を細めた又兵衛はそう言うと、二人に近づき金太夫の隣に腰を下ろした。
又兵衛は両手に山菜がどっさりと入った籠を抱えている。
「この子らの村の人たちが、たくさん採れたから分けてやるって、こんなにもくれたわ」
又兵衛は豪快に笑いながら、子供の頭をがしがし撫でた。
「わ、渡辺様もよかったら……」
一人の子供が金太夫に近寄ってきて言った。
「ああ」
愛想なく答える金太夫に一礼すると、子供たちは川辺で遊びはじめた。
金太夫は地元の人たちとほとんど会話をすることがなかった。
そんな金太夫を高遠の人たちは、余所から来た不審な人物、と警戒の目で見ていた。
金太夫の話し相手は、又兵衛とはなだけであった。
しかし、この穏やかな日々も悪くない、と金太夫は思いはじめている。
戦をしていた昔とは別の世界に迷い込んだのではないか。
金太夫は、西の空から舞い降りてきた鳶が川魚を捕らえて去っていくのを眺めながら、そんなことを思った。